気が付けば、は真っ白な世界に浮いていた。
白と言っても、嫌な白じゃない。暖かみのある白だ。瞳を開けていないのに、何故かそのことがわかる。
ここはふわふわしていて、とても心地がよい。
・・・は満足の溜息を付いて、再び深い眠りに就こうとした。



――――――――― ・・・。”



誰?声には出さずに、は尋ねた。
その声はとてもとても優しく、そして確かな甘さを含んでいて、うっとりするような響きでの名を呼んだ。
こんな風に自分の名を呼んでくれる人を、は知らない。



――――― ・・・・・。”



そっと降りてきた指が、ゆっくり髪を梳く感触がくすぐったくて、は身を捩った。
それが誰の指なのかまでは、わからない。



“・・・・・・”



声の主は、尚もの名を呼び続ける。
は返事をしたかったけれど、どうやっても声は出なかった・・・まだ、眠い。



・・・――――――― 俺の、”



―――――― ・・・俺の、。”



○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●






現代日本で言うところの、午前八時頃。
日の出前にとっくに起床していた有川将臣は、1人廊下を歩いていた。
・・・目的は勿論、朝が大の苦手な幼馴染を起こしに行くためだ。

本当は、の世話を頼んでおいた女房が、起こして来ようかと申し出てくれたのだが、
壊滅的に寝起きの悪いアイツを、素人が起こせる筈もない。
その有り難い申し入れを仕方なしに断って、
昨日あんなことがあったものだから、出来るだけ寝かせてやろうと配慮してこの時間だ。

これが現代なら、昼過ぎまで放っておいてやるのだが、如何せんこちらの人間は朝が早い。
昼になってもぐうたらしている奴なんて、知盛ぐらいのものだ。
だがこの時間なら、学校へ行く時間帯とほぼ同じだから、もどうにか起きられるだろう。

そんなことを考えながら、将臣は着実に歩を進めた。
・・・知盛と言えば、を起こす前のウォーミングアップに、
昼間は戦以外録に動きもせず、夜になると途端に元気になる、
まるで夜行動物のような弟を先に叩き起こそうとしたのだが、部屋は既に(もぬけ)の殻だった。

こんな早くにアイツが起きているなんて珍しい。
布団に触れてみても今さっき起き出した風でもなくて、昨晩はここで寝ていないかのようだった。
興味を引かれてほんの少し探してみたものの、
酷く目立つ銀の毛並みをした野生のヤマネコは、さっぱり見当たらない。

・・・そんなこんなで、“まぁいいか”と幼馴染を起こしに来た将臣だったのだが、
彼女が寝ている筈の部屋に足を踏み入れた途端、それ以上体が動かなくなってしまった。
幼馴染に割り当てられた筈の部屋で、小さく丸まって気持ち良さそうに寝ていたのは・・・



「だ・・・っ、なッ・・・!?」



やっと声を出すことを思い出したかのように震えた咽は、
けれどきちんとした言葉は発せなかった。
その代わりと言ってはなんだが、拳をぎゅっと握り締める。

・・・差し込んできた朝の光に照らされて、気持ち良さそうに寝ていたのは、
先程将臣が探し回った銀色のヤマネコと、それに守られるようにして眠っている幼馴染。



「なんでお前がここにいるんだよッッ!?!?」



が平家へやって来て初めての朝は、将臣の叫び声で幕を開けた。









未来に出
う過去の影 拾伍









将臣の怒鳴り声によって、は半ば強制的に目を覚まさせられた。
普段であれば、耳元で怒鳴られたくらいではこれぽっちも目を覚まさないなのだが、
そのが思わず飛び起きるほどに、今朝の将臣の絶叫は凄かったのである。

地震かと思わせるほどの地響きに、飛び起きたが見たものは、
知盛にヘッドロックを仕掛ける将臣の姿で、
はわけもわからないまま、とりあえず止めに入る羽目になった。

将臣は知盛をがくがくと揺さぶり、“本当だろうな!?”と半狂乱で叫んでいる。
それに対して知盛は、いつものようにクッと笑いながらどこか苦しげに、早とちりだとかなんとか応じていた。
そうして散々知盛を揺さぶった後、将臣は心配顔でこちらににじり寄って来て、
の腰や肩を擦り、“変なところはないか!?”と、真剣な声で聞いてきた。
ともすれば、泣き出してしまいそうな将臣に気圧されながらも、
“なんともないよ?”と答えると、今度はぎゅっとを抱きしめてくる。

彼の抱擁は、ここにきちんとが存在しているかどうか確かめるように強い。

いつもの将臣らしからぬ様子に、どこか具合でも悪いのかと心配になり、
どうしたのと尋ねてみれば、心なしか上擦った声で、“昨日あんなことがあったから”と返ってきた。
将臣に言われるまで、昨日のことなんて都合良く忘れてしまっていたは、
怨霊が暴れ出したことから昨日の自分の失態まで、
全部一遍に思い出してしまって、ちょっとだけ憂鬱になった。

知盛は、将臣にが持つ封印の力のことを話したのだろうか?
そうだと考えれば、将臣の妙な心配振りも不自然さも、納得がいくような気がした。

朝食の準備は出来ているからと、部屋を移動する道すがら、
そっと知盛を振り返ってみれば、彼はそんなにすぐ気付いて、
ニヤリと妖しげに口角を吊り上げ、楽し気に笑うばかりだ。
はどこかすっきりしない気分のまま朝食を採ったので、
ご飯も胃ではないどこか、妙なところに納まったような気がした。

ところでは、昨日自分がどのようにして床に就いたのかを覚えていない。
確か知盛が、歩けないを抱き上げて運んでくれた筈だ。そこまでは覚えているのだが・・・
将臣のそわそわが落ち着き始めた頃、話題転換にとそのことを尋ねてみると、
何故か将臣は、キッ!と眉を吊り上げて知盛を睨む・・・逆効果みたいだ。
・・・当の知盛の話によれば、は銀に会った後すぐ、気を失うように眠ったらしい。

結局昨日の騒動は、怨霊の暴走ということになっていた。
怨霊使いはぐでぐでに酔っていたが、彼が術を使おうとした痕跡はなく、
どうやって怨霊使いの意思無しに、怨霊が具現化出来たのか、原因不明だったらしい。
それは喩えるなら、刀を置いたまま酒を飲んでいた剣士の刀が、
独りでに動き出した挙句、人を斬ろうとしたぐらいの不可解さで、
一概に、彼に全ての責があるとは言えないと言うのだ。

もしかしたら、自分のせいで怨霊達が、彼等を縛する力を振り切って、
暴走してしまったのかもしれないと思っていたにとって、それは願ってもない結末だった。
まさか自分のせいかもしれないと言うわけにもいかず、かといって、
見知らぬ誰かが、その為に処断されるなんて心苦しいこと他ならない。

ただあの怨霊使いは、非常事態に泥酔して、
全く役に立たなかったという理由で、禁酒処分にはなったらしいのだが。
は将臣に気付かれないように、ほっと胸を撫で下ろし、
けれど自分がやらかした失態についてまたも思い出してしまい、気が重くなった。
・・・無意識の内に、胸元にある固い感触を確かめてしまう。

朝食を採り終えると、将臣は神妙な面持ちで、いくつか連絡事項があると言った。
はついに、昨日自分が使った能力のことを聞かれるのかと、
知盛の様子を窺いながら身構えたが、告げられた内容はなんてことない。

1つ、今日は午後から休みを取る予定でいること。
2つ、それまでは不本意だが知盛と大人しくしていること。
3つ、その前にに会わせたい人物がいること。

・・・何故2つ目に不本意が付くのかは謎だったが、
ともかくも将臣はそう言い、は横目で知盛を確認してから、大きく頷いた。




将臣がに会わせたいと言ったのは、そろそろ初老に差し掛かる年齢の女性だった。
服装からするに尼さんのようで、優しげな笑い皺が印象的。
彼女はを見ると一瞬瞳を丸くして、それから嬉しそうに微笑んだ。

その笑みがあまりに優しかったので、つられるようにが笑い返すと、
一歩進み出た将臣が、畏まった口調で“尼御前”と口を開く。この女性は、“尼御前”と言うらしい。



「尼御前、紹介します。これが昨日お話した、異世界から来た俺の幼馴染・・・です。」



将臣はそう言って、簡単にのことを紹介すると、“挨拶しろ”との脇を突いた。
このヤケに丁寧な将臣の言葉遣いを聞いていれば、馬鹿でもわかる。
・・・この女性は地位の高い人なのだ。はヒノエに教わった通りに深く頭を下げた。
するとそんなの様子を見て、“尼御前”はやんわりと微笑む。



「そう畏まらずともよろしいのですよ。私は、平時子と申します。」



隣に座った将臣が、名前を覚えられるかとひやひやしている気配が伝わってくる。
失礼なと思いながら、表情に違わず優しい口調で話す女性の名を、口の中で反芻してみた。



「・・・時子、様。」



そう呼ぶと、彼女は目尻に刻んだ皺を更に深くして、本当にそっくりだと感慨深そうに呟く。
誰に似ているのかなんて、明白だ。
以前平家にいたというではない、“もう1人の”に決まっている。
・・・彼女も、時子様と呼んでいたのだろうか?
そんなことを思っていると将臣がそっと耳打ちして来て、彼女は清盛の奥さんだと教えてくれた。
清盛の奥さんということは、知盛や銀のお母さんということであって・・・



「えぇッ!?」



は仰天して変な声を出してしまい、大慌てで将臣に口を塞がれた。
確かに、地位があるのにみたいな人間にも、
丁寧な態度で接してくれるところなんかは、銀に似ているかもしれない。

でも、この人が知盛のお母さん・・・

―――――― ・・・どうしても、納得できない。
将臣は慌てていたが、時子様はそんな様子を見ても、微笑ましそうに笑っていた。
・・・あぁ、やっぱり銀のお母さんだ。
最後に“きっと知盛も喜ぶでしょう”と付け足されたのが気になったが、それは将臣も同じだったらしい。
“なんで知盛・・・”時子様に聞こえない小さな声で、そうぼやくのが聴こえた。

それから将臣は時子様に、が平家に来た経緯を話し、
そして迎えが来るまでの間、屋敷へ滞在することの許しを請うと、彼女は快く頷いてくれた。
続柄で言えば彼女は清盛の妻にあたるが、
怨霊として蘇ってからの彼に対しては、息子や甥と意見が一致しているらしい。
の存在は、清盛に内密にしておくのが妥当だろうということになった。

こうして時子様とお目通りが叶うと、はまるで手荷物のように知盛に預けられた。
将臣が散々気をつけろと言うので、はわけがわからないまま頷いておいたが、
一体何に気を付ければいいのかまでは、わからない。

ただそうしないと、いつまで経っても将臣が、その場を離れそうになかったのだ。
還内府ともなれば、きっと色々と忙しいだろうに・・・
仕事に向かう旦那さんを見送る奥さんの気持ちは、きっとこんななのだろうと、
色々な勘違いをしながら、は将臣の背中を見送った。

やがて将臣の姿が見えなくなってしまうと、と知盛は本当に2人きりになってしまった。
こんなときに限って、女房さんの姿も見当たらない。
気のせいか生物の気配も(まば)らで、妙な緊張感があったが、裏を返せばこれほどのチャンスはないだろう。

知盛は、将臣の言いつけをきちんと守っているのか、律儀にもの隣に座っていた。
ただこのだだっ広い廊下で、何故かこれでもかというほど距離を詰めて座っている。
・・・だがまぁ、夏ではないしいいだろうと、はこれと言って気にしないことにした。

そっと、先程から黙ったままの知盛の窺い見る。
じっと見ていると、紫色の瞳がどうしたと問いたげにこちらを見たので、は慌てて首を振った。
・・・どうやら、瞳を開けたまま寝ているわけではないらしい。
は緊張で脂汗が滲んできた手をぎゅっと握り締め、恐る恐る声を掛けた。



「話して、いないの?」

「・・・なにが、だ?」



知盛は酷く緩慢な動作でを振り向き、物憂げに首を傾げた。
銀色の髪がさらさらと零れて、は素直に綺麗だなと思う。
これで時々、人が変わったようにならなければいいのに・・・



「昨日、が使った・・・“力”の、ことだよ。」



が言うと、知盛は一瞬考えるように眉を潜め・・・
考え込まなければ、思い出せないような記憶なのだろうか?
やや間があって、やっと何のことか思い当たったのか、知盛は納得したように瞳を伏せた。



「あれか・・・・話して、いない。」

「・・・・・・どうして?」



驚いたが、瞳を丸くしてそう問い返すと、
瞳を丸くした知盛に、更に不思議そうに質問を返されてしまった。



「・・・話して、欲しかったのか?」

「そう、ではないけれど・・・」

「ならば、話さなくとも構わないだろう・・・?」



そう言われてしまえば、知盛の言う通りなのだけれども、
としては、どうして黙っていてくれるのか不思議でならない。
いやそれより、どうしてこの人はいちいち耳元に息を吹きかけるように囁くのか・・・
―――――― ・・・まぁ、ヒノエも良くやっていたけれど。



「・・・何も、聞かないの?」

「別に。」



そう尋ねながら、は少し知盛から距離を取ろうとしたのだけれど、
あまりに間をおかず即答されてしまったので、身動きするのを忘れた。
封印の力を見て、今日ほどどうでもよさそうに言った人は、初めてだ。



「・・・なにを、驚いている?」



が呆気に取られている合間に、知盛はまた距離を詰めたのか、
すぐ目の前に紫の双眸があって、はハッと我に返った。



「だって、オミに話しているか・・・そうでなければ、見返りに何か要求されると思っていたから。」

「・・・そうか。」



少しでも遠ざけようと、は必死に知盛の肩を押すが、びくともしない。
それどころか、知盛はの背後に手を付いて、
それ以上逃げられないように、退路を塞ぐ作戦に出た。
途端危機感が増し、の焦りを嘲笑うかのように、知盛がニヤリと口の端を吊り上げる。
・・・あぁ本当に、これさえなければいい人かもしれないのに。



―――――― ・・・何が、目的?」

「・・・言っただろう?別に、何もないさ。」

「・・・・・・。」



挑むように告げたに、知盛は余裕の態度で笑い返した。
また彼の瞳が、奥底に何かしらの感情を隠すように揺れている。
そのことがの不安を掻き立て、ますます眼差しが険しくなってしまった。
知盛の指が、風に晒されたの髪を(すく)って、そっと撫でるように耳に掛ける。
だがそれでも一向に視線を緩めないと、知盛は小さく嘆息してこう続けた。



「そうだな、それほど言うのならば・・・」



呟くと、彼の体は予告もなく傾き・・・・・・





ぽすん。





「・・・なにをしているの?」



は何度か瞳を(しばた)かせてから、やっとのことでそう尋ねた。
何故知盛の頭が、膝の上にあるのだろう。
自分の置かれている状況が飲み込めないでいるに、知盛は楽しげな視線を向けた。



「見て、わからないか・・・?」

――――――――― ・・・・膝枕。」

「わかっているじゃないか。」



良く出来ましたと言わんばかりに、知盛がクッと咽を震わせる。
は一拍置いてから、納得しかけた自分にそうではないだろう!と言い聞かせた。



「そ、そうではなくて・・・!!どうして、が膝枕をしなくてはいけないの!?」



語気を荒くして叫べば、知盛は心外だといった風に眉を潜める。
・・・完全に知盛のペースに呑まれているように思うのは、の気のせいか。



「お前が、言い出したことだろう・・・?」

「え?」



知盛が返したのは予想外の答えで、は思わず聞き返した。
いつ自分が、知盛に膝枕をするなんて言った?
すると知盛は、まるでの思考を読んだかのように、ゆったりとした口調で続ける。



「見返りを・・・要求しないのは可笑しい、と。」

「それで、膝枕?」

「あぁ。」



迷いもなくそう答えられて、は拍子抜けしてしまった。
思わず正直な感想が口を付いて出る。



「・・・・・・たった、これだけ?」



その言葉を聞き咎めて、昼寝モードにでも入ろうとしていたのか、
瞼を閉じた知盛の瞳が、再びゆるりと見開かれた。
その表情が、何と言ったかと促しているような気がして、はもう1度呟く。



「膝枕・・・だけでいいの?」



が復唱すると、知盛はほんの少しだけ起き上がり、
楽しそうに口を歪めて、つつっと指の腹での頬をなぞった。



「クッ、そんなに期待されては・・・・・・応えないわけには、いかないか?」

「え、遠慮しておく!!」



は思い切り身を引いたが、足はしっかり知盛に押さえられている。
なんてそつのない男だ!が諦めとも呆れともつかない溜息を吐くと、
知盛はくすくすと忍び笑いを漏らして、再び膝の上に寝転がった。

――――――― ・・・何が何でも、膝枕はさせる気らしい。
手持ち無沙汰に髪の毛を梳いてやると、知盛は気持ち良さそうに身を捩った。











戯言。


はい、未来に出逢う過去の幻影も、もう15話です。
今回のお話は割合さくさく書き終わりまして、なのでまぁ、纏まりはいいほうかなと思います。

何故か、知盛は封印のことを黙っていました。
そしてに膝枕を所望する駄々っ子な25歳です(笑)それでいいのか新中納言。
ちなみに将臣さんは、が喰われたんじゃないかと勘違いしてるんですね(笑)
でもそんなこと面と向かっては言えないので、色々誤魔化しています・・・将臣さん、お疲れ様です。





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2006/02/11