彼の者の名は Vier 「な、なんで・・・」 なんで、どうして。さっきからそんな単語ばかりが、珠紀の頭を占めている。 ここは、珠紀や守護者の皆が通う、学校の正門だ。 そこに本来いる筈のない人間の姿を見つけて、珠紀の口からは問いかけるというより、 思わず口をついて出てしまった、そんな呟きが漏れている。 彼の目立ち過ぎる容貌と、独特の雰囲気は、ここでも否応無しに注目を集めていた。 辺りには人垣が出来ていて、その中には大口を開けた真弘など、見知った顔もいくつかある。 その群集から一歩踏み出たところに、フィーア。 ―――――― ・・・いや。今は英語教師の姿を取った、フィオナがいた。 「ちょっと、ツ・・・」 つい、いつものように呼んでしまいそうになったのか。 フィオナは1度口を噤み、しかし驚きを隠し切れずに問いかけた。 「あなた、ここへ一体何をしに来たの・・・!?」 フィオナの質問に、まるで静寂を具現させたような男は―――――― ・・・ いや、静寂と呼ぶには些か、違和感があるかもしれない。 その男は静寂でありながら、明らかに周囲とは異質な存在で、異彩を放っている。 もし仮に彼が静寂であるとしても、それは耳が痛くなるような静寂だ。 だが男自身は“まさに静寂”で、周囲のざわめきを気にした風でもない。 恐らく、酷く間抜けな顔をして彼を見ていただろう珠紀の存在を視界に捉えると、 異能の呪縛から放たれた今でも、あまり豊かではない表情に、 珍しく何らかの感情を乗せて、こう答えた。 「・・・・・迎えに、来た。」 そう言って、何かを求めるように黒い革の手袋をした手を差し出す。 珠紀はキョロキョロと周囲を見回し、他の誰もが珠紀を遠巻きに見ていることと、 フィオナの目が自分に向けられていることを確認してから、 真っ直ぐ注がれる男の視線を受け止めて、しばし唖然として自分自身を指差した。 「わ、私?」 「・・・お前以外に、誰がいる?」 問えば男は、他に誰がいるのかと、心底不思議そうにそう返した。 珠紀は意見を求めるようにフィオナを見たが、彼女は小さく息を吐き、肩を竦めて見せる。 “私には、どうにもならないわ”―――――――― そんな仕草だ。 珠紀はその紅い瞳の男と、困り果てたフィオナ。 そして未だぽかんとしている間抜け面の真弘を順番に眺めてから、 恐る恐る、差し出された男の手に自分の掌を重ねた。 ・・・もし彼が、本当に珠紀を迎えに来たのだとしたら、 この手は、自分に向けて差し出されているに違いないのだから。 珠紀が躊躇うように。けれどそっと彼の掌に自分の手を乗せると、 男は満足したように薄く笑って、珠紀の手を緩く拘束する。 「行くぞ。」 彼の言葉は、口数の少ない祐一よりも端的だ。 短くそれだけを言うと、思ったよりも強い力で、珠紀の手を引き歩き出す。 ・・・結局、唯一その場に居合わせた守護者である真弘は、 ただただその光景を、大口を開け呆然と見詰めるだけだった。 ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● 傾いた陽が、畦道を歩く珠紀達の足元に、長く細い影を作る。 辺りには虫の声と、微かにカミ達の気配がするばかりで、 自身達の影を除けば、珠紀達の後を追ってくる者はいなかった。 珠紀はただ黙々と、自分の手を引いて歩いている男の横顔を見上げた。 夕暮れは、元々色素の薄い男の髪も頬もを、紅く染めている。 だが彼の瞳だけは、己が存在を主張するように。 染められまいとするように輝き続けていて、まるで夕陽がもう1つ、そこに存在しているようだった。 その紅く染められた横顔をじっと見つめて、 珠紀は今更ながらに、彼がとても綺麗な顔をしていることに気が付く。 そうして今一度、その彼と繋がっている手へと視線を落とし、 珠紀は、自分の頬が火照ってゆくのを感じた。 この男とは何度も何度も躯を重ねたのに、今更どうして手を繋ぐなんて、 たったそれだけのことでこんなにも恥ずかしくなるのか、珠紀にはわからなかった。 ・・・ただ今が、夕暮れ時でよかったなとだけ思う。 「―――――――――― ・・・ねぇ。」 そんな自分の思考を吹き飛ばしたくて、珠紀は男に声を掛けた。 無言のまま、男がちらりと珠紀に視線を向けた気配がして、そこで珠紀はふと気が付く。 鬼斬丸の封印を巡る戦いがあって、彼がソウルイーターの呪縛から解き放たれてから、もう1週間近く経つ。 その戦いが終わってからも、男と話す機会は何度もあった。 だが珠紀はいつも、“ねぇ”だとか“あのさ”と言って呼びかけて、男の名をきちんと呼んだことがなかった。 「・・・あなたのこと、なんて呼んだらいいの?」 珠紀が男の名を呼ばなかったのは、何も意地悪をしたかったからじゃない。 ただ、珠紀にとって男はずっと“ツヴァイ”だったから、 今更呼び方を変えるのも躊躇われて、戸惑っていただけなのだ。 「好きに呼べばいい。」 男の答えは、やはり簡潔だった。珠紀は少々むっとして、再び口を開こうとしたが。 「“ツヴァイ”でも“ユーゴ”でも、好きに呼べばいい。・・・お前が呼べば、それが俺の名になる。」 男の言い分に、珠紀は思わず押し黙る。そして――――――― ・・・ 「・・・ねぇ、ユーゴ。」 彼を指し示す番号ではなく、彼自身を表す名を呼ぶことにした。 「・・・・・・なんだ、タマキ。」 すると、予想もしていなかったそんな返事が返ってきて、 不意打ちもいいところのそれに、珠紀の頬も自然と緩む。 彼がそんな風に、珠紀自身の名前を呼んでくれたのは、これが初めてだった。 “ツヴァイ”と対峙しているときの珠紀は、いつも“シビル”でしかなかったから。 「今日はどうして、突然迎えに来てくれたの?」 「お前のいないあの家は、退屈だからな。」 実は今、訳があってユーゴは珠紀の家に住み着いている。 最初はユーゴも、フィーアやアリアと一緒に、本拠地としていたあの屋敷に住んでいた。 ・・・だが、それから2日ほどたった頃だろうか? 彼は突然珠紀の家へとやってきて、けれど何をするでもなく、玄関の前で立ち尽くしていたのだ。 「以前より、大部マシにはなったが・・・・あそこは緩々と浸食されていくようで、落ち着かない。」 来訪者の存在に逸早く気付いたのは美鶴で、驚いた彼女が珠紀に知らせにやって来た。 珠紀はどうしたのかと尋ねたが、ユーゴは無言のまま己の手を見詰め続け、梃子でも動く気配がない。 見兼ねた珠紀はまるで子犬でも拾うような気分で、風邪を引いてしまうからとユーゴを家に招き入れ、 そして一晩でもいいから彼をここに滞在させてくれるようにと、祖母を説き伏せた。 ・・・・・筈、なのだが。 何故かそれ以来、彼は珠紀の家に居座ってしまっている。 しかも彼は、珠紀と離されることを拒むかのように、 用意された客間を飛び出し、無断で珠紀の部屋に侵入しようとするので、 これで我慢しろとばかりに、現在彼は珠紀の部屋のすぐ隣の部屋を与えられて、寝起きしている状況だ。 彼は、屋敷に戻らないかと言うアリアの願いにも応じず、 アリアは何を諦めたのか寂しそうに、けれどどこか嬉しそうに笑って、 珠紀に“任せる”とだけ告げると、あっさり引き上げてしまった。 美鶴や守護者は散々に、危険だと珠紀に忠告してくれたが、 彼が傍にいることに慣れ過ぎてしまった珠紀は、何も危険だとは思わなくなっていた。 「それに―――――――― ・・・」 ふと、ユーゴの視線が自分に向けられているのを感じて、物思いに耽っていた珠紀は顔をあげる。 すると予想通り、こちらを見ていた紅い瞳と交錯する。 「・・・なに?」 「・・・いや、なんでもない。」 言ってユーゴは言葉を濁し、それから少し気まずそうに、珠紀からふっと目を背ける。 そんななんてことない仕草の1つにさえ、彼にきちんとした感情があるのだと示すようで、 珠紀は何故か嬉しくなり、ユーゴにばれないように静かに笑った。 2人はまたしばらくの間無言で歩き続け、ぼうっと彼の横顔に見惚れていた珠紀が、 不覚にも、道端に転がった小石に蹴躓く。 ユーゴは慌てた様子もなく、傾く珠紀の身体をあっさりと支え、それから再び口を開いた。 「あ、ありがとう。」 「・・・・・どこか、具合でも悪いのか?辛いところは?」 「具合?・・・ううん、別になんともないよ?」 その瞳に、こちらを気遣う色を見つけた珠紀は、 “だから大丈夫!”と大袈裟なくらい元気な声で告げたのだが、 ユーゴはその紅い瞳を珠紀の良く解らない感情で揺らし、“そうか”とだけ呟いた。 その声に、落胆の色が見え隠れしているように思ったのは、珠紀の気のせいだろうか? 珠紀はその原因を突き止めてみたくなったのだが、 1度前を向いてしまった彼は、いくらその瞳をいくら覗き込んでみても、 軽く首を傾げてみせるだけで何も言ってくれないので、早々に諦めることにした。 ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● 紅い夕陽と、虫の声と。秋の気配だけが深くなる景色の中を、珠紀とユーゴは歩いてゆく。 秋の風が珠紀の髪を揺らし、そこに紅葉の飾りを付けていったのを見て、 それまで何かを逡巡するように押し黙っていたユーゴは小さく微笑んで、 それから珠紀の髪についた紅の葉をそっと取ると、意を決したように口を開いた。 「――――――― ・・・タマキ。」 珠紀は2・3歩前に進み出て彼の隣に並び、うん?とその顔を覗きこんだ。 彼は一見、以前と変わらず無表情のように思えるが、確実に変化していた。 声には暖かい色が混じるし、表情にも優しさが滲み出る。 ・・・ただ、長い間使っていなかったものだから、未だたどたどしいというだけで。 「今夜も、お前の作ったものが食べたい。」 「ほ、本当にっ!?」 思わず、腕に飛びつくようにしてそう尋ねた珠紀を、 ユーゴは驚きもせず、優しい眼差しで見下ろすと、やがてゆっくりと頷いた。 「・・・あぁ。」 昨日、珠紀は久々に台所に立った。 あの家にいてはどうしても、食事は自然と和食が多くなる。 味噌汁とお箸を前に、やはり和食に馴染めていないらしいユーゴのために、 珠紀はスプーンで食べられるようにと、簡単なスープを作った。 それは本当に簡素なもので、洋食とも和食とも言えないような代物だったが、 ユーゴは少し驚いた顔をして、美鶴よりも、珠紀の作ったものの方が美味しいと言ってくれたのだ。 あの家に住み始めてから、台所は常に美鶴の領域であり、 いつも周囲に比較されては、美鶴の料理の方が美味しいに決まっていると、 そう言われ続けてきた珠紀にとって、それはとても欲していた言葉だった。 少なくとも、感動のあまりその場で、不覚にも泣き出してしまったくらいには嬉しくて・・・ 昨日の失態を思い出した珠紀は、嬉しいような恥ずかしいような気持ちでそれに頷く。 ・・・余談だが。その後、そっと珠紀を抱き寄せるユーゴの、突き刺さるような視線に耐えながら、 そんなに喜ぶのなら、彼女の料理を一口食べて、素直に美味しいと言ってやればよかったと、 守護者達が思っていたことなど、珠紀は露ほどにも知らない。 「それから――――――――― 」 嬉しさのあまり、手を繋いでいた筈の彼の腕に、 いつの間にかしがみついていた珠紀は、嬉々とした表情で言葉を続ける彼を見上げた。 「うん、なに?」 ユーゴは、とても優しい表情で珠紀を見ている。 それはきっと気のせいではなく、隠し切れない愛おしさを滲ませた表情だ。 ユーゴの手が、珠紀へそっと伸ばされる。それは頬を掠め、珠紀の髪を梳き・・・ ユーゴは珠紀の身長に合わせるように少し屈むと、外気に触れた耳元に口を寄せる。 そして静かに、けれど微かに熱っぽい、欲望混じりの声で囁いた。 「・・・・・・そろそろ、お前を抱かせてくれ。」 あまりの衝撃に、一瞬頭がまともに働かなかった。 その言葉は、時間を掛けて身体の奥のほうまで沁み込んでいって、 漸くその意味を理解した珠紀は、数拍間を置いてユーゴを見る。 「タマキを、抱きたい。」 するとそこでは、夕陽よりも綺麗な紅い瞳が優しく珠紀を見下ろしていて、 “あぁ、囚われた”と、珠紀はぼんやりそう思った。 そっと落とされた唇を、抵抗もせずに珠紀が受け入れると、その紅い眼差しが嬉しそうに細められる。 「安心しろ――――― 責任は、取る。」 思わずその綺麗な緋に見惚れてしまった珠紀は、彼がどうしてこんなにも嬉しそうに微笑むのか、 責任とはなんの話なのかなんてことを、これぽっちも理解していなかった。 珠紀が、ユーゴが自分の傍に居たがった理由を思い知るのは、あとちょっとだけ先のこと。 |
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戯言 はい、これにて『彼の者の名は』、とりあえず一段落致しました。 あれです、色々皆様の妄想力で補完してください。 まぁ少なくとも、ツヴァイが珠紀の体調を気にしているのは、 自分が際限なく抱いてたから、もしかしたら身籠ってやしないかという淡い期待を(強制終了) いやでもね。きっとツヴァイはソウルイーターとかなかったら、 他の守護者達なんかよりも、ずっと紳士的なんじゃないかなーとか思ってみたり。 だってほら、外国の方だし。ドイツの人・・・なのか? わからん。名前の響きじゃどこの人かなんて、任那にはさっぱりわからん。 いやーそれにしてもきっとツヴァイは、なんともなさそうな珠紀を見て自分のタネを恨めしく思ったことでしょう。 やいっ、もうちょっと頑張れやこの(いい加減にしろ) ・・・こほん。兎にも角にも、ここまで読んでくださったお方。 いらっしゃいましたら、任那の欲望に塗れたお話(笑)にお付き合いくださりありがとうございました! 最後に、ツヴァ珠いいですよね!?(最後の最後にそれか) |
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2006/08/15