竜の愛し子

1.赤い翼






がセシルの帰還を知ったのは、巡回の帰りだった。
顔馴染みの門番が、任務を終えた赤い翼が無事にミシディアから戻り、たった今部隊長であるセシルがここを通ったばかりだと教えてくれたのだ。

今から追いかければ、まだセシルに追いつくことが出来るかもしれない。
そう考えたは、一緒に巡回をしていた同僚にこのことをカインに伝えてくれるよう頼むと、セシルのあとを追って門を潜った。

恐らく、彼はまず王に今回の件を報告しにいくだろうから、王の間に続く道を行けば会える筈だ。
まだ記憶もないくらい幼い頃にバロン王に拾われ、以来ここで育てられたにとって、城は自分の庭も同然だ。
さすがに、王族のみに伝えられるような隠し通路は知らないが、小さい頃はよく散歩という名目の探索を繰り返して遊んでいた。だから王の間に続く道など、目を瞑っていても歩いてゆける。


セシル、大丈夫かな・・・


歩き慣れた道をゆきながら、はセシルのことを考えた。
孤児だったには、記憶どころか顔すら覚えていない両親の代わりに、3人の幼馴染がいた。
カイン、セシル、ローザ・・・その中でも、にとってセシルは特別だった。

4人は歳も近かったせいか、幼い頃は良く一緒に遊んだ。
悪戯をするのも一緒なら怒られるのも一緒。魔法や武器に興味を持ち始めた時期もまるで一緒だったけれど、たった1つだけ。決定的に違うことがあった。

夕暮れになると、カインとローザには迎えがやってくる。もう夕飯よ帰りましょうと、呼ぶ声がある。
に優しかったローザのお父様は早くに他界してしまったし、それからすぐにカインも両親を亡くしてしまったけれど、確かに2人にはそれがあったのだ。
迎えに来た親に手を引かれ家路へとつく2人を見送り、残されたとセシルは手を繋いで城に帰る。
セシルが一緒だったから、は寂しい思いをしなくて済んだ。
セシルだけが、と同じだったのだ。にとってセシルは幼馴染であり、兄であり、唯一の家族だった。

だからセシルがバロンを発つとき、黒く、重い兜に覆われたその奥で、彼がどんな表情をしていたかには手に取るようにわかる。
そもそも今回の任務は本当に突然で、尚且つ強引なものだった。


「ミシディアのクリスタルを手に入れて来い、だなんて
―――――――


クリスタルは、その土地になにかしらの恩恵を与えている。
国の存亡さえ左右するような代物だから、くださいと言ったところではいどうぞという展開にはならない。
そんなこと、誰だって承知している。だからこそ王はこうも言った。

“もし提案に応じない場合は、武力行使も辞さない”と。

ミシディアは魔道士の国だ。いくら優秀な魔道士が多くいるとはいえ、武力では到底バロンには敵わない。
もしミシディアの魔道士達がクリスタルを渡すことを拒否すれば、戦況は一方的なものになるだろう。
そんな任務を、セシルが快く思うはずがなかった。


バロン王は、本当にどうされてしまったのかしら・・・!


セシルの任務に限ったことではない。
近頃バロンは、内部の者が不信に思うほど不穏な動きばかりをとっていた。
周辺国に侵略行為とみなされても仕方のない、武力行使を行っているのだ。

勿論はそれが平穏を乱す行為であったとしても、セシルが無事戻ってくることを願っていたが、それを彼が喜ばないことはわかりきっていた。
きっと彼の心の中では、良心とバロン王への忠誠心が鬩ぎ合っていることだろう。
それを吐き出して少しでも楽になれるのなら、八つ当たりだろうとなんだろうと構わない。
その優しさ故に苦しんでいるだろう彼と、話がしたかった。


「セシル!」


もう少しで王の間というところで、は見慣れた黒い甲冑に全身を包んだ青年を漸く見つけた。
普段は異様さが目立つばかりの暗黒騎士の風貌も、こういうときは役に立つ。


「・・・。」


ゆっくりと振り返った彼の声は、やはりあまり元気がなかった。
心配になり駆け寄ろうとしたは、セシルが話していた相手が誰だったのかに気付いて思わず足を止めそうになった。


ベイガン殿・・・


近衛兵長、ベイガン。以前は真面目な人物だという印象が強かったが、バロンが可笑しくなり始めた頃から彼も変わった。
だがなにが変わったのかと問われると、には上手く答えられない。
答えられるほどにはベイガンと関わりがなかったし、彼はこれまでと変わりなく献身的に王に仕えている。

・・・ただ、敢えて挙げるとするならばそこかもしれない。
彼はただ王に従うのではなく、間違っていると思ったならきちんとそれを進言出来る、優秀な近衛兵長だったのだ。


「おや、殿。セシル殿の出迎えですかな?」
「・・・ええ、赤い翼が戻ってきたという見張りの兵達の話を聞いたもので。」


そう言って、笑みを作るベイガンの視線から逃れるようにはセシルの背後に身を隠した。
は、この男が苦手だった。以前はそんなことなかったのだが、近頃ベイガンはやけに粘着質にを見る。
体を這うような視線をおぞましく思っていると、の様子に気付いたセシルが自分の体でさり気無くベイガンの視線を遮ってくれた。


「まずは陛下に、今回の任務についてのご報告を。」
「おお、そうでしたな。ではセシル殿、こちらに。」
「・・・、またあとで。」


そうに小さく耳打ちすると、引き止める間もなく、セシルはベイガンの後を追って行ってしまった。


「ありがとう、セシル・・・またあとで。」


小さく呟いた声は、果たしてセシルに届いただろうか。
踵を返そうとすると、聞き慣れた声がを呼んだ。


!」


恐らく、同僚がセシルの帰還を伝えてくれたのだろう。
こちらに向かって走ってくるのは、が所属する竜騎士団の隊長であり、幼馴染の1人でもあるカインだった。


「カ・・・隊長。」


つい普段の癖で名前を呼びそうになって、慌てて言い直す。
カインは幼馴染だが、今はの上司でもあるのだ。
仲が良いのはいいが、公私の区別はきちんとつけなければならない。
公務の最中に、が彼を名前で呼ぶことはなかった。
近づいてきたカインはきょろきょろと辺りを見回し、セシルがいないのを見て取ると、に彼の所在を尋ねる。


「セシルは?」
「ベイガン殿と、陛下に今回の任務の報告をしに・・・・・相当、参っているようでした。」


質問に簡潔に答え、最後に自分の主観を付け加えると、カインは少しの間考え込む仕草を見せた。


「そうか・・・わかった、俺は少し様子を見てくる。お前はローザにこのことを知らせてやれ。」
――――――――― ・・・よろしいのですか?」


王の間に向かおうとしたカインがピタリと動きを止めたのを見て、は自分の失言に気付いた。
元々だって、このあとローザに知らせに行くつもりでいた。
それなのに・・・・・・無意識のうちに出てしまった言葉だったが、これは余計だ。

そう理解した途端、掌からぶわっと汗が噴き出る。血の気が引いて、指が小さく震えた。
・・・怒られるだろうか、罵られるだろうか?
時間にすればほんの数秒の筈の出来事が、何十分も経ったように感じられた頃、不意に止まっていた空気が動いた。


「・・・なにを言っているんだ、当たり前だろう?」


それだけ言うと、カインはの頭を手で叩くように小突いて、今度こそ王の間へと向かう。
・・・けれど、にはわかっていた。あれはカインが、なにもなかったことにしてくれたのだ。
自分の気持ちを自覚させるだけのの失言を、そして想いを悟らせてしまうようなの態度にも。
なかったことにしなければ、達は4人一緒にいられないのだから。


「・・・・・・ごめんなさい、カイン。」


申し訳無さと虚しさと、ほんのちょっとの嬉しさで胸がいっぱいになる。
嬉しくなるのは、彼の優しさがまだ自分にも向けられていると実感できるから。
なかったことにしてくれるうちは、カインにとってまだという存在は必要だと、そう思ってくれているということだ。

だが、カインとは似ている。だからわかる。
いくら必要とされていても、カインがの気持ちに応えてくれることはない。
それはカインも同じことで、いくら求めても満たされることはないのだ。

・・・こんな惨めな気持ちになるならば、あんなこと聞かなければ良かったのに、と今更ながらには思った。






“セシルの帰還をローザに伝えてしまって。・・・カイン、あなたは本当にそれでいいの?”













お互いの気持ちに気付いていながら、今を壊さないために見てみぬふりをするとカイン。
そんな脆い関係に気付かず、2人の幸せを願うセシルとローザ。
・・・ちょこっと複雑な幼馴染の構図です。




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2008/01/27