まるで、雲の上を歩いているような感覚だった。









真夏の白昼夢









――――――――――― 音が、聴こえる。




それは、を夢の世界へと誘う音色だ。
まるで波に揺られているようにふわふわとして、とても心地が良い。
あまりに気持ちが良すぎて、このまま刻が止まればいいとさえ願った。
けれど現実は皮肉なことに、決して時間を止めたりしない。
そしていつも、残酷な“終わり”をに突き付けるのだ。


――――――――― 音が、止んだ。


パチパチパチ!!




「・・・っ!?」


耳を割らんばかりの歓声に、一瞬にして現実へと引き摺り戻される。
どうやら演奏に夢中になるあまり、すっかり自分の世界に浸ってしまっていたようだ。
見ればの周囲には小さな人垣が出来ていて、これだけの観客の前で演奏していたのかと思うと、軽く眩暈がする。
コンクールに出場するようになってから、人前で演奏するということに慣れてはきたものの、好きか嫌いかと問われれば、やはりあまり好きではない。

自覚した途端、次はどんな曲を演奏するのかと期待に満ちた周囲の視線が無性に嫌になって、は軽く頭を下げると、そそくさとヴァイオリンを片付け始めた。
まだ練習を止める気はない。けれども、こんな大勢に注目されながら演奏するのも嫌だ。
そもそも、今日は誰かに聞いて貰うためにヴァイオリンを弾いているのではない。
外で演奏することにしたのは、見上げた空が雲ひとつ無い晴天だったから、公園で弾いたら気持ち良さそうだと思っただけのことだ。必要以上の観衆は、今のにしてみれば集中を乱す以外の何者でない。
ヴァイオリンをケースにしまうと、それが合図になったように、の周りに集まっていた見物人も散り始めた。
その様子を横目に盗み見て、はそっと息を吐く。

ヴァイオリンケースを片手に、は再び歩き始めた。
今度はできるだけ人目につかなさそうな、通行人の注目を浴びないで済みそうな場所を探しながら歩く。
人の多い広場から離れ、歩き易く舗装された道から逸れ、しばらく歩いてゆくと、人々の喧騒から壁一枚隔てたような静けさを湛えた空間に出た。
周囲は木々に囲まれていて、公園の中心からもはずれている。先程演奏していた場所からも、それなりの距離があった。
道を逸れて大分歩いたから、の微かなヴァイオリンの音色など、誰かの耳に届く前に喧騒に掻き消されてしまうだろう。
よしと小さく気合を入れて、は手入れもろくにされていない芝生の上にヴァイオリンケースを静かにおろした。
早速ケースからヴァイオリンを取り出して、調弦から始める。曲にもなっていない音の羅列に、けれど誰かが気付いた気配はなかった。


「はぁ・・・やっと落ち着いて弾ける。」


さて、なにを弾こうか?これまでに練習した曲や、同じコンクール参加者に聴かせて貰った曲が、次々と頭の中で再生されてゆく。

様々な音が頭を掠める中で、はふと先程の演奏を思い出した。
心地良く、まるで夢でも見ているかのようなあの感覚。技術や解釈が云々ではない。とても気分が良くて、楽しかった。




これだから止められないんだ、きっと。




1度この快感に味をしめてしまったから、は魔法のヴァイオリンが壊れても、ヴァイオリンを止められなかったのだ。だからこれ以上音楽をやらないと決めた今ですら、弾いているのだと思う。

音には、個々が出るから好きだ。
例え同じ曲を弾いたとしても、楽器も奏者も違えば解釈も十人十色で、全く違う音になる。
だからヴァイオリンを弾いているとき、は紛れもなくでいられた。


“君の音ぐらい、聴き分けられる。”


そう、ぶっきらぼうに言い放った月森を思い出す。練習中にふらりとやって来た月森は、の音が聴こえたからここへやって来たと言った。
ざまざまな音の飛び交う中で、あの音楽に溢れた学院の中でただひとつ。
でも他の誰でもなく、の音を聞き分けたのだと。


“・・・どうやったら、君と彼女を間違えられるというんだ?”


正直に白状すると、嬉しかった。不思議そうに全然音が違うと言う月森が、あまりにも彼らしくて笑ってしまったけれど。
は別々の人間なのだと、違っていてもいいのだと。そう言ってくれたような気がして、嬉しかった。
違うということは、に似ていなくても。のようには出来なくても、落胆されたりしないということに他ならない。

そんなことを思い出しているとあれほど迷った選曲も、手のほうが勝手に動き始めた。
弾き始めたのは、感傷的なワルツ。月森のお気に入りの曲だ。
にとってもこの曲は、コンクールという大舞台で初めて弾いた、思い入れのある曲だ。
だがこの曲を弾くと、はいつも月森のことを思い出す。

偶然ファータを目撃し、コンクールに参加することになる数日前。
たまたま居合わせた音楽棟の屋上で、偶然月森の演奏を聴いたとき、彼が弾いていたのはこの曲だった。
初めて聴いた月森のヴァイオリンの音色に、はすぐ虜になった。

その頃は、音楽のことなんて今よりこれぽっちも知らなくて、月森が有名人だなんてことも全く知らなかったが、だからこそただ素直に賞賛し、呆れるほどのの図々しさで、練習を聴いていてもいいかとせがんだ。
放課後中その演奏を聴いて、名前すら聞かずに別れた彼と数日後にコンクールの参加者として再会したときはとても驚いた。
だが今思えば、彼の驚きの方が半端ではなかっただろう。その証拠に、そのときの月森の表情は強く印象に残っている。自身も、かなり酷い顔をしていたに違いないが。

コンクール期間中は、本当に目まぐるしいぐらい色々なことがあった。
素敵だと思っていた月森の演奏と、いつの間にか合奏するようになっていた。
人前でピアノを弾かなくなってしまった梁が、もう1度ピアノを弾くようになった。
優等生を演じていた梓馬の本性はとんでもないものだったけれど、なんだかんだで結構優しかった。
ヴァイオリンを弾いているとき、は紛れもなくでいられた。それから、なにより・・・



―――――――――――― 好きな人が、出来た。



彼が好きになったのは、皮肉な事に双子の姉のだったけれど、それでもは幸せだった。
ちょっと笑ってくれるだけで嬉しくなったり、風に乗って聴こえてくるトランペットの演奏に、うっとり耳を傾けたり。そんなくすぐったくなるような気持ちを教えてくれたのは、彼だ。
彼がを好きなのだと知ってショックでなかったといえば嘘になるけれど、今はきちんと応援しようと思えるようになった。・・・今すぐに、この感情を完全になかったことに出来るほど、人生を達観してはいないけれど。

音楽に彩られた日々は、やはり夢のようだった。
・・・けれど、いつか夢は醒める。コンクールは終わってしまったし、あれほど見掛けたファータ達も姿を消した。
正門前にある妖精の像まで行っても、リリが自慢の怪しいアイテムを売っていた店もない。
もうがヴァイオリンを続ける理由は、好きだからという以外になにもなくなってしまった。
ヴァイオリンは今でも好きだ。けれど、にはそれ以上に音楽を続ける理由がない。
好きなだけ。好きなだけで、果たして音楽を続けていいのだろうか?・・・続けて、いけるのだろうか。
もっと必死になって音楽にしがみついている人や、これまでの人生を音楽に費やしてきたような人達を押し退けて、音楽を続けていけるだろうか?その資格が、自分にあるのだろうか。

たくさん、たくさん考えて、は楽を辞める決意をした。
には随分驚かれたし、月森は怒っているのかと思うほどの剣幕で引き止めようとしてくれた。
梁はなに言ってるんだとばかりに呆けていたし、冬海にも泣きつかれたが、それでもは辞めようと思っている。
ただ梓馬だけは、”仕方がないね、お前は言い出したら頑固だから”と、苦笑しただけだったけれど。

でもきっと、2度とヴァイオリンを弾かないなんて無理だ。
出来る筈もないから、せめて人前で弾くのはもう終わりにする。
少し寂しくなるけれど、この判断はきっと間違っていない。
魔法の力で突然ヴァイオリンを弾けるようになった人間が、音楽を志してはいけない。
もっともっと音楽の為に必死になって、足掻いて、努力している人間はたくさんいる筈だ。

夢の時間はあっという間に過ぎてしまったけれど、今になってみれば、あのファータとかいうふざけた連中を見てしまったのも、悪いことばかりではなかったように思える。
そう思いながら、どこか清々しい気分で曲を弾き終えたそのときだった。



パチパチパチ



「!?」


突然の拍手に、の肩が驚きに跳ね上がる。
その拍子に、まだ弦から離していなかった弓がギギィと奇怪な音を紡ぎ出し、拍手を送っていた人物がくすりと笑うのが聴こえて、は少しむっとした。


「驚かせてしまった?ごめんね。」


誰もいなかった筈なのに、いつからにそこにいたのだろう?
に声を掛けてきたのは、1人の青年だった。年頃は、とそう変わらないだろうか?
彼は太陽の光に透けるような金に近い色の髪と、碧の瞳をしていた。


「・・・誰も、いないと思っていたから。」


気さくを通り越して、少し馴れ馴れしさすら感じる言葉遣いに、も自然とぶしつけな物言いになってしまう。
・・・だが、決して不快ではない。それもこれも、この青年の顔立ちが整っているからだろう。
ふと、優等生の仮面を被った魔王の顔が脳裏を過ぎり、“これだから顔の良いヤツは・・・”と声には出さず僻み根性で詰った。


「君、前にもこの公園でヴァイオリンを弾いていたよね。」


確かに、コンクール期間中の休日はこの公園で練習することが多かったから、それを見られていたとしても不思議はないだろう。だが・・・


「・・・ええ。」


一瞬、妙に身構えてしまっただったが、やがて気にしすぎだという結論に辿り付く。自分なんかに近付いても、彼にはなんのメリットもない。
そんなの態度は決して良いとは言えなかったが、それでも青年は嬉しそうに瞳を細めて笑った。
梓馬のような、背筋の寒くなる笑顔ではない。けれどなんだか、この人は笑顔を作り慣れ過ぎている気がする。


「これまでにも、何度か聴かせて貰ってたんだ。さっきも向こうで演奏していたでしょう?今日はもう終わりかと思っていたら、君の演奏がこっちのほうから聴こえてきたものだから・・・悪いかとは思ったんだけど、久しぶりに君の演奏が聴けるんだもの、聴き逃したら損じゃない?」


跳ねるような楽しげな声に、けれどの心は急速に冷やされた。
駄目だ、期待はするな。いつも、人に望まれるのはではない。


「姉の
―――――――

「え?」


思った以上に低い声が出て、青年よりも自分自身が1番驚いた。


「君が聴いたのは、きっと姉の演奏よ。」

「・・・君の、お姉さんの?お姉さんもヴァイオリンを?」

「そうよ。・・・似ているから、良く間違われるの。」


外見だけはとても良く似た、にとっても自慢の姉。
けれど、似ているからと言う理由だけで、頼んでもいない期待をされて勝手に失望されるのはもうごめんだ。
冷たく言い放つと、その人はきょとんとして少し考え込んでから、またにっこりと笑った。


「んー、でもきっと違うんじゃないかな?」

「・・・え?」

「だって僕が素敵だなって感じた音は、君がさっき聴かせてくれたもの。いくら君がお姉さんと似ていたって、聴き間違える筈がないよ。」

「・・・・・・。」




―――――――――――― どうして。


“君の音ぐらい、聴き分けられる。”


この人は、そんな風に言い切れるのか。


“・・・どうやったら、君と彼女を間違えられるというんだ?”


にはわからない。




「・・・あ。ごめんね!急にこんなこと言われても困るよね、えっと・・・・その、ね?僕、耳のよさにはちょっとだけ自信があるんだ。」


思わず顔を顰めてしまうと、その意味を勘違いしたのか、青年はまたもやにっこりと笑って小首を傾げた。
・・・あぁやっぱり。顔の良いヤツはこれだから嫌だ。男がやったら薄ら寒いだけのそんな仕草も、なんだか妙に様になってしまう。


「だから、間違えたりしないよ。僕が聴いて素敵だと思ったのは、確かにさっき君が聴かせてくれた、君の音だった。」

―――――――― っ」


これまでにも、演奏を褒められたことはあった。
けれどそれはどれくらい上手く引けたかであって、の音を好んでくれたわけじゃない。
ましては、自分でもわかっているほど演奏の波が激しく、一奏者としての実力は低い。
それでも演奏する機会が増えるにつれ、拍手を貰うのにも慣れてきた筈だったが、こんな風に言われたのは初めてで、少し戸惑う。

だって、彼の言い方ではまるで
――――――――


「あ・・・・・・」



―――――――――― まるで、の音が素敵だと言っているようではないか。



こんなとき、どう返したらいいのかわからない。
けれど彼は、そんなの困惑などものともせず微笑と共に続けた。


「ありがとう。いつも思っていたけれど、とても素晴らしい演奏だったよ。ずっと、お礼が言いたかった。」


違う。もしお礼を言うとしたなら、それはのほうだ。
そうは思うのだが、如何せん驚きすぎて声がでない。あまりに予想外の出来事に、思考回路が停止し掛けている。
そう言って青年は、呆けているの目の前に何かを差し出した。反射的に受け取ってしまい、それから鼻先を掠めた香りにその正体に気付く。


「あ、え??」


それは、小さな花束だった。片手で簡単に持ててしまうほどの、とても小さな花束。


「・・・君にあげる。素晴らしい演奏を聴かせて貰ったから、そのお礼だよ。僕だけのために演奏してくれているみたいで、嬉しかった。」


とても綺麗なそれが、けれど今のには大きくて重く感じる。
だって今のには、そんなことを言って貰う資格がない。
これから、音楽をやめようとしている人間には
―――――――――


「本当は、もっと君の演奏を聴いていたかったんだけど・・・生憎、今日はこれから用事があるんだ。もう、行かなくちゃ。」


が何か言う前に、青年はもう駆け出していた。背中に羽でも生えているんじゃないかという素早さで、さっきまであれほど近かった2人の間に、あっという間に距離が生まれる。


「え、あの・・ッ!!」

「じゃあね!今度会ったときは、また君のヴァイオリンを聴かせて欲しいな!!」


去り際、呼び止める声に1度を振り返った青年は、テレビで見かけるアイドルかと思うような見事な笑顔を見せて、ぶんぶんと大きく手を振ると、今度こそ背を向けて駆け出してしまった。
残されたのは、ヴァイオリンと花束を両手に抱えただけ。


「・・・・・・貰えないわよ、こんなの。」


呟いたの声は、とても苦々しい。このとき、は気付いていなかったのだ。
この苦しさは、罪悪感でも後ろめたさでもない。音楽を辞めるという事実から生まれているのだということに。






◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 






「・・・それにしてもこの花束、どうしたらいいんだろう。」


そうしてしばらく俯いていて、こうしていても仕方がないと思った頃。
は、漸く見知らぬ人から贈られた花束を受け取るという異常事態に気が付いた。
いくら演奏を聴かせてくれたお礼だとはいえ、見知らぬ人から花束を受け取ってしまうのは可笑しい。更に言うと、贈ってしまうほうもかなり可笑しい。
今更になって顔から血の気が引いてきたは、とりあえず誰かに助言を請おうと鞄中から携帯を取り出した。だが、問題は誰に掛けるかだ。
双子の姉は・・・駄目だ、心配をかけるだけだ。兄代わりの幼馴染も同じく。菜美に話そうものならからかわれるのは目に見えているし、下手をすれば記事にされ兼ねない。
そうやって電話帳に登録されている人物を消去法で絞っていく。ふと、笑顔の胡散臭い先輩の顔が浮かんだ。


「・・・・・・・・。」


一瞬コールボタンを押しかけただが、寸でのところでそれを留まった。・・・梓馬なんかに言ってみろ。あの魔王のことだ、なにを言い出すかわかったもんじゃない。馬鹿だの阿呆だのと言われてこちらが凹むのは、目に見えている。

しかし、そうなると誰に掛けるべきか。元々、然して番号も登録していない携帯だ。必然的に、掛けられる人も範囲が狭まってくる。


―――――― これしかない!


やがては、決心をしてある番号に電話を掛けた。きっと彼にも、馬鹿だの阿呆だのと言われるだろうが、最後には溜息を吐いて、仕方ないと相談に乗ってくれるに違いない。
3コール以上鳴らしても彼が出ないときは、ヴァイオリンの練習中かなにか用事か、ともかく電話に出られないときだ。まず、1回・・・だがの心配を嘲笑うように、きっちり2コール鳴った後、プツッと音が切れて電話が繋がった。


『はい、月森です。』


携帯なのだからからだとわかる筈なのに、律儀に名乗る月森に、今ばかりは妙に安堵した。
彼はいつも冷静沈着で、それは音にも表れている。が彼の音に憧れる部分でもあった。


「・・・もしもし、月森?」

『・・・?どうかしたのか?』


名乗らなくともすばり名前を言い当てる月森に、“ほら、やっぱりわかってるんじゃない”と少し苦笑する。


「うん・・・ちょっと、相談があるんだけど。」

『なんだ?』

「・・・自分でもびっくりしてるから、あんまり怒らないで聞いて欲しいんだけどね。」

『・・・・・・・相談の内容にもよる。』

「う、やっぱり・・・あの、さ。全然知らない人に貰った花束はどうしたらいいのかなぁ?」

『・・・・・・・・・・・・・・は?』






◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 






少女漫画から抜け出してきたような突飛な話を聞かされても、やっぱり月森は冷静だった。不用意に受け取ったことを叱りながらも、ここぞとばかり、に音楽を続けないかと薦めてくる。
以前、音楽の道に進むことをあまり真剣に考えていなかったに、月森がその気にさせてみせると言っていたのは、どうやらかなり本気だったらしい。
そこまで本気だとわかっていたら、だってあんなに軽く、その気にさせてよなんて言わなかった・・・。

それでもどうにか落ち着きを取り戻したは、帰る道すがら花束を持ち帰ることに決めた。
見たところ、何の変哲もないただの花束のようだったし、折角こんなに綺麗に咲いているのだ、捨てるのも可哀想だろう。
・・・けれどもしかしたら。そんなことはただの建前で、演奏を披露して初めて人に貰った花束が、単純に嬉しいだけなのかもしれない。

家に戻ると、は早速花瓶の代わりになりそうな入れ物を探して、花を挿すことにした。
ただでさえ、この強い初夏の日差しの中で持ち歩いていたのだから、少ししおれかかっている。
いそいそとリボンを解き、包装紙を剥がし・・・その途中、なにかがヒラヒラとの足元に舞い落ちた。


「・・・ん?」


拾ってみると、それは1枚のカードだった。花を買ったお店のものだろうかと、裏を見る。


「・・・”Aoi”?」


そこには、流れるような装飾文字で印字された”Thank You”のメッセージと共に、明らかに手書きのものと思われる筆跡が残されていた。
誰の筆跡かなんて、考えるまでも無い。こんなことが出来るのは、にこの花束を渡した張本人だけだ。


「あの人の、名前かな・・・?」


今日初めて会った人なのだから、完璧に顔を覚えているわけではない。だが、とても美人だった。
いつだったか、梓馬にそう言ったら頭を叩かれたので、男の人はそんなことを言われても嬉しくなんてないのかもしれないが、それだけは確かだ。


「・・・・あおい・・・」


もう1度口に出してみる。ああ、そうかもしれない。
あの強い夏の日差しと緑の中に立っていた、陽に透けるような髪の青年は、確かに“あおい”という名がしっくりくる。
ふと、素敵な演奏だと言ってくれたその声が蘇った。


「・・・・・。」


――――― だが、もう会うこともないだろう。

はもう、誰かの前でヴァイオリンを弾いたりなどしないのだから。
改めてその事実を強調すると、何故か気分が暗くなった。
早くも後悔し始めている自分に気付かないフリをして、はそっと息を吐く。


「・・・・・・さようなら。」


それだけを呟いて、たくさんの思い出と共に、カードを引き出しの奥へと閉じ込めた。










戯言。

加地との出会い編です。
春のコンクールが終わって少し経った夏の日に、うちのと加地は面識が出来ていたりします。

もうコンクールも終わってしまって会えないのかと思っていたところにがやってきたので、加地はもの凄くテンションが上がってこんな暴挙に。(暴挙って)
でも加地だったら、いきなり花束贈るとかいうストーカー紛い(いや、ヤツは紛れもないストーカーでしたが)なことも平然としていそうな気がしたので、こんなお話になりました。
・・・しかし、ドラマCDを聞く限り意外と分別あったんでしょうか(←失礼な)




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2007/04/27