偶然に偶然が重なって、学園きっての優等生、柚木梓馬の本性を暴いてしまったあの日から、の高校生活は一変した。静かに息を潜めて生きてきたは、いつの間にか人の注目を浴びるようになり、顔も名前も全然知らない人がを知っていることが増えた。 “自称”親衛隊のを見る眼つきも、日に日に険しくなっていく。それでも今は、声を掛けられても、冷たく一瞥すればそれで引くからまだいい。所詮、私立高校に通うお嬢さん方だ。その程度で結構たじろいでくれる。 ・・・けれど、それも最早時間の問題だろう。何しろ全ての原因でもある彼が、それを面白がっているのだから。 「おはよう、さん。よかったら学校まで、乗っていかない?」 ・・・ほら、今日もまた。 まるで石膏のように固まってしまった、綺麗な笑顔と取り繕った言葉で、わざわざ人の多い場所を選び、車内にを招き入れる。そこは既に彼のテリトリーで、優等生の仮面を脱ぎ捨てた彼は、の前に本性を現すのだ。 「これでまた、僻まれる理由が1つ増えたな。・・・なぁ、?」 そう言って、彼はさっきまでとは違う笑顔でクスクス笑う。 ―――――――― ・・・もう、誰かこの悪の帝王をどうにかしてよ。 孤高の勇者さまでも、お姫様の従者でも、誰でもいいから。 ・・・でも勇者はヴァイオリンに夢中だし、従者もお姫様のことで手一杯。そもそも誰も、彼が悪の帝王だってことに気付いてないのが問題だ。 ・・・だからは、あの手この手で1人魔王の手から逃れようと、必死にもがく。 「お願い。梁にも頼んでおくから、ね?ねッ!?」 「うーん・・・良く解らないけど、そういうことならいいよ。」 「ありがと、っ!!」 ・・・さぁ。これでどうだ、魔王。勇者が現れないのなら、が勇者になってやる! チャリ通大作戦 その朝。柚木はいつものように登校途中のを拾う為、彼女の登校コースであるこの交差点に車を止めて、まるで糸を張って獲物を狙う蜘蛛のように、彼女が来るのを待ち構えていた。 偶然ファータを目撃してしまった為、素人であるにも拘らず、突然普通科からコンクールに参加することになったという少女は、とても面白い奴だ。 柚木が本性を見せても、特に幻滅した様子も、徹底して避ける素振りも見せず、(出会い頭に目に見えて、嫌そうに顔を顰めるようにはなったが)相も変わらぬ態度で柚木に接してくる。(でも少し、向こうも態度が大きくなった気はするな) 今度はどんな風に、俺を楽しませてくれるのかな? 彼女は柚木がちょっと苛めると、必死にない爪と牙を立て、儚い抵抗を見せる。 ・・・それが柚木には楽しくて仕方がない。だから彼女は、柚木の“お気に入りの”おもちゃなのだ。 「・・・遅いな、アイツ。」 ・・・ところが、いつもこれぐらいの時刻には、ここを通るハズのおもちゃがおかしいことに、今日は一向に姿を現さない。スモークガラスで外の世界と遮断されているのをいいことに、柚木の眉間に深い皺が刻まれた。 それでも、もうちょっとだけ待ってみることにして、柚木は腕を組んで柔らかい座席に座り直すと、大きな溜息を1つ吐く。・・・この代償は、きちんと身体で払ってもらうことにしよう。 ――――――――― ・・・そして数分後。 柚木は自分のおもちゃとは違う、けれど瓜二つの容姿をした人物を視界に留めて、慣れた作り笑いを浮かべると後部座席の窓を開け、彼女に声を掛けた。 「おはよう、さん、土浦君。一緒に登校かい?相変わらず、仲がいいんだね。」 「あ、おはようございます、柚木先輩。」 にっこりと愛想良く笑うその顔は、極稀にが見せる顔そのもの。 それに対して隣を歩く体格のいい青年は、おざなりに頭を下げただけだった。 良く似た顔の造形をしているこの少女は、柚木お気に入りのおもちゃの半身だ。 所謂、一卵性双生児というやつらしい。柚木も最初は判別がつかない程であったが、今ではすっかり見間違えることもなくなった。 ・・・・・・あまつさえ、後姿や声だけでも、どちらだか見分けがつくほどだ。 見れば見るほど似ているが、やはり中身は異なる人間で、顔は同じでもこちらは誰にも愛想良く尻尾を振ってみせる。けれども柚木のおもちゃは、ほとんど他人に尻尾を振ることがない。振るとしても、相手を酷く選り好みする。 すぐには他人を受け入れないが、受け入れれば深く心を許す典型的なタイプだ。そこがまた、飼い馴らすには丁度良いと、気に入ってもいるところなのだが・・・ 「・・・ところで、さん。今日は妹さんは、どうかしたのかな?」 「なら、今日は自転車で行きましたよ。俺にヴァイオリン預けて。」 ほら、と土浦が指差す先には、確かにヴァイオリンケースがあった。 言われて見れば、今目の前にヴァイオリンケースは2つ。しかも土浦が持っているのは紛れもなく、普段はが持ち歩いているものだ。 何度となく間近で見てきたから、それは間違いないだろう。 「・・・自転車で?」 「はい。家は学校から、そんなに遠いわけじゃありませんから、もう随分前に学校に着いてるんじゃないかと思いますけど・・・ねぇ、梁?」 「・・・・・・。」 「・・・梁?」 「あ・・・あぁ、わりィ。ちょっとぼーっとしちまって・・・。そうですね、もうとっくに着いてると思いますよ。コイツラんちから学校まで、自転車で20分もあれば着きますから。」 「――――――― ・・・そう。・・・あぁ、呼び止めてちゃってごめんね、2人とも。それじゃあまた、学校で。」 2人に向けて、もう1度にっこりと笑顔を見せると、柚木は窓を閉めて車を発進させた。 「・・・出してくれ。」 端的にそれだけを言うと、数十分振りに外の景色が動き出す。 学校に着くまでの短い間、柚木は不機嫌そうに窓の向こうを睨み付けていた。 感付かれたか・・・? ・・・2年5組土浦梁太郎。普通科所属。達と同様にコンクールの参加者。 普通科の生徒でありながら、彼のピアノの腕は作り物じゃない、本物だ。しかもあの双子の姉妹とは、幼馴染ときている。 先程土浦が見せた、あの探るような眼差し。あれは、こちらを勘繰る類のものではなかったか? ・・・そういえば、以前。土浦はカンが良いと、が話していた気がする。それももしかしたら、あながち間違いではないのかもしれない。 だが柚木はすぐに、馬鹿馬鹿しいとその考えを追い払った。 何かに勘付いているとしても、自分の本性がこんなだということまで、気付いているわけではないだろう。 よしんば気付いていたとしても、彼程度の人物が、柚木の評判を覆せるとは思えない。 ・・・まぁいい。それよりものヤツ、一体どうしてくれようか・・・ かなり物騒なことを考えながら、けれども彼の口元には、いつの間にか楽しそうな笑みが浮かんでいた。 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 柚木がお気に入りのおもちゃとのお遊びに考えを巡らせていた頃。 実質上置いてけぼりを喰らった2人は、黒塗りの車が去って行くのを見送って、それから再びゆっくりと歩き出した。 「柚木先輩、ここでのこと待ってたのかなぁ?」 暢気なと反対に土浦は訝しげに眉根を寄せて、普段よりちょっとだけトーンの低い、真剣みを帯びた声を漏らす。 「・・・胡散臭いな。」 「なにが?」 全く何にもわかっていない表情をしてきょとんとして自分を見上げてくるに、土浦は軽く溜息を吐き、それから説明してやるために、もう1度口を開いた。 「・・・柚木先輩だよ。まるで、いつもが俺達より先に学校行くのを知っているみたいな口振りだった。」 「うん。知ってるんじゃないのかな?、よりは朝に強いけど、別に早起きが得意な訳じゃないじゃない。なのにいつも1人で先に行っちゃうから、柚木先輩と待ち合わせでもしてるのかと思ってた。最近、仲良いみたいだし。」 は土浦がに想いを寄せているのを知っている。 それで幼馴染に気を使い、彼女は1人で先に学校に行っているのだが、それを知っていても、まさかそうだとは口が裂けてもいえない土浦であった。 「・・・・・・お前、本当に鈍感だよな。」 「え?」 「いや、なんでもない。・・・確かに、最近良く2人が話してるとこ見かけるけど、柚木先輩は読めないからともかく、は話しててもあんまりいい顔してないぞ。」 「・・・それは周りの女の子達の視線が怖いからじゃなくて?」 「―――――――― ・・・アイツがそんなたまかよ。そもそも柚木先輩を避けたくて、今日は自転車で行ったんじゃないのか?」 そう言うと、ついにも黙りこくった。顎に指を掛け、地面を睨みつけて考え始める。・・・こういうときの仕草は、一卵性の双子だけあって、2人ともそっくりだ。 土浦はが人にぶつかったり、転んだりしないように気を配ってやりながら、根気良く、彼女が考えをまとめるのを待った。 がこれだけ考え込んでいるということは、なにかひっかかることでも思い出したのだろう。 「・・・そう言えば、“あんまり柚木先輩には近づくな”って言ってた、・・・。てっきり、やきもちかなんかだと思ってたけど・・・」 「・・・・・・。」 それから学校に着くまで、はずっと物思いに耽っていて、土浦に“着いたぞ”と言われるまで、自分が教室にやってきたことにも気付いていなかった。 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 「・・・ふふふ、今日は魔王に勝った・・・ッ!!良くやったわ、!次からこの手よっ!」 ・・・そんな風に、らしくもなくはしゃいでいたのはいつのことだったか・・・。その時の自分に油断するなと、喝を入れてやりたい。どうして、こうなることを最初から予測できなかったのか? 何しろ相手は魔王なのだ。自分より1枚も2枚も上手で、やっぱり勇者でないでは勝てない。・・・は自らの運命を呪った。 「俺を避けるなんて、一体どういうつもりだ?。」 頭突きをかませば確実に喰らうだろうすぐ近くに、女顔負けに整った柚木の顔がある。 だがもしそんなことをしようものなら、後で余計大変な目に遭うのは自分なのだ。・・・それが目に見えてしまっているから、はやらない。 柚木は笑っていた。 ・・・けれどもいつものような笑みではなく、とてつもなく邪悪な笑み。 “柚木サマ”と彼を呼び、慕っている女子生徒が見たら、これは柚木サマの偽者よ!とでも叫んで、失神してしまいそうなくらいだ。 寧ろこっちが“本物”で、普段の柚木が“偽者”なのだ。それに、絶対こっちのほうが柚木“様”って感じだよ。とは思っている。 猫も被り通せば本物になるとは、実に良く言ったものだ。 あんなことをした後だから、今日だけは彼に見つかりたくなかった。 もし人目の多い場所で見つかろうものなら、問答無用での負けが決定する。 だからこそ、は人目の少ない場所を。・・・しかも柚木のお気に入りである、屋上以外を選ばなくてはならなかった。 けれどよりによって、どうして練習室を選んでしまったのか。 あそこは小さな個室で、たった1つの窓を閉めてしまえば、防音効果は高い。楽器の音が微かに廊下に漏れる程度だから、声ならばほとんど外へは漏れないだろう。 となると、部屋に押し込まれれば必然的に2人きりだし、挙句いくら騒いでも喚いても無駄だ。全て楽器の音に掻き消されるだろうし、しかも1つ1つの部屋には鍵が付いている。 ・・・だがそれを逆手に取れば、立て籠もるには最適だということでもあった。 だからは今日1日、練習室に立て籠もる気満々だったのだが・・・・・・まさか先手を打たれて、待ち伏せされているとは夢にも思わなかった。 がご機嫌で1つの部屋に入っていったら、そこには綺麗な笑みを浮かべて窓辺に佇む、柚木がいたのだ。 不意を突かれ思わず後退さったを、彼は歩幅の差で易々と追い詰めた。 の思考回路でも読めるのか!?コイツはッ!!(焦) ご丁寧に部屋の扉まで、を招き入れるように開いていて、それはまるで、砂の下に静かに潜んで獲物を待つ、蟻地獄のよう。 ・・・あれじゃ誰だって、空いている部屋だと思うじゃないか。でも柚木のことだから、以外の生徒が来れば、上手く誤魔化してしまうのだろう。 みんなが信仰している神様は、実は魔王が魔法で変化した偽者で、本物の神様は今頃、変わり果てた姿になって、どこかに追いやられているに違いない。 最もは無神論者だから、最初から神様なんて信じちゃいなかったけど・・・。 練習室というのは、まぁ一種のカラオケを想像してくれればいい。長い廊下が続いていて、その左右にちょこちょこと小部屋がある。 ここは廊下で、後ろには扉。体の両脇には柚木の腕があって、の逃げ道をしっかりと塞いでいる。 どうにか踏ん張っているが部屋に押し込まれてしまえば、それこそ彼の本領発揮で、に勝ち目はない。 今柚木はまだ、魔王光臨率50%ってところだ。良く漫画なんかである、まだ俺は半分も本気を出してないぜ?ってヤツだ。・・・これ以上、彼に本性を曝け出させてはいけない。 見る人が見れば誤解をして、半狂乱状態になりそうな体勢だが、扉は左右互い違いについているので、わざわざ覗き込まなければ廊下の様子は目の前のほんの少しの部分しか、窺い知ることは出来ない。 つまり最も奥にあるこの部屋の前は死角になり、目撃者が出る可能性は低い。 は引き攣り笑いを浮かべながら、それでもどうにか言葉を搾り出した。 「あ、あははは・・・嫌だなぁ、避けるだなんて人聞きの悪い。今朝は偶然会わなかっただけじゃないデスカ。」 言いながら、でも彼を直視できない。 「ふーん?いつもより早く家を出た挙句、わざわざ自転車なんかで来ておいて?」 「―――――――――― ・・・う゛。」 「今朝、さんと土浦君に会ってね。妹さんはどうしたの?って尋ねたら、快く教えてくれたよ。」 「・・・・・・(滝汗)」 あんの裏切り者どもめぇ〜〜〜ッ!! 内心怒鳴り散らすけれど、2人は柚木のこの本性を、知らないんだからしょうがない。 はコイツを、誰にでも優しく面倒見の良い先輩だと思い込んでいる。 そんな人に、無駄に突っかかっていく理由がどこにあろうか。は聞かれたから、素直に答えただけなのだ。 もしかしたら梁は、あんな風に女に囲まれて笑っていられる神経が信じられないだとか、いつか引き摺り落としてやる、なんて言っていたから、なんとなく野生の勘で柚木の本性に気付いているのかもしれない。 ・・・梁は小さい頃から、妙にカンの良いやつだった。 でも梁は、自分のお姫様だけ護っててくれればそれでいいよ。 そうすれば少なくとも、は自分の心配だけしていられるのだから。 ・・・そんなことを考えていたら、柚木の男にしては柔らかい髪がスルリと首に触れて、その感触にハッと我に返り、予想以上に接近を許していたことに驚いた。 「・・・ねぇ、お姉さんのこと大事?」 そう耳元で囁かれ、は身体を硬くする。 「ッ!?」 「・・・顔色が変わったね。やっぱり大事なんだ?」 の反応に柚木は満足そうに体を離すと、ニヤリと見下すような笑みを浮かべる。は不満を顕にして、出来る限りに柚木を睨んだ。 「ちょっと!あの子に何かしたら・・・ッッ!!」 「安心しろよ、何もしやしないさ。・・・お前が大人しくしていればな。」 の言葉を遮って、柚木は的を得たと言わんばかりに、にっこりと笑った。 「〜〜〜〜ッッッッ!!!!!!」 このやり場のない怒りを、どこにぶつければいいのだろう?は拳を強く握って、必死に堪えた。 カチャ・・・ 「「!!」」 そのとき、か細く頼りない音をたてて、2つ向こうの部屋の扉がゆっくりと開かれた。 柚木は素早くから距離を取って、いつもの澄ました表情に戻り、も顔が引き攣らないよう注意しながら、必死に何事もなかったように装う。 やがて扉が開いたとき、そこから顔を覗かせたのはの良く見知った顔だった。 「――――――――― ・・・?」 「つ、月森・・・っ!!」 まるで飼い主を出迎える犬のように、はパァっと顔を綻ばせた。・・・とんだ救世主サマのご登場である。 この酷く無愛想で、けれどもヴァイオリンに関してだけは天才的な月森蓮。彼はの中で、勇者という立場に位置づけされていた。 勇者というのはご存知、唯一魔王に対抗出来る力の持ち主である。 はこの学校内で、魔王である柚木に対抗しうる人間は、演奏の技術にしてもファンの数にしても。月森ただ1人しかいないと確信していた。 が心から嬉しそうに笑うのを見て、表面上は微笑を浮かべている柚木の機嫌が、また突如急降下をし始めたが、思わぬ月森の登場に浮かれているは、それに一向に気付かない。 ・・・しかしそこは流石と言うべきか、そんな内心とは裏腹に、綺麗な笑顔を浮かべ、柚木は月森に声をかけた。 「・・・やぁ、月森君。君もここで練習かい?」 「――――――――――― ・・・!!(怒)」 いけしゃあしゃあと言ってのける柚木を前に、はすぐそこにある壁を、ガンガンと力任せに蹴りたい衝動に駆られた。・・・今なら素手でりんごが潰せそうな気がする。 よくもまぁこれだけ、コロコロと表情を切り替えられると思う。笑うだけでも一苦労なには、自分の意思で表情をつくるなど到底無理だ。 さっきはを壁際に追い詰めて、楽しそうにしていたのに・・・。この変わり身の速さだけは、毎度毎度のことながら感心してしまう。 「・・・えぇ、まぁ。ところで2人はそこで何を?」 「あ、あのね、・・・!!」 「僕達もここで練習をしようと思ってきたんだけど、部屋が開いていなくてね。仕方がないから、2人でここを使おうかって話をしていたんだよ。ね?さん?」 はどうにかして月森に助けを請おうとしたが、柚木の声がの言葉に重なるようにして発され、それすらも容易く遮られた。 勿論否定なんてしないよな?。 にっこり細められている筈の彼の瞳が、に無言の圧力をかける。 ここで何か言わなければ、事実上柚木の言葉を肯定したことになってしまうだろう。 それでも、柚木がじっとの出方を窺っているので、なんとも言えず、は金魚のように、口をぱくぱくさせるだけだ。 いつもと変わらず微笑んでいる柚木と、必死の形相でなにか言いたそうに、けれども何も言わず口を開閉する。 月森は2人の顔を交互に眺めた後、そうですか・・・とだけ呟いて、にこんな提案した。 「・・・、俺と一緒でよければこちらの部屋を使うか?」 「う、うん!!!」 何も言わずとも悟ってくれた月森に、は感極まった様子で、何度も何度も大きく頷いた。 「けれど、折角の月森君の練習を、邪魔することになってしまわないかな?後から来たのは、僕達のほうだし・・・」 「・・・俺のことなら、お気になさらず。慣れていますから。先輩のほうこそ、練習の妨げになってしまうのでは?今の時期、3年生は忙しそうですから。」 食い下がる柚木に、知らないとはいえ、月森がピシャリと言い放つ。・・・いや、知らないからこそ出来ることもあるのだ。 は柚木の魔の手から逃れられるという事実だけで有頂天になり、自分が散々な言われようをしていることに、全く気付かない。しばらくお互いをじっと見合った後、先に折れたのは柚木だった。 「・・・そう?そこまで言うのなら、君のお言葉に甘えさせて貰おうかな。じゃあまたね、さん。」 そう言ってにこやかな笑顔を見せてから、柚木は練習室の扉をパタンと閉めた。 “またね”の一言に、の背中を寒いものが走ったが、はそれに気付かないフリをした。当面の危機は去ったのだから・・・。 月森に促されるまま、柚木とは別の練習室に入り、扉をきちんと閉めてから、はやっと重圧から解放されたと、飛び跳ねて喜んだ。 「月森ーーーーーッ!!流石親友!ありがとうッ!!やっぱり君は勇者だ!!」 一体いつから自分達は親友同士になったのか、何が勇者なのか。 月森としては、ちょっと尋ねてみたい気もしたが、があまりにも嬉しそうに、満面の笑顔で言うので、その気も失せた。 普段は周囲から、どちらかと言えば、冷たい人間だと認知されている。だがこうして笑っている姿を見る限り、到底そうは思えなかった。 「やめてくれないか、そんな大袈裟な・・・」 が勇者だの、真の神だの、騎士だのとあまりにしつこく、そして五月蝿く騒ぎたてるので、月森は少々気恥ずかしくなってそっぽを向いた。(そもそも、真の神って言うのはなんだ・・・?) それを見て、やっと少しだけ、が落ち着きを取り戻す。 「・・・あぁ、ごめんごめん。じゃあ折角だから、何か合わせない?それから、月森の新作も聞きたいな。イチ月森蓮ファンとしてはね。」 まだ完全には治まりきらない笑みを、零れさせながら、はそう提案した。 同じファンという言葉でも、月森は女子生徒に手紙を押し付けられたり、まるで希少動物を見るような瞳で見られるのは、はっきり言って嫌いだし、鬱陶しい。 家や両親のこと気にして、無理矢理な賛辞を送られるのも、諂われるのも同様だ。 だがは家のことを抜きにして、純粋に自分の音楽。“月森蓮”個人の音を気に入ってくれている。 それを知っているから、月森は嫌そうな顔はせず、少しだけ口元を緩めた。 「・・・あぁ、構わない。」 それからしばらくの間、2人が入っていった練習室からは、月森が奏でるにしては珍しく、穏やかな感情を乗せた音色が漏れ、練習室の廊下に微かに響き渡っていた。 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ・・・その日の帰り道。は自転車を押して、月森の隣を歩いていた。 己の身の安全の為、月森に頼み込んで、途中まで一緒に帰ってもらうことにしたのだ。 ・・・あぁ、これでまた月森ファンの子に睨まれる口実が出来ちゃったわね・・・ そう思うと溜息が零れたが、柚木と帰れば本人とファンの子と、両方から攻撃される。 それから考えれば、ファンの子だけで済む月森の方が例え一緒に帰ったとしても、断然後が楽だ。いや、寧ろお得だ。 柚木を相手に費やすのと同じ体力と精神力でもって、お釣りが返ってくる。・・・そこまで思考が行き着くと、ちょっとだけ気分が上昇した。 今ぐらい、安らぎをくれてもいいじゃない。どうせ明日からまた、頑張らなきゃいけないんだから。 心の中で呟いて、どうしてかいつもよりも口数の少なくなった月森に、はつくりものではない笑みで、微笑みかけた。 「月森といると、本当に気が楽よね。」 が深く考えもせず、思ったことをそのまま乗せた言葉は、隣を歩く月森を、紅くさせたとかさせなかったとか。・・・だが取りあえず、の自転車通学がたった1日で幕を閉じるだろうことは、間違いない。 |
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戯言。 当サイトにおけると柚木、そして月森の位置関係を示しているお話です。 実はこの話は、本家サイトにも展示してあったりします。なので他の作品に比べて、少々古いです。 コルダの1が出た当初に書いたもの頃に書いたもので、今より更にへっぽこだったり文体が違ったりしますが、そこは目を瞑ってくださると嬉しいです(汗) |
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2004/06/10