う泡の時空 









「・・・雨、強くなったな・・・」



決して大粒の雨ではない。
けれど、隙間なく降り注ぐ密度の濃い雨だ。
それが、激しく屋根を叩きつける音を聞きながら、は冷たい板敷きの床に座って、
そこかしこに雨粒をちりばめた草木の茂る庭を、ぼんやりと眺めていた。

今日は朝から、空を分厚い雲が覆っていたのだが、
皆は時間が惜しいと言って、早々に呪詛の種を探しに出かけてしまった。
1人残されたは、段々と雨脚が強くなるのを見つめながら、
皆がびしょ濡れになっていないよう、祈っている。


ここは、奥州平泉にある高館。


は壇ノ浦で、頼朝に反逆者の汚名を着せられた九朗や、還内府としてあの場にいた将臣、
そして何人か欠けた仲間達と共に、この平泉の地まで逃げ延びていた。
景時が鎌倉方に残ることを決め、ヒノエが熊野に残り、そして
―――――――

壇ノ浦で挑んできた知盛は、と刃を交えた後、誰の手に掛かることもなく海にその身を沈めた。
けれどその間際、彼がの躯に(のこ)した傷は、未だ塞がることなく疼いている。



「・・・ッ!」



今もまた、その傷痕がじくりと疼いて、は肩を抑え(うずくま)った。
幸い利き腕ではなかったものの、この傷は肩から鎖骨の辺りに掛けて、の体にざっくりと痕を残している。
・・・その割に、傷自体は致命傷というほど深くはなかった。

仲間達は、近頃考え込む時間が多くなったを気遣って
龍脈が汚されたことが原因で、怪我の治りが遅くなっていることなどを理由に挙げ、
大事にすべきだと、を屋敷に置いて行った。
・・・恐らくは、九郎辺りが不器用にも気を遣ってくれたのだろう。

譲と将臣が1人になるを心配して、一緒に残ると言ってくれたが、
それも悪いと思ったし、それでは望美が自分も残ると言い出しかねなかったので、丁重に辞退した。

ならば私がという銀の申し出にも、は同じく首を横に振った。
・・・やっと覚えた彼の名を、言葉を覚えたばかりの赤子のようにが呼ぶ度、
嬉しそうに微笑んで返してくれた彼は、今ここにはいない。

絶対に、重衡だと思うのに・・・彼は頑なに知らない、わからないと言い張っている。
敦盛とも話し合って、も出来る限り彼と話すようにはしているのだが、
今のところ、彼が重衡だと言い切れる証拠はひとつも出て来ていなかった。
けれどそれでも、は銀が重衡だと確信している・・・
最初こそ、望美と同じように彼に知盛の幻影を見たけれど、あの澄んだ瞳は間違いなく彼だ。
・・・・・・彼はこうなることを知っていて、に銀と呼ばせたのだろうか?

続々と出掛けていく仲間達の中で、朔がの肩に手を置き、
無理はしないでねと念を押してから、最後に部屋を出て行った。
彼女は優しい。酷く達観した視点から物事を見ているのに、その言葉は距離を置かない。
それに誰かを失くしたという点で、と自身に共通するものを見出したのかもしれない。

こちらの世界に来てからずっと、大人数で行動してきたためか
しんと静まり返った室内は、いつにも増して広く、冷たく感じたけれど
その提案自体は、にとっては却って有難いことだった。

ここ、平泉で呪詛の種を見つけたそもそもの切欠は、
望美が体の変調を訴えたからであったが、
は平泉に入ったその日から、異変を感じ取っていた。

まるで、手や足に錘を付けられたように体が重いときがあって、思ったように動かない。
傷の治りがいつもより遅いことにもすぐ気付いたが、黙っていた。
そんなことで皆に余計な心労を掛けている場合ではないと思ったのだ。

幸いというべきか、まず真っ先にの変調に気付きそうなヒノエは、現在熊野に残っている。
次に聡そうなのは弁慶だから、彼の前で細心の注意を払って行動し、彼さえ誤魔化せばいい。
そう、は懸念していたのだ。のことを見透かすのが得意だった・・・将臣の存在を。

結局、弁慶の前で余計な行動は慎んでいたものの、
肩の怪我が治っていないことは、あっさり将臣に見抜かれてしまった。
それを聞いた弁慶は、すぐさまの肩を診察し・・・



どうして早く言わなかったんですか、なにかあってからでは遅いんですよ?黙っていた方が後々皆に心配を掛けることは、君にだってわかっているでしょう?そんな君だから、僕はこれほどまでに心配になるんです。望美さんや将臣くん、譲くんも心配するでしょうし、ヒノエもなんと言うでしょうね。僕は君が嫌いだから怒っているわけではありませんよ。寧ろ君が大事だから、怒っているんです。





『・・・わかってくれますよね?さん。』




・・・と、恐ろしいほどの笑顔で説教をされた挙句、
彼の手練手管(てれんてくだ)で、平泉に来てからずっと調子が悪かったことも芋蔓式に話す羽目になってしまった。
そこへ将臣も参入し、前代未聞の大説教大会が催されてしまうのである。

2時間近くも続いたそれに、が心身ともにへろへろになった頃、
敦盛が“殿は怪我人なのだから、2人ともそれくらいにしてさしあげてはどうだろうか”と、
天の声と思うには少しおどおどした声で助け舟を出してくれ、それでやっとは解放された。
勿論が、敦盛の恩情にいたく感激し、感謝したことはいうまでもない。
・・・だが本来なら、そこにヒノエが加わっていたかと思うと、考えるだけでも震えが来る。

シャワーのように降り注ぐ雨の音にはっとなって、は我に返った。
原因は一概でないにせよ、どうも近頃ぼんやりすることが多くなっているのは事実だ。
見上げた空は遥か遠くまで、余すところなく分厚い雲が敷き詰められていて、雨は一向に止む気配がない。



“結局・・・・・・お前は俺を、知らないままだったな・・・”



雲の灰色を眺めていると、不意に知盛の声が脳裏に蘇って、は顔を顰めた。
そう言って、笑いながら海に消えていった知盛。見送るばかりで、なにも出来なかった
知らない・・・?何を?彼はが何を知らないと言うのだろうか・・・
・・・知らないことなど、多すぎてわからない。



“・・・だが、これでいい・・・・・・俺が、死ねばいい。”



そう言って、如何して遠い誰かを見るようにを見るのか?
・・・その問いに答えてくれる人は、もう、この世にはいないけれど。

結局彼は、にたくさんの謎だけを残して逝った。
如何して最初の時空で会ったとき、を知った風だったのかも、
如何して普段と少し違う眼差しで、を見るのかも・・・
最期に残した、言葉の意味も。全部、全部解らず仕舞いだ。













ザンッ!!













“ぐぅっ・・・!?”

“この瞬間ぐらいは・・・俺だけを、見ていろよ。”

“知盛・・・ッ、なに、を・・・!!”

“クッ・・・・・・・・・これで、忘れられないだろ?”

“・・・なッ!?”

―――――――― ・・・もう、俺を忘れるなんて言わせないぜ?なぁ?”













“この傷を見る(ごと)に、俺を思い出せよ・・・・・姉上。”














忘れて欲しくないのは、が貴方の探していたに似ていたから・・・?
だから、あんな風に接してくれた?この傷を遺した?
いくら考えても答えなど出しようもない疑問を、けれど延々と考え続けている。



ザァーーーー・・・



雨音が、一際酷くなった。
外を見れば、地面の窪みに出来た水溜りに、いくつもいくつも波紋が重なっている。
皆が戻ってくる頃には、止むだろうか?そんなことを、考えたときだった。






リィン・・・・・・






―――――――― ・・・白龍?」



時折の耳に聴こえる、この鈴の音。
神子の力を使うとき、白龍の力を引き出すとき、いつも鳴る音だ。
それが自分達、神子にしか聞こえないと知ったのは、比較的最近のこと。
宝玉と同じで、てっきり八葉にも聴こえるものだとばかり思っていた。

これが聴こえるということは彼等に・・・()いては望美に、なにかあったのだろうか?
そうだとしたら、雨が降っていようが槍が降っていようが
屋敷を飛び出すつもりで、はゆらりと立ち上がった・・・が。



「・・・え?」



立ち上がると同時に軽い浮遊感があって、ぐにゃりと視界が歪み渦を描く。
この感覚には、覚えがあった
―――――― ・・・は今、時空を跳ぼうとしているのだ。
そんなことを、それでも何処か冷静なの一部が見極めているうちに、
周囲の景色は溶けてゆき、耳の奥のほうに、雨ではない水音が聴こえてくる・・・
が最初に流された、時空の狭間の時空の流れるあの音だ。

は逆鱗に、時空を跳びたいだなどと願っていない。
でないとしたら、望美だろうか?
確かに、望美が逆鱗を使えばにも影響はあるだろう。
けれども、望美が一言の相談もなしに時空を跳躍することなど、今まで1度だってなかった。


が願ったのでも望美が願ったのでもなければ、どうして
――――――――


・・・そう思ったとき、既にはこの時空から姿を消していた。















戯言。

こんにちは。ついに始めてしまいました。
『未来に出逢う過去の幻影』の続編になります、『雨が誘う泡沫の時空』。
『未来に出逢う過去の幻影』が時間を置きすぎて筆が進まないので、
既に簡単には書き上げてあった『雨が誘う泡沫の時空』、はじまりの部分をUP。
わかる人には非常にわかりやすい話の展開ですが(笑)お付き合い頂けたら幸いです。





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2006/01/19