・・・そう。それはまだ、がリィンバウムへやってきて、間もない頃。 今でこそあんなだけど、最初はも、ずっと記憶がないことを怖がっていた。 その夜は、とても月の綺麗な夜で いつものように屋根の上にいたら、キールがやってきて リィンバウムに古くから残っている、伝承の書かれた本を読んでくれた。 会長のように読み書きの練習もしていないし どうも語学勉強を好まないは、リィンバウムの文字を未だに読めない。 だから月の出た夜に、キールが子供に聞かせる童話のように語ってくれる本の内容が 実質上、が持つリィンバウムの知識全てと言っても過言でない。 キールはが勉強自身ではなくて、語学を勉強するのが嫌いなだけなのだと知ってから たまにこうやって、本を読んでくれるようになった。 ・・・まぁそんな奇特なヤツは、元から本が好きな人間か よっぽどの世話好きか、どちらかだろう。そして恐らく、彼は前者だ。 確かこのときは、会長達と同じ誓約者である初代エルゴの王と 人間を守って悪魔と戦った、アルミネとかっていう天使の話だったと思う。 それはの興味を良く惹くお伽話で、しばらくキールと一緒に話し込み いつもよりちょっと遅くまで、達は星空を眺めていた。 キールいわく。一見子供だましのような話でも それは深く探究すれば、決しておざなりには出来ないものなのだと言う。 ただの昔話は、教訓を交えただけのものも多いけれど はっきりと地名などが記されている話なんかは、元になるなにかがある筈なのだとか。 そろそろいい加減寝るかな、と思った頃 の名前を連呼しながら、梯子をよじ登ってくる影があった。 「、・・・!!」 それはどこか、雨の日に必死に縋り寄ってくる ダンボール箱の中の捨て猫を彷彿とさせるものがある。 キールはちょっと驚いた顔をしていたけれど はなんとなく予想していたことだから、大して驚きもしなかった。 は綺麗な月の夜に限って、怖い夢を見る。 いや。正確に言うのなら、月の光の魔力が強い夜、だろうか? 月の光には、たくさんの魔力が含まれている。 霊界サプレスの住人の多くが、昼間より夜を好むのもここに理由がある。 元々精神的な存在であるサプレスの召喚獣は リィンバウムで実体をとるだけでも、常に魔力を消費して生きているのだ。 だから月の光によって魔力の多く満ちる、夜を好む。 そして月が妖しいくらいに綺麗な夜というのは 実は大抵、月の光に含まれる魔力が多い夜なのだ。 月の光に含まれる魔力も、月の満ち欠けなど、その他様々な要因によって 多くなったり少なくなったり、多少の差が生じる。 ・・・もっとも、普通の人間がそれを感じ取れることは在り得ないだろうが サプレスの守護者、兼仮エルゴなんかを務めているは その仕事の性質上、比較的サプレスの住人達に近い魔力を所有する存在だ。 だから普通の人間にはわからないそれを、感じ取ることが出来る。 そして、月の出ている夜には月光浴をして、常に消費した魔力を補う。 そのほうが健康だし、体が楽になるのだ。 ・・・でもバノッサは、わざわざそこまでしなくても平気だと言っていた。 少しずるいから、魔力が足りなくなったときはバノッサから頂くことにした。 アイツは文句をたれていたが、結局はそれを了承して・・・。 上辺はあんなだけれども、結構のことを気にしてくれてるのは知ってる。 アイツもアイツなりに、思うところがあるのだろう。 あの“スベテ”をなかったことにしろというのも、土台無理な話なんだ。 ・・・とまぁ話はとんだが、そんな理由で。 月の綺麗な夜には大抵、は遅くまで空を眺めている。 だから、が怖い夢を見て飛び起きることも知っている。 そしてが起きていることを知っているも 誰を叩き起こすことなく、真っ直ぐに屋根の上へとやって来るのだ。 けれど、が起きているときに限って見るようだから もしかしたら、は月がどうのではなくて。 月の光から発される“魔力”に敏感に反応して、悪夢を見るのかもしれない。 ・・・それを確かめる術は、さすがのにもないけれども。 「・・・なに?また怖い夢でも見たか?」 屋根の上までやってきた彼女は、の質問にコクコクと頷いて う゛〜〜っ、と情けない唸り声をあげた。 何度か聞いてはみたのだが、はいつも、夢の内容を覚えていない。 けれど悪夢を見た後は、決まってざわざわと落ち着かない感じがして “自分”という存在が、不安になるのだそうだ。 「ほら。キールが心配してるだろ?だからひとまず、鼻水だけでも止めなよ。」 そう言ってポンポンと頭を撫でてやると はどこから取り出したのか、ティッシュでちーん!と鼻をかんだ。 「う゛〜〜・・・、ーー・・・」 「大丈夫大丈夫。いつも言ってるだろ? “”は何所までいっても、他の誰でもない“”なんだし 今のお前が、紛れも無い“”なんだって。」 「はいです・・・」 不安の残る声でそういうに、ふぅっと息を吐いて はの目前に、人差し指を突きつけた。 「んじゃあはっきり言ってやる。 ・・・いいか?グダグダ言っても、現状は何も変わんないの。」 ビシ!と人差し指を突きつけて言うと、叱られた子犬のような瞳をして、がを見た。 コイツは無意識にコレをやるのだから、ある意味厄介だ。 が男だったら、色々と無理だったかもしれないなんて思う。(←なにがですか、さん。) 「・・・前を見て歩くしかないんだよ。 は昔のお前がどんなだか知んないし、それは変えようがないことだ。」 ビュウ!と冷たい風が吹いて、髪の毛が鬱陶しく視界を遮る。 チッ!と軽く舌打ちをして、は目障りなそれを手で押し退けた。 「・・・でもね、変わっていくことは出来る。それにお前は、“今”ここにいるんだ。」 それこそ、穴が開きそうなくらい。キールがじっと、こちらを見つめているのがわかった。 なんだかそれがむず痒くて、酷く居心地が悪い。 「少なくともは、今ので十分だと思ってる。 昔がどんなだろうと、今のお前がなんだよ。」 自分は誰か?・・・なんて。 馬鹿馬鹿しい、自分は自分以外の誰にだってなれやしないだろ? だったら、今在るそれだけが・・・・・・真実だ。 人間は、なんてくだらないことをグダグダと考えるのだろうか。 ・・・でも。くだらないことを考えたその先に、強い想いがあったとして。 それだけで強くなれてしまったりするんだから、人間って阿呆臭くって、単純だ。 も例に漏れずその類で ――――――――――― ・・・けどそれって、案外凄い。 「・・・それにな、昔のお前は変えられないって言ったけど 変わっていくことが出来るなら、やっぱりお前は今も昔もだと思うよ?」 変わっていようと変わっていまいと。 多分根本にあるものは、いつまで時間が経っても変わらずに存在する。 “今”を形成するのは、経験という蓄積の降り積もった人格だ。 全てが剥がれ落ちたら、だってきっとあの頃のままに違いないから。 「・・・だから、大丈夫さ。」 そして最後に、子供か小動物にするように。 もう1回、ゆっくりと頭を撫でてやったら、は気持ち良さそうに瞳を細めた。 ・・・まるで、本当に猫かなんかみたいだ。 「・・・結構、意外なことを言うんだね。」 風が吹いたら、掻き消されてしまいそうな声で、ボソッとキールが呟く。 けどは、耳聡くそれを拾った。 「・・・あ?それ、どういう意味だよキール?」 「いや、君にしては似合わないというか。柄にもないこと言うと思っ・・・!?」 がそう問いかけると、彼は素直に答えようとして けれどすぐ自分の失言に気付き、両手で素早く口元を押さえた。 「キール・・・?(爽)」 にっこりと作り笑いの笑みを浮かべて 逃げようとした彼の、無駄にずるずると長いマントを踏みつける。 ベシャ!と屋根に顔を打ち付けたキールは、なにかの虫のように から逃れようと手足をジタバタさせ、目一杯にもがいた。 けれどもは、まるで得物を捕獲した蜘蛛のように。そのまま彼のマントを手繰り寄せると 背中から腕をまわして、多少手加減をしてはいたが、彼の首を絞めあげた。 するとキールは苦しそうにもがいて ギブアップとばかりに、頼りない力での腕をペシペシと叩く。 一部始終を見ていたが、その光景にクスクスと苦笑を漏らした。 それに気付いて、キールはに首を絞められたまま、苦笑いする。 「・・・でも、僕も今ので十分だとは思っているし 多分きっと。記憶を失くす前のも、今とあんまり変わらないんじゃないかな? のこの性格が、記憶を失くしたぐらいで変わるとは、到底思えな・・・」 「キール?そこまでハヤトの二の舞になりたいのか?」 「ご、ごめん・・・(汗)」 それからというもの、はキールにも 不安に思ったときだとか、色々と話し込みにいくようになったらしい。 キールも、もう1人妹が増えたみたいだって 苦笑しながら、でも嫌ではなさそうに話していた。 それからしばらく、キールの呻く声と の抑えた笑い声だけが、風に乗って夜空の下に響いてた・・・。 日本で見たよりも、太陽の光を反射して強く輝き そして大きく見える、丸い月。それを見上げて―――――――― ・・・ 「――――――――――――― ・・・なぁ、キール。 、今度はリィンバウムの天体についての話が聞きたいな。」 最後にそう言ったことを、覚えている。 キールがなんて言葉を返したかまでは、覚えてないけれど・・・ 〓 第14話 いつか、聞いた言葉 後編 〓 チュンチュンと、まるで雀のような鳥の鳴き声と (リィンバウムに雀はいるのだろうか・・・?そんなことをふと思った。) 安そうなカーテンの隙間から線状に漏れる朝日。 その瞳の痛くなりそうな光を眺めながら はまだぼんやりとした瞳をして、ベッドの上で呆然としていた。 「・・・ふわぁーー・・・懐かしい。いつのことだったか、あれは・・・」 先程見た夢の感想を呟きながら、一際大きなあくびをする。 ・・・寂しがりやなは、今。あの夜のように怖がっていないだろうか・・・? ちょっとだけ、そんな心配をして。彼女が怖がっていないと良い、と願う。 に言わせるなら、はうさぎだ。 うさぎっていうのは、寂しいと死んでしまうと良く言われている。 そしてあれだけ立派な歯を持っていても、他の動物に噛み付いて対抗しようとはこれっぽっちも思わない。 だから、があの夜のように怖がったとき。 今傍にいてやれない自分の代わりに、の隣にいて、話を聞いてやってくれる。 ・・・そんな、誰かがいてくれれば良いと。 最近はあんまり泣きついてこなくなったけれど、きっと相変わらず。 ・・・月の綺麗な夜には、怖い夢を見ているのだろうから。 そうしては、その辺に放っておいた服を着込むと 窓際のベッドで寝ているはずのバノッサを起こそうと、もそもそと立ちあがった。 ・・・ちなみになんで同じ部屋なのかと言うと 今更大したことじゃないし節約だ、とが2人部屋を取ったからなのだが。 それにバノッサのほうが溜息を吐いたのは、勿論言うまでもない。 近くへ行ってみると、バノッサはまだぐっすり夢の中らしく 普段からは想像も出来ない穏やかな寝顔をして、静かに寝息をたてている。 はそんなバノッサの表情にふっと微笑むと 朝日を遮っていたカーテンを、一気に引き開けた。 途端眩しそうにもごもごと、バノッサが身をよじる。 そして日差しを遮るように、頭がすっぽり隠れるまで、布団を引きあげた。 バノッサの白い足が、1度布団から出て、また布団の中に戻っていく。 そんなバノッサに一瞬呆気に取られてから、は手近な布団の端を掴んだ。 「ほら!この前みたいに発砲されたくなかったらさっさと起きろよ!朝だっての!」 そう言って、勢い良く布団を引っぺがす。 バノッサは唸り声を上げて、まだ焦点の合っていない瞳を開けると のっそりと上半身を起こし、わしわしと髪を掻いてを見つめる。 けれどそれだけで、何を言うこともなく、ベッドから動こうともしないから はまだ寝ぼけてるんだろうと、そう思っただけだった。 「・・・バノッサ、ちゃんと目覚ま・・・うわぁっ!?」 ちゃんと目覚ませ! そう続けようとして。けれどもが、それを口にすることは叶わなかった。 バノッサの腕が伸びてきて、の体を引き寄せたからだ。 それはまるで、ぬいぐるみを抱くような。 強い力で問答無用で抱き締められて、はその苦しさに顔を顰める。 「ぐっ・・・!」 彼の胸を押し退けようともがいていると 何度目かの試みで、やっと息苦しさから開放された。 はすうっ・・・と大きく息を吸い込むと 頭の上で、じーーっとこちらを見下ろしているバノッサに見事なアッパーを繰り出し、大声で叫んだ。 「この馬鹿がっ!何するんだッ!! 寝ぼけてても力加減ぐらいしろ!苦しいだろうがッ!!」 「・・・いってェ・・・」 そう、まだ掠れている声をあげて。 シーツに顔を押し付け、バノッサが項垂れる。顎をさすっている彼を見下ろして バノッサの腕から抜け出したは、ふん!と荒い息を吐いた。 ・・・バノッサはそれに、ギクリと身を縮こませ。 それからバツが悪そうに、ゆっくりゆっくり顔をあげる。 「・・・・・・(汗)」 「・・・おはようバノッサ。 今朝の目覚めはいかがだったかな・・・?(爽)」 「・・・まだ痛ェよ・・・」 「だろうねっ!・・・ったく、こっちは本当に苦しかったんだからな!? 寝ぼけてても、せめて加減くらいはして欲しいもんだよ、全く! ・・・そもそもあんな寝ぼけかたするから、天然のセクハラだなんて言われるんだ!」 実は、衝動的にを抱き締めてしまったバノッサだったけれど 朝から元気良く喚く彼女は、彼の先程の行動を寝ぼけた為だと思ったらしい。 「・・・わかった、俺が悪かった。 ・・・だから寝起きの奴にそう喚くんじゃねェよ・・・・っ・・五月蝿くて、敵わねェぜ・・・」 「それほど苦しかったんだと知れっ!」 都合よく。・・・というか、いつもの如くそっちに考えのいかないの思考回路。 いつもならむしゃくしゃするそれに、けれど今日はわざと乗って・・・。 バノッサは自分の真意を誤魔化した。 「・・・お前だって、寝ぼけるときはめちゃくちゃに寝ぼけるだろうが・・・」 「は周期があるんだから、解り易いだろ? お前よりはずっと寝ぼけた回数も少ないし、圧死させそうになったこともないじゃないか。」 思いっきり叫んで、だんだん怒りも納まってきたらしい。 自分のことを棚にあげ、まだブツブツと小言を言いながら。はドアノブに手を掛けた。 「・・・もう、先朝食食べに行ってるぞ。お前も着替えて早く来いよな。」 「・・・あぁ。」 そう呟いて。彼女は朝食を食べに、下の階へと降りて行ってしまった。 はぁ、と大きな溜息を部屋に響かせて。バノッサはもう1度、勢いを付けてベッドに寝転んだ。 薄暗い空間が引き剥がされて。 そのあまりにもの明るさに、そんなことをしてもどうしようもないというのに ―――――――――――― ・・・強く。強く、瞼を閉じた。 どうにかこうにか、薄っすらと瞳を開くと 眩しくて直視出来ない光の中に、誰かがいることがわかって。 ・・・誰かなんて、決まっている。 今そこにいるはずの人間は、たった1人しかいないのだから。 眠気の消えていない頭で、そう確信的に思った。 綺麗な色をしたアイツの髪が、日差しを浴びて光り輝く。 窓から吹き込む朝の風に、心地良さそうに瞳を細めていて・・・・・・。 ・・・けれどそこにある光景に、知らず体が動いていた。 ・・・光の中に、消えてしまうんじゃないかと思ったから。 降り注ぐ朝日の中に霞んで見えるの姿が、光に溶け込んでしまいそうだった。 ヒヤリと冷たいものが背中を伝い 慌ててその存在を捕まえて、そこに彼女が在ることを確かめた。 ・・・誰にも連れて行かれないように。 ―――――――――――― ・・・自分の傍から、消えないように。 きっと。が二重誓約されたことが、妙な思考に拍車をかけてる。 光に連れていかれただとか、自分も召喚されるのか、なんて。アイツが言うから・・・ 「・・・・・・本気で心臓止まるかと思ったぜ・・・(溜息)」 女1人がいなくなるような気がした。 ・・・しかも、勝手に自分がそう思っただけ。 たったそれだけで、あれほどに焦る自分が馬鹿らしくて、情けなくて・・・。 心の底から、またもや深い溜息を吐いた。 ・・・けれど。まだ続いている、に殴られたその痛みに。 彼女が隣にいる今、この現実を、噛み締める。 「・・・俺、相当ヤバイとこまでキてるんじゃねェか・・・?(汗)」 そんな彼の呟きを、開け放たれた窓から吹く そよ風だけが聞いていた。 「――――――――― ・・・なに?レルム村のことを探っている怪しい2人組みがいるだと?」 「・・・はっ。レルムの村の、生き残りを探していると言っていました。」 ゼラムに放った諜報員からの思いもよらない報告に、イオスは顔を顰めた。 「・・・それで、そいつらは何者なんだ?」 「・・・それが・・・」 言い辛そうに視線を逸らす彼に、またイオスの眉間に皺が増える。 「・・・調べがついていないのか・・・?」 諜報員がコクリと頷き、イオスは少なからずその事実に驚く。 黒の旅団の諜報員に調べがつかないことなど、そうそう在りはしないからだ。 「・・・派手な甲冑と真っ赤なマントを身につけている、眼つきの悪い男と 中性的な姿と言動が印象的な女の2人組みです。 本人は冒険者だと言っていましたが、あの動き。とてもその程度だとは思えません。 こちらの尾行にも、最初から気付いていたようでした。」 「――――――――― ・・・ルヴァイド様、いかがいたしますか?」 諜報員とイオスの視線が、必然的にルヴァイドに判断を仰ぐ。 「・・・その者達、どこまで嗅ぎ付けていた?」 聞かれて、彼は一瞬首を傾げ・・・ 「・・・まだ、我々の正体も知らぬ様子でしたが。」 「・・・そうか、ならば捨て置け。引き続き、聖女一行の監視を実行しろ。決して無茶はするな。」 「―――――――――― ・・・はっ!!」 1つ敬礼をして。彼はまた、自分の任務へと戻るべくテントを後にする。 彼の姿が消えたのを見計らって、イオスはルヴァイドに振り返った。 「・・・その2人組みとやら、放っておいてよろしいのですか?ルヴァイド様。」 「どこの輩かは知らぬが、いくらもがこうと、追い求める真実まで辿り着けはしまい。 ・・・逆にそこまで辿り着けるほどの力の持ち主であるなら、諜報部隊の手などには負えぬ相手だろうからな。」 「・・・承知致しました。」 「・・・ところで、その後の様子はどうだ?」 「・・・それが・・・」 そう言われた途端、イオスの表情が目に見えて暗くなる。 言葉を濁すイオスを見れば、の様子も嫌でも想像がつくというものだ。 「―――――――――― ・・・そうか。」 イオスのように沈んだ表情を見せることはなかったが ルヴァイドもまた、いくらか眉を潜めて苦々しく呟いた。 「イオス、今日はもう良い。・・・のところへ行ってやれ。 俺では、付きっ切りでアイツの傍についていてやることは出来ないからな。」 「はっ。・・・お心遣い、感謝致します。」 他の部下たちと同じように礼をして、イオスはルヴァイドのテントを出た。 時刻は夕刻。夕暮れ時。 夕暮れといっても、太陽は既にほとんど沈んでいて 半欠けの太陽と赤い空が、薄暗い空の遠くに、ちらっと覗いているだけだ。 がテントに籠もって、まともに食事を摂らなくなってから丸2日。 多くてもパンを一口と、少々の水分を摂るだけだ。 それは彼女の精神だけでなく身体をも、日に日に衰弱させる原因になっている。 イオスは食事を乗せたトレーを持って、のいるテントに向かった。 が作っていた頃は、もっと色取りも、出来映えも良かったそれ。 それでも、の指導の甲斐があってか、以前よりはずっとマシになった。 今日こそは、なんとしてでも食べさせないと・・・ そう。それこそどんな手段を使っても、だ。 精神的なものも相俟って、彼女の衰えは著しく そうでもしなければ、の体力は数日と持ちはしないだろう。 2日やそこらでは、さすがに餓死こそしないだろうが だんだんと、自力で体を動かすことすら儘ならなくなる。 1度どん底まで落ちてしまった体力を元に戻すのは、思うよりもずっと大変なことだ。 それをイオスは数年前、己の身を持って知っていた。 ・・・そんなことをつらつらと考えていると あっという間に、のいるテントの前に着いてしまう。 トレーを片手で持ち、空いた手でテントの布地を捲ろうとして・・・ ふと視界の端に、風になびく茶色い髪の存在を見つけた。 血がサァっと引いていく。イオスはトレーを地面に置いて走った。 幾度目かになる、この感覚。 ――――――――――― ・・・目の前が、暗くなるような感じ。 「・・・何をやっているんだッ!!君は・・!!」 「・・・・・・イオス・・・」 大声で名前を呼ぶと、じっと川の流れを眺めていた彼女は、あのときのような・・・ ・・・初めて僕とテントで出逢ったときのような、虚ろな瞳で振り返った。 ぼんやりとした口調で言葉を紡ぐ彼女は、あの朝の光景を彷彿とさせる。 目を覚ましたら、寝ているはずのがいなくなっていて 驚いてテントを飛び出した、あの朝だ。 ただ1つ違ったのは、川のほとりではなく。 冷たい水に腰の辺りまで浸かった状態で、彼女が川の流れを眺めていたこと。 一体何時からそうしていたのかは知らないが 太陽が沈んだこの時間、その行為は身体を冷やすだけだ。 「早く岸に上がるんだ、ッ!!」 「・・・・・・考え事を、していたの・・・。」 イオスが苛立たしげにそう叫んでも。 はポツリと呟くだけで、一向に川から上がろうとはしない。 まるでイオスの声が聞こえていないかのように。 ・・・本当に、あのときのようだ。 イオスは水の手を入れてみて、その冷たさに思わず ・・・半ば反射的に、手を引き抜いた。 「・・・こうしたら、少しは思考が冴えるかと思って・・・」 「・・・ッ!!」 薄っすらと、輪郭を形にし始めた月を見上げ・・・。 はそのまま、ピタリと動かなくなった。 「・・・ッッ!!!」 イオスは舌打ちを1つして、自らも冷たい川の水に足を入れると 水の流れを掻き分けて、の傍まで駆け寄る。 「・・・ッ!!川から出るんだ!!」 腕を掴み、その冷え切った身体に 自力で川岸まで歩くことは無理だと判断すると、有無を言わせず彼女を抱き上げた。 限界まで水を吸い込んで、ずっしりと重みを増した衣服は 彼女が長い時間こうしていたことを示している。 ・・・どうして、もっと早く見つけてやれなかったのか。 無意味な自責の念が、イオスを埋め尽くした。 ・・・彼女は他に縋る者がいないような瞳で、あんなにも僕に助けを求めていたのに その僕すらも、彼女に手を差し伸べてやれないでどうするんだ・・・! 自分に対する苛立たしさと、冷たいの身体。 ・・・その2つを胸に抱えて、イオスはテントまでの短い道のりを急いだ。 を水から引っ張りあげてから、イオスはまず大急ぎで湯を沸かした。 それを以前手合わせのときに、が召喚したタライに注ぎ込み。 その中に冷えた足を入れて暖めるよう、に告げた。 それは部下に指示を出すときのような、きびきびとした口調だったので は反射的にそれに従い、素直に足をお湯に浸ける。 それからイオスは、水浸しになっていたの服の着替えと 自分の毛布をテントから引っ張ってきた。 勿論、そんなを抱えてテントまで戻ってきたのだから イオスの服もびしょびしょに濡れてしまっていて・・・。 どうせも着替えなくてはならないのだし、と。 イオスも1度自分のテントに戻って、服を着替えた。 そしての毛布とあわせて、2枚の毛布をに巻きつけると 彼女の手に、温かいミルクがなみなみと入ったカップを持たせた。 本当ならお風呂に浸からせたいところだったが そんなことをしている間に、が風邪をひいてしまうことは明白だ。 すっかり冷えてしまった夕食も、そのついでに温め直して・・・。 食事からほんわりと良い匂いがして、ユラリと湯気が立ち昇り始めた頃 イオスはに、食事の乗ったトレーを差し出した。 「、夕食だ。」 そう告げるイオスは、心なしか語気が荒い。 はじっと自分を見つめるイオスを見て、それから視線を足元にずらす。 「・・・ごめん、いらない・・・今は食べたくないの。」 そんなに、けれどイオスは譲らずに。頑として、こう言い返した。 「駄目だ。食べないというのなら、押し込むなり口移しなり、無理矢理にでも食べさせるぞ。」 イオスとしては本気だったのだが、はその言葉にきょとんと瞳を丸くすると 次には苦しそうに顔を歪め、お腹を抱えて蹲ってしまう。 ――――――――――――― そして・・・ 「・・・く、口移しって、ちょっとのことで赤くなっちゃうのに イオスにそんなこと、出来るわけ・・・あ、あはは・・・イオスってば可笑しい・・・」 それは途切れ途切れで、以前より数段弱々しかったけれども・・・。 泣きそうな笑みでもなく、不自然な笑みでもなく・・・紛れもなく、の笑顔。 いくら見たいと願っても、ここしばらくお目に掛かれなかったものだ。 「・・・やっと、笑った。」 いつもなら顔を赤くして反論するイオスだったが、今ばかりは表情が緩んだ。 ずっとずっと、見たかったもの。 それを失くすことを1番恐れていたのに、結局は力不足で護りきれなかったもの。 イオスの呟きに、はハッとしたように顔を上げた。 まるで自分が笑っていたことに、言われて初めて気が付いたように。 物凄く久しぶりに、彼女の瞳を見た気がする。 その透き通った瞳いっぱいに、自分の姿が映っていた。 「泣いた顔も、驚いた顔も。・・・戸惑っている顔も、色んな表情を見たけれど。 やっぱり、笑ってる顔が1番だと思い始めていた所だよ。」 苦笑して言うイオスに、ほんの少し戸惑って・・・ けれども、ゆっくりと微笑み返した。 「・・・イオス。」 照れ臭そうに名前を呼んで、いつになく。ぎこちなく、はにかみ笑う。 そんな彼女の、少し赤みの戻ってきた頬に触れて。イオスは優しく問いかけた。 「体の調子は?もう寒くないか?」 「・・・うん、寒くないよ。・・・イオスが、いっぱい暖かくしてくれたからね。」 ―――――――― ・・・それは体だけではなくて、心までも。 我ながら恥ずかしいことを思ったものだと、は小さく苦笑する。 そして首を傾げるイオスに、なんでもないと首を振って見せた。 「・・・ごめんねイオス。・・・あたし、馬鹿なこと・・・」 「・・・いいんだ。が少しでも笑ってくれるなら。」 しゅんと肩を落とし反省するに、クスクスと苦笑して イオスはが座っているせいもあって、いつもより随分低い位置にある、彼女の頭に手を置いた。 ポン、と軽く乗せられた手に反応して、がイオスを見上げる。 「でも、もしほんの少しでも。本当に悪いと思っているのなら・・・・・・食べられるだけでいい。 だから、何か食べてくれ。このままでは、君の体が持たないよ。」 笑ってはいたけれど、随分たくさん心配をかけたのだろう。 どこか寂しげに、イオスはそう言った。 大分はっきりとしてきたの意識は、それに多少の罪悪感を覚える。 だからは、まだちょっとかじかんだ指で、銀製のスプーンを手に取り そしてそこで初めて、今日の夕食のメニューがシチューであることを知った。 それはここへ来た次の朝。が初めて食べさせてもらったもの。 あの日は皮や芽の取り残しがあったじゃがいもも、今では綺麗に皮が剥かれていて。 はあの朝のシチューの味を思い出し、少しだけ苦笑いを浮かべる。 ひとくち食べてみると、素朴な味が口いっぱいに広がった。 「しょっぱい・・・」 の感想に、今度はイオスが笑いを漏らす。 「君がいないと、こうなってしまうんだよ、僕達は。 これでもまだ、最初から考えれば良くなったほうだと思ってくれ。」 ときにはクスクスと笑い、ときには怒りながら 薄っすらとしていた月が煌々と輝き出し、高く昇っても。イオスとの談笑は続いた。 もまだ頼りなくはあるが、幾分か笑うようにはなったし、食事も半分ほど食べることが出来た。 が話す間、イオスはその様子を微笑ましそうに そしてどこか嬉しそうに。・・・ずっとずっと、大切そうに眺めていた。 それは彼が人を殺める軍人だとは思えないほど、温かく優しい眼差し。 そうして他愛も無い話を繰り返していると、は大分落ち着いてきたのだろうか? とてもか細い声で、一言一言噛み締めるように。 今までの自分の想いを、ゆっくりとイオスに話し始めた。 「・・・あたし、ね。トリスって子の声を聞いてたら、わからなくなっちゃったの。」 「――――――――――― ・・・なにがだ?」 イオスが優しく先を促す。それはそっと背中を押すような、そんな問い掛けかた。 真剣に次の言葉を待つイオスに、は自嘲気味な笑みを見せた。 「どれが、本当の“あたし”なのかなって。 ・・・あたしは誰なのか、どの想いが本物なのか、何を信じればいいのか・・・ 一遍に色んな感情が溢れ出てきて どの感情があたしのものなのか、わからなくなっちゃったの。・・・駄目ね。 戦いの合間に考え事なんて、1番したらいけないことなのに。」 「・・・・・・トリスというあの召喚師も、君のことをずっと気にしながら戦っていたよ。 自分の護衛獣に、注意されるくらいね。」 斯く言う僕も、頭の中は君のことばかりだったけど。 ・・・そう、心の中だけで付け足して。 イオスはの正面に腰を降ろす。彼女と目線の高さを、共にするために。 「・・・ゼラムから帰ってくるときに言っていたな。 彼女は優しくて、大切で・・・そして、傷つけてはいけないと。」 真っ直ぐにこちらを見据えてくるイオスの瞳が、誰かの眼差しと重なって・・・ けれど、一体それは誰だったろう?一瞬そんな疑問が掠めた。 は顔を伏せて、言い辛そうに項垂れる。 「あ、あたし・・・ッ!!」 縋るように、膝の毛布を掴んだの手。 きゅっと力が籠められたその手からは、彼女がなにかに恐怖していることが窺い知れる。 イオスはの手に、そっと自分の手を重ねた。 は一瞬ビクリとして けれど見上げた先にあるイオスの顔が、穏やかなものであることを知ると、そっと力を抜いた。 「――――――――――――― ・・・いいんだ。 君がそう思ったのなら、それでいいんだよ。・・・言ってくれ。 ・・・咎めたり、しないから。・・・僕は、君がどう思っているのかを知りたい。」 「・・・あの子があたしを呼ぶたびに、“声”が聴こえてくるの。」 「声・・・?」 「・・・うん。その“声”の中で、あたしとあの子は楽しそうに話してた。」 「。君、記憶が・・・?」 イオスが紅い瞳を見開き。けれどはイオスの問いに、ふるふると首を横に振る。 「・・・それは、まだ。なんだか他人のことみたいに 外から眺めてるような、誰かの視界を通して見てるような、そんな感じ。 自分の感覚として、捉えられないの。・・・でも、次々にそれは聴こえてくる。」 「・・・・・・。」 「そしてその“声”の中のあたしは、確かにこう想ってる。 あの子はとても優しくて、大切で・・・だから、傷つけちゃいけないんだって。」 そこまで呟くと、は表情を歪め、もう1度項垂れた。 ・・・その口から、苦しそうな声が漏れる。 「・・・・・大事なの、戦えない・・・ッ!・・・戦いたく、ないの・・・」 「・・・そうか。」 最後には消えてしまいそうな声で。 懇願するように告げたの頭を、イオスは優しく撫でてやった。 ・・・きっと今の彼女は、泣きそうな表情をしているのだろうから。 「・・・怒ら、ないの?」 しばらくして、ゆっくりと。叱られた子犬のような顔をして、がイオスを見上げた。 それにイオスは、ふっと苦笑を漏らす。 「さっき、咎めないと言っただろう? そもそも、僕が怒る理由がどこにある?君は確かにそう思ったんだろう?」 が心配そうに、でも確かに頷くのを見て。イオスもしっかりとそれに頷き返す。 「君がどう思うのか。それは僕には変えられない、止められない。 けれどそう思っても、君は僕達と一緒にいてくれた。その事実だけで、僕にとっては十分なんだよ。」 「イオス・・・」 がイオスの名前を口にすると 彼は皮肉ったものではない。歳相応の笑顔を見せて、嬉しそうに微笑んだ。 そして戦場に立つ者にしては繊細なその指で 柔らかいの髪を梳き、そのうちのひと房を掴むと。 心に積もる、浅ましい想いに気付かれないように願いながら。でもそっと、唇で掠めとる。 堪えきれず口元に浮かんだ笑みを、俯くことで覆い隠した。 「――――――――― ・・・それに、想ってくれたんだろう?」 「・・・え?」 「僕やルヴァイド様、それからゼルフィルド。 ・・・ここにいる者達のことも、同じくらい大切だと。」 「―――――――――――― ・・・うん。」 「・・・ありがとう。そう思ってくれただけで、嬉しいよ。」 イオスがあまりにも嬉しそうに笑うので も嬉しいような、照れ臭いような・・・そんな気分になって、微笑み返した。 「それから、怖いとも言っていたな。」 「・・・・・・ぁ」 「この気持ちが、掻き消されてしまいそうだって言ってた。」 あの恐怖を思い出し。はまた、少しだけ強く毛布を掴む。 けれどもイオスは、そんなの様子にさえ愛しそうな笑みを浮かべて 彼女の頭に手をまわし、そっと引き寄せた。は、イオスの肩に顔を埋めるような形になる。 それはゼラムの街での光景と、ちょうど正反対の位置で。 彼女がしてくれたように、今度はイオスが ・・・驚き瞳を瞬かせるの耳元で、出来るだけ彼女を落ち着かせるように囁いた。 「・・・大丈夫。大丈夫だよ、。何も怖くなんて、ないから。」 ―――――――――― ・・・あのときと、同じ言葉を。 今の君に必要なのは、自分自身を信じる勇気だと思うから。 僕が勇気を貰った言葉を、今度は君に・・・。 「今のを・・・今が想ってること、感じたこと全てを信じればいいんだ。 あの少女も、僕達のことも・・・両方大切でいい。」 イオスがそう口にすると、はバッ!と顔をあげる。 そして泣き出しそうな表情で、ぶんぶんと首を横に振った。 「駄目、そんなこと出来ないよ! 信じることなんて出来ない!・・・怖い・・・ッッ!!」 自分の体を抱き締め、カタカタと小さく震え出す。 そんなの肩に手を置いて、イオスは静かに問いかけた。 「怖い・・・?」 はきゅっと瞳を閉じ、背を縮こませたまま、コクリと頷く。 震えの治まらないの手を、イオスの手が掴んだ。 「・・・なら、僕を信じてくれ。」 イオスの口から、唐突に漏れた一言に。は驚いて顔を上げる。 言葉の意味を計りかね、真意の掴めていないの瞳は、不安そうに揺れていた。 そんなに微笑んで、イオスは言葉を続ける。 「――――――――――― ・・・。 君が自分自身を信じられないというのなら、君は僕を信じてくれ。」 「・・・イオ、ス・・・?」 その柔らかな表情とは対照的に、紅い瞳は真剣な光を宿していて・・・ だからは、イオスから瞳を逸らせなくなる。 「僕は何があっても、君を信じる。だから君は、君を信じる僕を。 ―――――――― ・・・信じていてくれないか?」 それはきっと、君が自分を信じることに繋がるから。 「で、でも・・・」 は困惑した声をあげ。落ち着かない様子で、視線をあちこちに彷徨わせる。 自分を見ようとしないの頬に、そっと手を当てて イオスは少しだけ力を籠め、彼女の瞳を自分に向けさせた。 「・・・まだ、怖い・・・?不安?」 近距離で、正面から見据えたの瞳は涙で潤んでいて・・・ 彼女はもう1度、コクリと頷いた。 がゆっくり瞳を伏せると、そこから透明な滴が一筋、頬を伝って零れ落ちた。 「それでも怖くて、信じられないというのなら・・・。 ――――――――― ・・・君に、この誓いを捧げよう。」 今まで視界を遮っていたイオスの影が動き。ランプの明かりに照らされて、視界が明るくなる。 ハッとして視線をあげると、すぐ近くに。床に片膝を付いて、跪くイオスの姿があった。 その姿は、主君に忠誠を誓う騎士そのもの。 何事かと戸惑うに、ふっと優しく微笑んで 彼は掴んだままのの手を、そっと口元に引き寄せる。 ―――――――――― ・・・そして。白く細い彼女の指に、軽く口付けた。 突然のイオスの行動に、が零れ落ちそうなくらい瞳を丸くする。 イオスはそんなを、満足そうに見上げた。 「――――――――――― ・・・これは誓いだ。」 彼女と敵対することになろうと 彼女の刃にかかって、この命を断たれることになろうとも。 「例え、君が僕のことを忘れたとしても。僕は君を信じ続ける。 君が、君であろうとする限り。その先にあるものが、なんだろうと構わない。」 迷うことなど、何もない。 もう僕は、絶対に君を殺すことなど出来はしないのだから。 ・・・なにがあろうとも、それだけは確かだ。 「―――――――― ・・・君は、君でしか在りえないんだから。」 そう言って、イオスは誰もが見惚れてしまいそうなほど綺麗な笑みをに向ける。 ぼうっとそれに魅入ってしまっていたは、ハッと我に返ると 途端にかぁっと頬を紅潮させて、勢い良くベッドから立ち上がった。 「い、イオス!?ちょっと、どうしたの突然・・・!?」 慌てふためいた声を出すを、不意打ちで抱き寄せ、黙らせた。 突然のことに驚いて、腕の中で固まっている彼女の耳元に・・・甘く、囁く。 「免疫がないとか、少しのことで赤くなるとか・・・ 色々言ってくれたけど、僕だって男だからね。これくらいは出来るさ。」 仕返しだとばかりに意地悪く微笑んで見せると はやられたと、ぷぅっと頬を膨らませる。 その子ども染みた仕草すら、愛しくて。イオスは拘束する力を緩めないまま。 腕の中で大人しくなったを見下ろし、苦笑を漏らしていた。 「・・・大丈夫。道を間違えてしまったと思うなら そこから自分が良いと思う方向に修正していけばいいのさ。」 『―――――――― ・・・。お前はお前だろ? 間違っていたと思えたのなら。そこからやり直せば、それで良いんだよ。』 優しく言い聞かせるイオスの声が、また誰かの声と重なって・・・ は驚いて、ハッとイオスを見上げた。 「――――――――――― ・・・自分の信じた道を貫き通せばいいんだ、。」 ・・・そう。それはトリスという少女のときと同じ。 あたしの覚えていない記憶が、レコーダーのように再生される、あの感覚。 「君が誰かになる必要なんてない。今の君が、なんだから。」 『今が思ったことを、素直に感じて、受けとめる。それが、という人間を作り上げるんだ。 過去に怯えるな。が誰かになる必要も、誰かがになる必要も無いんだよ。』 「―――――――― ・・・思ったままに、感じるままに。それが、君になる。」 『今の自分の気持ちを大事にしろ。例え不安でも、思ったことを信じて突き進め。 それが正しいかなんて考えるな。正しいかどうかを決めるのはお前自身だから。』 イオスの声と交互に、それは響き・・・ 『昔はどうだったとか、そんなのは関係ない。 今を大切にしろ。・・・それが、という人間になるんだ。』 ――――――――― ・・・最後に。 月明かりに照らされた誰かのシルエットが 壊れたテレビのように、一瞬脳裏を過ぎった。 ノイズ雑じりの光景に立っているその人は、薄く笑みを浮かべている。 それは、良く見知った影だった気がする。その背中ばかりを追いかけて・・・ パキン。 今まで視界を遮っていた何かが ・・・そんな音をたてて、粉々に砕け散ったような気がした。 あれは・・・トリスだろうか? 月光を浴びて風にそよぐ、肩より少し長めの髪は、彼女の髪の色に似ていた気がするけれど それにしては、纏っている雰囲気が全然違ったようにも思う。 もっと、こう・・・そう。それはまるで風のような・・・ どこか遠くでも見ているように、ぼうっとしているに気付き どこか具合でも悪くなったのかと心配したイオスが、の顔を覗きこんだ。 「・・・どうかしたか、?」 「イオス・・・」 「なんだ?」 「あたし、前にも誰かに。今と同じようなこと言われたような気がする・・・」 そう告げた瞬間。を抱き締めるイオスの腕に、更に力が籠められたような気がした。 このとき、考え事をしていなければ はピクリと引き攣るイオスの顔を見ることが出来ただろう。 苦しいと言おうとした矢先、彼の腕から解放されて けれども今度は、強く肩を掴まれた。 「―――――――――― ・・・誰にだ・・・?」 押し殺したような低い声で問いかけられて、は少々たじろいだ。 それはどちらかと言えば、の知っているイオスより。軍人としてのイオスに近い感じがしたから。 「・・・い、イオス・・・?本当に今日はどうし・・・」 「―――――――― ・・・それを言ったのは、男か?」 彼の紅い瞳が、無意識に。答えろ、とを際へ追いやる。 「う、うーん・・・・・・確証はないけど、あたしはその人を凄く頼りにしてた! ・・・ような気がするなぁ。でも、口調のわりに女の人だったような・・・?」 「・・・本当に?」 「う?うーー、う〜〜、うぅぅ・・・???多分本当、かな・・・??」 有無を言わせぬ笑顔で詰め寄られ、がしどろもどろになっていると 突如、テントの外が騒がしくなってきた。 はチャンスとばかりに、そちらへ話題を転換する。 「な、なんだか外が騒がしくない!?もう、夜も結構遅いのに・・・」 夜は行動が制限されるわけではないが、もう少しで日付が変わる今頃。 いつもなら、外には見張りの人間くらいしかいないはずだ。 真夜中にしては、この騒がしさは異常だった。 話を逸らそうとしているのが見え見えのに イオスは不満そうな表情を隠そうともしなかったが の言うことも確かなので、外の様子を窺おうと入り口へ向かう。 「確かに、騒々しいな・・・」 外に出ようと手を伸ばしかけたとき、丁度進行方向から がやがやとしたいくつもの話し声が、だんだんとこちらに近づいてくるのがわかった。 「おい!ちゃん、起きてるみたいだぞ。」 「本当だ、明かりがついてる。・・・少しは元気になったのかな?」 なんとなく、外が騒がしい理由に見当がついて。イオスは苦笑し、外に出て行くのをやめた。 確かにここ2日間、は夜になってもランプすら点けていなかったのだから その変化に目敏く気がついて、彼らが騒いでも可笑しくないかもしれない。 イオスが外に出るのを止めたのを見て、が不思議そうに首を傾げる。 どうやら彼女の耳まで、この声は届いていないらしかった。 「ちゃん、起きてるかい?」 が口を開きかけたとき 誰かが声を大きくして、テントの中にいる筈のに向け問いかけた。 「あ。はい、起きてます!どうぞ。」 元気良く答えたの声に、外のざわめきは一層増す。 「ちゃん!元気になっ・・・」 トップバッターでテントに飛び込んできた彼は、に駆け寄ろうとして、けれども。 と自分の間を遮るように立ち塞がるイオスを視界に入れると、ピタリと足を止めた。 それを怪訝に思った数人が、その後ろから顔を覗かせ、同じように時を止めた。 「「「と、特務隊長ッ!?」」」 「お前たち、になにか用か?」 わざとらしくにっこりと笑って告げてやると 彼等の間にザワザワと、動揺が走るのがわかった。 「ちょっとイオス、あたしのお客さんなんだけど?」 イオスの背から、以前の明るさを取り戻したが現れると テントに押しかけた旅団員達は、勝ち戦のように沸き立つ。まるで、救世主のような扱いだ。 その様子には一瞬呆気に取られ、でもすぐに笑顔になった。 「俺達、ちゃんにプレゼントがあるんだ!」 「プレゼント、ですか・・・?」 「そう!・・・はい、これ!!」 そう言って目の前に差し出されたのは、雪のように真っ白な、大輪の花。 ぼんやりとランプに照らされたその花は 触ったら溶けてしまいそうなくらい真っ白で、とっても綺麗だった。 「これ・・・」 「俺達に出来ることって、これくらいしか思いつかなかったんだけど この花、俺達で摘んできたんだ。」 「近くに生息地を見つけたんだ。一晩だけしか咲かない花でね。 やっと今晩咲きそうだったから、さっき摘みにいってきたんだよ!」 「――――――――― ・・・月下美人・・・。」 白い花をじっと見つめて、が呟く。 「月下美人・・・?、それはその花の名前か?」 「・・・うん、そうよ。夜の間だけ、月の光を浴びて咲くの。 実物を見たのは始めてだけど、良い香り・・・」 イオスの問いに答え、うっとりと瞳を閉じる。 それを聞いた旅団員が、瞳を輝かせて言った。 「ちゃん!良かったら、今からその花の咲いてる場所まで見にいかない? 今晩咲いた花が他にもたくさんあって、もうすぐ満開になるんだ!」 「実はちょっとだけ、ね。お酒も用意してあるんだよ。」 「おい、お前達!そんなことを勝手に・・・」 「大丈夫ですよ、特務隊長。今回の首謀者は総司令官ですから。」 「ル、ルヴァイド様がッ!?」 「そうですよ。ですから俺達の行動は、正式に認可されてのものです。」 自慢げに告げる彼に続いて、他の者達もだんだんとざわめき出した。 「・・・それよりも。俺はどうしてこんな時間に 特務隊長がちゃんのテントにいるかのほうが気になるんですが。」 「こんな時間にいるってことは、ここで夜を明かしたってことですよね・・・?」 を除く全員に、じっと疑いの眼差しでにじり寄られ イオスはボッと火でもついたように顔を赤くすると、大声で怒鳴った。 「ば、馬鹿な想像はよせッ!! 僕だってルヴァイド様に許可を頂いてここに来たんだ!」 さっきまでの彼は、嘘のようにどこかへいってしまい。 すっかりいつも通りのイオスに戻っている。 その様子を見て笑っているの腕を、横から出てきた誰かの手が掴んだ。 「ちゃん、行こう!」 「エルさんッ!?え?あ、ちょっと待ってくださいってば!」 「!?おい、貴様ッ!!待てッ!!」 そのままグイグイと引っ張られ外に連れだされたの後を、慌ててイオスが追う。 更にその後ろをゾロゾロと、エルに先を越された旅団員達が続いた。 「もうすぐだよ!」 「エルさん、いいんですか?あたし達だけ先に行っちゃって。 まだ皆追いついてきてませんよ?」 「大丈夫、特務隊長以外はみんな場所知ってるんだから、すぐに追いつくでしょ。 特務隊長なんて足速いから、きっともう近くまで来てるよ。」 「おい!2人はどっちに行ったんだッ!」 「特務隊長!少しは落ち着いてくださいっ!」 「そうですよ!ちゃんなら大丈夫ですからっ!!」 「僕は落ち着いているっ!!いいから、さっさと場所を教えろ!!」 「あ、あっちです・・・!!(全然落ち着いてないよ・・・!)」 そうしてしばらく歩いていると、一気に視界が開けた。 抜け出た場所は、遥か遠くの地平線まで見えそうなほど、広い大草原。 頭上には雲以外遮るものも何もなく。 邪魔するもののない上空からは月光が降り注ぎ、あまねく草木を照らしだしていた。 先程の月下美人が一面に咲き誇り、月光を受けて青白く光っている。 はその神秘的な光景に、思わず息を呑んだ。 「うわぁ・・・・・・」 「どう?凄いでしょう?」 「はい!あたし、来て良かったです!」 が笑顔でそう答えたとき、ぶわっと一陣の風が2人の間を吹き抜けて の髪と、草木を揺らした。 草木が擦れ合い、サラサラと綺麗な音をたてる。 「―――――――――― ・・・、来タカ。」 そう、感情の起伏のない声が、風に乗っての耳に届いた。 確かめなくても誰のものだがわかる、その声の主は この場所に不釣合いな、異質な風貌をしていながら 使えるべき主とともに、空気のようにその幻想的な景色に溶け込んでいた。 「その様子だと、やはりイオスを向かわせて正解だったようだな。 だから、イオスに任せておけばよいと言っただろう?ゼルフィルド。」 「・・・ハイ。全テ、我ガ将ノオッシャル通リデシタ。」 「・・・ゼルフィルド!それにルヴァイド様まで!」 驚くの耳元にこっそりと。けれど面白そうに、エルが呟いた。 「さっき言ったでしょう?今回の首謀者は総司令官だって。」 「――――――――― ・・・ッ!!」 まるで時間のとまっているような、その空間を切り裂くようにして 自分を呼ぶ声と共に、騒がしいざわめきがその場に満ちた。 が振り返ると、そこには必死の形相のイオスと その背後でゼーハーと息を切らす旅団員みんなの姿があった。 ズンズンと強い足取りでに向かって進んでくるイオスは けれど途中で、ゼルフィルドとルヴァイドの存在に気がついたらしい。 の隣に来た頃には、もうすっかり落ち着きを取り戻していた。 「ルヴァイド様、ゼルフィルド・・・本当にいらしていたのですか。」 「・・・あぁ。ここで酒を飲もうと言い出したのは、間違いなく俺だからな。」 ルヴァイドは、彼をからかうようにくつくつと笑う。 それからゆっくりと、けれども温かい眼差しをして。視線をへと移した。 「・・・、少しは元気になったようだな。」 ルヴァイドの大きな手がスッと伸びてきて、安心したようにの頭を撫でる。 「なかなか会う時間も作ってやれずに、すまなかった。」 その優しい声色に思わず、少しの間忘れかけていた涙が再び溢れ出た。 色々な感情が、波のように一気に押し寄せる。 この優しい空間に、この優しい人達に・・・。 出会えたことが、今はただただ嬉しかった。 「・・・っ!ルヴァイド、様っ・・・」 ボロボロと涙を零し始めたを ルヴァイドは何も言わず、やんわりと抱き締めてやった。 もルヴァイドの好意に甘え、しばらく彼の胸を借りることにして。 イオスが小さく、“あ・・・”と声を漏らした。 ルヴァイドはそれにちょっとだけ破顔して、それから小さな子供にしてやるように の頭を、何度も何度も繰り返し撫でてやる。 やっぱりあたし、ここにいるみんなを大切だって想ったことも 嘘じゃない。ちゃんと本当だった。 ルヴァイドに頭を撫でられながら、は自分の想いを確かめる。 この感情は、夢でも幻でもなく。今このとき、の中から生まれてくる気持ちだ。 自分がそう感じられたのなら、それはきっと全て・・・ 自分の心から生まれてきたものに、違いない。 全部、全部・・・そうだね。 全部、間違いない“あたし”の本当の気持ちだったんだ。 言われた、通りだった・・・。 そうわかったら。怖さは薄れてきたのに、もっと涙が込み上げてきた。 「・・・、どこか痛むか・・・?」 「だ、大丈夫ですルヴァイド様・・・これは、違うんです・・・ッ! ・・・みんなが優しすぎるから、だから・・・」 「・・・・・・そうか。」 「だから・・・っ今。・・・すごく、嬉しくて・・・ッ」 あのときは冷たく吹き晒していた風が。 今夜は優しく優しく、の頬を掠めていく・・・ 風も、空気も、人も。 ―――――――――― ・・・今ここにある全てが優しすぎて。 ・・・まだしばらく、の涙は止まりそうになかった。 「――――――――――― ・・・みんな、大好き・・・」 でもそれが、この先に待つ困難な道の第一歩だと言うことを 彼女はまだ、知る由もないけれども。 |
|
戯言。 すみません、すみません、無理矢理終わらせました。 ツッコミどころが満載過ぎますが、肝心なところがへっぽこぷーな、第14話後編でした。 あぁ、本当に今回はツッコミどころが多すぎて、どこからつっこんでいいのやら困りますが 取り合えず前回がアレなわりに後半長すぎです・・・!!(絶叫) そして気付いたら&バノッサもなんか変なことやってて &イオスもなんかやってました。 &イオスはお話上アレなのでわかるのですが・・・。いやぁバノッサさん、あんたってヤツぁ・・・。 (↑お前だろ。) はもう1回、記憶がないことの恐怖を克服しなくてはいけない局面に追い込まれたわけなんですが。 でも結局1回目に記憶を失くしたときと、2回目に記憶を失くしたときに、大きな違いというのはなくて。 多分記憶がなくなっても、元々の人っていうのはあんまり変わらないんじゃないかな? ・・・っていうお話でした、今回は多分。(笑) はっきりわからないとアレなんですけど、 タイトルのいつか聞いた言葉ってのはさんが言ったセリフで 実はとイオスが似たようなことを言っている、とか。 イオスとが導きの庭園に行ったときと立場逆だとか。ただそれだけなんですけどネ。アハ! イオスはおててにちゅーが出来て本望です。騎士はあれやっとかないとね!(間違ってる) 最後まで読んでくださったかた!!いらっしゃいましたら、本当に本当にお疲れ様です。(謝罪) |
<< BACK MENU NEXT >> |