君に届く音色






「・・・ねぇ、間違っていたら悪いんだけれど。」


エントランスの2階、紙パックのカフェオレに刺したストローを咥えながら、手摺に体を預けて階下を見下ろしているさんは、ある人とその人の奏でるトランペットの音色に釘付けだ。


「んー、なによ?」


気もそぞろに、目すら合わせず聞き返されると、さすがに僕だって面白くない。
だから少しぐらい反撃したくなってしまったのも、仕方がないことだよね?


「・・・・・・さんって、火原さんのことが好きなの?」


君ばかりを見てきた僕が言うんだから、間違っているわけがない。
・・・好きな人が何処を見てるのか、それに気付かないほど鈍感じゃないよ。
でもきっと君のことだから、“さぁね”とか“が誰を好きでも葵には関係ないでしょ”とか、君のことを大好きな僕には酷としか言いようのない言葉を返してくると思っていたのだけれど、君は予想外の反応を示した。



ごほっ!!!



ぼうっと階下を見つめていたさんは、僕の問いに思い切り咽た。
あまりに勢い良く咽っているので、仕掛けた僕が申し訳なくなって心配してしまうほどに。


「うわっ!?大丈夫、さん!?」


耳まで真っ赤にした君は、今にも泣き出しそうな顔をして、涙に潤んだ瞳で僕を見る。


―――――――― しまった。


火原さんが彼女にこんな顔をさせているだなんて、僕にとっては尚一層面白くない事態だ。
・・・だって僕は、君のそんな顔を知らない。けれどそれも一瞬のことで、すぐに彼女は普段通りを取り繕う。
・・・そうやって、いつも強がってきたのかと思うと、悔しかった。


「大丈夫じゃないっ!危うく呼吸困難で死ぬかと思った!!」

「ごめんごめん。」


そうやって僕に掴みかかるさんは、あまりにも僕の知る君と変わりがなくて。
もっと君を知りたい、君の色んな顔を見たいという欲求が止まらなくなる。


「・・・それで、どうなの?」

「・・・・・・。」


声のトーンを少し落として、君の顔を真っ直ぐに見て。
真剣に問うと、さんの腕から力が抜けた。静かに瞳を伏せ、そっと逸らす。


「好きなの?」


ねぇ?、と翳の差した瞳を無理矢理に覗き込めば、腹の底から捻り出したような声が聴こえた。


「・・・こんなところでする会話じゃない。」

「じゃあ、他の場所に行こうよ。」


躊躇いがちな君の手を取り、君を先導して歩く。
・・・それでも僕が真剣だと知っているから、決してはぐらかさない真摯な君が僕は好きだよ。






◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆






さんを連れて僕が向かったのは、立ち入り禁止の普通科の屋上。
ここなら放課後でも人はいないし、何も邪魔は入らない。
冬に向けて冷たくなってきた風が、さんの髪を弄んだ。


「好き、だったわ。」

「だった?過去形??とてもそんな風には見えなかったけど?」


矢継ぎ早に尋ねると、さすがにさんもむっとしたらしい。
未だ君を掴んだままだった僕の手を、思い切り振り解いた。


「しつこいわね。そんなの、どうだっていいでしょ?」


そう言う君の射るような眼差しが、僕を拒絶しているようで。
腕を振り解かれたことも手伝って、感情が理性を上回った。
君は自分のことなんてどうでもいいように話すけど、全然どうでも良くなんてない。


「どうでも良くないよ!!僕にとってはとっても重要なことだもの!」


・・・あぁ、もしかしたら初めてかも。こんな風に、彼女に声を荒げるのは。
これまでにないほど怒鳴ったはずの僕を、けれど君は怒るでもなくきょとんと見詰めて。それから何かを諦めたように、すとんと肩を落とした。


「・・・好きよ。だけど、失恋するのは決定事項。」

「火原さんには、好きな人がいるから?」


間髪容れずそう返すと、さんは瞳を丸くして僕を見て、それからくすくすと苦笑した。


「本当に良く見てるなぁ。そのぶんだと、誰なのかも見当ついてるんでしょ?」


一瞬答えることを躊躇して、けれど僕に真っ直ぐ注がれる君の視線に、答えを急かされているような感覚に陥る。
そしてとうとう覚悟を決めて、僕はその名を呟いた。


「・・・さん。」



―――――――――― 君の半身を示すその名を。



さんは正解と言う代わりに、こくりと小さく頷いた。
そんな彼女を見た途端、僕を喩えようのない苛立ちが襲う。
あぁもう火原さんっ!彼女にこんな顔させてなにしてるのさ!?
別に彼女を好きになれなんて、そんなことは僕も望んじゃいないし言わないけれど、それでもせめて隠し通して欲しかった。


「好き。でも相手は双子の姉を見てる、失恋は確実じゃない?」


でも、小さな嘘1つ吐けないのが火原さんの良いところだし、きっと彼女はそんな火原さんに惹かれたのだろう。
隠し事が苦手な彼の言葉は、それ故心の深奥に響く。
例えそれが、彼女を傷つける諸刃の剣であったとしても、きっと惹かれずにはいられなかったんだ。


「告白もしていないのに?」


そんな彼女にふと己の姿を重ねて、そんなことして欲しくもないくせに、僕はむきになって問いかけた。・・・彼女は静かに首を振る。


「・・・似ているからって、それを楯に気を引きたくないの。そうでなくとも火原先輩のことだから、を傷つけたとか悩みそうだしさ。」

「それは・・・確かに、そうだけど。」

「それに。」


張り巡らされたフェンスの壁に寄り添って、彼女は1度言葉を切った。


――――――― の影じゃない。自身を見てもらえなくちゃ、意味がないから。」

「・・・・・・。」


知らなかった、彼女にこんな一面があるなんて。
僕は気にしたことがなかったけれど、一卵性双生児というだけあって、さんとさんは良く似ていて。
身に覚えがありすぎるからわかる
―――――――― きっとそれは、劣等感。似ていながらにして非なる故の。


「でもも人間だから、すぐになかったことには出来ない。・・・ただ、それだけよ。」


屋上を吹き荒れる風を背に受けて、それでも僕に微笑んで見せるさんは、本当に綺麗で格好良い。


「いいなぁ。」


――――――――― 愛おしい。


「なにが?」


その白い指に絡まる、髪の毛の1本1本すらも。
君は決して手の届かない存在じゃない、僕と同じように眩しい太陽を見上げているんだとわかったから。


「火原さんが羨ましいよ。君にこんなに想ってもらえるなんて。」

「な
――――


僕のセリフに君は珍しく面食らって、そして何かを言いかけた。
普段なら、いくらでも彼女の言葉を待つ僕だけど、今ばかりはこれで良かったんだと思う。
声にならなかったその言葉は、強風に乗ってここまで届いたヴァイオリンとトランペットの合奏に遮られた。


「・・・・・・この曲、ジュ・トゥ・ヴだね。」


彼女と同じようにフェンスに近付き、隣に立って遥か遠い地面を見下ろすと、正門前にあるファータの像の付近に、火原さんとさんらしき2つの人影が見えた。


「・・・の選曲だね。あの子結構ロマンチストだから、こういうの好きなんだよ。」


そう呟く君の眼差しはとても優しく、僕は益々胸が苦しくなる。
君に届くその音色は、静かに優しく君を傷つけるのに、君は音楽とそれを奏でる2人を愛していて、それを甘受する。
そんな滲むような痛みを知る君にこそ、僕は贈りたい。


「葵・・・?」


突然踵を返した僕に、君は戸惑いを含んだ声で僕を呼んだ。
そのままヴィオラケースに手を掛けて、演奏の準備を始めた僕に君は瞳を丸くする。


「まさか、ここで弾く気!?」

「大丈夫、もう放課後だしバレないよ。」


校舎に、広場に、講堂に。
元から音楽に溢れた学院だ、放課後ともなればそこかしこから音が聴こえてくる。
・・・そうして弾き始めたのは、2人と同じジュ・トゥ・ヴ。
地上の2人は、乱入した音が僕のものだと気付いた筈だ。
けれど、その清廉なメロディーに乗せてヴィオラに歌わせるのは、君への想い。
僕は2人のように上手くはないけれど、それでも僕の音が少しでも君の痛みを和らげるなら、君を守る力になるならば。


「あおい・・・」



―――――――― いつか。
君に届く全ての音色が優しくなるその日まで、僕は君の傍で弾き続けよう。



「本当に、君はのこと甘やかしすぎだよ・・・」



・・・そのときは、どうか僕の気持ちに気付いて。



「ありがとう、葵
―――――――





―――――――― “君が欲しい。”












戯言

は火原が好きなんだ!という設定を活かした話を未だ書けていなかったので挑戦してみました。
今回は加地でしたが、ちなみに柚木はが火原を好きだと気付いていて、ちょっかいを出したりたまに怒らせたりして、そしてたまに飴をやるように慰めてみて虎視眈々と彼女を狙っています。・・・消毒液みたいに染みるタイプですね。(どんな)
加地は気付いてでも、柚木みたいに好きな子ほど苛めたい的ではなさそうなのでこうなりました。
ヴィオラはジュ・トゥ・ヴのアンサンブル組めないじゃんとかいうツッコミは受け付けません。弾こうと思えば弾けるさ!




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2007/05/11