愛、燦々と






春が恋の季節だと言われるのは、子孫を確実に残すことが出来るように、多くの動物達の求愛活動がこの季節に盛んになることに由来する。
それが人間の世界における、出会いと別れの季節に重なっているということから、そう呼ばれるようになったのだ。
だからこの季節になると鳥達がさえずりはじめるのだけれど、僕も例に漏れず、春の陽気に誘われて浮かれている1人。
人間は鳥達のようにさえずることはないけれど、今日も僕は君のヴァイオリンを探し求めている。



今日は日差しが気持ち良いから、きっと外で演奏するんだろうなぁ・・・



自慢ではないけれど、僕は恋人のことなら大抵のことはわかっているつもりだった。
例えばどんな色が好きなのかとか、どんな場所で演奏するのが好きなのかとか。
言っておくけれど、これは僕の地道な調査によるもので、決して驕りや独り善がりではない。
だって僕は彼女のことが好きで好きで堪らなくて、彼女のことをもっと知りたかったから知ろうとした、ただそれだけなんだから。

彼女お気に入りの練習場所は、練習室と屋上。森の広場も結構好きみたいだけれど、久しぶりの暖かい陽気に誘われて、今日は人も多いだろう。
そうなると、彼女の行きそうな場所は自然と限られてくる。
練習室は室というくらいだから室内だ。普通科の屋上は立ち入り禁止ということになっているから、あそこでヴァイオリンを弾くわけにはいかない。とすると・・・

ちょうどそのとき、どこからともなく風に乗って聴こえてきたヴァイオリンの音色に僕は足を止めた。
この学院は音楽に溢れている。だからヴァイオリンの音色なんて、そう珍しいことでもないのだけれど。


「あ・・・」


けれど僕にはわかってしまう。数あるヴァイリンの中で、唯一僕を虜にする音色。
1度は僕を苦しめたこの耳が聴き分ける、さんの音。
僕は音の発生源を探ろうと、窓に駆け寄り身を乗り出した。
勢いが良すぎたのか、窓の桟がガタンとうるさい音をたてて揺れたけれど、そんなこと気にしている場合じゃない。瞳を閉じて、彼女の音に耳を澄ます。


「音楽科の屋上・・・!」






◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆






全速力で駆けて来たのだけれど、ヴァイオリンの音は既に止んでいた。
どうかまだ、君がそこにいますように。そう願いながら、僕は乱れた呼吸を整える間も惜しんで走ってきた勢いそのままに、重い屋上の扉を押し開けた。



バタンッ!!!



思った以上にけたたましい音をたてて、屋上の扉が開く。
休憩中だったのか、ベンチに座り驚いたようにこちらを振り返る彼女を見つけて僕は叫んだ。


さんっ、見つけた!!」

「葵、静かにっ。」


怒ったようにそう言って、人差し指を立てて見せるさんの言葉に、僕はとりあえず従った。
静かに静かに、彼女へと近付く。


さん?」


手を伸ばせばすぐさんに触れられる、そんな距離までやってきて、漸く僕は彼女が静かにと言った訳を知った。


「ん、・・・」


そこには。・・・いや、正確に言えば彼女の膝の上には、春の日差しを受けて穏やかな表情で眠る天使が1人。
・・・確かに、彼は以前にも正門の辺りで寝ていたことがあったけれど。


「志水くん・・・?」


どうして君が、僕のさんの膝枕で寝てるのさ?
声にはしない僕の不満に気付いたのか、さんは慌てたように志水くんを弁護した。


「・・・さっきまで話してたんだけど、途中で何度も頭ふらふらさせてたから、いっそのことって寝かせちゃったの。ただ、それだけよ。」


君はなんでもないんだよって言いたいんだろうけど、君が彼を庇う。そんな些細なことにすら僕が嫉妬していることに、君は気付いていないんでしょう?
だから僕は、君を取り戻すべく打って出ることにした。


「でもずるいよ!まだ僕だってして貰ったことないのに!!」

「だから、静かにしてって・・・!!」


性懲りもなく僕が叫ぶと、自然それを打ち消そうとしたさんの声も大きくなる。
頭の上で叫ばれて、彼女の膝の上の志水くんが小さく身動ぎした。


「あっ・・・!」


長い睫が揺れて、深いブルーを湛えた瞳が徐々に開かれてゆく。


「・・・、先輩?」


その瞳いっぱいに君の姿を映して、志水くんが君の名前を呼んだ。


「・・・・・・起きちゃったじゃない。」


肩を落として、僕のせいだと言わんばかりに上目遣いでこちらを睨みつけてくる君。
わざとだよ、とはさすがに口が裂けても言えないけれど。そんな君も可愛いと言ったら、君は頬を薔薇色に染めて怒るかな?
まだぼんやりしているらしく、現状を確かめるように辺りを見回した志水くんは、傍で立ち尽くす僕に気付いてゆっくりと口を開いた。


「それに、加地先輩も。・・・おはようございます。」

「おはよう、志水くん。」


君が志水くんと冬海さんを後輩として可愛がっていて、そんな2人が君を先輩として慕っていることは知っている。僕にとっても、志水くんは期待の後輩だしね。
けれど、それでも僕は面白くない。だっていつ、憧れや尊敬が好意になるかわからないじゃない。


「あ、志水くん。待って、そのまま・・・」


彼女の言葉に素直に従って、中途半端な体勢のまま動くのをやめた志水くんの、ぴょんぴょんと好き勝手な方向を向いている寝癖を、さんの指がそっと梳く。・・・あ、それも僕やってもらったことない。


「うん、これでよし。もう動いていいよ。」


ありがとうございます、と呟いて立ち上がった志水くんは、さんに向かってふかぶかと頭を下げた。


「・・・すみません、先輩。また先輩の膝、お借りしてしまって。」

「・・・・・・・・・・・・・また?」


思わず声に出してしまうと、さんは過剰なくらいに肩を震わせた。


「え゛ッ。い、いや〜、別にいいんだよ志水くん、気にしないで!!」


言いながら、ちらりちらりと僕の様子を窺い見るを盗み見る。
志水くんはそんな僕達の様子に気付いた気配もなく、“チェロを弾いてきます”とお決まりのようなセリフを残して去って行った。
さんは、志水くんの背を名残惜しそうに見送っている。
彼女がいくら鈍感でも、そろそろ僕が気に喰わないんだってことに気付いたみたいだ。


「・・・葵?」


しばらくして、覚悟を決めたのか恐る恐る僕の名を呼んださんに、僕はにっこり微笑みかけた。


「なに?さん。」

「う゛。葵、笑顔が嘘っぽくて怖い・・・」

「え、そうかなぁ?いつもと変わらないよ?」


言いながら1歩間合いを詰めると、ベンチに腰掛けたままのさんは、危険を感じ取ったのかずりずりと僕から距離を取った。


「ひ、膝枕ぐらいでそんなに怒らなくてもいいでしょうッ!?あれぐらい、菜美にだってやるわよ!」

「・・・・あれぐらい?」


言ってしまってから、さんはしまった!という顔をして口元を押さえたけれど、もう遅い。僕はばっちり、この耳で聞いたからね。


「そんなこと言うんなら、僕にもしてくれもいいよね?」


あくまで微笑みながら言った僕に、さんはぐったりと項垂れて、諦めたのか力なく頷いた。






◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 






人目の多い場所を指定しようとする葵を、どうにかこうにか拝み倒してやってきた、普通科の屋上。
初めはが、授業をさぼるときや1人になりたいときにこっそり使っていたのだけれど、菜美の不用意な一言でここの存在が葵に知れ渡ることになってからは、のCDに加え葵が本を持ち込んで、すっかり2人の私物だらけの秘密基地と化している。
暖かい日差しと好きな音楽、そして
――――――――



の膝に頭を乗せて、幸せそうに眠る恋人。



こいつさえいなければ最高の午後なのにと思ってしまうだったが、あまりにも幸せそうな葵の寝顔に、これもある意味幸せなのかもしれないと思えてくるから不思議だ。

キュルルと小さな音をたてて、最後の曲を再生し終えたCDプレイヤーが動きを止める。
もう1回聴いてもよかったのだけれど、考えた挙句ヘッドホンをコンクリートの床に転がした。
その代わりと言っては難だが、固く瞼を閉じる恋人の寝顔を見つめる。


「黙ってれば、顔だけはいいんだけどなぁ・・・」


顔は整っている部類に入るし、彼はスポーツだって得意だ。
中でもテニスが好きなようで、テニスをしているときはだって、ちょっと格好良いかなと思ってしまうぐらいなのに、口を開けば馬鹿の一つ覚えのように“さん!”とそればかり。
・・・これがの自惚れや、贔屓目だけではないのだから尚恐ろしい。
そのくせ決して純粋と言うわけじゃなくて、前の学校にいた友人に対しては、に話すよりずっと態度も口も悪くなるのを知っている。
には優しいけれど、それだけの男ではない。菜美が最初に言っていたように、彼はクセモノだ。

・・・そもそものまわりには、梓馬然り月森然り、顔はいいけれど性格に問題がある男が多すぎだ。
いつだか男運がないと菜美に話したことを思い出し、どうしてこんな男と恋人同士になんてなってしまったのだろうと、今更ながらこっそりと溜息を吐く。

・・・でも、わかっている。いつもにこにこ笑っていて、何の悩みも苦労もなしに、何でも卒なくこなしてきたように見える葵がふと見せる別の顔。
のタイミングが悪いのかなんなのか、そんな彼の顔を暴いてしまうのはいつもで、自分だけにそれを見せるから、は葵を遠ざけられなかったのだ。
気になって、話を聞いて。少しでも助けになれればと思ってしまったの負け。

そんなの思いなど露ほども知らず、すやすやと眠り続ける葵の頬に掛かった髪をどけると、思いのほかさらさらしていて心地が良かった。


髪、柔らかい・・・


ふと、今までそんなことも知らなかった自分に気が付く。
そういえば、授業中に転寝しているところなんかは何度か見たことがあるけれど、彼の寝顔をじっくりと見るのもこれが初めてではないだろうか?
思い立ったは、そうっと葵の顔を覗きこんだ。
太陽の光に空けるような金色の髪、くるりと巻いた長い睫、ほんのり色付いた唇に、閉じた瞼の奥には南の海を思わせる碧がある。


うわっ、こうやって見るとやっぱり葵って美人・・・


その辺りにいる女の子より、ずっと美人な恋人ってどうなの?恋愛事だけじゃなしに、敗北感たっぷりだ。
それに比べては並もいいところで、どうして葵はなんかを選んだんだろうと自問自答しながらも観察を続ける。

・・・そして発見。普段は大人びて見える彼の寝顔は、意外にも幼かった。
いつもは過剰な愛情表現に振り回されてばかりいるだけれど、無防備に膝の上で寝息をたてている葵は、結構可愛いかもしれない。

ごくり、と喉が鳴る。

・・・まずい。いつも葵を諌めるばかりだったけれど、意味もなくキスしたくなる彼の気持ちが初めてわかってしまった。
そっと顔を近づけて、太陽の日差しから彼を覆う。彼の寝息がの吐息が、互いの顔に届く位置まで近付いて、そこでは急停車。


「・・・葵、起きてるでしょ。」


言いながら、近付いたときと同じようにそっと体を離す。


「ふふふっ、バレちゃった?」


その途端、パチリと開いた碧の瞳。は大袈裟に溜息を吐く。


「・・・やっぱり。絶対起きてると思った。」

「残念、あのままキスしてくれても良かったのになぁ。」


いつものようににっこりと、女の子を蕩けさせる甘い笑顔でそんなことを言うものだから、はなんとも言えない気恥ずかしさと寒気を感じて、膝に彼の頭を乗せたまま思い切り後ろに仰け反った。


「うわっ!?梓馬みたいなこと言わないでよ、気色悪い!!」


声に出してしまってから、失言だったと思ったけれどもう遅い。
葵はぱちぱちと数回瞬きを繰り返した後、もう1度微笑んで
――――――――


「!?」


次の瞬間、の視界は反転していた。
背中に冷たいアスファルトの感触。目の前には真っ青な空と
――――― すぐ近くに葵の顔。
太陽を遮るように背に隠し、に覆い被さっている葵の笑顔に恐怖心を抱いたのは、きっと仕方のないことだ。


「・・・・・へぇ、君って柚木さんにもこういうことしてあげてたんだ?」


吐息と共に耳に注ぎ込まれる言葉は毒のようで、を蝕み身体から自由を奪ってゆく。
いつも綺麗にヴィオラを弾く指が優しく、けれど逃げられないようにしっかりと、の腕を掴んでいた。


「違っ、本当にただ膝貸しただ・・・んーっ!!」






そうして葵から与えられたキスが、こちらの呼吸まで奪おうとするかのようだったとは、生還したがのちに語ったことである。









戯言。

タイトルは先日友人が歌っていた川本真琴さんの曲から。
・・・曲のタイトル覚えてなくて申し訳ないんですが(汗)
最初考えていたよりも全然爽やかじゃないお話になってしまいました。アレ??




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2007/05/06