確か、くだらない用事だった。
いつものように、兄が酷い仕打ちをした女性を慰めていて
そろそろ1回諌めておいたほうがいいだろうと、そんな用件だった気がする。
兄が女性に優しくないのはいつものことだが、近頃は殊更、その傾向が著しかった。

部屋を探してもいない、いつものように訓練をしているわけでもない・・・
偶然会った女房に、兄の行方を知らないかと尋ねてみると、
なんでも兄は出掛けた先で、浜辺に倒れていた女性を連れ帰ってきたのだと言う。
それで今、還内府殿が様子を伺いにいっている、とのことだった。

兄が人助けをしたことにも驚いたが、それよりも先に外出していたことに驚く。
なにしろ、戦うこと以外にはあまり興味がなく、1日の大半を屋敷で寝て過ごすような人だ。
少なくとも、昼間はほとんど出歩こうとしないあの兄が、しかも海へ出向くなど
余程暇を持て余しているのか、それとも・・・




――――――― ・・・ “あの人”のことを、思い出しているのか。




そう、ぼんやり考えていたちょうどそのとき。
重衡は前方に、珍しく庭などを眺めている兄を見つけた。



「あぁ、兄上。こちらにいらしたのですか、お探ししました。」



ところが、重衡がそう告げるのとほぼ同時に。
室内からふわりと、桜色をしたなにかが飛び出してきたのだ。



「え?」



重衡が桜色の、まるで蕾のようだと思ったそれは人間の、しかも女性だったらしく、
一瞬驚いたように重衡を見たが、重衡とてどうやっても、これ以上早くは立ち止まれそうにない。



「・・・あ。」


ぼすっ。



どうにか彼女を突き飛ばさないで済んだものの、時は既に遅く。
彼女はすっぽりと、重衡の腕の中に納まっていた。

重衡が桜色と錯覚する原因ともなった、彼女の長くて美しい髪は
湯浴みをしたばかりなのか、しっとりと水気を含んでいて、
服に炊き込めた香の匂いが、仄かに鼻先をくすぐる。

一瞬、このような女性がこの屋敷にいただろうかと疑問に思い、けれどすぐに見当が付いた。
兄がいつにも増して険悪な目付きで、彼女を抱き留める重衡を睨み付けている。
・・・恐らくはこの女性が、女房の言っていた、兄が連れ帰ったと言う人なのだ。



「・・・あぁ、もしかすると貴女が兄上のお連れした・・・?申し訳ありません、私の不注意でしたね。」



そうでなければ、兄があのように所有欲に塗れた顔をするわけがないし
前々からこのような女性がいたならば、兄はともかく重衡が気付かないはずがない。

兄は余程、この女性のことが気に入っているらしい。
・・・兄があんな顔をして見せるのは、“あの人”がいたとき以来だろうと思い
そういえば、今腕の中にいる女性は、彼女を髣髴とさせる要因が多々あると気付く。

重衡はそんな兄の様子と、照れてしまったのか
重衡の胸に顔を埋めたまま、ピクリとも動かない女性を見おろして、くすりと笑った。



「・・・お怪我はございませんか?姫君。」



そう告げると、その女性は予想外に、くすくすと楽しげな笑みを漏らして
それからゆっくりと、重衡の顔を見上げた
―――― ・・・




まさか。




重衡の頭は、その一言で埋め尽くされた。



――――――― ・・・貴女、は」


貴女は十六夜の君?それとも
――――――― ・・・



そう尋ねようとして、けれど彼女は十六夜の君ではなく、“あの人”なのだと直感する。
あの兄が見つけ、連れ帰ってきた人なのだから・・・わけもなく、確信した。

未だ、昨日のことのように覚えている。

まだ幼かったあの頃、華のように微笑んで、そこに居てくれた。
ときには姉のように皆を甘えさせ、ときには妹のように甘えてくれた人。
忘れようと思っても忘れられないのは、なにも自分だけではない。

・・・それほど鮮明で、優しい思い出。
突然の別れに一番傷ついたのは恐らく、彼女を本当に慕っていた兄で。
ずっと紡ぐことすら躊躇っていた彼女の名を、重衡は今一度紡ぐ為に口を開き・・・



「ぎゃあああああああーーーッ!?!?」



・・・そして何故か、悲鳴をあげられてしまった。









未来に出
う過去の影 









解ってはいたことだったが、どうしても腑に落ちなかった。
何故自分が、に拒絶されなければならないのか・・・手加減なしに叩かれた左頬を擦る。


確かに彼女は、“あの” だった。


間違いない、それは彼女が大事そうに握り締めていた、あの首飾りが示している。
他の奴には秘密だと、自分だけに大切な首飾りを見せてくれたことは、未だ忘れてはいない。
あの頃も、はなにか不安なことがあると、すぐ胸元の首飾りに触れていたものだ。

にそれを贈った、見知らぬ誰かへの嫉妬は
知盛が初めて自覚した、身を焦がすような感情だった。

・・・は、まだ知盛のことを知らない。
そのことを、知盛は予め知っていた筈なのに、それでもどうしようもない苛立ちが募る。




“お願いだから、泣かないで―――――― ・・・”




は何時まで、子供のままの知盛だと思っているのか。
・・・泣きはしない、けれどが自分を受け入れないこと、
その瞳に自分の姿を映さないことを、これほどまでに腹立たしく思う。

・・・この女は、すぐに目の前から去ってゆく。それが、わかっている。

それならばいっそのこと、今すぐ彼女を捕らえ、逃げられないよう鎖で繋いで
人目のつかない場所へでも、閉じ込めてしまえばいいと思うのに
ずっと昔に植えつけられた感情というものは厄介で、決して知盛にそうさせてくれない。
知盛の中に残っている昔の知盛が、してはならないと戒めるのだ。

・・・そんなことを考えていたはずなのに、どうしてこうなっているのか。
全く、という女は予想が付かない。そういうところは、あの頃から少しも変わっていない。



「駄目、見ては駄目。」



・・・腰の辺りに、冷たい床板の感触。
視界は暗闇に閉ざされ、体に圧し掛かる僅かな重みと、柔らかく、じんわりとした温かさ。
頬や首筋をくすぐるのが彼女の髪だとわかったのは、すぐ傍に香る彼女の匂いで。
頭の後ろに回されているのは、手・・・だろうか?少しだけ、懐かしかった。

・・・完全には倒れずに済んでいるものの、どうやら自分は押し倒されているらしい。
そこに思考が行き着くまでに、かなりの時間を要してしまった。
今まで押し倒した経験こそ数知れず、けれど押し倒されたのは初めてかもしれない。

自分を遠巻きにしていた彼女が、
急いでこちらに駆けて来る所までは、確かに見ていたのだが・・・
どうやら現状としては、頭を横抱きにされているらしい。
知盛が微かに身動ぎすると、頭上から思いのほか真剣な声が返ってきた。



「自分のドッペルゲンガーを見た人は、死んでしまうんだよ?
だから、大人しくしていて。見ては、駄目。」



彼女の言っていることの意味は、良く解らなかったが
ともかく動くなということらしいので、まぁそれもいいかと、知盛は動きを止めた。
重心を移動させ、片腕で体重を支えると、指先に見つけた彼女の髪の感触を弄ぶ。



「ったく、本当お前は相変わらずだな。ともかく、まずは落ち着けって。」



有川の、声がした。
ふっと小さく風が起こって、がそちらを向いたらしいことが解る。



「オミは、ドッペルゲンガーの伝承を知らないの?」

「いや、知ってるけどよ・・・もういっぺんよく見てみろ。あれ、ドッペルゲンガーじゃねぇから。」

「・・・え?本当?」



の拍子抜けした声が聞こえて、
体に掛かっていた重みが消えると同時に、スッと視界に光が差し込む。
瞳を開いたときには、既に後ろを振り返りかけていた彼女の肩を、軽く引き寄せこちらを向かせた。
そうして、驚いた表情をして自分を見ているの頬に、そっと触れる。



「先程までとは打って変わって・・・ヤケに、積極的じゃないか?」



新緑の瞳が、自分だけを映していた。
こうして接近してみると、奥のほうにもっと深い緑色があることが解る。
そこに彼女の本性が、ちらほらと見え隠れしている。

普段は感情を隠しているこの瞳が、一転して強い意思を宿せば、
どんな至高の宝石なんかよりも、ずっと綺麗に輝くのを知盛は知っている。
・・・以前、の瞳がそう変化する様を見たことがあった。
あの瞳が、自分を貫いた強い眼差しが。
あれから十数年の刻が経った今も忘れられず、鮮明に焼き付いている
――――― ・・・


・・・・・・あぁ、これだ。


知盛は唐突に思い出した。
普段、人を真っ直ぐ見ようとしない彼女が、
真っ直ぐ自分だけを見つめてくれるその瞬間が、堪らなく好きだったのだ。

知盛は、再び彼女の髪を拾い上げ、ゆっくり口元まで運ぶと、そこへそっと口付けた。
そうして、そのまま静かにへ顔を近づけて・・・・・・






○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ● ○ ●






どこか嬉しそうに笑う彼に意識を奪われて、は身動きがとれなかった。
別段、見惚れていたわけではない。
そもそもまだ赤みの残る頬では、格好もなにもつくものではない。
ただ、彼の笑みがあまりに予想外で、目を離せなかっただけなのだ。

が逃げないのをいいことに、平知盛の指先は頬を撫で、髪の一房を掬い取った。
掬い取ったの髪に、平知盛が恭しく口付けを落とすのを見つめていると、
上目遣いにこちらを見上げた平知盛と瞳が合って、意外とヒノエに似ているかもなんて思う。
すると突然、の体がひょいっと浮いて、一気に平知盛の顔が遠ざかった。

平知盛が掴んだ髪だけが、と彼の間を繋いでいて
けれどゆるりと拘束されたそれは、すぐに彼の手から零れ落ちる。
さっきまで、あれほど怖くて仕方なかった筈なのに
はずっと、平知盛から瞳を逸らすことが出来なかった。

今までに見た彼の表情は、“嬉しい”よりも“楽しい”感情が勝った笑顔が精々だった。
なのに、今はどうだろう?嬉しさの方が色濃く出ている。
こんな顔も、本当は出来るんだ。これなら然程、怖くはないかもしれない・・・

そう思っている間に床に足が付き、の体がくるんと反転する。
今度は目の前に、先程がドッペルゲンガー疑惑を浮上させた人物が、
最後に見たのと寸分違わぬ格好のまま、呆然と立ち尽くしているのが見えた。



「・・・良ーく見てみろ、別人だ。」



すぐ耳元で聞こえた声は将臣のもので、そういえば、今の背にまわっているのも将臣の手だ。
彼は律儀にも(?)危なくなったら助けてやるという
慰めにもならなかった約束を、今こそと判断して実行したのかもしれない・・・多分。

は将臣に言われ改めて、仮に平知盛のドッペルゲンガーとする人物をじっくりと見た。

同じ紫色の瞳なのに、平知盛のように吊り上っていない瞳には
他人を揶揄して面白がるような光はなく、優しく、静かな感情の色を湛えている。
銀色の髪は平知盛と比べて癖がなく真っ直ぐで、
そういえば声も、平知盛より含むところが少なかったような気がした。

パーツの1つ1つは驚くほど似ているのに、見れば見るほど違うことが解る。
それは勿論、どこか似ている所もあったけれど
全てにおいて平知盛より棘がなく・・・なにより空気が、丸くて穏やかだ。
そこでは漸く、彼がドッペルゲンガーなどでなく、全くの別人であることに気が付いた。



「べ、別人・・・!?」



かなりの間を置いてそう叫んだに、将臣は面白そうに苦笑しながら頷いた。



「あぁ。こいつら、性格は正反対だが兄弟なんだよ。」

「兄弟!?こんなにそっくりな兄弟が、いるものなの!?」



2人が兄弟だと聞いて、は驚きのあまり将臣を振り返った。
が記憶する限り、今まで17年ちょっと(?)の生涯の中で
これほどまでに良く似た兄弟というものは、お目に掛かったことがない。

すると将臣は、顎が外れそうなくらいぱかっと大口を開けたと思うと
次の瞬間には、大声を上げて笑い始めてしまった。



「・・・お前らこそ、ドッペルゲンガーみたいな(ナリ)してて、よく言うぜ!」



にとって兄弟といえば、一番身近な隣の家の、兄将臣と弟譲の有川兄弟だ。
あの2人は、全く似てないというわけでもないが、
言われて初めて“あぁ”と納得する程度で、それほど外見が似ているとも思えない。
性格に至っては、何事も大雑把で適当にこなしてしまう将臣と
律儀で生真面目な譲とでは、随分異なる。

だから思わず叫んでしまったとしても、に非はないだろう。
けれどその一言は、将臣の笑いのツボに、ピッタリと嵌ってしまったらしい。
彼はその後、1分近くは笑い続け、
仕舞いには腹を抱えて、今にも床を転げまわりそうな勢いだった。

流石に少々むっとしたが、将臣の足の、しかも小指を選んで踏みつけてやると
将臣はやっとへそを曲げているに気が付いて
尚も腹の底から込み上げてくる笑いを、必死に収めようと努力した。



「・・・悪い悪い、そう怒るなよ。」

「・・・・・・。」



無言で睨むに、将臣が“参った”と両手を挙げて見せたので
は仕方なさそうにして、でも許してあげることにした。
満足そうに微笑んだに、将臣も許して貰えるものと悟ったらしい。
にっと笑って、まだ名前も知らない平知盛のそっくりさんに、まずはを紹介しようとした。



「紹介するぜ、こいつは
―――――― ・・・」

「・・・、殿?」



ところが、将臣がの名を告げるより早く、先手を打って名前を言い当てられてしまい、
将臣の言葉は、そのまま行き場をなくしてどこかへ消えてしまった。



「え?」 「あ?」



と将臣は同時に声をあげ、どうして彼がのことを知っているのかと
同じような角度で首を傾げてから、答えを求めるように顔を見合わせた。
そんな仕草の方が余程、本物の兄妹らしく見えたというのは、後に聞いた話である。











戯言。


色々とツッコミ所は満載ですが・・・区切りが良いので区切ってみました。
あれ?でもほとんど進展がない・・・??(汗)

・・・と、とりあえず!!知盛さんは未遂で済んでます、自身はさっぱり気付いていないので
将臣お兄ちゃんがいなかったら喰われていたかと思います、ハイ。
それから、重衡さんが登場しました!待ってたよ、語り部・・・!!(は?)
彼が登場しないと、この先話が進まないんで、出すのに四苦八苦してたんです。
知盛は色々、自分からお話してはくれないので、こういうとき困りますね。うんうん。
重衡は、知盛を身近で見てきた数少ない一人だと思うのです、兄弟だしね。





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2005/10/27