片方だけというのが非常に残念なところではあったが、
それでもとりあえず、大切にしていた刀が手元に戻ってきたことに安心したのも束の間。
続いた将臣の意味深な一言に、は刀を見つめたままの体勢で固まった。



「しっかし熊野か・・・なるほどな。」

「!」



全身からサーッと血の気が引いたかと思うと、その反動か、今度はぶわっと冷や汗が噴き出る。
・・・きっと今のは、毛を逆立てた猫のようになっているに違いない。
何故猫は、驚くとああして固まるのか。さっさと逃げた方がいいに決まっているのに・・・
全然関係のないことにまで考えが及び、自分がそれほど動揺しているのだと気が付いた。

将臣の足音が、だんだんとこちらに近付いて来る。
・・・は視線を床に固定して拳を握り締め、きゅっと口を結んだ。



「・・・なぁ、。」

「な、に・・・?」



視界の端に確かに見える、真っ赤な将臣の陣羽織。
彼の声は普段と変わらず明るかったけれど、それはなにかを確信している声で・・・
無意識の内に身構えてしまえば、の口調も自然固くなる。
きっと将臣は、どうしてが熊野にいたことを黙っていたのか、気付いてしまった。



。」

「・・・うん?」



再度呼びかけられても、決して瞳を合わせないようにしていると、
頭にぽすっと掌が乗せられて、は反射的に大きく体を奮わせてしまった。
・・・どうにも、将臣に嘘を吐こうとするのは慣れない。
それでも頑なに顔を上げないと、頭上から呆れたような将臣の声が降ってきた。



「・・・お前さ、またなんか余計なことまで考えてるだろ?」

「そ、そんなこと・・・!」



否定しようと、ほんの少しだけ視線をあげれば、
そこには海のように深い色をした、蒼い双眸があった。数回、ぱちくりと瞬きをする。
将臣が自分の顔を覗きこんでいたのだと気付くのに、然程時間は掛からなかった。

やっとそのことにが気付き、しまったという顔をすると、
将臣の口角がニヤリとつりあがり、してやったりといった風に笑う。
そこでは、自分が誤った選択をしたことに気が付いた。

・・・将臣と、瞳を合わせてはいけなかったのだ。
将臣はの瞳をじっくりと見て、それが嘘だという確証を得たようだった。



「・・・ないって言い切れるのか?」

「うぅ・・・」



1度こうなってしまえば、もう言い逃れは出来ない。
“わかってるんだぞ?”とでも言いたげな表情で見下ろしてくる将臣に、
二進(にっち)三進(さっち)もいかなくなって、小さく体を縮こませ、金魚のように口を開いたり閉じたりした。
・・・どうやらこれ以上、彼を誤魔化すのは無理らしい。

ちらっと上目遣いで将臣を見上げると、それをの降参の合図と受け取ったのか、
将臣はいつものように大口を開けて、俺の勝ちだと言わんばかりに豪快に笑った。
同時に頭に乗っていた彼の手が、ぽふぽふと安心させるようにの頭を優しく叩く。



「まっ、安心していいぜ?・・・お前が考えてるようなことにはならねぇからな。」

「・・・・・・・・・本当?」

「あぁ、本当だ。俺がお前に嘘吐いたこと、今まであったか?」

「ううん、ないよ。」

「よし。」



迷うことなく返すと将臣は満足そうにそう言って、胸のところで両腕を組んだ。



「そもそも、お前1人どうこうしたところで熊野のお偉いさんが動くわけでもねぇんだろ?」

「それは・・・・うん、そうだね。」



まさか、そのお偉いさんのお世話になっていますとは、口が裂けても言えなかったけれど、
仮にもしを捕らえたところで、ヒノエが水軍を動かす筈はない。
本当に、心の底からそう思っているから、はその質問に迷うことなく頷くことが出来た。



「・・・だろ?だとしたら、余計に心象悪くするだけだろうが。
そんな分の悪いことに、お前を巻き込むつもりはさらさらねぇよ。」



優しく瞳を細めてに笑い掛ける将臣は確かに、“お隣に住んでいた幼馴染の将臣君”のままだ。
・・・けれど今は、それだけではない。の幼馴染だけでは、いられない立場なのだ。
それにも拘らず、再会すれば以前と変わらずに自分達を気遣ってくれていた将臣に、
は嬉しいような哀しいような複雑な気持ちと、少々の罪悪感を覚えた。


自分は今、その幼馴染を欺いているのだと・・・・・・






未来に出
う過去の影 拾肆









・・・この季節、陽が沈むのは早い。ヒノエがどんな人なのかとか、刀がないとか騒いでいる間に、
真っ赤な夕陽は水平線の向こうに姿を隠し、紺碧の夜空が辺りを包み始めていた。

銀の提案で夕食を取ることになり、その席で達は、今後どうするかについて話し合った。
話し合ったといっても、平家の面々が中心になって話を進め、
はそれに頷いたり、首を振ったりするだけだったが、
それほどでもないと思っていたのに、予想以上にお腹が空いていたらしい。
用意されたご飯がとても美味しくて、はそれを処理することばかりに専念した。

話し合いは、今晩が寝る場所はどうするかということから始まって、
の存在を清盛に報告するか否かまでに及んだ。

本来なら報告すべきなのかもしれないが、が熊野水軍の人間であることと、
以前平家にいたという、“もう1人の”に似ていることが問題らしい。
もし清盛が、ではない“もう1人の”のことを覚えていたとしたら、
彼がを平家に引き留めようとするかもしれないと、銀が心配顔で言っていた。

そうして散々話し合われた末に、結局は、知盛の客人として扱われることになった。
将臣がしぶとく、知盛に任せてなんておけるかと喚いたのだが、
他の者達に知盛がを屋敷に連れ帰る姿が目撃されていることと、
そのほうが余計な詮索が入らないだろうという理由で、銀と敦盛がその説を推したからだ。

どうやら平家の中には、重盛の名を語る偽者として、将臣に反発する人間も存在するらしい。
そのことを銀が指摘すると、余程思い当たる節でもあるのか、将臣は渋々それでいいと納得した。
それを聞いて、は将臣と離れてしまうことがかなり心配になったのだが、
敦盛がほんの一部の人間に過ぎないから大丈夫だと保証してくれたので、少しだけ安心した。

その後、どうしてか敦盛が挙動不審になるというトラブルを挟んで、(おおむ)ね話し合いは順調に進んだ。
どうやらは、夜になると随分冷え込むようになったこの季節に、外に放り出さることは免れたようだ。
は幼馴染と、この場にいる平家の面々に深く感謝した。

そうして食事を終えるとすぐに、今日は疲れているだろうからと、部屋に案内された。
は再びお礼と、お休みなさいの挨拶をして、4人の背中を見送る。
将臣は冷えるからさっさと中に入れと言ったが、は頑なに首を振って、皆が帰るまでと言い張った。

足早になった将臣に連れられて、皆の姿が完全に見えなくなり、足音も聞こえなくなった頃。
緊張が解けたのか、一気に体が重く感じられたは、
意外に疲れていたのだなと溜息を吐き、部屋の前に広がる庭へと視線を遣った。

しんと静まり返った部屋は、が今1人ぼっちなのだということを再認識させられる。
普段は水軍衆の皆やヒノエがいて、あれだけ賑やかなのに・・・
はまた1つ溜息を吐いて、廊下にある階段からそっと庭に下りた。

街頭はないが、この世界の空には電気代の掛からない明かりがあって、
の足元を蛍光灯にはない優しさで、ほんのりと照らし出してくれている。
見上げた夜空にぽっかり浮かんでいたのは、真ん丸に近い月だった。

時計もカレンダーもないこの世界で、毎晩形の変わる月だけが、
同じ時空を繰り返すに、日付の感覚を忘れないでいさせてくれる。
あの月が、やがて本当に丸くなり、また細くなって・・・そしてまた丸くなったときに、
それだけの日数が過ぎ去ったのだと、は知ることが出来るのだ。
そうしてあと何回あの月を見れば、望美がここ世界にやって来るのかを数える。

この季節、素足で地面に降りるのはちょっと寒かったが、それでもは構わずに降りた。
月に照らされた庭は幻想的な雰囲気を醸し出していてで、とても綺麗だったが何故か満たされない。
冷たい風が首筋を撫でる感覚に、小さく身震いをする。

きっと心細いのだと、は思った。自覚した途端、風が更に冷たくなったような気さえする。
はまるで猫にするように、片方だけの刀の柄をそっと撫でた。



「・・・帰れる、かな・・・」



は思わず呟いてしまってから、一体どこへと自問自答した。
熊野へ?でもそれならば、きっと帰れる。
では、京屋敷?あの一見なんでもなさそうな日々は、にとってかけがえのないものだった。
そうでなければ、現代へ?・・・いや、まだだ。まだ帰ることは出来ない。

それとも
――――――――― ・・・

まだ、何も知らなかったあの頃へ?
将臣が還内府だということも、知盛のことも、銀のことも。
何も知らずに目を背けて、疑問も抱かずに平家を敵と見なすことの出来た、“最初の自分”へ?

そう気付いて、は頭を振るった。駄目だ、そんなこと。
あの運命に逆戻りするだけではないか・・・
だが背筋を寒くさせたのは、そんな己の思考のせいだけではなかった。



「何処へ・・・・・帰るというのかな?お嬢さんは。」

「・・・ッ!?」



振り返ると同時に、背後に鋭い殺気が生まれる。
それに敏感に反応して、は反射的に刀へと手を伸ばし
―――――――


――――――――― ・・・しまった!!


の左手が、本来そこにある筈だったものを掴めずに宙を彷徨った。
ほぼ無意識にそこまでの行動を行なってから、そういえば刀が片方しかなかったのだと思い出す。
軽く舌打ちをしながら、けれどは戸惑うことなく一本の刀を順手に持った。


キィン!!


夜の闇に、金属同士のぶつかり合う甲高い音が木霊(こだま)する。
ギリギリと交錯する刃の向こう側にいたのは、楽しげに瞳を輝かせている平知盛だった。



「ほぅ?腕は、衰えていないようだな・・・?」



まるで、恋人に睦言でも囁くかのような。
妙に親しみの籠められた知盛の声音に、の体がびくりと震える。
彼が斬りつけてきたこと自体は、それほど驚くことでもない。
・・・ただ問題は、その発言のほうにあった。


――――――― ・・・衰えるも何も、は知盛と刃を交えた記憶などないのだから。


そもそもと知盛は、この時空では今日初めて会った筈である。
炎に巻かれたあの京で、出逢った知盛とでさえも、は直に刀を交えていない。

平知盛という人間は、余程を姉と呼んだ人の身代わりにしたいのか、
それとも過去と現実の区別がついていないのか
――――― そのどちらかだ。
・・・ただどちらにせよ、相当に可笑しいことだけは確かだったが。



「衰えるもなにもッ・・・あなたと、一戦交えた覚えはッ、ない、けれど・・・ッ!?」



知盛の一撃は酷く重かった。受け止めるだけで精一杯で、声が震える。
彼が手加減をしたのか、二本の刀が同じ軌道を描いていたからこそ、どうにか受け止められたものの、
それでも片方だけの刀と疲労した体では、少々どころかかなり負が悪い。

それには元々、九郎やリズヴァーンのように、先陣を切るような戦い方はしない。
いくらが、最初に刀を持った時よりずっと強くなったとはいえ、
男女間には体力や体格、力といった根本的な差がある。
そうなるとどうしたって、女であるはそれだけで不利で、鍔迫り合いなどは数えるほどしかしたことがない。
そういう戦い方は彼等に任せ、自分は異なる戦法を取るからこそ、
戦力として活かされるのだと、は思ってきた。



「くッ・・・!」



それでもはどうにか刀を押し返し、力の均衡を保っていた。
あとちょっとの技量が足りなければ、そしてあとちょっと知盛が本気だったら。()り負けていただろう。

昼間はあれほど無気力だった知盛の、ギラギラと輝く紫色の瞳が、
夜行性の肉食動物を思わせて、の危機意識を煽る。
・・・そう。例えば人間が娯楽として、獲物を狩る行為そのものを楽しむような、そんな眼光が
――――――

の刀は、機動性に優れた造りの短剣だ。
初めから、知盛の持っているような攻撃に秀でた刀を受け止めることを想定して造られていない。
刃を交えて数分・・・さすがにそろそろ限界だと、が内心焦り始めたとき、
突如として知盛の瞳から、好戦的な光が失せた。



「やはり、一振りでは調子も出ない、か・・・」



つまらなそうに呟くなり、知盛は突然刀を退いた。
あまりにあっさりと引いたので、の方が面食らったぐらいだ。



「わわっ!?」



は上擦った悲鳴をあげながら、必死に刀を自分のほうに引き寄せた。
知盛が人並みの神経を持ち合わせていたなら、あの状況でこうもあっさり刀を引いたりしない。
・・・そのままの刀が、彼の首に喰い込んでも可笑しくはないのだから。

それまで思い切り刀に体重を掛けていたは、すぐには止まることが出来なかった。
全力で押し返さなければ押し負けていたほどなのだから、それも当然だ。
の体はそれまでの勢いを殺せずに、前方・・・つまり、知盛のほうへぐらりと傾く。

仕方が無しには、前に出ようとしていたその力を応用して、そのままくるりと半回転した。
出来るだけ手は伸ばして
――――― ・・・刀を、知盛から遠ざける。
いくら修行をして、人も斬ったことがあるからと言って、進んで人を斬りたいとは思わなかった。

そうしてどうにかこうにか、知盛に斬り付けないで済んだのだが、
1度バランスを崩した体は、そうそうすぐには立て直せない。
倒れる・・・!とは思ったが、背後でザクリと音がして、不意に暖かい何かに肩を引かれた。



「!?」



その力に引っ張られるまま、はなす術もなく後方に倒れた。
だが不思議と、衝撃はない。恐る恐る瞼を開けば、自分を見下ろす紫色の瞳があった。
昼間も、こんなことがあったなとは思う。最もあのときは、ほぼ押し倒されていたが。
上から自分を見下ろす男、それは間違いなく知盛で、は漸く自分が知盛の腕の中にいるのだと気付く。
手にしていた筈の二本の刀は、手近な地面に深々と突き刺さっていた。

それを確認したは、一先ず大事にはならずに済みそうだとほっと息を吐いて、
それから自分を支えてくれている諸悪の根源を、キッと睨め付けた。



「危ないでしょう!?」

「・・・危ない?」



が叫ぶと、知盛はきょとんと瞳を丸くした。
明らかに、危ないと言って差し支えのない状況だったのに、
不思議そうに尋ねてくる知盛に、は必要以上に大きな動作で頷いて見せる。



「そう!もう少しで、知盛を斬ってしまうところだった!!」

「危ない・・・・・ね?クッ、ククク・・・」



すると知盛は、僅かばかり目を見開いた後、
一体何が面白かったのか知らないが、俯き加減になり、体を小刻みに震わせて笑い始めた。
その振動は、腕の中にいる久遠にも確かに伝わってくるのに、
何が面白くて笑っているのかだけは、いつまで経ってもさっぱり伝わってこない。

そもそも、今笑うような場面だった・・・?

は首を捻って、下から知盛の顔を覗きこんでみたが、
彼の表情には普段のような邪気がなく、どうやら当の本人はかなりうけているらしい。
この男は一体何を考えているのか。笑いのツボまで常人と違うのだろうか?
知盛という男の謎がまた増えてしまい、が思わず脱力しかけたそのときだった。



――――――― ・・・ッ!?」



痺れにも似た嫌な感覚が走る。それはの足元から這い上がり、頭のてっぺんへと抜けていった。
まるで体中を丹念に撫でられてゆくような感覚に、全身が粟立つ。
きっとの僅かな震えは、それでも接触した肌を通して知盛に伝わってしまっただろう。
そういえば、いつの間にか生物の気配が全くと言っていいほど消えている。
・・・いくら夜は静かなものだとはいえ、これは静か過ぎた。

この奇妙な感覚を、は良く知っている・・・。
前の時空でも、この時空の熊野でも・・・幾度となく味わってきた。
忠告しようと顔を見あげれば、知盛もこの空気に何かを感じ取っているのか、
すぐにを解放し、地面に突き刺した刀を抜いて臨戦態勢に入る。
一瞬にして、張り詰めた糸のような緊迫が辺りを支配し、殺気とは違うその静けさに、もゆっくりと身構えた。



“オオオオォォンン・・・・”



ねっとりと耳に纏わり付いてくる、既に言葉にもなっていない音。
そこにあるのは生者への強い憎しみ。苦しみからの解放と、更なる仲間を求め彷徨い続ける意思。
それは死して尚消えることなく、現世に留まり続ける怨嗟の塊
――――― ・・・怨霊だ。

確かに、怨霊は自然にだって発生する。
しかし、この数は尋常ではない。間違いなく人為的なものだ。



「どうして・・・!?」

「大方、怨霊使いがヘマをした・・・というところじゃないか?」



口から漏れたの疑問に、知盛が皮肉気に答えた。
どうやらこの様子からすると、知盛はあまり怨霊というものを好んではいないらしい。

それらは塵を集めるようにして空中に収束し、やがて実体を作り上げる。
ただ彼等に、清盛のような肉体はない。人体を形成する最低限の骨格のみだ。
それだけでも、清盛が他の怨霊とは格が違うことが窺える。

元々確固たる実体がないから、怨霊達は倒しても倒しても、また再生するのだろう。
そうして彼等は更なる屍を積み上げ、救われない仲間を増やしてゆく。
・・・以前、“流行っているんだよ”と言って、望美が見たがったアメリカの映画。
その中で、動く死体もそんな風に増殖していた。あれに、少し似ていると思う。

戦うのはあまり好きではないが、いざその状況に立たされれば、
の体は考えずとも自然に動き、気が付いたときには知盛と背中合わせに立っていた。
現れた怨霊は、少なく見積もっても10体以上はいるだろう。

大群とまではいかないが、たった2人で相手にするには、相当骨が折れる数である。
それもと知盛の実力を考えれば、決して不可能なことではないのかもしれないが、
ヒノエとだって、こんな数の怨霊を相手にしたことはない。



「しかし・・・数が多いな。」



の頭の後ろ辺りで、知盛がチッと舌打ちをする。
も声には出さなかったが、内心その通りだと頷いた。

この数と、真正面から戦うのはまともな判断ではないとは解っている。
だが、戦う術を持たない者が多くいる室内に逃げ込むわけにもいかない。
それに、どちらにせよ不利な状況に変わりがないのならば、少しでも立ち回り易い場所を戦場に選ぶべきだ。
の短剣はまだましだが、それなりに長さのある知盛の刀は、
明らかに室内で振り回すのには適していなかった。

・・・つまり、誰かがこの異常事態に気付いて駆けつけてくれるまで。
この場で、2人だけで耐え凌ぐしかないのだ。

は改めて、周囲を取り囲む怨霊の群れを見回した。
幸い、ろくな自我も持ち合わせていない、本能のままに暴れまわるだけの下級怨霊ばかりだ。
“倒す”のではなく“やり過ごす”だけであれば、十分可能かもしれない。
そう思うと、重苦しかった気分が、いくらか楽になった。
・・・だが、それも束の間のこと。の期待は淡くも砕かれ、またどん底に突き落とされることとなる。



“・・・喰ラウ・・”

「・・・え?」



そう告げた怨霊の、生前は眼球が埋まっていただろう頭蓋の窪み。
その穴が、真っ直ぐに自分だけを見ているような気がしたのだ。
嫌な汗が、こめかみを伝い落ちる。・・・そう、以前にもこんなことがあった。
初めて白龍の神子としての能力が発現した、あのときにも。

その声に呼応して、他の怨霊達も(にわ)かに騒ぎ出す。
それはまるで、自分が自分がと叫んでいるかのようなざわめきで、
は汗ばんだ左手で、胸元の首飾りを握り締めた。
一瞬訪れた奇妙な静けさの後、怨霊が徐に骨と鎧だけの腕を持ち上げる・・・



“神子ヲッ、喰ラワセロオォォ・・・ッ!!!”

―――――― ・・・ッ!」



そして壊れたスピーカーのような咆哮をあげ、真っ直ぐ目掛けて突進してきた。
それを皮切りに、残りの怨霊達も後に続いて一斉に動き出す。
10体余りの怨霊が、我先にと競いながら雪崩れるように押し寄せてくる様は、ある意味で壮絶だった。

“やっぱり・・・”その光景に圧倒されながらも、は冷静に状況を分析していた。
恐らく、この怨霊達は白龍の神子であるの氣に、引き寄せられて集まって来たのだ。

が初めて、神子としての力を発現したときもそうだった。
怨霊は、自分達にとって邪魔な存在であるを、
陰陽が偏り、まだ上手く力を扱えないうちに始末しようと現れた。

それなりの年月を生きてきた者ならば、きっと誰もが1度は経験したことがあるだろう。
自分に無い物を当たり前のように持っている存在を、壊したい、自分と同じにしてやりたいと、嫉ましく思うこと。
もしかしたら怨霊にとって神子というのは、そういう感情を向ける対象なのかもしれない。
だがそれと同時に、終わりのない憎しみの連鎖から救い出してやれるのも、神子だけだろう。
・・・だから怨霊は、神子に引き寄せられるのかもしれない。

あのときのは、初めてまともに見る怨霊に足が竦んで、ただ怯えことしか出来なかったが、今は違う。
力の使い方だって学んだし、叶えたい目的もある。
けれどどうしても、そのときの恐怖が頭を過ぎり、は無意識のうちに後退さっていた。
すると肩が何かにぶつかって、は自分が1人ではなかったことを思い出す。



「あ・・・」

――――――― ・・・が、狙いか?」



反射的に見上げた知盛の瞳は、何故か不機嫌そうな光を帯びていて、
彼はを押し退けて前に出ると、群がる怨霊に単身突っ込んで行ってしまった。



「う、嘘・・・!?」



無謀としか言いようのない行為に、唖然としているの目の前で、
知盛は二本の刀を器用に使い、次々と怨霊を薙ぎ倒してゆく。
・・・いや、薙ぎ倒すというよりあれはもう、蹴散らすといったほうが正しいかもしれない。
防御することをまるで考えていない知盛の戦い方に、は少々呆れながら、
これではやり過ごすもなにもないものだと、彼の猛攻を擦り抜けて来た怨霊に斬り掛かった。




―――――― ・・・いつの間にか、恐怖が薄れていたことには気付かずに。






○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●






あれから、どれだけの時間が過ぎただろう?
もう何時間もこうしているような気もするし、まだ数分な気もする。

と知盛は、互いに付かず離れずの距離を保って戦っていた。
(あらかじ)め打ち合わせなんてしていなかったものの、不思議とどう動けば良いのかわかる。


“グギャアアァァァ・・・ッ!!”


・・・いや、もしかしたら。奇妙なことに知盛が、が動き易いように戦ってくれているのかもしれない。
また1体、怨霊を黒い塵に返しながら、は思った。
ずっと、妙なのだ。あれほど無謀な戦い方をすると思った知盛なのに、
時折まるで、の動きを読んでいるのではないかと思うような動きをする。
だが、いつも一緒に戦っているヒノエならともかく、今日初めて会った人間にそんな芸当が出来るだろうか?

はちらりと、隣で戦っている知盛を覗き見た。
彼は何かに苛立っているらしく、さっきから刀で斬るというよりは、壊しているイメージがあって、
そのせいか、動きがちょっと粗雑になっているような気がする。
最もも、普段知盛がどのような戦い方をするのかなんて、
これっぽっちも知らないのだから、全く持ってただの憶測でしかないが。
・・・あぁ。もしかしたら知盛も、の動き予測して動いていて、それがたまたま当たっているだけなのかも。

だが、これだけ知盛が手当たり次第に怨霊を斬ったにも拘らず、一向に怨霊はいなくならない。
それだけ多くの怨霊を、平家が抱え込んでいるということなのか、
それとも倒した端から復活しているのかはわからないが・・・恐らく後者だろう。
わかっているのは、このまま戦い続ければこちらが先に消耗するということだけだ。


どうする・・・?


刀を振りながら、は自身に問いかけた。には、この状況を打開する策がある。
けれど今は協力しているとは言え、知盛は将来敵になる平家の人間だ。
敵に手の内を見せるというのは、致命的なことになり兼ねない。
その事実がに封印を躊躇わせていたが、やがて共倒れしても意味がないと思い直して、覚悟を決めた。

知盛の刀が怨霊を貫く。怨霊は耳障りな音を発しながら、黒い霧状のものに変化して、空中に霧散する。
そのときを見計らって、は刀に意識を集中させた。



「めぐれ天の声、響け地の声・・・」



の中の神気が一気に活性化し、それは体中を巡って刀に集まり始めた。
本当は、刀なんて使わなくても封印を行なうことは可能なのかもしれないが、
こういった目に見える媒体がないと、どうも上手く力をコントロールすることが出来ない。

尋常でない神気の密度に、が何をしているか気付いた怨霊達が、
一斉にこちらを向き、阻止をしようとギャアギャア騒ぎ始めた。
そんな彼等を知盛は刀の一振りで一蹴して、を意味あり気に振り返る。

瞬きもせず、じっとこちらを見つめるその視線に、は一瞬どきりとした。
怪しまれるかもしれない、何者だと問われるかもしれない、或いは何をするつもりだと言われるのかもしれない。

けれど知盛はちらりとを一瞥しただけで、訝るような素振りも見せず、
また黙々と目の前の怨霊を切り刻む作業に戻っていってしまった・・・つくづく常識の通じない男だ。
だが今は、そんなことを気にしていられる場合ではない。もまた、気持ちを切り替え詠唱に戻る。
ここには望美も、朔もいないのだ。失敗しても、フォローしてくれる人は誰もいない。
余計な雑念を追い払い、集中しなければ・・・・・・



「彼のものを、ふ・・・っ!?」



そこまで口にしたとき、の体に異変が起こった。
体中から、吸い取られたように力が抜け落ちる。体が重い、まるでの周りだけ気圧が増したかのようだ。
息をするも、肺が圧迫され呼吸すら儘ならず、は溜まらず膝を付いた。
立ちあがりたかったが、頭がぐらぐらして平衡感覚が保てない。


こんなときに・・・ッッ!!!


は叫んだ。いや、叫んではいたが声にはならなかった。
胃袋からむっと込み上げてくる嘔吐感を、地面を抉ることで耐える。
爪の間に土が入り込んで気持ちが悪かったが、そんなことには構っていられない。
すぐ耳元で、怨霊が実体を作るとき特有の、木枯らしのような音が聞こえた。


なんていう最悪のタイミングだ、肝心なときに発作が起こるなんて・・・!


陰陽のバランスが崩れているのに、八葉の傍を離れたのがいけなかったのか、
・・・それとも、ヒノエとこんなに長い時間離れていたのがいけなかったのか。
はザクリと、地面に刀を突き立てた。
それを支えにどうにか倒れることは免れているものの、こんな状態では封印だって出来るかどうかわからない。



倒れている暇ではないでしょう?
――――― でも、苦しいんだ。
ヒノエがいないと、戦うことも出来ない?
―――― ・・・そう、なのかな・・・
ヒノエを助けるのではなかったの?
――――― 助けたいよ、でも・・・





ここで知盛と自滅したって、ヒノエの命は救われないよ?






――――――――― !!!!」



その事実に思い当たったとき、鳥肌が立った。
今でも鮮明に思い出せる・・・炎と煙に捲かれて、咽返る様な熱気に満ちていた京の街。

まずは、リズヴァーンが帰って来なかった。
次に弁慶が死んだ、景時が死んだ・・・朔が、誰もいない屋敷で震えていて。
そう、あのとき屋敷に火を放ったのは、確かに知盛だった。
辺りでばちばちと火が爆ぜて、望美がパニックを起こして外に飛び出そうとして。
ヒノエの切羽詰った声と一緒に大きな梁が倒れて、は勢い良く突き飛ばされた。
足元に転がっている、力なく垂れ下がるヒノエの手。
がいくら名前を呼んでも、あの不敵な紅い瞳が開かれることはなかった。
もう2度と、ヒノエはの名前を呼ばない、声が聞けない・・・



「いやだ・・・ッ、いや、だ・・・ッッ!!!」



そんなことさせない、そんな未来認めたくない!!
力任せに刀を握ると、柄の固さに負けた爪が、痛いと悲鳴をあげた。



「彼のものを・・・・・・」



奥歯を噛み締め、封印すべき敵を睨みつける。は己を奮い立たせた。
ヒノエはにとっても、熊野の人々にとっても必要な人だ、絶対に死なせたりしない。
そしてそれが出来るのは、未来を知っている自分達だけなのだから・・・!!



「彼のものをッ、封ぜよッッッ!!!」



悲鳴染みた声でが叫ぶと、地面に突き刺した刀から、(まばゆ)い光が(ほとばし)る。
溢れた光は大きな渦となって、再び実体を取ろうとしていた怨霊達を拘束した。
怨霊達は、なんとかして逃げ出そうと往生際悪くもがいたが、
の意思に応えるように光は膨張を続け、結局全体の半分程を飲み込んだ。
光に飲み込また怨霊達は、ザァッと風に吹き上げられかれた桜の如く散り、やがて雪のように消えてゆく。

封印の聖なる光は、その存在だけで怨霊に苦痛を与えるのか、
封印されることを免れた怨霊達も苦しげに身を捩っている・・・倒すなら、今がチャンスだ。
そう判断したは、再度封印を試みようと、今度は両手で短剣を掴む。
そうして地面を蹴ろうとし・・・・・だが、それが限界だった。

地面を蹴り上げようとした足は、思った以上に力が入らず、
はそのまま前のめりに倒れそうになって、慌てて掌を付いた。
小刻みに震える腕が目に入る。これでは長く持たないと察して、は潔く地面に座り込んだ。
この方が、うつ伏せや仰向けに倒れ込まずに済んだだけ、まだマシだろう。

とりあえず無様に転ばずに済んで、ほぅっと息を吐いたの視界に、黒い影が映った。
一瞬知盛かとも思ったが、影の持っている刀は1つだけ。
はっとして顔をあげれば、そこには辛くも封印を逃れた怨霊が、刀を振り翳して立っている。



「しまっ・・・!」



まずい、と思ったときには、もう遅かった。
無理に力を行使したの足は、これっぽっちも動いてくれない。
無駄な抵抗とは知りながら、はどうにか動く腕で顔を覆い
―――――― ・・・



ヒュンッ!

“ギシャアアァァァッッ!?”



・・・聞こえてきたのは、あの骨だけの体のどこから音を発しているのかと思うような、怨霊の断末魔の悲鳴だった。



「え・・・?」



怨霊の姿が、黒い砂塵となって掻き消えてゆく・・・その向こうに、揺らめく人影があった。



「悪いが―――――――― ・・・」



血の全く付着していない刀が、月明かりを浴びてキラリと反射する。
それもそうだ、血の流れていない怨霊をいくら斬っても、刀が血を吸うわけはない。



「・・・こいつは、俺の獲物でな。」



言って知盛は、にわざと見せ付けながら、舌でペロリと唇を舐めた。
その様子は、まさに獲物を狙う獣そのもので、湿った唇が奇妙な艶っぽさを漂わせている。
結果的には助けられた筈なのに、は何故か、素直にお礼を言うことが出来なかった。
それどころか、まだ怨霊も片付け終えてはいないというのに、それとは別の危機さえ感じる。

足は、やはり動かない。は逃げられないながらも、キッと知盛を睨み付けた。
肩を上下させ、荒い呼吸を繰り返す見下ろし、
知盛は眉を潜めるどころか、寧ろ恍惚とした笑みを浮かべてゆっくりとに近付いて来た。



「そう・・・・・・俺が見たかったのはその瞳だ、・・・」



知盛は刀を鞘に納めると、地面にしゃがみ込んでいるの顎を掴み上げ、上を向かせた。
強制的なそれに、は抗う術がない。



「やはりお前は・・・・・間違いなく“”、だな。」

「なに、言って・・・?」



紫色の瞳が、真っ直ぐにを捉えている。
倦怠感からくる息苦しさと、なにか別の要因からくる喉の乾きで、はそれ以上声が出せなかった。
束縛付与を掛けられたわけでもないのに、瞳すら反らせない。

そんな奇妙な時間の流れを打ち破ったのは、ギシギシという何かが軋むような音だった。
ふと、知盛の背後に過ぎる影・・・



―――――――― ・・・っ、!?」



知盛は背後にいる怨霊に全く気付いていないのか、逃げるどころか刀すら抜こうとしない。
・・・いや、例え今から抜いたとして間に合うかどうか。
は地面に突き刺さったままの、刀の柄を握り締めた。
まだ、思うようには動かない・・・けれど倒せないとしても、隙を作るぐらいは出来る筈・・・!



「将臣殿、こちらにッ!!」

「よしッ、でかしたぞ敦盛!!」



だがが行動に出るよりも先に、屋敷の方から聞き覚えのある声が飛んできた。
が声の発生源を確かめようとすると、知盛もそちらを振り返る。
・・・知盛の指が吸い付くようにの顎のラインをなぞって、惜しむように離れていった。



「おりゃああああッッ!!!」



そんな叫び声・・・というよりは、喚き声に近い声がして、
同時に怨霊の腹の辺りから突然、一本の大振りの刀が生えてきた。
刀が生えてくるなんて現象、あるわけがないのだが、
そう見えたのは怨霊の背中から腹に掛けて、刀が貫通していたからだった。
怨霊は耳障りな悲鳴を挙げて地面に崩れ落ち、やがて塵となって宙に掻き消える。
そうして怨霊が消えると同時に、紅い陣羽織がはっきりと見えて、は心の底から安堵した。



「・・・ッ、無事か!?」



切羽詰った表情をしてこちらに駆け寄って来たのは、さっき別れたばかりの将臣と敦盛だった。
2人共明らかに息を切らしていて、急いで来てくれたのだとわかる。
将臣は怨霊が消滅して、いまや地面に突き刺さっているだけの刀を軽々と抜き、
敦盛は錫杖を構えながらも、残り数体になった怨霊を説得しようと試みていた。



「止めろ、お前達!・・・この方を傷つけてはいけない!」



怨霊は敦盛の言葉に耳も貸さず、敵が増えたとばかり奇妙な音を発した。
諦める気はないのだと悟った敦盛と将臣が、武器を構え直した、ちょうどその瞬間。
怨霊の姿が一瞬揺らめいたかと思うと、まるで湯気のように消えてしまった。
それは、今までの葛藤はなんだったのかと問いたくなるくらい、
あまりに呆気のない終わり方で、は肩透かしを喰らったような気分だ。



「・・・どうやら、重衡殿が間に合ったようですね。」

「あぁ、らしいな。」



敦盛と将臣は、2人にしか通じない会話を交わし、頷き合って武器を下ろした。
その頃には、生物の気配も辺りに戻りつつあって、はやっと危機が去ったのだと知る。



「・・・・・・随分遅い御到着で、兄上。」



知盛がニヤリと唇の端を吊り上げて、嫌味たっぷりにそう呼ぶと、
将臣は明らかに嫌そうな顔をして、がっくりと肩を落とす。



「・・・知盛、なんでお前こんな所にいるんだよ?探しちまっただろうが。」

「それはそれは・・・申し訳ないことを。」



楽しそうにクッと咽で笑う知盛を遮って、がしゃがみ込んだまま言った。


「オミ・・・・・・知盛は、を・・・・・・・助けて、くれたんだよ・・・」

殿!?どこか怪我を・・・!?」



まだ呼吸が落ち着かず、途切れ途切れにそう言うと、
そんなに気が付いて、敦盛が真っ青になりながら駆け寄って来た。
敦盛の手がそっと肩に触れる。
すると一瞬、何故かぞくりと寒気がして、それからすぐに呼吸が楽になった。



「ッ!?」

「・・・・・・・大、丈夫・・・こうしていれば、すぐ・・・治まるから・・・」

!?お前、またあの発作なのか!?」



が何かを感じたように、敦盛もに触れたとき、何かを感じたのかもしれない。
彼は一瞬びくりとして、けれどその手を掴みながら、
“こうしていれば”と言ったに、そのまま静かに手を置き直した。



「それで兄上・・・これは一体どういうことなのか、ご説明頂けるのだろうな?」



何故か知盛が、敦盛を睨み付けながら将臣に話し掛けた。
敦盛は咄嗟に体を引こうとしたが、弱々しい力でが手を握っているので、虚しくも叶わない。



「・・・屋敷にいた怨霊使いが、怨霊を制御仕切れずに暴走させたらしい。
敦盛が、空気がおかしいって言い出してな。さっき重衡に、怨霊使いを探しに行かせたところだ。
怨霊が消えたところを見ると、重衡が怨霊使いを見つけたんだろ。」

「暴走だと・・・?原因、は?」

「さぁな・・・それはこれから、調べてみないことにはわからねぇよ。
ただここだけじゃない、屋敷中で怨霊がウロウロしてやがってな。
俺達はその処理に追われてたんだが、女房の1人が怨霊の大群が
の部屋の方に行くのを見たって言うんで、慌てて来たわけだ。」

「クッ、大群というには味気なかったぜ・・・・・・なぁ、?」



知盛の瞳が、真っ直ぐに向けられる。
は楽しそうな光を放っている知盛の瞳を、臆することなく見返した。
“そうだろう?”とでも言いたげな眼差しに、早計な判断だったのではという不安が脳裏を掠める。
やはり、“封印”を目の前で行なったのはまずかっただろうか・・・・・・?



「還内府殿、こちらにおられましたか!」



が考え込んでいるところへ、ちょうど銀が見知らぬ男を連れてやって来た。
その男は酒でも飲んでいたのか赤ら顔で、どこかとろんとした瞳をしている。



「馬鹿野郎ッッ!!!一体何処でなにやってやがったんだッ!?」



その男を見るなり、将臣はキッと眉を吊り上げて、の耳が痛くなるほどの大声で怒鳴りながら、
すぐさまそちらのほうへと走っていってしまった。

敦盛が傍にいてくれたお陰か、呼吸は少し楽になったものの、全体的な疲労感はさっぱり抜けていない。
それもそうだろう、ただでさえ陰陽のバランスが崩れている状態で、
しかも無理に力を行使したのだから、相当体への負担は大きかった筈だ。

全ての音が遠くに聞こえる。段々、視界どころか全てが揺れているような気がしてきた。
末端から体温が下がり、感覚が消えてゆく・・・。
そんな朦朧とする意識の中、何か暖かいものがの背中に触れた。



「・・・・・・おい。」

「?」



呼びかけられても、顔をあげる気力もない。
意識を手放さないようにするだけで精一杯で、口を開くのも億劫だ。



「・・・無事、か?」



・・・あぁ、この声は知盛だ。そうだとわかって、こくりと無言で頷く。
大丈夫と言おうとしたが、短い息が不規則に漏れるだけで、言葉にはならなかった。



「そうか・・・ならば、いい。」



途端、を天地がひっくり返ったんじゃないかと思うような感覚が襲った。
遂に自分が倒れたのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
薄っすら瞳を開けてみると、地面に足が付いておらず、は慌ててジタバタと身を捩った。



「っ・・・!」

「暴れるな、落とすぞ・・・?」



そう、耳元で低く囁かれて、どうやら知盛に抱き上げられているらしいと気付く。
自分とは違う男の人の匂いがして、頬を擦り付けられる位置に知盛の胸板があった。
しっかりと握っていた筈の敦盛の手は、いつの間に放してしまったのだろう?

知盛はこちらを気遣ってくれているのだろうか?彼にしてはやけにゆっくりと歩き始めた。
それはまるで、揺り籠に抱かれているような感覚で、はぼんやりとした意識で知盛の服を掴む。
しばらくそうして歩くと、大きな揺れが数度あってから、揺れが完全に止まった。
声が聞こえるから、傍に将臣がいるのだろう。けれど衣擦れの音が邪魔で、何を言っているかまではわからない。
・・・ただ、声の調子から機嫌が良くないことだけは簡単に推測出来た。
そのことを知盛に問おうとしていると、ぱたぱたと軽い足音がして、聞き覚えのある声がすぐ近くで聞こえた。



「兄上、殿はどうなされたのですか!?」



声の主が、銀だと悟ったは、何でもないよと言おうとして、声を出すのさえ難しいことに気付く。
上唇と下唇がくっついていて、咽がからからに渇いていた。



「そう案ずるな、重衡・・・どうやら、気が抜けたらしい。意識はしっかりしている。」

「そう、ですか・・・・・・御無事で良かった。」



銀の大きな両手が、の手をすっぽりと包み、優しく撫でた。
は軽く握り返すことで、それに答える。



「・・・・・・このまま、部屋に連れてゆく。」

「わかりました。ですが兄上、がお疲れであること。くれぐれもお忘れなきよう・・・」

「・・・わかっている。」



銀がとても心配そうな声を出すから、本当は大丈夫だよと言って、安心させてあげたかったのだけれど、
一度力を抜いて、知盛に凭れ掛かってしまったの体は、鎖でぐるぐる捲きにされたように重い。
首を持ち上げるのも一苦労で、もぞもぞしていると“大人しくしろ”と、顎で頭を押さえつけられてしまった。
そうこうするうちにあの揺れがまた再開して、忍び笑いと共に、“お休みなさいませ”という声が追って来た。

・・・段々遠のく喧騒と、徐々にはっきりしてくる1つの足音。
規則的な音の繰り返しに、は今まで必死に手放すまいとしてきた意識が、落ちてゆくのを感じていた。
底なし沼に足を踏み入れたかのように、ずるずると引き摺り込まれてゆく・・・もう、眠りたい。
けれど今言わなければ・・・今でなければ、言えないかもしれない。は、奇妙な使命感に駆られていた。



「知、盛・・・」

「どうした?眠い・・のか?」

「・・・・・・ありが、とう・・・」



これからどうするのか、やっぱり怨霊が暴れ出したのはのせいなのか。
の封印の能力を知った知盛が、それをどう思うのか・・・
その全てを考えることを放棄して、はすぐさま深いまどろみの中に身を沈めた。












戯言。

拙い文章を最後までお読みくださった皆様、お疲れ様です、そしてありがとうございます。
今回のお話はかなり収拾が付かなくなりまして、
遙か夢にしては珍しく、サモン夢並みに編集作業を繰り返しました。
よって、これ以上は限界です。もうしばらく読み返したくないくらい、読み返して編集しましたよ(苦笑)
切るところも見つからなくて、妙に長くなってしまいましたしネ・・・(汗)66KBですってよ、奥様(誰)

きっとは、ヒノエのことが好きだったんじゃないかな、と思います。
でも、好きなんだとはっきり自覚する前に、一週目の京での出来事があって。
大切な人達を一遍に失ってしまったので、好きよりも守らなきゃが先行しているのかもしれません。
いや、本当のところはわかりませんけども(←お前が書いとるんだろが!)

さてさて。は知盛の目の前で封印を使ってしまいましたが、どうなることやら。





BACK   MENU   NEXT



2006/02/06