「姉さんっ・・・!待って、姉さん!!」


祈るように、懇願するように。私の名前を呼ぶ陸の、切なげな声。
私に向かって伸ばされる、小さい頃とは違う、大きな掌。
けれどその声は幼い頃、学校に行きたくないと泣いていたそれと変わらない。


「陸・・・っ」


今にも泣き出してしまいそうなその声に、けれど私は応えることは出来なかった。
本当は、今すぐ抱き寄せて安心させてやらなければいけないのに、ただ声を詰まらせて名前を呟くことしかできない。


「姉さーーんっっ!!!」


身を切り裂かれるような声で叫ぶ陸に、私は強く手を握った。



(・・・・・・陸、こんな姉さんでごめんね。)









遮る白、揺らぐ緋









咽返るような暖かい風、青く澄み切った空、長く生い茂った草木。
茹だるような暑さは、けれどこの村にとってはとても貴重な、やっと訪れた夏だった。

豊玉姫の怨念を打ち破り、真緒姉さんを取り戻した日から、少しずつ全てが元通りになってゆき、なにもかもが正常に動き出す。
もう母さんはいないけれど、これで真緒姉さんとあたしと陸と。仲良く暮らしていたあの日々に、戻れるのだと、そう思っていた。



―――――――― ・・・のだが。



(どうしてこんなことになってるんだろう・・・)

何故か今、私は村から外に出る唯一の道にいた。
道とは言っても草が刈ってあるだけで、元々あまり利用される道でもないから、人通りだって少なくて、五月蝿いくらいの蝉の鳴き声と、乾いた2人分の足音以外何も聴こえない。
加えて見通しが良い分日差しは強いし、そんなわけだから決して歩きやすいとも言えなかった。

・・・そんな道を、溶かされてしまいそうな日差しを一身に受けながら尚、涼しげに歩く人物がいる。
その涼しげな外見に反して、口を開けば憎まれ口ばかりしか叩かない彼の無言が恐ろしくて、私は意を決して声を掛けた。


――――――― ・・・あの、克彦さん。」

「・・・なんだ?」


すると案の定、言いたいことがあるならさっさと言えと言わんばかりの、ぶっきらぼうな返事が返ってくる。
その強い口調に少し怯んだものの、これ以上沈黙に耐えていられる勇気もなくて、私は必死に言葉を続けた。


「あの、なにもここまでしなくたって・・・・・・」

――――――――― ここまで?」


棘のある声が頭上から降ってきて、彼は今その端正な顔を歪めているのだろうと、見上げなくとも想像が付く。
思わずビクリとしてしまうと、続いて浅い溜息が聞こえた。


「・・・ここまでしなければ、陸はいつまで経ってもお前を放そうとはしないだろう。だから俺は、以前宣言した通り、お前を奪ってでも連れて行く。・・・なにか問題があるか?」


問題はあるかと尋ねられて、けれど咄嗟に言葉が出ない。だって、順番としては間違っていないのだ。
勾玉を破壊してからしばらくして、克彦さんは記憶のない真緒姉さんに改めて挨拶をしに来た。
まさかそれが、突然“妹さんを戴きたい”なんて胸を張って言われるとは、陸も晶も私も思っていなかったけれど、そうして自分が里に帰るときには連れて行くと、克彦さんは宣言した。
私も照れながら、それを了承して――――
・・・


「全く。重森といい陸といい、四六時中お前の傍から離れようとしない。過保護もいいところだ。」


けれどそのことが、また別の問題を起こさせた。
陸が、私の傍を離れなくなったのだ。晶もなんだかんだ言って、前より一緒にいることが多くなった気がする。
でもそれは玉依姫の生贄システムが消えて、学校のみんなが普通に接してくれるようになったからだと思っていたのだけれど、克彦さんに言わせるとどうも違うらしい。

そうして業を煮やした克彦さんは、今朝うちにやって来るなり、文字通り私を“奪って”ここまで連れてきたのだ。


「それにしてもお前もお前だ、少しは弟離れしたらどうだ?その歳にもなって、べったりな弟と幼馴染がいるという現状に疑問を持て。」


・・・怒りの矛先が、私に移ってしまった。こうなってしまった克彦さんは、誰にも止められない。
経験上、反論しないことがもっとも早い解決法だと知っている私は、最低限の望みだけを口にすることにした。


「・・・じゃあ、せめて降ろしてください・・・」


言いながら、私は宙に浮いたままの手足をじたばたと動かす。
――――――― ・・・そう。家でそろそろ片づけをするかななんて思っていた私は、訪ねて来た克彦さんを玄関まで迎えに出たそのときの格好のまま連れて来られた。
靴を履く暇もなく、克彦さんに抱きかかえられたままずっと、家からここまでやって来たのだ。


「暴れるな、落とすぞ。」


そうは言っても、克彦さんが私を降ろす気配はない。
視線は私に向けられることもなく、真っ直ぐ前を見据えたままだ。


「落とさないで、降ろしてください。」

「・・・・・・・そうやって俺から逃げて、家に戻る気か?」

「そんな・・・私、逃げたりしません。」

「さて、どうだかな。」

「克彦さんっ・・・!もう、本当です!私は逃げたりしませんっ。」

「・・・そうか?それにしては、さっきも随分陸の傍に行きたそうだったじゃないか。」

「・・・・・・。」


そこでふと違和感を感じて、私は口を噤んだ。
もしかしたら、克彦さんは怒っているわけじゃないのかもしれない。

私は腕に抱かれたまま、こっそりと克彦さんの顔色を窺った。
空のように青く海のように深い色を湛えた瞳には、以前天蠱を追っていたときのように、ギラギラした光はない。
けれど不満を隠そうともしないそれは怒りと言うよりも、不貞腐れているとか、拗ねていると言ったほうがしっくりくるかもしれない。
・・・こんなことを言ったらまた怒られてしまいそうだが、構ってやらなかったときの陸とそっくりだ。


「・・・・・・っ」


そこまで考えて、自惚れている自分にかっと頬を熱くなる。
・・・私だって、こうして克彦さんと一緒にいられるのは、別に嫌じゃない。
突然すぎるんじゃないかとか、もう少し遣り方があったんじゃないかとか、ちょっとでもそういうことを思ってしまっただけで、寧ろ
―――――――


「・・・なんだ、もう終わりか?」


すると、黙りこくった私に疑問を持ったのか、克彦さんが声を掛けてくる。
胸元であわせた手をぎゅっと握って、私は勇気を振り絞った。


・・・・は・・す・・・

「?」


掠れた声しか出ない、克彦さんが首を傾げるのが気配でわかった。


「・・・陸は、大切な家族です。でも私が好きなのは克彦さんだから、克彦さんから逃げたりなんか、絶対にしません。」


すると突然、それまでなにを言っても止まってくれなかった克彦さんが、ぴたりと足を止めた。
蝉の鳴き声が、ヤケに耳につくようになる。・・・あぁ、もっと鳴けばいい。そうすれば、少しは私の言葉を隠してくれるかもしれないから。


「克彦さんと、一緒にいられるのは・・・・・嬉しいから。」


どんどん加速していく自分の鼓動の音ばかりを聞きながら何とか言い切ると、途端克彦さんは進路を変え、道の小脇の生い茂る草の上にそっと私を降ろしてくれた。爪先が、柔らかい草に触れる。
私はここまで運んで貰ったお礼を言おうと顔を上げて
――――――


「克彦、さん・・・?」


克彦さんのつくる影が、私に降り注ぐはずだった太陽の日差しを遮る。
ゆっくりと私と克彦さんの影が1つに重なって、彼の吐息が頬に掛かるまで顔が近くなった。


「珠洲。」


名前を呼ばれて、軽く顎を持ち上げられて、上を向かされる。
抗おうと思えば振り解けるほどに弱い力なのに、私はそれに逆らえない。


「ん・・・っ」


やがてそっと触れた唇は、夏の日差しにも負けないくらいに熱を帯びていた。
幾度も重ねられるそれに、唇を伝って克彦さんの熱が移される。頭がぼーっとしてきた、自分の足で立っているのも辛くなって、克彦さんの胸に身体を預ける。
そっと力を抜いた私に、克彦さんが滅多に見せない優しい表情で微笑んでくれて
――――― ほら、やっぱり私が克彦さんから逃げられるわけない。
こんなにも、傍にいたいのに・・・そう思って、私は瞼を閉じる。克彦さんの髪が、頬に落ちた。


「・・・・・・・・・あのさー。邪魔して悪いんだけど、兄貴もねーちゃんも俺の存在忘れてねぇ?」


私の靴を持った小太郎君にそう声を掛けられて、はっと我に返ったのは、それから数分後のことだった。









戯言


勢い任せに書いてしまいました。翡翠の雫初の、克彦×珠洲です。
EDで奪ってでも連れて行くとと不穏なことを言っていたので、こんな話になりました。

他のどのルートを辿っても、守護者を結束させるのに1番の難関となる彼ですが、その彼のルートの入ったときの豹変ぶりが好きです。
いつのまにか晶よりも、珠洲守るから協力しろみたいなこと言っている辺りとかが、最初と矛盾ありすぎて好きだよ(歪んどるな)

本当は壬生の里に行ってからのお話もあったのですが、一晩寝たら忘れました(笑)





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2006/08/15