即興曲
impromptu
















パチッ!




―――――――――― ・・・んっ」




波ひとつたっていなかった水面に小石が落ち
ポチャンと波紋が広がるような感覚に、フッと意識が浮上する。

俺が呻いたのに気が付いて、すぐ傍で誰かが動く。
いつもならすぐさま気配に反応して
臨戦体勢をとる筈だったが、どうしてか今はそんな気になれなかった。

・・・俺が瞳を開ける前に、暗闇から誰かが俺を呼ぶ。




「お。起きたか?ツヅラ。」




――――――――― ・・・酷く聞きなれた声色。
それはじんわりと、いくばかりか湿っている地面に染み込んでゆく水のように、俺の耳に馴染んだ。




―――――― ・・・コウ?」




瞼を開けると、焚き火が橙色の灯りを放ち
周囲に広がる暗闇との陰影を、ハロウィンカラーで浮かび上がらせている。
・・・他人のもののように喉から漏れた声は、可笑しいほど掠れていた。




「・・・なんや、お前寝惚けてんの?そら珍しいもん見たなァ、あのツヅラが寝惚けるなんて。」




見慣れた顔が、にぃっと猫のような顔をして笑う。
コイツがよくする俺には到底真似できない、人好きのする人懐っこい笑い方だ。


・・・あぁ、思い出した。


まだハンターとして半人前でありながら、幼い頃から探索に勤しみ
既に将来有望と称されている俺たちは、協会から簡単な仕事・・・
つまり探索ではなく、現在まで散々侵入者達に荒らされた遺跡の再調査を
情報収集を兼ねた訓練として課せられていたのだ。

そうして、指定された遺跡に潜ったのはいいものの、世間的には男だと公表されているが
実際問題女である俺は、人間の生理的な現象による・・・いや、そんなことはどうでもいい。

ともかく月経とかいうヤツのお陰で疲労が激しく、体もいつもより重くて、思ったように動かない。
そんなものだから時刻的なものもあって、俺はコイツに提案されるまま、休憩を取っていたのだった。

それがいつの間にか、自分でも気が付かないうちに眠ってしまったらしい。
・・・鬱陶しく目の前に落ちてきた髪の毛を、俺は耳に引っ掛けた。




「・・・うるさい。仕方ないだろう、男のお前には分からないさ。」




どうやら先程の音は、焚き火にくべられた薪が撥ねた音だったらしい。
火の粉がチラリと宙に舞って、暗闇に消えた。
その向こう側で、アイツの顔が不敵に笑う・・・心底楽しそうに。




「大変そうやな〜、なにしろツヅラは男ってことになってんやし。」




正真正銘の男であるコイツに、俺の苦痛がわかるはずがない。
・・・女性特有のこの痛みが、わかるわけはないのだ。

自分の周囲だけ重力が増したかのように体が重い。
額に薄っすらと掻いた汗を拭った手は、地面に吸い寄せられるようにばたりと垂れ下がる。
・・・まるで目に見えない何かに縛られて、地に引き寄せられているかのようだった。

具合があまりよくないからだろうか・・・妙な夢を見ていたように思う。
俺がコイツ以外の誰かといる夢。・・・しかも相手は男だった。


有り得ないことだ。


俺がコイツ以外の誰かといることも、あんな風に笑いかけられることも。
夢の中の俺は馬鹿みたいに始終笑顔で、その非現実的なところが、いかにも夢らしかった。
・・・・・・現実の俺には笑うことにさえ困難で、とてつもない労力を要する。

気だるい体に湿気てひんやりしている洞穴は、夏の暑い日
日陰になっている土の上に寝転んだような、なんとも形容し難い奇妙な心地よさがあった。




「・・・けどまぁ、疲れたからって寝てしまうあたり
俺はツヅラにそれだけ信用されてるってことかいな。」


「・・・・・・。」




・・・よくは、わからない。
けれど恐らく、アイツの言うことが正解なのだ。
きっと俺は、コイツを信用しているのだろう・・・愚かにも。

肯定にしろ否定にしろ、返せばからかってくるのは目に見えているので
敢えて俺は、なにも言い返さないことを選んだ。
・・・コイツの悪ふざけにまともに付き合わされては、たまったものではない。

するとそれが面白くなかったのか、アイツはどこか拗ねたような顔をして
幾許かむっすりとした口調で独り言のように俺に言った。




「・・・寝てるときが、人は一番無防備になるからな。殺すんなら、絶好のチャンスや。
・・・・・・・・・・・・・・・・・だから絶対に俺以外のヤツの前で寝るなよ?寝首かかれても知らんからな。」




・・・・それにしても、本当によく喋る男だ。
そもそも、俺がお前以外の前で熟睡したりしないと知っているくせにそう言うのだから。
以前、まだ一緒に行動をするようになって間もなかった頃。決してお前の前で休もうとしない俺に
他人を警戒しすぎだと散々文句をつけたのは、一体どこのどいつだったか・・・。




「・・・夢を、見た。」


「夢・・・?お前が?珍しいな、どんなん?」


「お前ではない誰かと一緒にいて、俺は笑ってばかりいた。」


――――――― ・・・誰や、相手。九龍か?」


「知らない・・・見たこともない男だった。」


「・・・・・・・・・・・・・・・・しかも男だったんか。」


「・・・コウ?どうかしたか?」


「・・・・・・。」




それきり、アイツは地面を睨みつけて黙りこくってしまった。
何度どうしたのかと訊ねても、全く返事を返さない。
俺は仕方がなしに、ふぅ、と小さく溜息を吐き出して頭を垂れた。
洞穴の内部だから陽は昇らないが、時刻はまだ深夜だろう。
朝になるまでに、もう一眠りしておきたい。

冬の夜の空気のように、シンと降りる沈黙が重く感じられないのは
それだけ相手に気を許しているという証になるのだろうか?そんなことを考えた。

・・・そんな思考を巡らせながらも、けれどやはり疲れていたらしい。
俺は早くもうつらうつら舟を漕ぎ始めたが
金属のぶつかり合う少し甲高い音が、俺を現実世界に引き戻した。



カチッカチッ



・・・ライターの音だ。
顔をあげると、予測通りにアイツがライターと格闘していた。
不器用なくせに、無駄に立派なZippoなんか買うからいけないのだ。
カチカチと音がする度に、小さく火花は散るものの、一向に火がつく様子はない。
口に咥えた煙草が、アイツの苛々に同調して軽く上下した。




「・・・コウ。あまり吸うなと言っただろう。お前は吸い始めた時期が早すぎだ。
この歳からそれだけ吸い続けていると、この先確実に体を壊すぞ。」




コイツが煙草を吸い始めたのは、10歳にも満たない頃だったらしい。
別に吸うのを止めはしないが、流石に早くから吸いすぎだろう。
俺が小言を言わなければ、この歳にしてコイツは立派なヘビースモーカーだ。
めいっぱい不満を籠めてそう言うと、アイツは手を止め上目遣いに俺を見た。
そして1秒ほど俺を凝視して、煙草を咥えたまま口を尖らせて言う。




「ツヅラがそういうから、俺これでも回数減らしてんやで。・・・くそっ、火ィつかんな・・・!!」




カチッカチッと、音の聞こえる間隔が短くなって、余計に火はつかなくなる。
失敗に苛立ち、それを幾度も繰り返して、回数が増す度に火のつけ方が粗雑になる。




「・・・落ち着きがないからだ。」




ここまで短気なのも考えものだ。俺は溜息と共にそう吐き出した。




「〜〜〜あぁッ、なんや色々とムカツクわぁ!!」


「・・・・・・。」




仕舞いには、そう言って髪を掻き毟り始める始末。
・・・けれど俺は知っている。
火がつかない理由の半分は不器用で、半分はわざとなのだということ。

コイツが初めて俺の前で煙草を吸ったとき。
なかなか火のつけられないコイツに、俺が手を貸してしまったから。
だからコイツは、未だそれに甘えてばかりいる・・・多分、無意識に。

・・・俺も本当に嫌なら止めればいいものを、結局いつも最後にはこうなるのだ。

・・・やがて髪を掻き毟るのにも飽きたアイツは
タイミングを見計らっていた子供のように、瞳に悪戯っぽい光を宿して俺を見る。




「・・・なァ九十九、火ィ点けて。」




アイツはそう呟くと、俺が予想したのと寸々違わぬ動作で俺を見た。
・・・やっぱり、そうくるのか。

俺が火をつけると信じて疑わないその表情は
愛してくれると信じきって、母親に甘える子供のようにも見えた。




「・・・馬鹿、こんなところで名前を呼ぶな。どこで誰が聞いているか知れない・・・」




そう言いながらも、俺は渋々腰をあげる。
アイツは打って変わって嬉しそうに瞳を細め、俺にライターを手渡した。・・・・・・まだ、温かい。

その温度に引き寄せられるようにして、ふと視線を手元にさげると
そこに収まっていたのは、ヤケに見覚えのあるライター。
・・・それは俺がつい先日、コイツの13歳になる誕生祝いに贈った品物だった。


――――――― ・・・使って、くれてたのか。


アラベスクの文様が、下部を除く5面全てに刻まれているZippoライター。
コイツは軽そうな外見と裏腹に、時々驚くほど律儀で困る。

・・・以前、コイツはかのイエス・キリストの母、マリアをモチーフにしたZippoを使っていて
お前はキリスト教だったのかと尋ねた俺に、アイツはこう言った―――――――――




『阿呆。神様なんているわけないやろ?俺は無神論者や。
・・・よしんば神様なんてけったいなモンがいたとしてもな
そんな遠くから声も掛けずに生暖かぁ〜く見守ってるヤツなんぞ、いらんわ。』




そこで煙草をひと吹かしして、どこか虚ろな瞳で遠くを見つめ・・・




―――――――――― ・・・それにな。俺らは、立派な≪墓荒らし≫やで。
そんなヤツら、神様も見守る対象と違うんやないか?』 




俺はアイツの言い分に無性に腹が立って、だったらそんなもの持つなと罵った。
それに対してデザイン、格好良さ重視だと言い張って譲らなかったアイツに、ならばせめてと
≪宝探し屋≫らしく、このアラベスクを彫ったZippoを翌年の誕生日に贈りつけた。

俺が沈黙したままライターを受け取ると
それでもアイツは、俺の僅かな動揺を見逃さなかったのだろう。
・・・クスッと、鼻息で笑われたような気がした。

俺がむっとして顔をあげると、アイツは既に素知らぬ顔をして瞳を閉じ
口に煙草を咥えたまま、その先端を俺の手元に近づける。
いつもこうしてまともな顔をしていれば、意外と整った顔立ちなのに・・・


カチッ、ボッ!


連続してそんな音が響き、火は1度でついた。
アイツは満足そうに漂い始めた煙を肺に吸い込み、ぶはぁっと吐き出す。




「はぁ〜・・・美味いなぁ・・・」




焚き火が作り出す、煙草の煙の薄っすらとした影を眺めながら
俺は再び、冷たい地面に腰を降ろし・・・
・・・しばらく視界の端に留めていた煙が、突如消え失せた。




「・・・?」




疑問に思い、煙を追うように顔を上げると、何処かへ向かって歩いてゆくアイツの後姿。
内心噴き出してくる焦燥感に、俺は堪らず声を掛ける。




「コウ。待て、何処へいく?」




アイツはそれに答えない。
――――――――― ・・・答えずに、ただヒラヒラと手をふるだけ。
俺の呼び掛けに、後ろを振り返りもせず・・・・・こんなにも呼んでいるのに。


焦りが、増した。


どうしてそう思ったのかはわからない、けれどこれだけは知っていた。
あちらに行ってはいけない・・・行かせてはならない。




―――――――― ・・・ッ!!駄目だッ、コウ行くなッ!!!!」




――――――――― ・・・走る。




洞窟にいたはずが、周囲はいつの間にか一面の闇だった。
走る走る走る、けれどもさっぱり追いつかない。それどころか、アイツとの距離は開くばかりだ。




「そっちへ行っては駄目だ・・・戻れッ!!!」




・・・絶対に、俺の方が足は速いはずなのに。どうして追いつけない?




「行くなッ、頼むから・・・・・アキラッッ!!」




声を振り絞ってそう叫ぶと、遠ざかっていたアイツはやっと立ち止まった。
・・・その背中が、ふいに誰かの影と重なる・・・

煙草ではない紫色の煙、気だるそうな立ち姿、何処か遠くを見つめる瞳・・・




―――――――――― ・・・ッ!?甲ッ、駄目だあぁーーーーーーーーッッ!!!!!」




自分のものとは思えない悲鳴と同時、辺りに轟く銃声。
―――――――― ・・・真っ黒な地面に水滴のように滴り堕ちる、紅い水溜り・・・鮮血の。




・・・もう、動かない。




―――――――――― あ、あぁ・・・ッッ!!!」




必死に手を伸ばしても。
それは全て、指の間から零れ落ちてゆく。いつも俺の手から、それは逃げて・・・。


護りたい命ばかりが。大事だと想うものばかりが。てのひらから零れ落ちてゆく・・・












「うわあぁぁぁぁぁぁッ!!!!!!!」












気が付けば、俺は布団を力いっぱい握り締め、ベッドの上で起き上がっていた。
真っ白なシーツに皺が寄って、その部分に灰色の影が落ちる。

・・・そこに広がる無数の影を見ていたくなくて、手から力を抜いた。
離した手が微かに震えているのが目に入って、急に周囲の温度が下降したような感覚に見舞われる。
両腕を交差させ、今度は自分の服を掴むと、なにかがつぅっと額を伝った。
それが通った部分はひんやりとして、俺はそれが汗なのだと気付く。
体の震えを助長する寒さに、ゴシゴシと額の汗を拭った。




「・・・おい、大丈夫か?」




こちらを気遣う誰かの声に、俺は眠る寸前までの記憶を思い出した。
ここが保健室で、俺はひとりではなかったこと。

自分に強く念を押し、ゆっくり声の主を振り返る
――――――――― ・・・

そこにいたのは甲、皆守甲太郎。・・・大丈夫、ちゃんと生きている。
それを確認するように、俺は甲に抱きついた。


表情からは、ある程度の思考を読みとることが出来る。


呼吸困難に陥りそうな、発作のように荒い息遣いはどうにもならなかったから
抱きついたのは、せめて表情だけは隠したい。・・・そんな意図も、確かにないわけではなかった。
ただ少し間違えたのは、いつものように腰に抱きつかなかったこと。
いつもなら、首にしがみついたりしない。俺
―――― ・・・葉佩九十九は。




・・・あぁ、失敗した。わかっているのに、それでも尚。・・・俺は、呟かずにいられない。




「・・・良かった・・・良かった、甲。・・・甲が、無事で本当に・・・」


「九十九、どうした。・・・・・怖い夢でも見たのか?」




背中を擦る手が、気遣わしげな声が。
――――――― ・・・あまりにも優しかったから、俺は酷く安堵して。

大丈夫。甲は生きてる、暖かい。死んだりしない、死なせない。
何に代えても、俺が護る。ここにいる人達も、この學園も。全て、絶対に。

俺は甲に気付かれないよう、静かに静かに息を吐き出した。

こちらの手札は嘘ではない偽りと、真実とはいえない本当の言葉。
それを言えば、なんと言われるかなんてわかりきっている。
でも呆れた顔をするだけで、悲しそうな顔はしないだろう?これがいつもの、俺たちだ。
即興で作り上げたその理由を、俺は顔を上げ、真顔で言った。




「・・・・・・・・・校則で萌えが前面禁止になる夢見たんだよッ!!!」




それはとてもくだらなくて、でも俺にとっては切実な願い。
・・・どうか、みんなを護れますように。誰ひとり、失いませんように。
この人達まで奪い取られたら、冗談でなしに俺は生きていけないかもしれない。

・・・・・・大丈夫。俺はまだ生きている。

いくら心が痛くても、足を切られたわけじゃない。
両足を切り取られ、両腕をもぎ取られない限り・・・まだ、歩けるから。
・・・甲が生きている証を噛み締めたら、今度こそ俺は良い夢を見れるだろう。






――――――― ・・・アキラ。お前は今の俺を見て、どう思うのだろうか?
あのときの夢の住人と、今こうして笑い合っているなんて、知ったなら。






















――――――――――― ・・・本当に、良かった。お前が生きていて、甲。































戯言。


『白昼、いつもの保健室で。』その裏話でした。
天才と呼ばれたハンター“ツヅラ”と、その相棒“コウ”の過去話。言葉の裏に隠された真意。
・・・実は色々考えているんだよ、そんなお話です。

アナザーストーリーでの、煙草を吸うわけでもないのにライターを付けなれている理由もここにあります。
そういう意味では、ここの存在を知っている方は、表と読み比べてみると面白いかもしれません。
結構、所々表と繋がっている箇所が・・・少なくとも、任那の中ではあります(笑)

任那は煙草吸わないので、ライターには詳しくありませんが
まだ高校にも入ってないガキのクセに、コウは百円ライターじゃなくてZIPPO使ってます。なんて生意気(笑)

そして今回も問題の関西弁ですが・・・関西弁は二人称が自分、なんですよね。本当は、確か。
(とき○モGSのまどかちゃんがそんなことを言っていたんだ!←オイ)
でもそうすると、任那が書いているときに混乱するので却下です。自分、誰?みたいな。
もうどうせ後戻りも出来ないさとか思ってたりしませんよ?





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2004/12/19