白昼、いつもの保健室で。










その日。朝から九十九は俺の腰にしがみつきっぱなしだった。
朝食を採る間も、校舎へ向かう間も、教室に入ってからも、ずっと。


けれど、慣れとは恐ろしいもので。


最初の頃はすれ違う誰もが、腰に何がへばりついているのかと
ツチノコでも見るような眼差しで俺を振り返ったものだったが、今ではそれが九十九であると確認するなり
“あぁ、葉佩か。”・・・と、妙に納得のいった顔をして通り過ぎてゆく。

九十九は俺の腰にしがみつきながら、うーだのあーだのと、瀕死の化人まがいな呻き声をあげ続けていて
くっついて、一向に離れようとしない九十九を引き摺り、俺は保健室に向かっていた。




「う〜〜〜ッ、もう耐えられない・・・!!甲、腰・・・腰が痛いよーーーッ!!」

「もうすぐ保健室だ、それまで我慢しろ。」

「うぅーーー・・・」




少し重めの保健室の扉を開くと、その途端、アロマとは違う独特の匂いが漂ってくる。
・・・カウンセラーはいつものようにイスに腰掛けて、煙管を傾けていた。




「・・・どうした?葉佩に皆守。2人揃ってやってくるなんて。
まさか、またここを昼寝に使おうというのではあるまいな?」




カウンセラーは俺達の姿を確認するよりも先に、振り返りながらそう告げる。
・・・コイツもコイツで喰えない教員だ。
九十九に言わせると、『瑞麗先生は氣が読めるんだって。』とのこと。

眉間に皺を寄せて振り返ったカウンセラーだったが
いつもなら自分目掛けて真っ先に飛び付いて来る筈の九十九が
ぐったりと項垂れて、俺に寄り掛かったままでいるのを見るなり、表情を緩めた。




「・・なんだ、珍しく本当に具合が悪いのか。随分と氣が衰弱しているな。」

「瑞麗先生〜・・・あぁ、今日もそのすらりと伸びた御御足(おみあし)と白衣が素敵〜〜・・・
お願いだから助けてえ゛ぇ゛〜〜〜〜・・・!!」




九十九は俺の腰を離れ、今度はズルズルと体を引き摺るようにしてカウンセラーの元へ近づく。
・・・一歩一歩を重そうに這いずる九十九の姿は
なめくじだとか、そういった類のものに似ているような気がしなくもない。
最後は朱堂のようなだみ声で叫ぶと、ヨロヨロと歩き、今度は俺の代わりにカウンセラーにすがりついた。




「一体どうしたんだ。」

「・・・こッ、腰が痛いッ。痛くて死にそう〜〜ッ!!」




ガクリと九十九が項垂れると、カウンセラーは意味深そうに・・・チラリと推し量るようにして、俺を見た。
―――――――――― ・・・なんだよ、その眼差しは。




「だ〜か〜らッ。・・・お願い、生理痛の薬ぐだざい〜〜〜ッ」

「・・・なんだ、そちらか。」

「カウンセラー、今俺に在らぬ嫌疑をかけただろう。」




俺が非難がましく唸ると、カウンセラーはわざとらしく咳払いをして
“さて・・・”なんて言いながら、ガサゴソと薬の入っている棚を漁り始めた。









■  □  ■  □  ■  □  ■  □  ■  □  ■









カウンセラーに出して貰った痛み止めの薬を、九十九はまるで掻き込むようにして飲みこんだ。
けれども、薬というのは早々すぐに効くものではないらしい。
九十九はそれまでと変わった様子もなく、うーうー化人のように呻いては
抱き枕ではないというのに、俺の腰に手を回し、必死にしがみつく。


九十九は結局その場を動けなくて、カウンセラーにベッドで寝ていってもいいかと尋ねていた。
半分涙交じりの九十九の声に、仮病ではなしに具合が悪いと知ったからか
いつになく優しいカウンセラーは、ぽんぽんと九十九の頭を撫でて、それを了承していた。


ベッドに入るまでも、九十九はくまのぬいぐるみかなにかの如く俺を放そうとはしない。
俺は難なく振り解ける筈の、けれどいつもよりずっと弱々しくて
酷く頼りない力で俺を掴む九十九の手を、何故か振り払えないでいた。


されるがままに、ベッドの脇まで連れて行かれる。
別に授業に出たいワケではないし、行きたいところがあるわけでもない。
・・・今日ぐらいは傍についていてやってもいいかと、覚悟を決めた。


長い戦いになりそうだ。幸いにも今日は、取手もここに来ていないようだから
空いている隣のベッドで寝ているか、せめてイスでも持ってこなければ、俺が疲れてしまう。
何時間掛かるかわからない耐久戦を、ぼうっと立って過ごすより
暖かい布団に入ってぬくぬくとしていた方が、数段利口だ。


いそいそと俺がベッドから離れようとすると
なにかにきゅっと学ランの裾を引っ張られ、引きとめられた。思わず眉間に皺が寄る・・・




――――――――――― ・・・コラ、離せ。」




俺が背後を振り返ると、予想通りに情けない顔をした九十九が
ベッドの中から必死に手を伸ばし、口をへの字に結んで俺の学ランの裾に掴まっていた。




「やだッ、甲!・・・いかないでッ!!」




少し高めの女の声で叫ばれて、俺は少々面食らう。
普段馬鹿騒ぎをしているコイツからは、想像も出来ないような声。

病(?)は人を弱気にするというが、あれは本当だったのか・・・。

内心そんな風に感心していると、九十九はフッと瞳を伏せて
俺が面食らって、呆然としているのいいことに、今だとばかりいそいそと学ランを手繰り寄せた。




「・・・今の俺は、辛うじて萌えによって生かされているんだ・・・」

「は?」




あまりに真剣に。・・・そして、あまりに馬鹿なことを言われたせいか
俺は間抜けにも、素っ頓狂な声でそう聞き返してしまった。
・・・ヤツに何を聞き返しても無駄だということは、既にわかりきっているというのに。
目付きの険しくなった俺に構うことなく、九十九は尚も芝居がかった動作で目尻を押さえ、言葉を続けた。




甲の腰によって生かされてるようなものなんだよ!
甲の腰がないと、俺生きていけないッッ!!・・・あ、あと鎖骨もなんだけどさ。
・・・それなのにお前は俺から腰を奪うというのッ!?させない・・・ッ、させないよッ!!




それはさながら、かの有名な金色夜叉の一場面の如く。
貫一に縋りつくお宮のように、行かないでッと腰に縋りついてくる九十九を
(この時点で、何かが間違っていると思う)
俺は一瞬スリッパで殴ってやろうかとも思ったが
散々具合の悪そうな姿を見せつけられていただけあって、それは人として(はばか)られた。




「・・・お前、やっぱり黒塚から妙な影響受けてるだろ。」




それ以外やりようがなしに、俺は深い溜息を吐き出した。
それから九十九の頭をポンポンと撫でて、そっと微笑みかけてやる。
すると、梃子でも学ランを放そうとしなかった九十九は、まるでさっきまでの俺のように驚きで呆然となり
力が抜けて、掴んでいた学ランの裾が、手の中からスルリと落ちた。

その一瞬の隙を突いて、俺はサッと九十九から距離を取る。
手の中から逃げていった俺に気付いて、ハッと我に返った九十九は
不満げに、うー・・・とまだ喋れない赤ん坊のような声を出して人差し指を顎に当て
名残惜しそうに俺の腰を見つめていた。


・・・具合が悪いときってのは、人恋しくなるものなのだろうか?


俺は小さく舌打ちをして、咥えたアロマプロップに火をつけた。




「・・・安心しろ。別にどこかへ行こうと思ったわけじゃない。
そこにそのまんまの体勢で突っ立ってたら、俺が疲れるだろうが。」

「・・・あ、そっか。」




今更ながらそれに気付いたように、ベッドで横になったまま、ポンと手を叩く九十九。
体はそちらに向けたまま、俺は器用に上体を捻って後ろを向く。
カウンセラーはいつものように、年頃の青年には毒にしかならなそうな足をこれ見よがしに組んで
踏ん反り返ってイスに座ったまま、得意の煙管を吹かしていた。




「おいカウンセラー。病人がこう言ってるんだ、俺が保健室(ココ)で寝てたって構わないよなァ?」




振り向き様、ニヤリ、と口元を吊り上げてそう告げると、カウンセラーが口から煙管を離す。
眉間に1本皺を寄せ、煙管を持っていない手で、軽くこめかみを抑えてから
仕方がないと言いたいのを前面に押し出した口調で、それでも溜息雑じりに呟いた。




―――――――― ・・・全く、お前というヤツは・・・・・・好きにするといい。」




こうして、正々堂々保健室で寝ていられる口実を得た俺だったが
次の九十九の一言が、これまた中々曲者だった。




「瑞麗先生〜〜・・・俺、甲の腰がないと眠れないよぅ・・・・・・」




・・・サボリ魔の俺が保健室にいることを、患者の要望とは言え、みすみす許してしまったからだろう。
酷くつまらなそうな顔をしていたカウンセラーが、煙を吐き出しニヤリと笑った。




―――――――― ・・・だそうだ。
皆守、病人がそう言っているんだ。仕方がないと思わないか?」

「・・・隣のベッドじゃ流石に届かないだろうが。」




俺は多少の分の悪さを感じながらも、僅かな抵抗を試みる。
するとベッドで横になっていた九十九が、己の存在を主張するかのように、布団をボスボスと叩いて暴れ出した。




「じゃあ、じゃあッ!甲、俺と同じベッドで寝るッ!?俺はいいよッ、寧ろ大歓・・・

「九十九。それ以上言うと不本意ながら“アレ”を使わざるを得なくなる。」




きっぱりすっぱり、俺がそのたった一言を告げると
九十九はヒ・・・ッ!と恐怖に顔を歪ませて、頭のてっぺんまで布団に隠れてしまった。
ガタガタと震える体の振動が、布団越しに外から見えるあたり
中ではかなりの努力をしているに違いない・・・実にくだらないが。




「・・・皆守。患者の役に立てないのなら、私は君をここに居座らせる理由がないな。」




打って変わって、すかした表情で面白そうに告げるカウンセラー。
・・・だが雛川に見つかっても、無理矢理教室に連れ戻される心配のない保健室は
サボるには打ってつけの場所だ。それをこれぐらいのことで、みすみす諦めてしまうのも悔しい。

俺はクッと呻きながら、無闇矢鱈(むやみやたら)に回転するイスを、のろのろと自分の方へ引き寄せた。
そうして俺がイスに座った途端、布団の隙間から目だけを覗かせて
こっそり事の成り行きを見守っていた九十九は、バッと被っていた布団を押し退け
嬉々とした表情で、勢いよく俺の腰に掴み掛かってきた。




「やったーーーッ、甲の腰ゲットオォォォ!!




あまりに勢いよく飛びついてきたので、その衝撃で俺はイスごと
隣のベッドへ押しやられてしまいそうになるが、足を踏ん張らせてどうにか堪える。




「・・・・・・十分元気じゃないか。」

「寝てるとね。薬のせいもあって随分楽なんだけど、その代わり物凄〜く暇なんだよ、甲。」




暇だと口では言いながら、九十九の表情は何故かとてつもなく楽しそうだった。









■  □  ■  □  ■  □  ■  □  ■  □  ■









やがて、俺がいるなら・・・とカウンセラーは意気揚々どこかへ出かけてしまい。
(恐らく、職員室あたりだろう。カウンセラーは意外にも雛川と友好関係があって、困る。)
俺はそのまま仕方なしに、九十九の腕を腰に巻きつけた状態で小一時間。
九十九は俺の腰をしっかりと抱きかかえたまま、器用に背を丸めて眠りこけていた。


身動きの取れない俺は、微かな体の痛みと、手持ち無沙汰を感じながらも
アロマを吹かすことでそれを紛らわしている。
九十九は腰の辺りですぅすぅ寝息を立てていて、もうしばらくは起きそうになかった。


・・・全く。人の腰にしがみついて、何が楽しいのだろうかコイツは。


あまりにも暇だったので、俺は眠る九十九の顔をじっくり観察することにした。
起きているときにこれをやると、九十九のヤツは“甲が俺に熱視線を向けてるッ”
・・・とかなんとか言い出して、結局ややこしいことになるのだ。(既に経験済み)


女だと知らされなければ、誰もが男だと疑いもしないだろう九十九。
だがこうしてみると、意外にも睫毛が長かったりする。
それに、しょっちゅう抱き付かれていれば嫌でもわかることだが
九十九は別段、逞しい体付きをしているわけでもなければ、言動が男らしいわけでもない。
(だからといって女らしいわけでもないのだが・・・。)


葉佩九十九という存在の、何が男らしいというわけでもないのに
周囲が九十九を男だと認識してしまうのは、服装や飾りっけのなさ、それから決して長いとは言えない髪・・・。
容姿なんて安易なものに、誤魔化されてしまっているからなのだろうか?


・・・視覚なんてものは、大概当てにならないな。


・・・ゆっくりじっくり、本人の奇声にも邪魔をされずに九十九を観察してみて、わかったことが1つあった。
九十九はただ単に、顔付きが中性的なだけなのだ。男に見える工夫など、なにひとつしていない。
周囲の人間が、学ランを着るのは男だという、既成概念にとらわれているだけ。


そう結論に至ると、なんだか馬鹿馬鹿しく思えてきた。
なんの計画性もなしに行動しているコイツに、皆すっかり騙されている。
かくいう俺だって、最初に九十九が女だと口を滑らせなかったら、ずっと気付かなかったかもしれない。


・・・ただコイツの場合。言動で性別がバレるよりも
自分でバラしてしまう可能性の方が高いという点に、大きな問題があるが。


髪は意外と猫っ毛で、頬も引っ張ったらかなり伸びそうな柔らかさだ。
・・・今度、何処まで伸びるか試してみるか。
そんなくだらないことを確認していると、九十九の眉間に皺が寄った。
遊びすぎたか?と手を離すと、うーうーとくぐもった、低くて苦しそうな声が聞こえてくる。
顔を覗きこんで見ると、九十九は酷いしかめっ面をしていた・・・・・・魘されているのだ。


唇が、微かに動く。なにか呟いているようだったが、その声はとても小さくて聞き取れない。
悪い夢でも見ているのか?・・・こういうときは、起こしてやるものなのだろうか?
起こすべきか、起こさないべきか。俺がうだうだ考えていると
突如九十九のガラス玉のような瞳が、今まで眠っていたのが嘘のように、パッチリと見開かれた。




「うわあぁぁぁぁぁぁッ!!!!!!!」




・・・と同時に、空間をまるごと震わせるような悲鳴をあげて、九十九はベッドから跳ね起きる。
そして微かに震える自らの体を見止めると、寒さから身を護るように抱き締めた。
眉間を伝い落ちてきた、額に薄っすら掻いていた冷や汗を、手の甲で乱暴に拭い取る・・・。




「・・・おい、大丈夫か?」




見かねて声を掛けると、どこか怯えているような九十九の双眸が俺を捉えた。
・・・途端、焦点の合っていなかった瞳に正気が戻り、九十九の顔がくしゃっと歪む。
それは本当に一瞬のことだった。九十九の顔は、すぐ見えなくなってしまったから。




――――――――― ッ、甲!!!!」




ドン!と強い衝撃を喰らい、それと共に生暖かい九十九の体温が、じんわり体に染みてゆく。
それはいつもの抱き付き方と少し違って、九十九が腕をまわしているのは腰ではなく、俺の首。

言葉通りすがり付いてくる、そんな印象を抱く必死さがあった。
強く、強く俺を引き寄せる九十九の手は、魘されたせいかしっとり汗ばんでいた。




「・・・良かった・・・良かった、甲。・・・甲が、無事で本当に・・・」

「九十九、どうした。・・・・・怖い夢でも見たのか?」




その様子に尋常ではないとい悟った俺は、出来る限り優しい声を出して
ポンポンと背中を叩きながら、九十九に問いかけた。

・・・もう見なくなったが、俺も昔はよく見た悪夢。
その夢を見た朝は決まって、今の九十九のように飛び起きていたものだ。
・・・今は、その夢の内容すら思い出せないけれど。




「・・・・・・あのな・・・」

「なんだ?」




情けない顔をした九十九が、しがみついたまま俺を見上げる。
九十九は恐ろしさで声も出ないといった様子で
言いかけては止め、言いかけては止めを数回繰り返し、俺から体を離すと一気に叫んだ。




「・・・・・・・・・校則で萌えが前面禁止になる夢見たんだよッ!!!」

「・・・はぁッ!?」




全身から力が抜けて、思わず口からアロマプロップを落としそうになる。
九十九はそんな俺の様子に気付く素振りもなく、再び震え始めた自分の体を抱き締めた。




「・・・・・・生徒会が、俺を追い詰めようと最終手段に打って出たんだ!!

「・・・・・・。」



「俺は必死に抵抗したんだが、まず瑞麗先生の白衣が奪われ、チャイナ服も禁止された。
勿論マミーズからもウェイトレスの制服が廃止され
ヒナ先生と必要以上の会話は御法度。ヒナ先生は心苦しそうに俺の前から去っていく。
続いて八千穂のお団子頭が解かれ、白岐の髪も普通の長さに切られた!
リカのゴスロリ制服も没収、月魅もコンタクト使用を強制された・・・!!




話すことすら苦痛を伴うとでも言いたげに、九十九は苦しげにふぅ、と息を吐き出す。




「鎌治は学ランを第一ボタンまできっちり留めることを要求されたし
夕薙の逞しい胸板も、服で覆い隠されてしまった・・・ッ!
あまつさえ黒塚なんかはコンタクトにされたうえ、石を没収されて廃人寸前だし
茂美は自慢の俊足で逃走を試みたものの、男に釣られて捕獲された。
・・・肥後は生徒会作成の1ヶ月で50kg減量ダイエットプログラムで無謀なダイエット計画を強要されているッ。
そんなことしたらッ、レアな肥後のプリティさが台無しだ・・・ッ!!




徐々にヒートアップしていく九十九に対して、俺は反対に冷めてゆくのを感じていた。
何事かと身構えていただけに肩透かしを食らった気分で、どうにもやるせない。




「だがなにがあっても、甲の鎖骨と腰だけは奪われるわけにはいかないッ!!
・・・俺は一人逃げ延びた甲を連れて、必死に逃げた。走って走って・・・
けれどそんな俺と甲の元にも、遂に生徒会の追っ手がせま・・・ッッ!!!!!」

「・・・いい加減にしろッ!!!」






ペチンッ。






「あうッ。」




俺がデコを叩いてやると、九十九はマシンガンと化していた口を閉じ、手で額を擦る。
一応病人(?)だからな・・・スリッパで叩かなかっただけ感謝しろ。




「・・・ッたく。魘されてるからどんな夢見てるのかと思えば
そんなくだらない夢、見るんじゃないッ。」

「だ、だって甲ッ!!俺、めちゃくちゃ怖かったんだよッ!?
この學園から萌えが根こそぎ奪われたら、俺生きていけないッ!!!

「・・・・・・阿呆か。くだらない、俺は寝るぞ。」




一時でも優しくしてやろうと思った俺の気遣いと、同じ姿勢でい続けた労力を返せッ。
今度こそ、俺は迷うことなく九十九に背を向けて、隣のベッドに潜ろうと布団の端を持ち上げる。
すると九十九は焦りの増した声で、矢継ぎ早に捲くし立てた。




「だッ、駄目ッ、甲!!頼む、頼むからそっちには行かないで!!」




俺の服を掴もうとした手が、届かず空を切る。
何を言うにも騒がしいのはいつものことだが、先程のこともあってか
何故だか妙にその様子が気に掛かって、俺はそれ以上動くのをやめた。
背後から、安心したような九十九の呼吸が追ってくる。
俺は眉間に皺を刻むと、肩越しに九十九を振り返った。




「・・・どうしてだよ。」




・・・もしかしたら、またとんでもなくくだらない理由がついてくるのかもしれない。
そんなのに振り回されるのはまっぴらごめんだ。

すると九十九は、わざとらしく深く傷ついたような顔をして
よろよろとベッドに両手を付き、肩を落として項垂れてみせた。




「このままじゃ俺、もう1度あの夢見そうで眠れないッ。
あんな夢・・・続けて何度も見たら俺精神崩壊起こして、鎌治とか素で襲っちゃうかもしれないよ・・・ッ!!!

「・・・・・・いつも襲ってるだろうが。」




かなり痛いところを突いたつもりだったが、九十九はそれを聞かなかったことにしたらしい。
まだ腰が重いのか、ベッドから完全には起き上がらないまま
それでも出来る限りに身を乗り出して、縋るような眼差しで俺を見上げて言った。




「だから・・・だから、甲。お願いだからこっちで寝てよ。
甲の匂いが近くでしたら、きっとあんな夢は見ないような気がする。」




アロマを落としそうになるのは、これで本日2度目。
非常識な提案内容とは正反対に、九十九の瞳は真剣そのもので
サラリと投下された爆弾発言に、今度は俺が瞳を丸くして叫ぶ番だった。




「お前・・・ッ!」

「・・・ん?」




言いかけたはいいものの、焦りのためか動揺のためか、その先が出てこない。
アロマを吸い込み煙を吐いて、なんとか心を落ち着けてから、俺は視線を彷徨わせ、ゆっくり言葉を探した。




「・・・・・・もう少し、警戒心ってものを持てよ・・・無防備にもほどがある。」




とてつもない虚脱感に襲われながら、俺は持てる限りの酸素を全て使い切って、腹の底から吐き出した。
どうして話すだけで、こんなにも体力を消耗するのか。
九十九はよくわかっていないようで、きょとんと小首を傾げ、不思議そうに俺を見ていた。




「え、そう?」

「え、そう?・・・じゃないッ。妙な意味に取る妙な奴がいたらどうする。」




そう例えば。お前が自分に好意を持ってるんじゃないかなんて勘違いする、男好きな
とか。
痛みを訴え始めた頭を押さえて呻くと、九十九はカラカラと声をあげて笑った。




「あはははッ。大丈夫だよー、俺は男ってことになってるし。
女だって知ってる人は、そんなことするようなヤツじゃないだろ?」

「・・・・・・・・そんなの、わからないだろうが。」






―――――――――― ・・・例えば、俺とか。






声には出さずに、呟いた。俺はお前が女だということを知っているし
お前が思うような人間じゃない・・・・・・かもしれないだろうが。

そんなことを思っていると、俺の浅はかな考えなんて見透かしてるとでも言いたげに
九十九は肩の力が抜けそうな緩い表情をして、人が悪そうににぃっと俺に笑いかける。




「そうかなぁ?・・・でも平気、甲はそんなことしないから。」




・・・それは、信頼してるってことなのか?
それとも、俺を男としては見ていないということか?

・・・なんにせよ胃の辺りで、ずしっと重力が増したような気がした。
俺は一際大きな溜息を吐いて、それを誤魔化す。




―――――――― ・・・どういう根拠だよ、それは。」

「だって、甲だし。」

「なんだそりゃ!?理由になってないだろうがッ!!」




根拠の欠片もなにもない、けれど妙に自信に溢れた九十九の返答に
俺は思わず声を荒げ、わしゃわしゃと髪を掻き毟った。
無意識にアロマプロップを噛んだのか、カチッと金属を噛み締めた音がする。

そんな俺の様子を楽しそうに眺めながら
九十九はボスン!とベッドに倒れこむと、俺に向かって両手を広げてみせた。
・・・・・・・・・・どうも嫌な予感がする。




「それに甲、前ラベンダーは安眠効果あるみたいなこと言ってたじゃん。
その安眠効果を、俺にもわけてよ。」

「・・・そんなこと、言ったか?」

「言ったよー。俺、ちゃんと覚えてるもん。≪宝探し屋≫は記憶力が命だ!!」

「・・・そうか。」




俺が素っ気無く答えると、九十九はなにかを要求するように
俺に向けて伸ばした手を、バタバタと上下に動かした。
しばらくの間、俺は九十九の要求を半ば察知しつつ、そのまま放置しておいたのだが
それでも九十九はしつこく“わけろわけろ”と煩く喚き続けていて
手を下げる素振りも、大人しく口を閉じる気配もない。

・・・同じベッドに俺を引きずり込むことを諦めるつもりは、これっぽっちもないらしい。

結局自分が折れるまで、この堂々巡りが繰り返されるのだろうと予測した俺は
渋々方向転換をして、九十九と同じベッドに潜り込んだ。
九十九はなんの生物か問いたくなるような奇声をあげて、すぐさま俺に擦り寄ってくる。
湯たんぽのように熱を発している手が、俺の胸にそっと押し当てられた。




「うーん。甲って、体温低め?」

「・・・お前が高いんだろ。」




そうなのかな?と呟いて、九十九はすぐに眠る態勢に入ってしまった。




「・・・むぅ・・・甲の胸板も、なかなか・・・・・・・・・」




――――――――――― ・・・訂正。

もごもごと口の中で、寝言じみた馬鹿なことを呟いてから眠った。

ベッドは狭くなるし、自由に寝返りはうてなくなるし。
同じベッドで寝るだなんて、最初は鬱陶しいばかりだと思っていた俺だったが
他人の体温を感じながら眠るというのは、案外心地よいもので。


それはずっと、忘れていた感覚で―――――――― ・・・


九十九の子守だったはずが、俺もいつの間にか、すっかり眠り込んでしまっていた。
陽が傾き、焦れたカウンセラーに叩き起こされるまで、俺が目を覚ますことはなく
まだ隣ですやすやと眠っていた九十九の眉間には、一本の皺も寄っていなかった。
・・・悪い夢の続きを見て、魘されて目を覚ますことは、どうやらなかったらしい。




「・・・おい。起きろ、九十九。もう夕方だ、下校の鐘が鳴る・・・寮に帰るぞ。」




俺が肩を揺さぶると、九十九はもぞりと寝返りを打って、ゴシゴシと目元を擦り言った。




「・・・う〜〜〜ッ、甲の鎖骨がないと起きれない・・・・・・」

「一生寝てろ。」




――――――――― ・・・安心しきった九十九の寝顔に
ヤケにほっとしてしまっている自分がいたことには、まだ知らないふりを決め込んで・・・















戯言。


皆守に月一の女の子の日まで把握されている九十九でした(笑)
これはまだ比較的初期の頃のお話なので、5話と6話の間ぐらいのお話だと思います。
でも瑞麗先生には、やっぱり女の子だってことはバレちゃってます。痛み止めもらうくらいですから!

まだ何かが吹っ切れていない皆守さんと、今も昔も相変わらずな九十九。
皆守はいつも吹っ切れていないといえば吹っ切れていないのですが、アナザーストーリー後の皆守だったら
保健室での添い寝ぐらいなら、疑問にも思わずやってしまう程度に何かが吹っ切れてきています。

自分だけが必要とされることに、満足を見出し始めたうちの皆守さん。既に病気(笑)

ちなみに九十九、いつもは皆守や鎌治目当てで保健室にやってきて
そのまま一緒にサボってしまうパターンが多いのですが、保健室に来てまず真っ先にすることは
備品調達ではなく、ルイ先生のおみ足と白衣を堪能することだったりします。
なのでいつもは『白衣萌えーーーッ!!!』とか言って抱きついて、容赦なく殴られていたり(笑)





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2004/12/19