その日知盛は、たまたま海岸を歩いていた。
今福原は、戦の準備だなんだでどうにも慌しい。
いざ戦火が気って落とされれば、それは紛れもなく知盛の出番であろうが
彼にとってその準備、というものは退屈なものでしかなかった。



・・・そんなもの、あの“重盛兄上”に任せておけばいい。



頭上を見上げると、忌々しいほどに空は晴れ渡っていた。
こんな快晴の日も、決して悪くはない。だが
―――――― ・・・

今日のような瞳に蒼が痛い日は、ふとした弾みで思い出してしまう。
脳裏に蘇るのは、悲鳴も血も。全てを荒い流し、掻き消してしまう雨の音。そして・・・・・・






―――――― ・・・大丈夫?”






・・・そう尋ねた、女の幻影。
知盛の中に深く深く、その存在を刻むだけ刻み付けて、消えてしまった女。

わざと波打ち際を歩いて、砂浜に足跡を残すも、それは打ち寄せてきた波によっていとも簡単に浚われる。
全て・・・そう、全てが儚いのだ、この世の中は。
人の命も、時間の流れも。一門の堕落も、全てが儚い。



・・・そのクセ、深く、強く残るものがあるのは何故なのか。



そうしてしばらく歩くうちに、知盛は何かが浜辺に打ち上げられているのを見つけた。
眩い太陽の光に照らされて反射し、寄せては返してゆく波に、
ゆらゆらとたゆたいながらそこに在るのは、流れ着いた貝でも水草でもなく・・・


――――――― ・・・人間。


まさか。その思いでいっぱいだった。しかもただの人ではない。
もう随分前になる、あれはまだ子供の頃のことだったから
かなり曖昧ではあるが・・・今も脳裏に焼きついて離れない、鮮やかな記憶。



―――――――― ・・・・・?」



名を呼ぶと、意識を失っている筈の彼女が、僅かに身動ぎしたような気がした。









未来に出
う過去の影 









ここ数日、有川将臣は実に忙しい日々を送っていた。
普段から、どちらかと言えば忙しいほうなのだが、三草山での戦が近づいてきている今、
平家を率いる還内府なんて立場にある彼の忙しさは、殊更である。

更には、経正と駄目もとでやってみようと決めた源氏と平家の和議、
その協力を後白河院に仰ぎに、いずれ京へ出向かなければならない。

そんな将臣も数年前まではだらけた高校生だったのだから、人間やれば出来るものである。
やらなければならないことは山積みで、一向に減る気配がない。
少々頭を抱え気味だった将臣のもとへこの日、またひとつ頭の痛くなる報告がもたらされた。



―――――――― ・・・知盛が女を拾ってきたらしい。



なんでも、倒れていたその女を、知盛自ら抱き抱えて連れ帰ってきたのだとか。
あの知盛が?あの、酒と戦うことにしか興味を示さない男が・・・?
女に興味がないというわけではないが、女性だからといって優しくもしないタイプだ。

知盛は身分上、一応将臣の弟ということになっている。
だが実際は彼の方が年上だし、血もこれぽっちだって繋がっていない。

知盛は剣の腕は滅法立つし、身分も容姿も申し分なかった。
普段の様子からは想像しがたいが、生まれのせいかそれなりに教養もあって、
こう言うと一見非の打ち所がないようだが、実は性格にかなり難アリの男なのである。

その知盛が女を拾ってきたなんて、一体何が彼の気を惹いたのか。
あの知盛が人助けとは珍しい・・・いや、彼のことだからただの気まぐれなのかもしれない。
ともかく将臣はこのとき、“こりゃ明日は雪かもな”なんてお気楽なことを思いながら、
気晴らしも兼ねて、様子を見に行くことにしたのだった。




それがまさか、自分の大切な幼馴染であるとは知らず
―――――― ・・・






○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●






抱き上げてみれば、それは意外と軽かった。
知盛の記憶間違いでなければ、コレはもっと重かったはずだ。
服が水を吸っていることを考えれば、彼女自身はこれよりも軽いことになる。
ふと、露になっている首筋を見れば、それはいとも容易く折れてしまいそうな細さで
今は力なく揺れている手も、自分の掌よりずっと小さかった。



・・・あぁ、女というのは斯様(かよう)な生き物であったか。



そんな当たり前のことを、不意に再認識させられる。
冷え切った、彼女の身体。
けれどもその芯にある、確かなぬくもりも感じることが出来て
―――――― ・・・


彼女という存在が、今確かに自分の手の中にあることを実感して、知盛は微かに笑った。
―――――― ・・・自分にも、まだこんな感情を抱く心が残されていたのかと。







びしょ濡れのを、知盛は屋敷に連れ帰った。
突然見知らぬ女を連れ帰ったうえ、その理由が“俺が拾ったから俺のもの”
・・・なんていう、なんとも無茶苦茶な理屈だったが
それを言ったのが知盛なのだから、もう誰も文句は言えない。


人々の反応ときたら、実に面白いとしか言いようがなかった。
奇異の目で見る者、良くわからない嫉妬に狂う者、
あからさまな疑惑を持って見る者
―――――― ・・・間抜けな顔を晒して、食い入るように見つめる者。


とりあえず、適当にその辺りにいた女房を呼び付けて
風邪を引かないよう、濡れた服を着替えさせるようにと、を押し付けた。
すぐさま湯船に突っ込んでもいいが、意識のないうちでは難しい。
確かに風邪は引くかもしれないが、急を要さねば命が危ないというわけでもないだろう・・・
目を覚ましてから入れることにして、思い出したように湯殿の準備もしておくよう告げた。


それから薬師を呼ぶよう手配させて・・・と、普段の知盛ならぬ配慮を見せたものだから、
彼がどこぞの者とも知れぬ女を連れ帰ったという話は、すぐ将臣にまで伝わったのである。


女房によって服を着替えさせられたは、まだ意識を失ったまま。
用意された床に寝かされ、これでもかというほど布団を掛けられていた。
・・・薬師が体を温かくしておけと言った故の、知盛の暴挙である。
それでもは呻き声ひとつ漏らすことなく、ずっと瞳を閉じたままだ。


そんなに、知盛はほとんど監視と言っても不思議はないくらい、ぴったりと付き添っていた。
廊下に出て、柱を背凭れに彼女が目覚めるのを待つ。
早く目を覚まして欲しいような、永遠に眠り続けていて欲しいような、奇妙な気分だった。


美しい牡丹色の髪も、淡く色づいた唇も、あの頃となにひとつ変わらない。
閉じた瞼の奥には、新緑を思わせる綺麗な瞳が隠されている筈だ。


―――――――― ・・・早く、早くあの瞳が見たい。



「おーい、知盛!」



そこへ、自分を呼ぶ豪快な声が聞こえてきて、知盛は急速に現実に引き戻された。
いま少し昔を懐かしんでいたかったとばかり、さも面倒臭そうに後ろを振り返る。



「・・・重盛兄上、俺に何用か?」

「だからそれ止めろっての、気色悪い・・・」



仕返しに、嫌がると知っていてその名を出すと
もう慣れていても可笑しくはないのに、将臣はうんざりしたように顔を顰めた。
それだけで、少し知盛の気も晴れる。



「いや、な?お前が女連れ帰って来たって聞いたからよ・・・おっ、そいつのことか?」



知盛の奥に、部屋の中で確かに誰かが寝ている故の膨らみを見つけて、
将臣は知盛が止める暇もなく・・・いや、止めるつもりもなかったのだが、部屋に入っていった。



「・・・っ!?」



ところが、気を失っている女の顔を見た途端、
将臣の足が不自然に止まったことに、知盛は目敏く気が付いた。



「どうした・・・?」



問いかけても、その場に縛り付けられたように立ち尽くす将臣から返事はない。
外と比べるとどうしても薄暗い部屋の中で、将臣は必死に目を凝らして少女を見ていた。



―――――――― ・・・、か?」



やがて、ポツリと呟かれた言葉に、今度は知盛が瞳を見開く。



のことを、知っているのか・・・?」

「知ってるもなにも・・・ッ!前、俺が話しただろッ?一緒にこっちの世界に流された、幼馴染の1人だ・・・
おい、・・・、起きてくれよ・・・なぁ?起きろよ、ッッ!?」



将臣は、意識を失っているの肩を揺さぶったが、それでもは瞳を開けない。
そのままがくがくと、尚も強くを揺すり続けようとする将臣を、珍しく知盛が制して止めた。



「・・・意識を失っているだけだ。薬師も、命に別状はないと言っていたが・・・?」



すると将臣はハッとした表情を見せて、
倒れこむように座り込むと、バツが悪そうに頭を掻いた。



「・・・悪ぃ、取り乱しちまった・・・」

「クッ、お前ともあろうものが、珍しいな?
・・・まぁいいさ。おかげで面白いものが見れた・・・とでも思っておくよ。」



将臣がこの世界にやって来てから、ずっと探していた弟と2人の幼馴染。
その幼馴染のうちの1人が、このなのだと言う。

この時代、この世界で。命の儚さというものを嫌というほど知り、味わってしまった彼は、
今は眠りに就いていて、物言わぬ彼女の姿に、焦りにも似た喪失感を感じたのかもしれない。

知盛が楽しげに笑うと、将臣はしかめっ面のまま、
重盛に似ていると良く言われる、眉間の皺を更に深くした。



「ん・・・」



そのとき。散々2人が騒いだせいか、はたまた将臣が強く揺すったせいなのか。
未だ瞳を開かないの口から小さな呻き声が漏れ、2人の視線は一気にに集中した。
















戯言。


短い代わりに早く書きあがりました、未来に出逢う過去の幻影、続編をお届けします。
まだまだ話自体は続くのですが、この辺りのほうが区切りがいいと思いまして。
・・・っつーか、まだ話の本編にすら入ってすらいませんよ。
任那が書きたいのはこんなところじゃないのよ・・・!!(握り拳)

意識がない人をお風呂に入れるのは難しいと思います。
いや、できるだろうとは思いますがね・・・とりあえず、あまり突っ込まないでください、ボロが出ます(切実)
あと香川と和歌山の水軍が戦って兵庫に流れ着くとか無茶苦茶だとかもツッコミ禁止!!(笑)
物理的に不可能とまでは言わないけど、かなり無茶な展開だと思う。
まぁ、運悪く陸地のない方に泳ぎ続けたとか、が頑張り過ぎちゃったことにしておいてくださると助かります。

なんだか色々とわかりやすい展開かとは思いますが
(隠そうとする素振りすら見受けられません/笑)しばしお付き合いくださると幸いです。





BACK   MENU   NEXT



2007/10/09