□ 恋心に効く薬 □






ホープが腕を放すと、その人はぐったりとソファに身を沈める。
いつもの整然とした様子からは想像も出来ないほどしどけない姿に、ホープは鼓動が高鳴るのを自覚すると同時に、呆れ果ててもいた。・・・こうなるとわかっていてどうしてそんなに飲んだんですか、と。
だがそんなこと、彼女に問うまでもなくわかっていた。たった1人の家族である妹のセラに歳が近いヴァニラには、ファングだけでなくライトニングも甘いのだ。
ファングはそれを知っていてヴァニラに酌をさせていたのだし、ライトニングもファングの思惑に気付きながらも、楽しそうにお酒を注ぐヴァニラの腕を振り払わなかった。


――――― ・・・多分、振り払えなかったんだろうな。


いらないと冷たく突き放せば、ファングの計画に悪乗りしただけのヴァニラは、それ以上ライトニングにお酒を飲ませようとはしなかったかもしれない。
けれど、それがファングの悪巧みだとわかっていても、ライトニングはヴァニラを拒絶したくなかったのだろう。だから断りきれずに、お酒を飲み続けた。


ああ見えて、優しい人だから・・・


容易なことでは動揺しない強い心と、怯むことなく前を見据える鋭い眼差しは、周囲に冷たい印象を抱かせる。きりっとした目鼻立ちと真面目な性格も手伝って、ライトニングは決してとっつき易いタイプとはいえない。けれどその実、守るべきと認識した相手に対してはとても優しかった。

今回はそんな彼女の優しさが、皮肉にもファングの思惑通りに事を進ませることになった。唯一計画に穴があったとすれば、ホープがお酒に強かったことだろう。彼女に飲ませるために注がれたお酒を全て飲み干し、酔ってしまったと嘘を吐き、ライトニングを連れて強引に店を出た。普段はほとんど飲まないようにしているから、ファングもまさかここまで飲めるとは思っていなかったに違いない。

信用されていないわけではないだろうが、ライトニングは軍人という職業柄あまり内面を曝け出そうとはしない。だから、酔った彼女を見てみたいというファングの気持ちもわからなくはないのだが、決定的に違うのはその動機だ。ホープの場合、そこには好奇心や気遣い以外に打算も含まれている。

そんなホープの心情も、少しは考えて行動してくれたらいい。普段は限度を超してお酒を飲むことのない彼女が酔ったらどんな風になるのか、実はホープは知っていた。
ちらり、とソファの上で蹲っているライトニングに視線を移す。気だるげに投げ出された、健康的な脚が目の毒だ。思わず凝視してしまっていたことに気付き、ホープはぶんぶんと頭を振った。


―――――――― ・・・水でも持ってこよう。


様々な感情を溜息と共に吐き出し、キッチンへ向かおうとしたホープを引き止めるように手を掴まれた。ここはライトニングの家で、彼女は今1人暮らし。そんなことが出来るのは、ホープを除いてこの場に1人しかいなかった。


「ホープ、離れるな・・・」


守ると言ったあの頃と変わらぬ言葉を口にしながら、ライトニングは不貞腐れた子供のような表情でホープを見あげていた。それなのに、声色だけは仕方のないやつだと言わんばかりで、思わずふっと笑ってしまう。今はあなたのほうが子供みたいですよと、心の中だけで呟いた。


「はいはい、どこにも行きませんよ。」
「なら、いい。」


聞き分けのない子供を相手にするように、苦笑しながら彼女の隣に腰掛けると、ライトニングは満足したように頷いて表情を戻した。口調は普段と変わらぬまま、しかしどこかぼんやりとした瞳は、アルコールのせいか潤んでいて、視線が合っただけで心が捕えられる。
いつもの彼女とは異なる雰囲気に、ホープは早くもソファに座ったことを後悔した。ずっと追いつきたい追いつきたいと思っていた人の、甘えたような行動につい嬉しくなってしまったが、このままでは理性が保てるかどうかわからない。・・・こんなこと、誰にも言えやしないし言う気もないが、酔った彼女はキス魔になるのだ。


「ライトさ・・っ!?」


離れた手の温度を寂しいと思う間もなく、剥き出しの腕がホープの首にまわされる。いつの間に脱いだのか、グローブもブーツもショルダーガードも、全て床に散らばっていた。“ああ、後で片付けなくちゃ”と、頭の片隅でぼんやりと思う。


「ホープ。」


名前を呼んで、ライトニングはホープの胸元に顔を埋めた。そして子猫がするように、体ごと擦り寄ってくる。熱い吐息が首筋を掠め、胸が腕に当たるその度に、言い知れぬ衝動がホープの体を駆け抜けた。
それをまるで、小さな子供が親に甘えるみたいにしてくるのだから、ホープにとってはたまったものではない。しかもこれだけで終わらないことは、過去の経験から実証済みだ。
ライトニングはいつの間にやらホープの足の間に移動し、柔らかいソファの上に爪先を投げ出している。そんな彼女の腰にちゃっかり手をまわしながら、ホープはそう遠くない過去に思いを馳せた。





ライトニングが酔ったところを初めて見たのは、確かスノウとセラの結婚式の日のことだった。
あの日、もしかしたら泣いてしまうんじゃないだろうかと思っていたホープの心配を余所に、彼女はとても気丈だった。・・・いや、今思えば気丈過ぎた。気丈過ぎて、まるで普段と変わらぬように見えたほどだ。おめでたい日だというのにあまり笑わないライトニングを、みんな彼女らしいと笑っていたけれど、あれだけ大切に想っていた妹をお嫁にやって、平静でいられるわけがない。
“お姉ちゃんのこと、お願いね?”こっそり告げてきたセラの心配は的中、それからが大変だった。

式が無事終わったあと、まっすぐ家に帰るという彼女を送って行くと、いつもはあまり食品の入っていない冷蔵庫に大量の缶ビールが用意されていた。普段限度を超えて飲んだりしない彼女は、ホープの制止を振り切って次々と缶を空にしてゆき、そして
―――――――――


“セラが・・・っ、セラがお嫁にいってしまった・・・!!!ホープ、セラが、セラが・・・っ!!”


最初はあまりの変貌ぶりに驚いて、どう扱ったらいいものかと困ったのを覚えている。ただ彼女があまりにも泣きじゃくるから、とにかく傍にいたかった。


“ラ、ライトさん!少し落ち着いてください!!・・・大丈夫ですよ、スノウはああ見えて結構頼りになる男ですから。ライトさんだって、それは知っているでしょう?”
“だが、だがセラが、セラが・・・っ!”


コクーンの敵にされたときも、未来が見えなくて不安だったときも。泣いたところなど見たこともない彼女が、子供のようにぼろぼろと涙を零している姿を見て、ホープは漸く悟ったのだ。
気丈だったんじゃない、いつも通りだったんじゃない。今日の彼女は感情を押し殺すのに必死だったのだ、と。
そうとわかると、ホープは自分自身に無性に腹が立った。多分、セラは気付いていた。だからホープに、ライトニングを頼むだなどと言ったのだ。悔しくて、情けなくて、愛しくて。気がつくと、ホープはライトニングの体を抱き寄せていた。


“・・・寂しいのに、ずっと我慢してたんですね。”
“・・・・・・・。”


彼女の手が、縋るようにホープの服を強く掴む。この日のために買い揃えた上等なスーツだったが、汚れようが皺がつこうが構わなかった。ホープはますます、彼女を抱き締める腕に力を籠める。涙に濡れた睫毛が、頼りなげに震えていた。


“・・・セラがいなくなったら、私はひとりになってしまう・・・”


セラが結婚したことで、ライトニングは自分がひとりになったと思いこんでいた。そのことに、子供っぽい嫉妬だとわかってはいても、少々むっとしてしまう。今だって、こうしてホープが傍にいるというのに、ライトニングは何よりもまず“セラ”なのだ。
セラはとても優しい人だし、ホープだって嫌いじゃない。ライトニングの妹で、スノウの大切な人だ。けれど、ライトニングのことが絡めば話は別だった。
思えば子供の頃から、セラにだけは勝てた試しがない。あの頃も彼女は口を開けばセラセラで、ホープのことを気に掛けていてはくれても、同じようには思ってくれなかった。彼女が優しげな表情で妹のことを語ってくれるその度に、どす黒い感情に胸に渦巻く。積もりに積もったその感情が、ここにきて一気に溢れ出したようだった。


“そんなことありませんッ!!”


例えセラが彼女の傍を離れても、ホープが離れることはない。それでも彼女は、自分はひとりだと言うだろうか?離れてなどやらない、ひとりになどさせてやるものかと思ったら、自分でも思っていた以上に大きな声が出た。
驚いてホープを見上げたライトニングの瞳から、一筋の涙が頬を伝って零れ落ちる。クリスタルを思わせる彼女の瞳いっぱいに、ホープの顔が映っていた。瞳の光彩まではっきりと見て取れる距離にはっとして、ホープは我に返った。


“あ・・・・そ、その・・・・・・・・・”


今更口篭っても、もう遅い。涙に濡れたライトニングの瞳が、じっとホープを見つめていた。ぎゅっと拳を握り締め、己を奮い立たせる。
いつだって、そうだった。彼女が哀しそうに瞳を伏せるその度に、伝えたくて、ずっと伝えられずにいた言葉。


“・・・・・・・・ライトさんは、ひとりなんかじゃないです。僕が、ついてます。”
“・・・・・・ホープが?”


思ってもみなかったことを言われたといわんばかりの彼女の顔を、ホープは今でも忘れることができない。あれだけ好意を態度で示してきたつもりだったのに、全く気付かれないどころか相手にもされていなかったらしいとわかって、なんともいえない気持ちになる。
けれどその一言で、肩から力が抜けたことも確かだった。ゼロからの出発なら、これ以上落ちることもない。


“・・・はい。僕がずっと、傍にいますから。”
“・・・・・・”
“・・・ね?”


俄には信じられないといった様子で、ぽかんとホープを見上げてくるライトニングに、優しく言い聞かせるように微笑んだ。あなたはひとりじゃないんだと、伝わるように。

これで彼女の寂しさが、少しでも紛らわされればいい。ぽっかり空いた心の隙間を、埋めることができればいい。そうして、できればほんのちょっとでいいから自分を必要として欲しい。

そんなことを考えていたから、やがてふんわりと花開くように微笑んだライトニングが背筋を伸ばして唇を押し当ててきたときには、何が起こったのか理解できずに思考が停止してしまった。





――――――― それからだ。
数ヶ月に1度あるかないかだが、ライトニングは酔っ払う度ホープにキスをする。最初こそ驚いて頭が真っ白になったものの、人間の適応能力というのは恐ろしいもので、何回かこういう事態に遭遇していれば自然と慣れていく。そうしているうちにライトニングは眠ってしまい、翌日になると決まって、酔っ払っていた間のことを綺麗さっぱり忘れてしまっているのだ。


「・・・ホープ。」


だから今日も、そのまま唇を重ねられても驚きはしなかった。それどころか、強請るようなライトニングの声にホープのほうからも唇を重ねる。彼女も当然といった様子でそれを受け入れた。ホープのほうから口付けを落としても嫌がらないということは、少しは好かれているのかもしれない。自分のいいように解釈していることはわかっていたが、キスのあとふわりと微笑む彼女の顔を見ていると、勘違いもしたくなるというものだ。

ホープとライトニングの間で交わされるキスはどちらも拙く、こういった行為に慣れていないことを示している。ホープとしては、こういうときくらいリードしたい気持ちがないわけでもないのだが、14歳の頃からライトニングを想い続けて他の女の子との恋愛など全くしてこなかった。
けれどその拙さが、彼女も他の誰かを知らない証拠のようで少しだけ嬉しい。幾度も幾度もそんなキスを繰り返し、繋がりは段々と深くなっていった。


「んっ、・・・は」


苦しげに息を吐き出すライトニングの吐息にはっとして、再び口付けようとしていたホープは動きを止めた。どうやら、夢中になりすぎたらしい。指通りの良い髪を撫でながら、彼女が呼吸を整えるさまを見詰めていると、思いがけずライトニングからの反撃に遭った。しかしそれも長くは続かず、唇はすぐに離れてライトニングはぐったりとホープに凭れ掛かる。

呼吸を乱し、頬を染めたライトニングはとても可愛くて、同時に不安にもなった。自分も彼女の癖を利用しているだけなのに、彼女が酔って自分以外の男にキスをする場面を想像するだけでどうしようもなく苛立ってしまう。
うっとりとした表情で自分に寄り掛かっている彼女の顎を持ち上げて、ホープは苛立ちを紛らわすように、少々乱暴に熟れた唇を吸い上げた。


「ん・・・っ、ライト、さん・・」


呼びかけに応えて、潤んだアイスブルーの瞳がホープを見上げる。明日になれば、彼女は今日のことを覚えていないだろう。わかってはいたけれど、ライトニングの額にそっと触れるだけのキスを落とし、ホープは懇願した。


「他の人にはこんなこと、絶対しないでくださいね。」


馬鹿げたこととわかっても、口にせずにはいられなかった。覚えていない約束などしても、意味を成さない。それ以前に、恋人でもなんでもないホープにこんなことを言う権利はないのだ。
・・・そう思っていたのだけれど、ホープの言葉を受けたライトニングは、彼女にしては幼い動作できょとんと目を丸くした。そして次の瞬間には、眉間に深い皺が刻まれる。


「なんだ、ホープ。お前、私が誰にでもこういうことをすると思っていたのか?」


そう言うと、不満そうに鼻を鳴らしてホープの鎖骨の辺りに軽い頭突きを喰らわせた。やがて、大袈裟な溜息が聞こえ
――――――


「お前以外の男にこんなこと、しやしないさ。」
「・・・・・・え?」


ホープは耳を疑った。自分にとって都合の良い幻聴ではないことを祈り、彼女の様子を窺おうとするが、今の位置からでは自分に凭れ掛かっているライトニングの頭部しか見えない。ディープキスだってしているというのに、たったそれだけで子供の頃のようにどきどきした。


「あ、あのライトさん。今、なんて・・・」
「ふふ・・・」


“なんて言ったんですか?もう1度言ってください。”・・・そう続けようとしたホープの言葉を遮って、身を任せたままのライトニングが小刻みに肩を震わせて笑い出す。
その様子に、もしかしてからかわれた?とホープが思い始めた頃、不意打ちのように彼女が言った。


「・・・もしかして、嫉妬しているのか?可愛い奴だな。」
「・・・っ!」


反応を返す間もなく、柔らかく細い彼女の腕に頭ごと抱き込まれる。不可抗力だが、ぎゅうぎゅうと彼女の胸に顔を押し付けられる形になって、ホープの心拍数はさらに急上昇した。


・・・・・・可愛いのは、あなたのほうですよ。


言葉には出さずに呟いて、状況に甘んじたまま彼女の背に手をまわす。こんな風に無防備な彼女に、僕だからこんなことをしているんだなんて言われてしまったら・・・






今更勘違いだなんて言われても、もう耐えられそうにない。











あ、あれ・・・?←第2弾
おかしいです、ファングに酔い潰されそうになっているライトさんをホープくんが格好良く助ける話の筈が、いつの間にその後の展開に?最早原型を成していないよ?

この話は同棲シリースと別物なので、ホープくんは合法でお酒が飲める程度の年齢で、ライトさんはセラとスノウの結婚を機に1人で暮らしてます。あと、タイトルには意味がありません。




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2010/02/06