―――――― この世界に残って数ヶ月。 ここに残ると決めたとき、それまでいくつもの策を授けてくれたあの本は、音もたてずに消えてしまった。本がなければ、所詮普通の女子高生にすぎない花は、なんの役にも立てない。 それでも元の世界ではなく、孔明の隣を望んだあのとき、花は本がなくてもこの世界で生きていくことを決めた。 今は本当の意味で孔明の弟子として、彼に教えを乞うている。軍略に関する知識から、日常生活で疑問に思った些細なことまで。花が異世界からきたことを知っているから、他の人に尋ねたら呆れられてしまいそうなことも、聞けばきちんと答えてくれる。 時折家族を思い出して寂しくなることもあるし、まだまだわからないことのほうが多いけれど、孔明のあとについてまわる毎日が、花は好きだった。 これまでも、孔明のほうからひょっこり顔を出してくれることは度々あったけれど、こんなに長い時間一緒にいることはなかったから、ふとした瞬間彼が隣にいることが、こんなにも嬉しい。 本当は、こんなこと思っちゃいけないんだろうけど・・・ 今こうして、花が1日中孔明と一緒にいられるのは、花がまだまだ1人では役立たずで、勉強不足だからだ。本当は早く1人立ちして、孔明や玄徳の役に立たなければいけないのだとわかっている。それでも花は、なにより孔明と一緒にいられることが嬉しいのだ。 |
□ 往き、解ける □ |
季節は、冬から春に移り変わるころ。現代っ子の花には厳しい、肌を刺すような寒さも薄らぎ、窓から差し込む陽の光を力強く感じるようになった。 日がな一日孔明と部屋に籠もって、外に出ることの少ない花はそれくらいの実感しかなかったが、春が近いのだろう。手をつけている仕事が一区切りつき、ふと新鮮な空気を吸いに廊下へ出たときそう思った。 「・・・あぁ、随分陽気が春めいてきたね。」 まるで、花の思考をなぞるように呟かれた声に振り返ると、いつの間にか孔明が傍までやって来ていた。 「師匠。」 「・・・とは言ってもまだまだ風は冷たいから、きちんとなにか羽織りなさい。」 小さな子供に言い含めるような口調で言って、仕事をするのに邪魔だからと花が脱いだ上着を、そっと肩に掛けてくれる。 添えられた掌は思いのほか硬く、難なく花の肩を覆っていて、男の人を感じさせるそれに思わずどきりとした。 勿論花だって、孔明が男の人だということを忘れているわけではない。けれど武器を持って戦うことをしない孔明は、玄徳や雲長に比べるとやはり華奢で、彼の纏っている雰囲気と相俟って、どうにも普段は男の人だという危機感が湧かないのだ。 ・・・ただそれも、本人に言わせると“そういった感情を隠すのが上手くなっただけ”、らしいのだが。 「ただでさえ君はここの気候に慣れていないんだから、でないと風邪引くよ?」 孔明は元々スキンシップの多い人で、それは恋人同士になってからも変わらなかった。彼はこれまでと変わらず花に接してくるけれど、花はこれまでと同じようになんて到底することができない。 変わったのは孔明ではない、花だ。 孔明のことが好きだとはっきり自覚してしまったら、戯れのようなスキンシップも、ふとした瞬間触れる手も、気にせずにはいられない。 羽織に袖を通すのに託けて、さり気なく距離をとろうと試みるも、見透かしたようなタイミングで、逆に引き寄せられてしまった。孔明のことだから、実際こちらの考えなど見透かされていたのかもしれない。 離れるどころか、熱を分け与えるように益々密着する体に、先に耐えられなくなったのは花のほうだった。 「わ、私だって子供じゃないんですから、それくらい平気です!」 「・・・そう?こんなに顔が赤いのに?」 多分、耳まで真っ赤になっているであろう顔を隠すように俯けば、恥ずかしがっているのだとわかっているのに覗き込み、挙句花の頬をその掌で包み込む。 恥ずかしさのあまり身動きがとれなくなった花が、せめてもの抵抗に強く目を瞑れば、すぐ近くでくすりと笑う気配がして、花は今度こそ逃れるように孔明の体を押し返した。 「し、師匠のいじわるっ!絶対、私が恥ずかしがってるってわかっててやってますよね!?」 「だって、君は子供じゃないんだろう?だったら、それ相応の対応をしないとね。」 「相応の対応って―――――――」 「暖める方法にも色々あるよ?ボクと君は、恋人なんだしさ。」 「!」 ―――――― 恋人。 孔明が最後に付け加えた一言は、花から抵抗する意思を奪うのには十分で。再び肩を抱き寄せられて、孔明の指が髪の一房をくるりくるりと弄んでも、もう花は恥ずかしいとも、逃げようとも思わなかった。 そんなこと、考える余裕もない。孔明はいつだって花のことを第一に考えてくれている。 それはわかっているつもりだったけれど、そのせいか花の足かせにならないよう遠慮している節があって、あまり言葉や行動で花を縛ろうとはしない。それに比例して、はっきり恋人だと明言することなんてほとんどなく、大切にしてくれていると思えば嬉しい反面、物足りなくも思っていた。 やがて、ゆっくりと孔明の唇が額に落ちてくる。思わずびくりと肩を震わせると、あやすように背中をさすられ、その掌の温度に安心して、熱を帯びた思考に意識を委ねた。 頭がぼんやりして、考えがまとまらない。一旦こうなってしまうと、普段なら恥ずかしくてどうしようもないようなことも、どうでも良くなってくる。 胸に添えた手で孔明の上着に皺を作って、強請るように彼を見上げると、孔明は一瞬驚いたように目を見開いて、それから仕方がない子だといわんばかりに苦笑した。静かに瞼に落ちてくる唇を、そっと受け止める。 「ねぇ、君からはなにもしてくれないの?」 “ボクも、大分体が冷えちゃったなぁ”なんて空っとぼけた調子で言うから、花は恐る恐る孔明の背に腕をまわした。孔明が、花を望んでくれていることは知っている。けれど今の花には、これが精一杯だ。 絶対、今顔見せられない・・・ 花がこういったことに慣れていないと知っているから、孔明も決して無理強いはしない。応えるように、花を抱き寄せる孔明の腕に力が籠もり、それだけで花の体温は急上昇した。恥ずかしくて、でもそれよりも離れたくない気持ちが勝って胸に顔を埋めた花の頭を、くすくす笑いながら無骨な指が撫でてゆく。 「さて、これで少しは暖かくなったかな?」 ぽんぽんと頭を叩くのは、これで終わりの合図。弟子の頃にも良くしてくれた仕草は、さっきまでと少し違って、花をどきどきさせないように触れているのだとわかる。 感情を読ませない笑顔は余裕綽々といった風で、やっぱり子供扱いされているような気がした花は口を尖らせて言った。 「・・・暖かく、ありません。まだ全然、足りないです、孔明さん。」 その言葉が、孔明の理性をあっさり崩壊させてしまうだなんて、露ほども思わずに。 |
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個人的にはよくあることなのですが、書いているうちに原型を留めなくなった師匠×花です。 収拾がつかなくなったので、もういっそ別の話としてまとめることにしました。それにしても、本当に跡形もないな。 ノーマークだったのにがっつり師匠にはめられました。タイムパラドックス系、ツボなんですよ(笑) あまりに好きすぎて、他のカップリングがあんまり読めません、困りました。 花ちゃんが他の男と幸せになっているその頃、師匠がどうしているかと思うと死ぬ・・・!! |
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2010/04/25