笑顔≒無表情 驚いたことに、なんと白龍の神子は2人いた。 宇治川で、黒龍の神子である朔が連れてきた異世界の少女 春日望美の半身である―――――― ・・・。 偶然六波羅で見つけた彼女は望美の姉で、しかも陰の白龍の神子だった。 白龍によれば、八葉にも守護する四神それぞれに、天と地とがあるように 双生児として生まれてきた彼女たちは、それぞれが陽と陰を象って陰陽を成すのだそうだ。 陰の神子だからといってなにが変わるわけでもなく 八葉の宝玉も視ることが出来れば、怨霊を封印することまで出来るらしい。 だがに会って弁慶が驚いたのは、決してそんなことにではない。 望美と2人で1つである筈のこの少女は、合わせ鏡を見ているように、瓜二つな外見を除いて 全くと言っていいほど望美に似ていなかったのだ。 望美を見てきた弁慶はてっきり、白龍の神子というものは 見ていられないほど純粋で、愚かしいほど真っ直ぐで、反吐が出るほど慈悲深い。 手を伸ばせば罪深いこの身を焼かれてしまいそうな、到底自分とは相容れない存在だと思っていた。 ・・・ところがいざ蓋を開けてみれば は弁慶の抱いていた白龍の神子像と、かなり掛け離れた娘だった。 弁慶がまず感じたのは、が望美ほど笑顔を見せないことだった。 出会った当初から、望美は人懐こそうな笑みを浮かべて、いつも愛想よくしている少女だった。 ふとした弾みで異世界に飛ばされてきてしまったとはいえ それは彼女元来の明るい性格故なのだろうと、弁慶は思っていた。 ところがは望美と比べると、圧倒的に笑うことは少ない。 感情のあるようなないような、読めない表情をしていることのほうが断然多く 自分達に慣れてくれるまで、幼馴染の譲や妹である望美、そして既に顔見知りだったというリズヴァーンに 稀に微笑んでみせる程度だったのだから、満面の笑みなど尚更貴重だった。 九郎が誰かに怒鳴っていれば、彼女はそそくさとリズヴァーンの影に隠れてしまうし 兵に神子だと騒ぎ立てられそうになれば、弁慶の外套に潜ってしまうことすらある。 『すみません。先輩は少し、人見知りが激しくて・・・』 なかなか慣れてくれない彼女のことを、心配そうに相談した仲間たちに 譲がそう説明していたのを思い出した。 望美が鈍感ともとれる純真さを備えているのに対し、は過敏ともとれる臆病さを抱えていた。 弁慶がほんの少し、本性を言動に上乗せしてやれば 藪蛇とばかりにビクリと体を震わせて、慌てて後ろに飛び退くくせに 怖いもの見たさの好奇心で、こちらの手の内を探ろうとする、その反応が面白い。 勘が鋭いとでも言うべきなのか、常にこちらの様子を窺っているわりには 無駄に仕掛けてくるようなことはせず、境界線を侵すようなことも決してしない。 いっそのこと、罷り間違ってあと一歩踏み出してくれれば楽なのに。 さすがは、あのヒノエが可愛がっているだけのことはありますね・・・面白い。 それが弁慶の、という少女に対する率直な感想であった。 今は互いの正体も思惑も見えない、細波のような駆け引きを楽しませてもらっている。 望美が相手では、決して出来なかったことだ。 彼女はあまりにも純粋で、境界線を境界線とも思わず踏み込んでくるから 弁慶が距離を保とうとするだけでも大変だ。 「さん、ちょうど良かった。」 偶然見つけたふうを装って、背後からそう声を掛ければ 朔に向けて笑顔を見せていたの肩が、僅かにビクリと跳ね上がった。 ・・・彼女からは、僕に近い匂いがする。 言うなれば、それは夜の闇に紛れるような・・・・・・ ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● はヒノエの叔父にあたる、武蔵坊弁慶という男が、たまに苦手だと感じることがある。 いや、苦手というのは間違いで、正確に言えば怖いのだ。 普段はにこにこと人の良さそうな笑みを浮かべて、酷く丁寧な物言いをしているのに その中にときどき、ふっと冷たいものが混じっている感じがする。 あの見事すぎる笑顔を剥ぎ取ったその裏に、なにがあるのかわからなくて怖い。 言い換えるならあれは、女の人を騙すときの・・・魅了しようとしているときの、ヒノエと同じ顔だ。 女の人は大事な華だと言っておきながら、飽きれば迷いもなく切り捨てる。 それって結構残酷だと思うのだけれど・・・彼はいつも『女性には優しくしないと』と言っている。 だからきっと弁慶にも、似たような冷酷さが隠れているに違いない。 ただヒノエと違って、それが女性に対して向けられる・・・というわけでなくて もっとずっと年季が入っていそうで、それは空恐ろしいものがある。 思えば初めて会ったときから、彼にはそれを感じていた。 の中のなにかが告げるのだ――――――― ・・・彼はヤバイと。 近寄ってはいけない、触れてはいけない、この人は底知れない。 そう感覚が告げているのに、ヒノエの血縁であるせいだろうか? 彼は時折、ヒノエに似ていると思わせるところがあって その計り知れないところを除けば、弁慶は唯一の事情を知る人物でもあり 気兼ねせずに付き合える彼は、寧ろ好ましい部類に分類された。 弁慶という男には決して越えてはならない、瞳に見えないボーダーラインがあると思う。 それは例えるなら、野生の動物を捕えるための罠に似ていて 好物を置いておいて、食べに入ったらがしゃりと入り口が閉まってしまう檻だとか 踏み込んだ瞬間足に絡み付いて、もがけばもがくほど抜けなくなるロープとか、ああいうものに似ている。 周囲に綺麗に溶け込んでいて、なにも危ないことなんてないように装っているくせに 時折まるで誘惑するように、穏やかな笑顔と優しい態度を餌にして、獲物を呼ぶ。 ・・・その魅惑的な姿に、ふらふらと近づいたら最後。 たった一歩でも、その線を越えて向こうの領域に踏み込めば、もう引き返せない。 そういう罠が仕掛けられていそうな感じが、弁慶からはする。 それでも彼の傍にいて居心地の良さを感じてしまうのは きっと彼の放つ雰囲気が、どことなくヒノエに似ているから。 ・・・だからどこか気が緩んで、安心してしまうのだと思う。 そこですっかりヒノエに依存している自分に気付いて、は少し可笑しくなった。 思わず苦笑を漏らすと、突然笑い出したに、朔が不思議そうに首をかしげる。 「どうしたの?。」 「いや。・・・少し、思い出し笑いをしていた。」 「ふふっ、貴女がそんなことするなんて、珍しいわね。」 朔が笑って、もやっと見せられるようになった笑みを返す。 朔の笑顔は安心する。弁慶のように、二重にも三重にも蓋をして隠された“冷たさ”がないから。 けれど弁慶だって、こちらがルールを守れば“いつも笑顔を湛えた優しい人”を崩さないし 必要以上に干渉しても来なければ、こちらに踏み込んでくることもない。 は、なんだかんだいって弁慶と一緒にいることが多い。 譲は必ず“望美の傍”のポジションを取っているし 望美の傍にいれば自然と人も集まってくるから・・・彼女には悪いけれど、出来れば遠慮したかった。 八葉と呼ばれる、白龍の神子を守る役割を担った面々は、酷く個性的な人間ばかりだ。 たとえば戦奉行の肩書きを持つ景時は、そんな固い肩書きを持つくせに、いつも軽いノリを崩さない人だし そうかと思えば、もう1人の八葉である九郎は本当に実直な人で、感情を隠そうともせずそのままぶつけてくる。 嫌な人ではない、嫌いでもない・・・けれどたまに、はそれがもの凄く疲れる。 人に強い感情をぶつけられるのは、好きではない。 それに対し、弁慶はあまり感情をぶつけてはこないから、は彼といるほうが安心する。 普段の彼は優しくて怖くない、それにヒノエも何かあれば彼を頼れといっていたし・・・ 怖いはずなのに安心するなんて、自分でも矛盾していると思った。 だからは弁慶と一緒にいながら、決して彼の領域には踏み込まないよう、注意して過ごしてきた。 ・・・けれど最近、弁慶に関して1つ気が付いたことがある。 どうも弁慶はそんなに気付いていて、ボーダーラインをちらつかせては 距離をとる自分をからかって、遊んでいるような気がするのだ。 ・・・そういうところは、実にヒノエそっくりだ。いや、ヒノエが弁慶にそっくりなのか。 「さん、ちょうど良かった。」 ・・・絶対に彼は、声をかけるタイミングを見計らっていたに違いない。 彼の声はにそう感じさせるのに十分な、どこか笑いを噛み殺したような声色だった。 「・・・弁慶。」 「あら弁慶殿、外へ出かけていたのでは?」 振り返ると、そこには予想通り笑顔の弁慶がいた。 けれどその笑顔がいつもと違うのは、柔和な笑みの中に 話をはぐらかすときのヒノエのような、そんな性質が潜んでいること。 「・・・おや、朔殿とご一緒でしたか。ええ、たった今帰ってきたところです。 けどそれじゃあ、僕は出直したほうがいいのかな。」 「・・・朔とは、少し話をしていただけだから・・・それで、に何か用か?弁慶。」 「ええ。実は先日の怨霊との戦いで、薬を使い切ってしまいまして。 それでこの機会に、出来るだけ多く作っておこうと思ったのですが・・・ 出来ればさんに、そのお手伝いをして頂けないかと思っていたんですよ。」 はその器用さを買われて、よく弁慶の手伝いをしていた。 いや、実際には器用というより、薬を調合する作業が好きなのだ。 乳鉢で薬草をすり潰したり、言われた分量ずつ混ぜたり・・・自慢ではないが、得意科目は理科だった。 は、ただぼうっと薬草をすり潰しているのが好きだった。 戦の中に身をおいている者として、そういう心休まる時間は貴重だ。 ・・・ただ、手伝いをする際のリスクといえば ともすれば弁慶のボーダーラインに触れてしまう可能性があることだったが・・・。 「わかった、手伝う。」 こくりと頷けば、弁慶はまたも笑顔で微笑み返した。 ・・・同じ筈の笑顔に、これほどまでにたくさんの種類があるのだと はこの人に会って改めて思い知らされた。 「では朔殿、少々さんをお借りしますね。」 「ええ。またあとでね、。」 「うん。」 弁慶のあとに続いて、少し廊下を歩き。 喧騒から遠ざかったところで、前を見つめたまま弁慶が言った。 「・・・命と八重が来ていますよ。」 「うん、わかっている。ありがとう、連れ出してくれて。」 「いえいえ。このくらい、どうってことはありませんよ。」 そんなことを話している間に、門の近くまで辿り着く。 恐らく命と八重は、外でが出てくるのを待っているのだろう。 「・・・では、はいく。」 「さん。」 「なに?」 「僕の手伝いをしていただきたいのも本当ですから 話が終わったら僕のところへ、なるべく早く戻ってきてくださいね。」 『僕のところへ―――――― ・・・』 にっこり笑う弁慶の笑顔はさっきよりも、隠し持った何かが表面化しているような気がした。 ・・・・・・それはつまり、逃げるなということだろうか? 「・・・・・・わかった。」 ・・・ボーダーラインスレスレの攻防は、未だ終わりそうにない。 |
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戯言。 奇妙な弁慶との関係です。うちの2人は、こんな感じが根底にありマス。 彼女はヒノエとの関係も妙なんですが、それとはまた違った奇妙さでいこうかと。 一緒にいる時間も多くて、仲はよさそうに見えるし 実際悪くもないんですが、水面下で妙な駆け引きがあったりする。 黒いところがある弁慶と、それに気付いてしまって警戒すると。 仲は良いけれど、ときどき静電気を飛ばしあうみたいな関係にしてこうと思ってます(どんなだ) |
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