「―――――― ・・・え?」 ・・・・・・は我が耳を疑った。 思わず漏れてしまった声は、想像以上に上擦っていて、まるで他人のもののように聞こえた。 どくん、と大きく脈打った心臓は、すぐ耳元で鳴っているかのように響いているのに、 それでもどこかに冷静ながいて、平知盛の発した言葉の意味を考えている。 重盛と言えば還内府のことで、平知盛の兄といえば1番有名なのは小松殿・・・つまり、還内府平重盛だ。 何度何遍、どうやっても。答えは還内府に行き着いてしまう―――――― ・・・ 「おい、知盛。」 将臣が非難するように平知盛を呼ぶ声が、遠くに聞こえた。 いつも達の名前を呼んでくれた、頼りになる幼馴染とは違う厳しい口調。 けれど平知盛は、先程と同じように素知らぬ顔のままだ。 還内府?誰が?どこにいる? 自分の答えを否定してくれる“その人”の存在を探して、 は忙しなく辺りを見回したが、還内府らしき人物はどこにも見当たらない。 そっと窺うように見上げた将臣は、ただただ苦々しく笑っていた。 そうやって笑う彼は、確かに幼馴染の有川将臣でしかないはずで。 でもこの部屋に、平知盛と自分以外の人間は彼しかいなくて。 だから、知りたくなんかなかったのに――――――― ・・・ 「嘘、だ・・・」 ―――――― ・・・目の前が、絶望という名の白で埋め尽くされた。 未来に出逢う過去の幻影 肆 決して認めたくない答えを、それでも認めてしまった途端。 静電気のようなものが膝の裏辺りを走り、足から力が抜けていく。 その場にへたりと腰をつきそうになったは、 けれど膝をつく前に、慌てて伸ばされた将臣の腕に抱き留められた。 「お、おいっ、大丈夫か!?」 心配そうに尋ねるのが聞こえたけれど、今は答える気になれない。 腰にまわされた彼の腕に体を支えられながら、 は目の前の景色ではない、どこか遠いところを見つめていた。 ・・・多分それは、互いに何も背負うことなどなくて、理由もなしに一緒にいられた幼いあの頃。 「・・・・・・オミ、重盛ってどういうこと?なぜ、平知盛と一緒にいるの?」 「あー・・・」 尋ねた声は思いのほか平静で、将臣が心底困り果てて、頬を掻くのが気配でわかる。 この静かな口調こそが、問いかけた自身がその質問の答えを、 恐らく正しい形で予測していると、示してしまっているからだ。 「どうして・・・?だって、還内府は・・・ッ」 ――――――――― ・・・源氏の敵だ。 無意識のうちに、きつく服を掴んでいたの指を、将臣が1本ずつ解いていく。 服についた皺は、アイロンのないこの世界で、すぐには元に戻らなそうだった。 将臣の指はそのまま、強く手を握り締めていた為に、赤く爪痕の残ってしまったの掌をそっとなぞる。 「そっか、お前はこっちの世界に来たばっかりってワケでもないんだよな。 ・・・平家のことも、還内府の噂も、知っていて当然か。」 そう呟く将臣の瞳には、愁いの色が見え隠れしていて 気付いて欲しくなかった、知らないでいて欲しかった・・・そんな思いが伝わってくる。 どうしてまた、気付いてしまったのだろう?もう何も、気付きたくなんてなかったのに・・・ 唇を噛むと、なにか生温かくてまずいものが、口の中に広がった。 「あっ、馬鹿お前・・・っ」 いち早くそれに気付いた将臣は、の顎を掴んで顔を上げさせ そこから薄っすら滲み出た血を、指先で乱暴に拭う。 正面に見据えた彼の表情は、なんだか泣きそうに思えた。 「唇、噛むなよ・・・・・・痛いだろ。」 そう言って、今度は優しく頭を撫でる将臣に、ぶんぶん頭を振ってみせる。 違う、違う・・・唇なんか、全然痛くない。痛いのは、もっと別のところだ。 将臣はしばらく押し黙って、それから雰囲気を変えるように、 またの髪を、手でわしゃっと掻き混ぜた。 「さっきのは、言い方がマズかったな・・・・お前は何も、悪くなんかないさ。」 ・・・そうやって、あのときと同じことを言うんだね。 いつもそうやって気に掛けてくれていること、良く知っている。 声を殺して泣くばかりで、何も出来なかったあの頃から、ずっと。 これ以上はぐらかすのは、却って良くないと判断したのか 将臣は途端凛々しい顔付きになって、でも安心させるように小さく口元を緩める。 ・・・それはなにかを決意をして、吹っ切ったような表情だった。 「・・・説明すると長くなるんだが、どうも俺は死んだ平重盛にそっくりらしい。」 「・・・オミが、平重盛に・・・??」 「あぁ。俺が、3年前にこっちの世界に来たってことは話しただろ?」 将臣の指が、慣れない手付きでの髪を梳く。 ヒノエとは多違いだなんて思ってしまう自分がいて、思わず溜息のような苦笑いが漏れた。 ヒノエのように、女の子の扱いに慣れていないところが、とても将臣らしくて それと同時に、なにがあの頃と変わってしまったのだろうと思う。 “なんだよ?”と首を傾げる将臣に、なんでもないと首を振るってみせてから、 は話を逸らすように“それで?”と彼を促した。 「・・・こっちに来てすぐのころ、俺はお前達を探してた。 そりゃ必死だったぜ?なにしろお前は、最後に見たのが気を失ってるところだし、 望美はぽやっとしてるから、誰かに騙されちまうんじゃないかとか・・・ 譲の奴も、望美のことが絡むと見境なくなるしな。」 「確かに、言えている。」 その様子が、あまりに簡単に想像できてしまったものだから、つい堪えきれずに笑ってしまうと、 弱々しいそれに、けれど将臣は満足したのか、得意げに笑って“だろ?”と言った。 「知り合ったおばちゃんの手伝いして、食い物貰ったりしてさ。 色んなことしたんだぜ?畑からちょっと失敬したりとか、追剥に近い真似も・・・したしな。 ・・・まぁ、俺も生きるのに必死だったんだ。」 ・・・あまりに簡単に口にされた言葉が、重すぎる。 その間、彼がどんな思いで生きていて、そして自分達を探していたかと思うと、 水中にいるわけでもないのに、胸が苦しくなって息が詰まる。 そんなことを思っていると、知らず知らずのうちに難しい顔をしていたらしい、 将臣が可笑しそうに笑って、トン!との眉間を小突いた。 「こっち来てから、どれくらいだったか・・・まぁいい、正確な日にちなんざ覚えちゃいないが ともかくその日、俺は適当に忍び込んだ屋敷で、警備の連中に取り押さえられた。」 が驚いて将臣の顔を見上げると、彼はそこで1度言葉を切った。 少しの間を置いて、すぅっと大きく息を吸い込む・・・は、再び将臣が話し出すのを静かに待った。 「縄でぐるぐる巻きにされてよ、屋敷の持ち主の前まで連れていかれて・・・ ―――――――― ・・・正直、もう終わりだと思った。 どうしてこんなことになったのか、その理由もわからないまま、 望美も譲も・・・お前のことも、探し出してやれないで、 この世界で1人、俺は死んでいくんだと思ったんだ。けど―――――― ・・・」 「・・・けど?」 いつものように頭に手をやろうとして、 けれど何故かそれを躊躇った彼の手は、行き場を失くしたように宙を彷徨う。 どこへやればいいか思いあぐねている将臣の腕に、少しでも安心させられればいいと、慎重に手を添えると 彼は心配を掛けまいとしたのか、極めて陽気な声を装った。 「俺を見た清盛が・・・平清盛は、知ってるよな? 古典の時間に、暗記させられただろ?祇園精舎の鐘の声・・・・・・」 とても有名なフレーズに、はこくりと頷いて、静かな声でその続きを引き継いだ。 「諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす・・・」 授業で習った件を呟くと、将臣の顔がどこか悲しげに歪んだ。 「・・・・・・そうだ。」 それもその筈。この言葉の意味は―――――― ・・・ 「・・・うん、知っているよ。」 この世に不変のものなどない、全てのものは移ろいゆく。 ・・・つまりは、そういうことなのだから。 「その清盛が俺を見て、亡くなった息子に似ていると言ったんだ。それで俺は、殺されずに済んだ・・・」 その眼差しが、遠い昔に思いを馳せているようで、今度こそは顔を顰めた。 ・・・将臣に、かける言葉が見つからない。 これまでは、多少違えども彼と同じものを見てきた筈だったのに・・・今は違いすぎる。 将臣の眼差しは、時空を跳ぶことを決意した望美と、同じ強さを宿していた。 「・・・・・・。」 「それからずっと、清盛・・・いや、平家には良くして貰ってる。世話になりっぱなしなんだ。」 “世話になってる家の使いでな” ・・・そう、夏の熊野で再会したとき、彼が話していたことを思い出す。 お世話になっている家というのは、平家のことだったんだ・・・ 今頃になって、何気ない彼の言葉の裏に隠された、真実を知る。 ・・・あぁ、肝心なときに気付いてあげられなくてごめんなさい。 でもきっと、出来るならば知りたくなかった。 「お前たちのことも、随分探してもらったんだぜ?」 けれどそんな風に言って、将臣がまた寂しそうに笑うから 嫌でもはわかってしまった―――――― 彼は、平家を大事にしている。 達を大切に想ってくれるのと同じように、そして・・・ ・・・望美や自分がいくら望んでも、平家を捨ててはくれないことを。 「・・・・そう、か・・・還内府って、オミのこと・・・だったんだ。」 今のは源氏ではない・・・まだ、その時空ではないのだから。 熊野は中立を保っている、だから悲しむ必要はない筈で・・・それなのに。 こうも息が苦しくなるのは、時空がくれば源氏と共に行動する自分の運命を知っているからだろうか? ・・・上手く言葉が紡げない。 喉の奥から何かが込み上げてこようとするのを、は懸命に耐えた。 吐き出してしまったら楽になれるかもしれない。 けれどそれでは、将臣を困らせるだけだとわかっていた。 ―――――― ・・・あぁ、ヒノエに会いたい。 今傍にヒノエがいたら、は泣いてしまっていたかもしれない。 彼はきっと、人目に触れないよう、そっとを抱きしめて。 が泣き疲れて眠ってしまうまで、頭を撫で続けてくれるに違いない。 普段はちゃらちゃらしているように見えるけれど、本当はとても優しい人だから。 少しでも気を緩めれば、感情が涙と一緒に溢れ出てしまいそうだ。 唇をきゅっと結んで、以前より長くなった髪の毛に、顔を隠すように顎を引く。 「・・・・・なにも、泣くことねぇだろ。」 「・・・泣いて、いないよ・・・」 いくら努力しても、には彼を困らせることしか出来ないらしい。 震えてしまいそうな声に鞭打つようにして、無理矢理音を絞り出してそう告げると、 泣かなかったはずなのに、それでも将臣は困り果てたように顔を顰めて “だから、話したくなかったんだよ”と、自嘲気味に呟いた。 「・・・そんなこと、ないよ。」 「・・・?」 「オミが、きちんと話してくれて・・・・・・は、良かったと思っているよ。」 上手く笑えている自信があるかといえば、あまりない。 けれどは精一杯微笑んで見せて、スタイリング剤もなにもないこの世界で、 好き勝手な方向に跳ねている将臣の髪に手を伸ばすと、 そっと指を通して引き寄せ、自分の胸に彼の頭を抱え込んだ。 足りない身長を補うために、一生懸命背伸びをして、 気まずそうにしている彼を、ぶらさがるような体勢で抱きしめ、頭を撫でる。 将臣は最初こそ、驚いたような、戸惑ったような声をあげていたけれど 解放する気がこれっぽっちもないのだと悟ると、 少しでもが楽になるよう背を屈めて、されるがままに抱きしめられていた。 「ごめんね・・・ごめんなさい、将臣。貴方だけに辛い思い、させてしまった。」 ずっとずっと、彼は一人で抱え込んでいたのだろうか? ずっと・・・一人で苦しんできたのだろうか? 「・・・・・。」 ゆるゆると、将臣の手が躊躇うようにの背中にまわされて やがて小さな子供が母親に縋るように、強く、の着物を握った。 「または、貴方になにも、してあげられなかった・・・」 「お前が謝るような、ことじゃないさ・・・」 そう言った将臣の声は、ちょっと前のと同じで 溢れ出ようとするなにかを、必死に堪えているような声だった。 だからは、将臣を抱く腕に更に力を籠める。 「・・・生きていてくれただけで、十分だ。」 「将臣・・・・・・」 このまま時間が、止まってしまえばいい。冗談ではなしに、本気で願った。 だって、どうしたらいいかわからない。 還内府は敵だ、の大切な人達を奪う平家の人間だ。 けれど将臣は大事な幼馴染で・・・絶対に、失いたくなどない人。 ―――――――――― ・・・どちらかなんて、選べない。 けれどもには、両方選べるほどの力はないから、だから・・・ ずっとずっと、永遠に。全てが凍りついてしまえばいい。 そうすれば、源氏と平家が争うことも、望美が還内府と会う必要もなくなる――――― ・・・ の大切な人達が悲しまないで、傷付け合わないで済む。 「・・・・・・随分と、お熱いことで。」 不覚にも、一瞬そう思ってしまったの意識を現実へと呼び戻したのは 平知盛の、吐き捨てるような声だった。 自分の存在を無視して進んだ会話が、どうやらこの男はお気に召さないらしい。 ・・・彼は嫌悪を隠しきれない表情で、今もを蔑むように見ている。 それに気付いた将臣は、“悪い悪い”と軽い調子で言って、 力の抜けた腕から抜け出すと、ポンとの肩を叩いて、それから静かに離れていった。 最後の最後まで触れていた肩から、彼の指先が離れてゆく瞬間。 将臣はチラリとを振り返って、またあの微笑みを見せた。 ―――――― ・・・1人だけ妙に大人びてしまった、悲しさと愛しさの混じった表情。 ・・・そんな顔、しないで。 お願いだから、できることならなんでもするから。 「俺なら平気だ・・・だから、心配すんな。」 「・・・・・ん。」 「それよりお前、今更だけどよ・・・」 「・・・なに?オミ。」 「なんでよりによって浜辺なんかに打ち上げられてたんだ?お前水、駄目だろ?」 将臣にしてみれば、重くなりすぎた空気を変えるために尋ねた、それだけの疑問だったのだろう。 けれどそれは、に思いも寄らぬ効果をもたらした。 「え?」 一瞬なんのことを言われたのか、訳がわからずに首を傾げしまってから は気を失う直前の記憶を、必死に頭から引っ張り出してこようとした。 ヒノエがいて、潮風が心地よくて―――――― そうだ、あれは確か・・・ 「・・・あぁ、が浜辺にいたのは船から落ち―――――― ・・・」 出てきた答えを、そのまま口にして―――――― はそこで、固まった。 船から落ち、て・・・??? “・・・っ!、おいッ!しっかりしろよ、!・・・ッッッ!!!” 前の時空で溺れたとき、とても心配を掛けてしまったヒノエ。 ・・・けれどそのヒノエは、今この時空でどうしている? 答え、がここにいることを知らない。 「あーーーーーーーーーッッ!!!」 「っ、今度はなんなんだ!?」 「――――――― ・・・ッ、ヒノエ!!!そうだ、ヒノエ!!!」 が突然大声で叫ぶと、将臣は顔を顰めながら バチンと耳を両手で塞いで、非難がましくこちらを見た。 そんな彼を余所に、はバタバタと忙しなく、同じ場所をぐるぐるまわっていた。 ・・・今更ながら、非常に深刻な事態に直面していることに気が付いたのだ。 「どッ、どうしようどうしよう・・・!! すっかり忘れていたけれど、ヒノエ、きっととても心配している・・・!!!」 最初は、自分の置かれている状況に頭がついていかず、 それがどうにか理解できたときには、将臣のことでいっぱいになってしまって。 ヒノエの事はこう言ったら怒られるが、すっかり頭から抜け落ちてしまっていたのだ。 今頃熊野では、水軍衆総出での大捜索が行われているかもしれない・・・! 前の時空でそれに近い事態に発展していただけに、ないとは言い切れなかった。 あのときは気を失っていて、遠くに流されていなかったから、すぐ発見されたけれど 今はどこをどう泳いだのか、こうして還内府に保護されてしまっている。 ・・・いくら海を探しても、見つかる筈はないのだ。 このままでは、皆に迷惑を掛けてしまうかもしれない。 が最優先にすべきことは、平知盛を見て悲鳴をあげることではなく、 ヒノエに無事だと報告することだったのだ。 「ひのえ・・・?お前さっきもそんなこと言ってたな、誰かの名前か?」 「ヒノエは、を拾ってくれた人なんだ!!でも、あぁ・・・ッ! オミが還内府で平家で、がいるとヒノエを困らせ―――― ・・・ッ!?」 将臣の問いに、他人からすれば全く文章になっていない言葉でそう叫んだとき、 は突如、酸欠からくるのではない眩暈に見舞われた。 全身から、体内の血を一気に引き抜かれたように力が抜け、そのままガクリと膝を付く。 足だけではない、全くと言っていいほど体に力が入らず、 瞳に見えている景色が何重にもぶれて見えて、視界がぐらぐらした。 「おい、!?」 喚き出したかと思えば、また突然倒れ込んだに、将臣が驚いて駆け寄ってくる。 少し離れたところで、平知盛も同じように驚いているらしいのが、視界の隅に見えた。 どうせいつもの発作だと、は額に浮かんだ冷や汗を拭った。 この時空では、まだ望美はこちらに来ていない。 一卵性双生児であったと望美は、2人で陰陽を成していたとかで 望美の存在が欠けていることが、の陰陽バランスが崩してしまっているらしい。 そのため時々、こうして酷い眩暈と脱力感に襲われるのだ。 それでも今までは、ヒノエの傍にいたことと、 時折訪ねて来てくれるリズヴァーンのお陰で、かなり症状は緩和されていた。 八葉というのは、そういうところまでも神子に影響を及ぼすらしい。 以前京を救ったという白龍の神子は、物忌みと言われる凶日には、 悪い氣や穢れにあてられないよう、八葉と共に過ごしていたのだと、リズヴァーンが言っていた。 どうしてそんなことを、リズヴァーンが知っているのか、教えてくれるのか。 その理由はわからないが、彼がの身を案じてくれていることだけは確かだ。 今はヒノエも、リズヴァーンも傍にはいないが このまま大人しくして休んでいれば、それでも少しは楽になるだろう。 ・・・だが、嫌でもヒノエが傍にいないのだと思い知らされる。 熊野にいた頃、がこうして眩暈を起こして倒れる度、真っ先に飛んできてくれるのはいつもヒノエだったから。 「だ、大丈夫・・・」 覚束ない足取りで立ち上がろうとしたの前に、将臣の手が差し出される。 はこれと言って深く考えず、その手をとり――――― ・・・ 「・・・・・・あ。」 「どうした?まだ、気持ち悪いのか?」 途端ふっと軽くなった体に、は崩れたはずの陰陽のバランスが、多少とはいえ持ち直したことを悟った。 触れた将臣の手を見やり、そういえば彼も八葉なのだと思い出す。 不思議そうに首を傾げる将臣に、はまだ疲労感の残る笑みを向けた。 「ううん・・・その、逆。オミの傍にいると、少し楽になるみたい。」 「そうか・・・」 ほっとしたように笑う将臣は、平凡な高校生だったあの頃を髣髴とさせる。 は将臣に背を擦って貰いながら、乱れた呼吸を整え・・・そして考えた。 将臣が還内府だったという事実を前にして、は精神的にかなり参っていた。 今発作が起きたのは、確かに体力的な問題や、熊野本宮のように結界が張られていないせいもあるだろうが、 多分、その辺りの精神状態が関係しているに違いない。 それに、将臣のことはこれからゆっくり考えるとしても、だ。 それを差し引いても、まだ他に問題は残されている。 まずは、どうやってヒノエにが無事を知らせるかということだ。 まさか馬鹿正直に、ヒノエが熊野別当だと明かすわけにも行くまい。 それではなんのためにヒノエが、偽名まで使っているのかわからなくなる。 それに、熊野は中立だ・・・もし、が熊野別当に保護されていることがバレて 平家がそれを足掛かりに、熊野に協力を求めるようなことをしたら 最悪の場合、の存在が熊野に戦火を持ち込んでしまうかもしれない。 ・・・それは、嫌だ。 あの美しい場所に、余計な争いごとを持ち込みたくはない。 そういう意味では望美には悪いが・・・は、ヒノエに同意である。 彼女の希望や願いだけでは動けない・・・もっと、もっと確かな確証が欲しい。 だがもしそんな事態になったら、ヒノエは別当として、よりも熊野を選ぶだろう。 それは正しい決断だ・・・けれど彼は、そんな選択をした自分を責めるに違いない。 ・・・それだけは、なんとしてでも避けなければ。 はまた、今度は別の理由で眩暈がしてくるのを感じて、将臣の肩に寄りかかった。 ―――――― ・・・考えなくてはならないことが、多すぎる。 「・・・お前、本当に大丈夫なのか?」 「うん・・・大丈夫。少し休めば、治まるから・・・」 頼りない返事をが返すと、将臣の眉間に深い皺が刻まれた。 「頼むから、無理はするな・・・そうだ、どうせだから風呂でも入って・・・」 「失礼致します。」 そこへ突然、聞いたことのない女性の声が、会話に割り込んできた。 それに気付いた将臣は、を肩に寄り掛からせたまま 軽く後ろを振り返り “どうかしたか?”と返事を返す。 将臣が振り返った先には、恐らくこの御屋敷で働いている女房さんかなにかなのだろう、 深々と頭を下げている女性がいて、彼女は明確に用件のみを告げた。 「湯浴みの準備が整いました。」 女房さんの言葉に、将臣はとても驚いていたようだけれど すぐ心当たりに思い当たったのか、“お前が?”といった様子で平知盛を見た。 ツチノコでも見つけたような将臣の視線を、正面から受け止めた平知盛は、 の視線が自分に向いていることに気が付くと、在らぬ方向を見やり、フンと鼻を鳴らす。 どうやら肯定の返事らしいそれに、将臣はぽかんと間抜けに口を開けて それから気を取り直したように、の背を叩いた。 「・・・ま、まぁともかく・・・折角準備も出来てるっていうんだし・・・入ってきたらどうだ、風呂。」 「・・・あ・・・うん、ありがとう。そうさせて貰えると、嬉しい。」 体もどこか、芯まで冷えて動かし辛かったし、なによりも1人になってゆっくり考える時間が欲しかった。 そう思ったは、思い出したように返事をする。 将臣にを湯殿に案内するよう言い付けられた女房が、 小さく愛想笑いを浮かべて、“こちらです”とを促した。 「ゆっくりしてこいよ。」 「・・・うん。」 ・・・大丈夫、大丈夫。 そう暗示のように繰り返しているのに、 蒼褪めた顔で自分の名を呼んだヒノエを、また思い出してしまう。 あんな風に、心配させたくはないのに――――― ・・・ にとって、将臣も望美も譲も、大切な幼馴染であるけれど それと同じくらいに、ヒノエも大切な存在なのだ。 ・・・だからこそ、将臣の気持ちもわからなくないところが、は余計に辛かった。 思わず眉間に皺が寄ってしまい、握る拳にも力が入る。あぁ、やっぱりこんなときは・・・・ 「――――――――― ・・・ヒノエ。」 その名を呟いては立ち止まり、胸元に手をやった。 着物の下には硬い感触が確かにあって、少しだけを安心させてくれる。 それはひとつ前の時空で、ヒノエがにくれた珊瑚の首飾りだった。 はこれを、ヒノエの言い付け通り肌身離さず身に付けている。 ――――――――― ・・・時空を遡った、今も変わらずに。 着物の上からでも、首飾りの形がくっきり浮かび上がるんじゃないかと思うくらい強く、強く。 がそれを握り締めていると、ズカズカと形容するのがぴったりな足音を立てて、誰かがこちらへ歩いて来た。 まず、視界に映った足。差した影。 それにつられるように視線をあげると、そこに立っていたのは――――― ・・・ ・・・平知盛。 「・・・なッ!?」 が何事かを叫ぶよりも先に、平知盛の手がにゅっと伸びてきた。 反射的に身を引くが、その手はの着物の合わせ目をしっかりと捕らえる。 ぐっと胸元を掴まれて、呼吸が言葉ごと、喉元に詰まった。 もしかしたら殴られるんじゃないかと思って、は咄嗟に体を強張らせたが 次に平知盛が取った行動は、の予想を遥かに超えるものだった。 ・・・平知盛はよりにもよって、着物の合わせ目を広げ、肩の辺りまで引き下ろしたのだ。 “きゃっ!”と恥らった女房さんの悲鳴が夢現に聞こえて、は立ったままフリーズした。 「・・・おッ、おい知盛!!お前なにやって・・・!!」 流石の将臣も、これにはかなり狼狽しているようだった。 いるようだった、なんて他人事のように思えたのは、あまりに衝撃的な出来事に の脳が、理解することを拒否していたからかもしれない。 それでもじんわりと、自分の置かれている状況が染み渡る頃には の脳も、正常な思考を取り戻しつつあった。 冷たい外気に触れる肌、揺れる首飾りの感触・・・ それを自覚したあとのの行動は、実に素早かった。 「・・・ッ、きゃああああああああーーーッッ!!!」 ばっちーん!! ・・・無意識に起こしたその行動は、悲鳴と共に、 知盛の頬に容赦なく、真っ赤な紅葉を刻みつけることに成功したのである。 |
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戯言 な、長かった・・・っ!!未来に出逢う過去の幻影、その四です。 このお話は、元々その参とひとつのお話だったのですが、あまりに長くなった為に分割。 そして分割した為に、さらに長くなったという・・・曰く付きの作品です(汗) なんだか知盛がわけのわからない行動をとっていて ある意味キャラが崩れそうな予感ですが、まぁどうにかなる・・・のかなぁ?(オイ) とりあえず、今回は将臣苦労しただろうなぁと思いながら書きました。 絶対平家に落ち着くまで、大変だったと思う。 でもそのあたりは完全な捏造なので。やっぱりあまり突っ込まないでください(笑) |
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2005/10/19