05.間接キス 「頭領がお戻りになったぞ!」 そんな声が玄関先のほうから聞こえてきたが 囲炉裏のまん前を陣取っていたは、素知らぬ顔でお茶を啜った。 今日ヒノエは、熊野別当としてのきちんとしたお仕事があったらしい。 以前1度、はヒノエの“ちゃんとしたお仕事”とやらについて行ったことがあるが それはそれは暇だったので、以来同行を辞退させて頂いている。 そんなわけで、今日は珍しくヒノエ1人が出ていた。 本来ならば、はヒノエを出迎えにいくべきなのだが・・・・・・今はなにより寒い。 なにしろ、もついさっきまで外に出ていて、ほんの少し前部屋に入ってきたばかりなのだ。 芯まで体が冷え切って、やっと温まってきたところなのに、再度体を寒さに晒したくはない。 トントントン、と。規則正しい誰かの軽い足取りが、廊下を歩いてこちらに近づいてくるのがわかる。 足音が止んだと同時、はやってきた人物が硝子戸を開けるのを見計らって、背後を振り返った。 「おかえり、ヒノエ。」 「・・・あぁ、ただいま。今帰ったよ。」 戸を開けると同時にかけられた声に、ヒノエは一瞬面食らったような顔をしたが 声の主がだと知るとすぐに、部屋に入り込みながら返事を返した。 それからじっくりを見やり、軽い溜息雑じりに呟く。 「・・・お前、何枚羽織ってんの?」 言いながら、ヒノエは少し場所を開けろと手で合図する。 ・・・そう、がヒノエを出迎えに行かなかった理由はもう1つあった。 ずっと人気のなかったこの部屋は底冷えしていて 最初は火をつけてもなかなか温まらなかったので、はありったけの着物を引きずり出し いつもヒノエがしているようにそれを肩に羽織って、何重にも引っ掛けていたのだ。 自身も流石に着過ぎだろうとはわかっているのだが これだけの着物を肩から羽織るのは、うまくバランスがとれずになかなか苦労した。 ・・・つまり。立ち上がると折角上手く羽織った着物が、全部ずり落ちてしまう。 そうしたら、またあくせくと頑張って着物を羽織りなおさなければならない。 それが嫌だったから、は囲炉裏の前から動こうとしなかったのだ。 それでも、自分よりもっと寒い思いをしただろうヒノエのために はズルズルと着物の裾を引き寄せて、一生懸命場所を空けた。 「ありったけ。」 「・・・ったく。オレが折角お前に似合いそうな着物選んだって言うのに、こんな用途にしか使わねぇんだから。」 ヒノエはつまらなそうにそう言って、の隣にどっかり腰を降ろした。 それを見届けて、もう一口・・・とが湯飲みに口をつけたとき。 の腕を、まるで氷のように冷たく冷え切ったヒノエの手が、がっちりと掴んだ。 「うひゃあああーーーッッ!?」 その冷たさに、は思わず叫び声をあげる。 触るよ、と申告されていたならまだしも、唐突のことだったから余計に驚いたのだ。 「ヒっ、ヒノエっ!!!手、冷た・・・ッ!!!」 「・・・そりゃあね、外は寒かったから。」 恐らくヒノエは、いつも他の女の子を口説くように、暖めてとでも言おうとしたのだろう。 口を開きかけたヒノエだったが、ふとの手の中に納まっている湯飲みが目に留まった。 「・・・お、ちょうどいいじゃん。そのお茶頂戴。」 「あっ・・・!!」 そう言うなり、ヒノエはの返事も待たず、の手からひょいっと湯飲みを奪い取った。 これでもかと言うほど着物をめいっぱい羽織っていたは、着物の重さですぐには身動きが取れない。 がもぞもぞともがいている間に、ヒノエは勢いよく湯飲みの中のお茶を飲み始めた。 「・・・のお茶、が・・・」 そうしてしばらくの間、名残惜しそうに湯飲みを見つめていただったが ついにヒノエが最後の一滴まで飲み干してしまうと はぁ、と小さく溜息を吐いて、恨めしそうな顔でヒノエを下から見上げた。 「・・・ごちそうさま、おいしかったよ。」 「・・・・・・ヒノエ、意地汚い。なにもの飲みかけを飲まなくても、新しく淹れればいいのに。」 「別にいいだろ?お前はそんなに暖かそうな格好で、囲炉裏の前を独占してたんだからさ。」 ヒノエがカラカラと笑ったとき、パチッと囲炉裏の火がはぜた。 彼の真っ赤な髪の毛が、囲炉裏の炎に照らされて赤みを増したように見える。 そんな風に思って、がヒノエをじっと観察していると 突如彼は口元を吊りあげて楽しそうに笑い、それから茶化すように口笛を吹いた。 「――――――― ・・・それとも。今更オレと同じ湯飲みで飲むのが恥ずかしいとか言うのかな?」 「言わん。」 喉を痛めたカラスのような、変な声が出そうになるのをぐっと我慢して はきっぱりすっぱり言い放った・・・これは、ヒノエの悪いクセだ。 女の人とみれば、彼は誰構わず口説き文句をぶちまける。 それはに対しても、決して例外ではなかった。 だがヒノエに拾われたばかりの頃。 何か特別な事情があって男のふりをしているのだろうと 皆に勘違いされていた経緯を持つは、それが訂正されるまでの間 当の本人は良くわかっていなかったが、少年扱いを受けていた。 多少、他の男連中よりは甘かったけれども、それは勿論ヒノエにもだ。 だからだろうか?さすがのヒノエも、ほんのちょっと前まで男として扱っていたを いきなり態度を急転させて、女の子扱いするのは難しかったのかもしれない。 こうしてたまに軽口を叩くものの、おはようの代わりに口説くなんてことはなかった。 最もは、熊野別当としてのヒノエの方が 女の人を口説いて回っているヒノエより好ましいと思っているので、これは却って好都合だった。 熊野別当としての顔を知り、そんなヒノエを素直に凄いと思っているからこそ 口説きの常套文句を次から次へと口にする彼を見ると、どうもただふざけているようにしか見えないのだ。 「・・・・・・。」 「・・・あ。拗ねるなよ、。」 いつのまに、それが表情に出てしまったのだろうか。 むっつりとして黙りこくってしまったを見て、すかさずヒノエが言った。 「・・・拗ねてなどいない。」 いかにも拗ねてます、と言わんばかりの口調でが呟き それにヒノエが苦笑を漏らしていると、硝子戸がガタガタと音をたてて動く。 その音に、2人は一斉にそちらを振り返った。 「―――――――― ・・・頭領、温かいお茶をお持ちしました。」 入ってきたのは命だった。彼と、彼の相方である同じ烏の八重は 近頃のお目付け役として、屋敷にいることが多くなった。 勿論彼等が優秀な烏であることに変わりはないので、諜報活動を怠っているわけではないが。 「・・・みっちゃん、遅い。」 「さん?」 首を傾げる命に、は未だヒノエの手の中にある湯飲みを指差した。 「のお茶が、全部ヒノエに飲まれてしまった・・・」 言って悔し紛れに、囲炉裏に溜まった灰を火箸で突く。 の不貞腐れた仕草を見て、命が溜息を吐いてヒノエを見ると ヒノエはそらとぼけた表情をして、わざとらしく口笛なんか吹き始めた。 「頭領・・・先程お茶をお持ちしますと、私が申し上げたでしょうに・・・」 「仕方がないだろ?お前を待つより、断然早いんだからさ。 ・・・それにが口をつけた湯飲みで飲めるなら上等だし・・・ね?」 の反応を楽しむように、ヒノエは自分の唇をペロリと舐めあげて、に目配せする。 全く悪びれた様子のないヒノエに、はなんとかして一泡吹かせてやりたいと思った。 「・・・みっちゃん!そのお茶はが飲む!!」 今度こそは、肩に掛けた着物がずり落ちるのも構わず 命の手にしたお盆の上の湯飲み目掛けてサッと手を伸ばし、毟るように奪い取った。 すぐさまコクコクと飲み始めたを見て、今度はヒノエが声を荒げる番だ。 「あっ、おい!一人で飲むなよ!」 「・・・ヒノエはさっき飲んだじゃないか!まだ飲むの!?」 「飲ませてやる、飲ませてやるから全部飲み干そうとするなって!!」 が勢いよく3口飲めば、ヒノエが慌てて湯飲みを奪い返し 彼女に飲まれる前にとばかり2口飲む。それをがまた取って・・・しばらくそんなことの繰り返しだった。 と一緒になってぎゃあぎゃあ喚くヒノエの姿は、熊野別当には到底見えない。 2人の子供のような言い争いに、命はこっそり微笑んだ。 「・・・・・・ちょっと、なんの騒ぎ?」 ところが、2人の争う声は部屋の外にまで響いていたようだ。 その騒ぎを聞きつけて、ひょっこり顔を覗かせたのは 眉間に皺を寄せて、不機嫌を隠そうともしない八重だった。 彼女は昨日の仕事が深夜まで続き、徹夜明けのせいか朝から機嫌が芳しくない。 それを知っていたはずなのに、今2人の頭からそんなことはすっかり抜け落ちてしまっていた。 「やっちゃん!聞いてよ、ヒノエがのお茶を・・・」 「けど、それはオレのだろ?少しはオレにも飲ませろって。」 たったそれだけで大体の事情を察知したのか 八重は途端呆れ顔になると、次にこめかみの辺りをヒクヒクとさせた。 「あーっ、全く持ってくだらないっ!! 、あんたもいつまでもしつこく言わないの!それがいい女の条件ってものよ! 頭領も!もう子供じゃないんですから、のお茶取ったりしないでください!いい!?わかった!?」 ・・・八重の物凄い剣幕に気圧されて ヒノエとは湯飲みを取り合っている体勢のまま固まり、大急ぎでコクコクと頷いてみせた。 「返事はッ!?」 「「は、はいっ!!」」 声を揃えて返事をすると、八重はそれで満足したのか フン!と荒く鼻息を吐いて、今度は命に向き直った。 「それから命ッ、あんたもよ!!こんなことにならないよう、きちんと準備しておきなさいよね!! これだからあんたはいつまで経っても・・・!!」 あまりのことのくだらなさに怒髪にきた八重の怒りの矛先は 行く先を思いあぐねて、結局全て命にぶつけることに決まったらしい。 八重が命に、素晴らしいとしか形容出来ないほど見事な怒声を浴びせ掛け 屋敷にはまるで八岐大蛇でも現れたかのような、咆哮によく似た怒鳴り声が轟いた。 一方的で理不尽なそれに、ついに我慢ならなかったのか、命が反論し始めた頃。 2人がヒートアップしたために、すっかり冷静さを取り戻したとヒノエは この寒さの中、囲炉裏から遠く離れた部屋の隅っこで 2人寄り添って座り、互いの体温で暖を取りながら 自分達が引き金となって起こしてしまったこの騒動を静観していた。 「・・・ヒノエ。」 「ん?」 「・・・・・・お茶、飲むか?少し、冷めているけれど。」 「じゃあ、一口ずつってことで。・・・今度は半分にしような?」 「・・・・・・・うん、わかった。」 これ以上八重を怒らせないように、ヒノエとは仲良くお茶をすることにした。 |
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戯言。 書いている本人もなにが書きたいのかわかりません。 とりあえず間接キス、お題達成です。 なんというか・・・うちのヒノエは本当にヒノエじゃないですね(汗) ヒノエってネタはポンポン浮かぶんですけど、書き難いです。 なんかこう・・・気を抜くと転がり落ちるように年齢制限入っちゃうようなきがして(爆笑) それに気をつけながら書くと、こんな感じに偽ヒノエになるという恐ろしい罠。 ・・・この2人に恋愛関係は望めるのだろうか、謎。 |
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2005/01/26