夏色の青年









「おっはよー!」


駅からやってくる生徒と合流する交差点で、朝から元気に声をかけてきたのは、クラスメイトの天羽菜美だった。
いつもいつも思うことだが、彼女のヴァイタリティには感服する。


「・・・おはよう、菜美は朝から元気だね。」


まだ頭がはっきりしていないは、それに対しぼんやりとした返事を返した。


「あんたは今日も眠そうだね〜。今日は?柚木先輩と一緒に登校しないの?」


ニヤニヤと人の悪い笑みを見せ肘で小突いてくる菜美に、軽い溜息を吐く。
これは菜美に限ったことではないが、どうもと梓馬の関係を勘違いしている節がある。
友達以上恋人未満なんて、そんな甘い関係じゃない。
・・・まぁ、ある意味友達以上恋人未満ではあるのだろうが、もれなく“俺の玩具”という欲しくもない称号付きだ。
にやりと笑う魔王こと、柚木梓馬の顔を思い浮かべながら、は疲れたように呟く。


「・・・この時間だったら、もうとっくに学校着いてる頃でしょ。」


から進んで話すことはまずないが、情報通の菜美は、梓馬が良くこの交差点でを待ち伏せしていることを知っているらしい。
ただ今日は寝坊をしてしまって、普段より登校時間も幾分遅い。いつもなら、ほとんど菜美とも出くわさない筈だ。つまり、菜美に会ったということは、登校するにはそれなりに遅い時間帯だということで、も梁も呆れて先に行ってしまったくらいなのに、まさかあの梓馬が時間をおしてまで待っているとも思えない。


「・・・・・・それに、別に約束をしているわけじゃないし。」


誰に聞かせる気もないくらい小さな声で付け足すと、耳聡い菜美は心底不思議そうな声を出した。


「え、そうなの?」


その声は、いつもの好奇心の塊のようなそれとは違う。純粋に、不思議で堪らないというような声だ。
だから欠伸を噛み殺しながらも、は素直に頷き
――――――――――


「ふふっ、おはよう!」

「・・・おふぁよう。」


誰かが、と菜美を追い抜きざまに声を掛けていった。
男の子の声。欠伸の途中だというのに、つい反射的に挨拶を返してしまったの髪を、男子生徒が巻き起こしていった風が揺らした。
視界を邪魔した髪を耳に掛け直した頃には、男子生徒姿はもう小さくなっていて、その後ろ姿を眺めながら、は“誰だったっけ?”と今更ながらに思う。どこかで、聴いた声だとは思うのだが。


「あれ?見たことない顔。タイの色からすると同学年だよね?報道部の活動のお陰で大抵の生徒の顔なら覚えてるはずなんだけど・・・」


誰だかわからない、というのは菜美も同じだったらしく、彼女はむむーと唸ってから、思いついたようにこちらを振り返った。


、今の子知ってるの?」

「知らない・・・っていうか、顔すらまともに見えなかった。」

「知らないって・・・じゃあ、どうして呑気に挨拶なんてしてたわけ!?」

「なんていうか・・・その、ただの条件反射。」


菜美の驚きように、なんとなくばつが悪くなり頬を掻く。
しかし彼女が知らないとなると、本格的に全然知らない人の可能性が出てきた。


「はぁ〜・・・あんたって子は。」


そう言って菜美は項垂れていたけど、本当にそのときのは、眠くて傍を駆け抜けていった人の顔がどんなかなんてこれぽっちも見ていなかった。
ただ、わかっていたことと言えば。遠めに見た彼の髪が光に透けるような金色をしていたということぐらいで。
けれどもしこのとき、彼の顔をきちんと見ていたら。きっとは大声で叫んで、一気に目も覚めていたはずなのにと、あとになって思った。






◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 






教室に入ると、真っ直ぐ自分の席に向かい座り込んだ。・・・駄目だ。眠い、どうしようもなく眠い。
昨夜は、夢を見た。とてもとても、哀しい夢だった。
決して悪夢というわけじゃなく、寧ろとても優しい夢だったと思うが、今のはその優しさに甘えるわけにはいかない。
続きを見たくなくて、夜中に目が覚めてからずっと、朝日が昇り部屋が明るくなるまで起きていた。

机に肘をついた手の上に顎を乗せた、とてもだらしない格好で、はぼんやりと窓の外を眺め始める。
空は雲ひとつない晴天で、まだ夏の気配が残る。そのままぼんやりと外を眺めていたの視界の端を、なにかが掠めた。


「・・・ん?」


それには羽が生えていて、窓の外を飛んでいた。いや、寧ろ教室を覗き込んでいるようにすら見える。
しかし、は金色に輝くあれほど大きな虫など知らない。金色に輝く大きな虫のような生き物。
ただ一つ、それに心当たりがあるとすれば
―――――――――




まさか。




以前には、それが見えた。だが、王崎先輩が言っていたように、コンクールが終わるとすっかり見かけなくなって・・・


「・・・さん!さん!!」

「は、はい・・・っ!」


そのとき不意に、大声で自分の名前が呼ばれているのに気付き、は慌てて背筋を伸ばした。
くすくすと波紋のように広がる忍び笑いに周囲を見回すと、いつの間にやらホームルームが始まっていて、窓際の席の菜美が、やってしまったと言わんばかりに手で顔を覆っている。
没頭してしまうと周りが見えなくなるのはいつものことだが、今回は担任がいつ教室に入ってきたのかさえ気が付かなかった。


「えと・・・もう、授業始まってましたっけ?」


引き攣りながら、それでもどうにか笑顔を作り、すぐ傍らに立つ担任に問う。彼女はににっこりと微笑み返した。


「その分だと、先生の話も聞いてなかったわね?」

「・・・すみません。」


この分だと、何度も呼ばれていたのだろう。ぼけっとしていたのは事実なので、今度はも素直に謝った。
その様子に、担任の女教師は仕方ないわねと肩を竦めてから、背後に立っていた青年をに紹介した。


「転校生の加地君よ。さん隣の席だから、よろしくね。」


この星奏学院では、転校生はとても珍しい。もともと数が少ないこともあるが、大抵来るとしても音楽科に行くものだ。
他の学校で音楽を学んでいた学生が、時折より専門的に音楽を学びたいといって編入してくるらしい。
だが、これでは第一印象は最悪だ。転校初日から、流石に気分が悪いだろう。


「あ、は・・・」


印象の悪さを取り戻すべく、せめてきちんと挨拶をしようと口を開きかけたの言葉は、しかし転校生の顔を見て、咽につっかえてしまった。“です、よろしく”たったこれだけの言葉が、言えない。


「よろしく、さん。」


にっこり笑ってそう先手を打ってきた転校生が、あの夏の日にに花束を渡してきた青年その人だったからだ。


「あ゛あ゛―ーーーーーーーーーーーっっ!!!!」


しばらくしての絶叫が響き渡り、再び担任に注意を受ける羽目になったのは、言うまでもない。









戯言。

加地の転校初日、うちのは加地と忘れようとしても忘れられないような出会い方をしているのでばっちり覚えています。
要はどれだけうちのが普段ぼんやりしているかって話ですね(え)




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2007/04/27