夕刻、寮の片隅で。 ・・・放課後を告げる鐘が鳴る。 沈みゆく太陽を窓越しに眺めながら、今日も日が暮れる、と皆守は思った。 今日は6限が現国・・・つまり雛川の授業であったので、珍しく皆守は教室にいた。 チャイムと共に生徒はざわめきを取り戻し、そのままH・Rに雪崩れ込む。 日常生活に然して関わりのないような、細かい連絡事項をいくつか伝え終えると 雛川はにっこりと人好きのする笑みで微笑んで、さようならと言った。 やっぱり授業なんて出るんじゃなかったぜ、と今更ながらに皆守が思っていると 底抜けに明るい女子生徒の声が。・・・すぐ隣に彼女がいるかのような錯覚を起こす程の音量で聞こえてきた。 「九チャン!昇降口のところまで一緒に帰ろッ。」 「おうッ!やっちーは今日も部活なんだよな? 大変だなぁ、運動部は。頑張れよー!ビシッとスマッシュ決めてやれ、ビシッと!!」 「うんッ!任せておいてよ!!」 八千穂のスマッシュは殺人級だ。遺跡に棲む化人すらも、一撃で消滅させたりする。 物騒なことを言うんじゃない、これ以上強力になったらどうするんだと 内心九十九の激励に文句をつけつつ、皆守は次の展開を予測しながらも せめてもの抵抗に、出来るだけ音を立てないよう気をつけて、静かに席を立ち上がった。 「あッ!皆守クンも一緒に行こッ。どうせ寮に帰るんでしょッ。」 「よぉーし!甲、やっちー、帰るぞー!」 「待ってよ、九チャン!!・・・ほらッ、皆守クン早く!!置いていかれちゃうよ!!」 「―――――――― ・・・お前ら、なにがなんでも俺に決定権を与えない気か?」 ブツブツと不平を漏らしながら、渋々といった様子ではあったものの それでも結局皆守が、2人の後を追って教室を出ていくのも、もうお馴染みの光景になりつつあった。 ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ 「―――――――― ・・・あ。やっちー、甲。悪いけど、ちょっと購買寄ってってもいい?」 教室のある3階から地道に階段を降り続け、1階へ降り立ったとき、九十九が突然思い出したようにそう言った。 このところ毎日のように、九十九はこうして購買に寄るので 九十九が帰りがけに購買に寄るのは、当たり前のようになってしまっている。 だから八千穂も然して深く考えず、それに軽く返事を返した。 「うんッ、いいよ。」 「じゃあ、ちょっと行ってパパッ!と買ってきちゃうな!!」 ・・・最も、一応購買は昼で閉まることになっているのだが それでも無理矢理売店に押しかけて、校務員兼販売員でもある境に、否応なしにそれを容認させてしまうあたり 時として九十九の行動力・・・というか勢いは、八千穂にすら勝ることがあると皆守は思っている。 購買へと駆けてゆく九十九の背中を見つめながら、八千穂と皆守はその場で九十九の帰りを待った。 ここからでは陰になってよく見えないが、九十九は境に二言三言告げてお金を払うと それから、はち切れんばかりにパンが詰められ、めいっぱい膨れ上がった白い紙袋を受け取っていた。 「よッ、お待たせ!!」 九十九が追いついたのを確認すると、皆守は素早く踵を返し、2人を先導して先に歩き始める。 それが合図となって、八千穂もゆっくりと歩き出しながら 紙袋を胸に抱え、上機嫌でヒョコヒョコと隣を歩く、九十九に問いかけた。 「九チャン、最近よく帰りに購買寄るよね。」 「・・・・・・あんまり食い過ぎると、あっという間に肥後みたいに太るぞ。」 紙袋いっぱいに、所狭しと敷き詰められたパンの山を横目に見て、皆守がボソリと呟いた。 一応気にしてはいるのか、九十九は頬を膨らませて、怒ったぞという仕草をする。 「うるさいよッ、甲!!!甲なんかそのうち カレーの食べすぎで皮膚が黄色くなってきちゃうんだからなッ!!」 「―――――――― ・・・それはみかんだろ。」 バタバタとわざとらしく足を踏み鳴らしながら後ろをついてくる九十九に 皆守は振り返らないままうんざりとした口調でそう答えた。 ・・・無愛想な口調とは裏腹に、口元には微笑が浮かんでいたけれど。 ・・・それが自分でも分かっているから、絶対に振り返ることはしない。 皆守は後ろを歩く八千穂と九十九の会話に、背中を向けたまま耳を傾けていた。 「俺ね、実は最近ペット飼い始めたんだぁ〜。」 「えッ、ペット!?大丈夫?よく管理人さんに見つからなかったね。」 「うん、部屋で飼ってるんじゃないんだ。いっつも夕方頃になると どこからか寮に訪ねてくるんだよ。ニャーニャーって。すっごくすばしっこいヤツでさ。 俺、窓からご飯やったり雨の日だけ雨宿りさせたりしてるんだッ。」 「・・・へぇ、初耳だな。」 九十九は頻繁に、皆守と自分の部屋を行き来している。 ・・・下手をすれば、夜睡眠を取る時間を除いた寮にいる時間の8割方を ほとんど皆守の部屋で過ごしているかもしれない。 ・・・それぐらい、九十九はなんだかんだと理由をつけて皆守のところへやってくる。 それにともない、皆守が九十九と一緒にいる時間は増える一方なわけで、極々個人的なことを除いては お互いに知らないことなどほとんどないように思っていた皆守は、少しばかりそのことに驚いた。 何しろ、食器棚のどこに何が置いてあるのかから どこにティッシュの買い置きがあって、どこの引き出しに靴下が入っているのかまで知っている。 勝手知ったる他人の家もいいところだ。 ・・・・・・それなのに、九十九が猫を飼いだしたことを、皆守はこれぽっちも知らなかった。 内心なんとなくむっとしていると、それが表に出ていたのかもしれない。 九十九はちょこちょこと皆守の脇にやってきて、ご機嫌伺いのような表情を浮かべた。 「甲に見せたら絶対に“捨てて来いッ!”・・・って怒鳴られると思ったから、黙ってたんだよ。」 「・・・そんなこと、別に言いやしない。」 迷い猫の1匹ぐらいで、今更どうこう言ったりするわけないだろう、と皆守は思った。 そんなの毎晩のように地下遺跡に潜り、蝙蝠の羽やら赤い舌などといった得体の知れない数々のアイテムや 稀に生徒会役員や執行委員までもをお持ち帰りしてくることから考えれば、全然大したことではない。 「・・・・・・本当に?」 「・・・あァ。」 「本当か?本当だなッ!?」 「・・・・・・言ってどうする。お前が飼いたいなら、勝手に飼えばいいさ。 その代わり、寮監に見つかっても俺を巻き込むなよ。」 それだけは、と皆守が釘を刺すと、どんな根拠があってかは知らないが 見つかるわけないじゃーん!!とVサインをして九十九が言う。 妙に自信ありげに胸を張るその姿に、皆守は一抹の不安を覚えた。 「へぇー・・・。でもいいなぁ、そういうの。あたしの部屋なんか窓開けても、裏の森から虫が入ってくるだけだもん。 ・・・あッ、もしかしてそれで購買でなにか買ってるんだッ?」 「おう!いっつもコッペパンばっかり、とかじゃ可哀想だろ?だからヤキソバぱんにしたり、カレーパンにしたり・・・」 「おい、カレーを粗末にするな。」 「粗末じゃないよ!カレーパンは食べられて、そいつの血となり肉となり 生きる糧になってるんだぞ?粗末にしてなんかないじゃないかッ。」 「いや、無駄だな。カレーはペットにやるようなモンじゃないんだよ。いいか?そもそも・・・」 皆守がいつになく熱の籠った口調で、“皆守甲太郎流・カレー談義”を始めようとすると 九十九と八千穂は同時に、まるで“萌えについて熱く語る九十九を見る皆守”のような眼差しをして皆守を見る。 それから大慌てでその会話を有耶無耶にしようと、わざとらしく他のところへ話題を持っていった。 「あッ!!あぁ〜・・・っとそうだった!!後で缶コーヒーも買おうと思ってたんだ。 最近寒くなってきたから、やっぱり温かいものがいいよなッ。」 「おい、九十九。俺の話を・・・」 「あれ?九チャンって、紅茶党じゃなかったっけ?」 「・・・・・・。」 「あ、違う違う。俺が飲むんじゃないよ、ペット用に買うの。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大人しくミネラルウォーターか、そうじゃなかったらホットミルクにでもしとけよ。」 八千穂にまでサラリと話を遮れられて どうやら自分に話をさせるつもりはないらしいと判断した皆守は、不承不承呟いた。 ・・・大丈夫、いつものことさ。そう自分に言い聞かせて。 「えー?でも、コーヒーが好きみたいなんだ。 この前俺が珍しく飲んでたコーヒーあげたら、凄く喜んでたし。」 「・・・へぇー、コーヒーなんて飲むんだぁ・・・」 コーヒーを好き好んで飲む猫なんて、本当にいるのだろうか? 今度気が向いたらやってみよう、そんなことを皆守が思う頃、一行は昇降口に到着した。 それぞれ自分に割り当てられた、小箱のような下駄箱に手を伸ばし 少々さび付いてたてつけの悪くなっている、それに合わせた小さなドアを、勢いをつけて一気に引きあける。 キィ・・・ どこか耳障りに感じる音をたててドアが開くと同時、ピンク色の封筒が ――――――― ご丁寧にハートの形をしたシールで封がしてあった ―――――― ヒラリと地面に舞い落ちた。・・・・・・・“葉佩九十九”、そう名前の書かれた下駄箱から。 「「「―――――――――――― ・・・あ。」」」 九十九が拾った封筒を裏返すと そこにはピンクの封筒にしては不釣合いな、意外にきっちりとした文字で “ Y・A ” ・・・そう、記されていた。 しかも皆守の記憶が間違っていなければ、朱堂ではない男の筆跡で。 「うわッ!!・・九チャン、もしかしてそれってラブレター!?」 「やだなぁ。そんなんじゃないよ、やっちー。」 八千穂が期待に瞳を輝かせ、興味津々といった声を出すと 九十九は苦笑いを見せて首を横に振り、ポケットの中に封筒をしまおうとし・・・ ガシッ! 「・・・へ?」 ・・・たのだが、それは1人の腕によって遮られる。 手紙をポケットに突っ込もうとした九十九の右手首を、しっかり皆守が掴んでいた。 「――――――――― ・・・九十九、それ貸せ。」 何事かと九十九が顔を上げるとそこには、カレーのことでもないのに いつになく真摯な表情で自分を見降ろしている皆守がいて、その有無を言わせぬ迫力に (敢えていうなら、ハリセンを持ってジリジリと距離を詰められる感覚に似ていた) 反射的に九十九は後退っての逃走を試みたが、手首を掴まれているためにそれは叶わなかった。 遠くに、何故か嬉しそうな八千穂の悲鳴が聞こえる。 「なッ、なんでだよッ、甲!!!プライバシーの侵害だぞッッ!!」 「普段の自分を省みろ、プライバシーもクソもあるか。 ―――――――――― ・・・いいから、とっととその封筒を俺に寄越せ。」 内容によっては確認後焼却処分だ。 そう言って皆守が手を差し出すと、九十九は手首を掴まれたまま それでも出来る限りに距離をとって、ブンブン!と思いっきり首を横に振った。 必死に後ろに下がろうとする九十九の姿は、遠めに見ると少しザリガニに似ていなくもない。 皆守が急変した理由を、既になんとなく悟っている八千穂は さっきから九十九がチラチラと自分に向けるSOSの視線に気が付きながらも それこそ苦笑いを浮かべて見守るぐらいしか出来なかった。・・・まだ馬に蹴られて死にたくはない。 「だッ、駄目駄目ッ!!絶対に駄目だーーーッ!!!」 「・・・おッ、あんなところにふんどし姿の真里野が!!」 「なにぃーーーーーーッッ!?!?どこッ!どこどこどこどこにいるのふんどし真里野ッッッ!?!?」 「・・・・・・・・・隙あり。」 自分で言っておきながら、まさかここまで見事に引っかかると思っていなかった。 皆守は少々痛くなってきた頭を押さえながら 利き手である左手で、他に気を取られて力の緩んでいる九十九の手から、素早く封筒を抜き取った。 ワンテンポ遅れてそれに気が付いた九十九は、封筒を掴んでいたはずの手と 皆守の手に収まっている封筒を交互に見つめて、“あぁーーッ!”と叫んだがもう遅い。 慌てて皆守の手から封筒を取り返そうと、懸命に手を伸ばすが 手が封筒を掴むギリギリのところで皆守が腕を引いたので、九十九の手は封筒の端を掠めただけだった。 「あッ、このッ・・・!!だ、騙したなッ、甲!!!!」 「・・・うわぁ、皆守クン必死だね・・・!!」 八千穂の呆れたような感心したような声が、ヤケにぐっさり背中に突き刺さったが 皆守はそれを誤魔化すために、言い訳がましく唸った。 「うるさいッ!・・・・・・大体、あんな手に引っかかるヤツが馬鹿なんだよ。」 そう言って、非難めいた九十九との声と八千穂の呟きを一掃する。 痛い所を突かれた九十九は一瞬言葉に詰まったものの、キッと眼差しを鋭くすると、仁王立ちになって言った。 「だって、真里野だったらふんどしかも!?って思うじゃないかッ!!! 男がトランクス派かブリーフ派かってことには、非常に興味のあるところだが 真里野がふんどしだとしたら、やっぱり1度は見ておかねばならんだろうッ!?」 「この変態がッッ!!!」 バッシーーンッッ!!! 「いっ、いったーーーーッ!?!?は、反則だぞ甲ーーーッ!!!」 「フン、なんとでもいえ・・・」 それまでの苛々も相俟って、いつもより力を籠めてスリッパを振り下ろした皆守は ジンジンする手を数回振って痺れをとってから、九十九に断りもなく、ビリッ!と乱暴に封を破った。 ・・・このときの皆守の心境を代弁(?)するならば、こうである。 學園中のY・Aを洗い浚い問い詰めて吐かせてやる・・・ッ!!! 「ああ〜〜ッ!!!」 「・・・なんだ、これ・・・?」 九十九の叫び声を無視して、早速手紙の内容を確認した皆守だったが 予想外の内容に、封筒に入っていた一枚の紙切れを、思わず間抜け顔で凝視してしまう。 そこに書いてあったのは、よくわからない絵文字のようなものだった。 よく子供向けの本にある、たぬきだとかせんぬきだとか、特定の文字を抜かして読むと きちんと言葉の繋がった文章になる、謎解き暗号文に雰囲気としては似ている。 たがそんな簡単なものとは違うらしい。どういう意味だ?と皆守が首を捻って考えていると いつの間にか傍までやってきていた九十九が、皆守の手から毟るようにして便箋を奪い取った。 そうして不満の色濃い瞳を皆守に向けてから、取り戻した便箋に目を通し始める。 「もう、だから違うっていっただろ?人の話聞かないんだから・・・」 お前にだけは言われたくないと思いながらも 自分が危惧していたような内容の手紙ではなかったので、皆守は些かバツが悪そうに尋ねた。 「・・・悪かったよ、だが一体そりゃなんなんだ?」 九十九は視線を落として手紙を読むと、ふむふむ神妙に頷いて、それから顔を上げた。 やはり、ただのいたずら書きというわけではないようだ。 「これはね、さっき言ってたペットからの手紙。 アレくれとかコレくれとか、あとはたまには一緒にメシ食わない?とか・・・」 「ちょっと待てッ!!!」 「え、なに?」 「じゃあなにかッ、お前のペットは字を書いたりお前を食事に誘ったりするのかッ!?」 「うん、そうだよ。」 「それじゃまるで人間じゃねぇかッ!!吐くんならもう少しまともな嘘にしろッ!!」 人気のない昇降口に、皆守の力強い叫びが木霊する。 建物の内部で反響し、軽くエコーのかかったその声が完全に消えてから 九十九はきょとんとした表情をして、白々しく爆弾を投下した。 「――――――――― ・・・だって、人間だもん。」 「「「・・・・・・。」」」 「・・・・・・お前、今なんて言った?」 「だから人間・・・・・・」 「何考えてるんだッ、お前は!?」 「だって、俺が世話してるんだよ!?それってペットってことじゃないかッ。 ご飯あげたり、首輪つけたり、主従関係を叩き込んで誰がご主人様か教え・・・ッ!!!」 「この変態がッッ!!!!」 スパアァーーーン!! 「くはッ!?」 「人間はペットって言わないんだよッ、それはヒモっていうんだ、ヒモ!!!」 「だ、大丈夫だよ!流石に女子寮に出没してたら俺も怒るけど、男子寮だし・・・!」 「えぇッ、オスなのッ!?九チャン、いくらなんでも危ないよ!!」 八千穂のオス発言に皆守は、非常にツッコミをいれたい衝動に駆られたが それをどうにかこうにか我慢して、とりあえず目先の問題を片付けることに専念した。 「九十九。・・・1つ聞いておくが、そのペットの名前は?」 「“洋介”。」 ―――――――――― ・・・あのエロ探偵・・・ッ!!! 皆守の無意識下に、こっそりとつけられているブラック・リストの中で 鴉室洋介の名前が、一瞬にしてTOPに躍り出た瞬間だった。 「・・・そうか・・・よぉーーーーーくわかった・・・」 「へ?なにが・・・ッて!!!なにッ、どうしてッ!?どうして“ソレ”持つの!?甲ッ!? もしもしッ、皆守さんッ!?聞いて―――――――――― ・・・うわあああああぁぁぁぁぁッ!!!!」 スッパアァァァァーーーーーンッッ!!!! 夕暮れの校舎に、葉佩九十九の断末魔が轟く。 ぐったりとした九十九を、皆守がズルズルと引き摺っていった痕跡は まるで野球かサッカーか何かのスライディングの跡のようで それを呆然と見つめながら、後に八千穂明日香は蒼褪めた顔で語ったという。 “眠れるカレーレンジャーを起こしてはならない。” ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ ―――――――― ・・・夕刻。 太陽はてっぺんだけを残して、礼拝堂の向こうに沈んだ。 先程まで夕日に包まれていた辺りは、今や既に暗闇の色が濃い。 男子寮にほど近い位置にある茂みの中に身を潜め 男は息を殺し、目的の部屋の窓が開かれるのを、静かに待っていた。 やがて、目的の部屋に明かりが灯る。 陽が完全に落ちて、好い加減体が冷え切ってきた頃 窓がガラッと開けられて、3階にあるその窓からロープが垂らされた。 一体どこから仕入れてきたのだか、3階から垂らしてもまだ長さに余裕のあるそのロープは 成人男性が1人くらいぶらさがったところで、びくともしなさそうだった。 少々悴んだ手で、感触を確かめるようにロープを引く。 「洋介〜、洋介おいで〜〜〜。」 まるで飼い猫を呼ぶような、聞きなれた少女の呼び声を確認すると 男は意外なほど軽い身のこなしで、ロープを使い男子寮の壁をよじ登る。 そうして窓に手が届く位置まで登ると、サッシに両手を掛け 懸垂をする要領で一気に体を持ち上げて、そのまま滑り込むように部屋に入り込んだ。 「にゃーん!・・・っと。俺がいない間寂しかったかい?ベイ・・・」 ドガァッッ!! 「がはッ!!!」 いつものように軽口を叩いこうとしたその瞬間。 その男・・・鴉室洋介は、綺麗な残像を残して床に突っ伏すことになった。 肩の辺りに強い衝撃を感じる。・・・これは完璧に不意打ちだった。 「あぁッ!!俺の洋介になにするの、甲!? いぢめないって言ったのにッ!!!お婿にいけなくなったらどう責任とってくれるわけッ!?」 「やかましいッ!!お前は黙ってろッ!!!」 そんな言い争いが遠く微かに聞こえ、それでも持ち前の丈夫さゆえか クラクラとする頭を押さえて起き上がった彼の視界に ドン!!と音を立てて、少女のものにしては大きめの足が現れた。 そういえば、先程の声には聞き覚えがあったな・・・と脳内のデータベースを検索する。 恐る恐る、ゆっくりと視線を上げたその先に立ち塞がっていたのは この部屋の主とは違う、とある少年の姿だった。 「なにす・・・・・・って、無気力高校生ッ!?」 「―――――――――― ・・・よォ。」 それは、鴉室が初めて少女に出会ったとき。一緒に居合わせた少年だった。 気だるそうな立ち姿は相変わらずだが、今日はその後ろにユラリと立ち上る何かが見える。 いつもぼんやりとしている筈の彼の瞳は、静かに殺気立つ獣のような印象を与えた。 声のトーンもいくらか低く、それがどこか噴火直前の活火山を髣髴とさせている。 ・・・そんな少年の背後で、この部屋の主である葉佩九十九が ごめんと手を合わせながら、鴉室に向けて乾いた笑みを見せていた。 「あはははー。なんかねー、俺が洋介飼ってるって話したら 甲が見たいって言って聞かないんだぁ、俺困っちゃうよォー・・・・・・・・・・ごめん、洋介。」 最後はガクリと項垂れて、珍しく真剣な声で謝ってくる九十九に きっと彼女も説教という名目の元、少年に散々お灸を据えられたのだろうと鴉室は思った。 ・・・そうでなければ、この少女がこんなにしおらしいのは可笑しい。 「よ、よぉ!元気だったか、無気力高校生!!」 「――――――――――――― ・・・あァ。」 鴉室が上擦った声で言うと、皆守は口に咥えたアロマを吹かした。 吐き出された煙は揺らめいて、朝靄のように掻き消える。 ―――――――― ・・・まるで、この先に待ち受ける鴉室の運命を暗示するかのように。 「おかげさまで・・・なッ!!!!」 「い゛ッ!?」 右に避けろと必死に手で合図する九十九の忠告に従って 鴉室が考えるよりも先に右に転がると、すぐ耳元で、何かが物凄い勢いで風を切る音が聞こえた。 ドゴッッ!!! ・・・思わず反射的に閉じてしまった瞳をゆっくり開けると 自分のいる位置から30センチと離れていない床に、皆守の足が思いっきり減り込んでいるのが見えた。 鴉室は自分の背中を、冷たい何かが伝い落ちてゆくのを感じていた。 「――――――――― ・・・ちッ、避わしやがったか。確かにコイツはすばしっこいな・・・」 こんなことをしておいて、妙に落ち着き払った皆守の声が、更に恐怖を増幅させる。 床に出来た決して小さくはない穴を見つけて、九十九の瞳が驚愕に見開かれていた。 「こ、甲ッ!!!それは流石にやり過ぎだって!! わかってるのか、お前ッ!?洋介はくたびれた三十路萌えというヤツで・・・!!!」 「俺はまだ28だッ!!!」 普段なら即座にツッコミをいれてきそうな会話にもかかわらず 皆守はそれを気に留めることもなく、鴉室を見据えて淡々と言葉を吐き出す。 「・・・聞いたところによると、九十九の性別を知っていて尚ここに出入りしているらしいな。 ・・・・・・飲みかけのコーヒーを奪取した挙句、しかもお前から呼び捨てで呼べといったとか。」 「ちょ、ちょっと待て少年ッ!!!少しは俺の話を――――――――― ・・・」 「・・・・・・知ってるか?日本の法律じゃ動物は器物損壊で済むんだぜ?」 「――――――― ・・・ッ!?」 「安心しろよ、すぐ楽にしてやる・・・ッ!」 「ぐわあああぁッッ!!!」 「こッ、このままでは貴重な萌え財産に膨大な損失がッッ!! だッ、誰か甲を止めてくれーーーーッ!!!!」 ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ ――――――――― ・・・結局。 九十九の悲鳴に気付いた夕薙がその場に駆けつけ 叫ぶ九十九を皆守に向けて投げ飛ばすまで、その惨劇は続いたらしい。 皆守がどうにか大人しくなったとき、九十九の部屋の床や壁は、あちこち凹んだり壊れたりしていた。 勿論その頃には鴉室もボロボロになっていて 皆守の監視下のもと、保健室からくすねてきた包帯やらなんやらで ただいま傷の手当てを受けている真っ最中だ。 いくらなんでもこのまま返すのは忍びない、ということらしい。 「・・・ごめんな。甲が大暴れして・・・ッて言うか、俺も今日は叩かれすぎて頭おかしくなりそう。」 疲れきった声色で、鴉室の額に包帯を巻きながら九十九が呟いた。 鴉室は君のせいじゃないさといつもの調子で言おうとしたが、口を開きかけた瞬間に皆守が無言で殺気を放ち 足を大きく振りあげて、いつでも蹴りを入れられる構えを見せたので、大慌てで口を閉じる。 口は災いの元とは、まさにこのことに違いない。 鴉室が大人しくなると、皆守はちッ、とつまらなそうに舌打ちをして、渋々足を降ろしていた。 ――――――――― ・・・嫉妬深い彼氏を持つと苦労するなァ。 ・・・口に出したら速攻でまた蹴りが飛んでくることは確実なので、心の中だけで呟く。 付き合ってるとか、好意を抱いているという自覚はなさそうだが、これではそれと同じだ。 ・・・いや、公言していないだけ性質が悪いかもしれない。 まぁ、こんな馬鹿げたことが出来るのは若さゆえだから、今のうちにたくさんやっておくといいさ。 一人妙に納得して、それから鴉室は、せっせと自分の手当てをしてくれている九十九へ視線を移した。 “捨てろって言わないって言ったのに、本当だって言ったのに、だから教えたのに・・・” 彼女は皆守に聞こえないような大きさで、ブツブツと彼への不満を呟いている。 どうして皆守がこれだけ機嫌が悪いのか、器用に包帯を巻いていくこの少女は気付いているのだろうか? 気付いてくれれば、もう少し被害は減らせると思うのだが・・・それとも、知らないふりをしているだけか? この少女は、ロゼッタ協会から派遣されてきた≪宝探し屋≫だ。 ・・・となると調査を続ける上でこの先も、どうしたって接触は避けられないだろう。 目的が違うとはいえ、結果的には同じものを捜し求めているのだから、衝突は必死。 雨の日には雨宿りをさせてくれて、凍えそうな夜には寒さを凌げる暖かい部屋に招き入れてくれる。 外の情報を得るための新聞や週刊誌も見せてもらえるし、最近は食料もくれるようになった。 そしてなにより1番重要なのは、この部屋では鴉室は、神経を張り詰めていなくてもいいということ。 九十九は鴉室がこの學園に不法侵入していることを知っているし 個人に割り当てられたプライベートの部屋だから、誰構わず人がやってくるわけではない。 誰かがやって来るにしても、ご丁寧に扉をノックして、予告までしてから入ってくる。 鴉室が逃げるなり隠れるなりするには、十分な時間が保障されている。こんな場所は早々ない。 数少ない、落ち着ける場所なのだ。鴉室としても、これほど居心地の良い場所を手放すのは惜しい。 ・・・・・・例え、皆守に蹴られて死ぬかもしれないというリスクを背負うとしても、だ。 ――――――――― ・・・となると、今後が思いやられるな。 そう思って吐いた溜息は九十九の溜息と重なり、それがまた皆守の不評をかった。 ―――――――――― ・・・とりあえず、この學園に保健医として潜入している仲間のもとへ 怪我の治療をして貰うために向かわなければならなくなることは、確実なようだ。 |
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戯言。 な、なんでしょうかこのノリは・・・ッ!!書いた本人が1番困惑しています、こんにちは任那です。 た、確か動物は器物破損だったと思うのですが・・・!あやふやな任那の知識です、鵜呑みにしないように。 とりあえず今回のお話は、意外と仲の良い鴉室と九十九に嫉妬する皆守が書きたくて書いたのですが テーマは達成できているのでしょうか?果てしなく疑問。 それにしても、書く度皆守が九十九に毒され・・・もとい、可笑しくなってきている気がします。 まァ原因は九十九にあるので、自業自得といえばそれまでですが、今回はいつもと立場逆転気味です。 これが嫉妬といえるのかどうかも、果てしなく疑問ですけれどね!! ルイ先生は最初から知っていたようだけど、鴉室はいつ頃から葉佩さんの正体に気付いていたんでしょう? ・・・どちらにしろ、任那はかなり早期に気付いていることに一票投じますよ。ええ。 あ。それから、夕薙がどうやって皆守を止めたかについて補足しておきますと 暴走している皆守の目の前に九十九を突きつけて、抱きつかせただけです。 そんなんで止まってしまう、ウチの皆守さんです(笑) いやしかし、皆守を彼氏にしたら大変だと思う。嫉妬とか流血沙汰とかカレーとか(え?) |
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2004/12/07