「ここですよ。」




そう言って、シオンが視線で促した先にあるのは、立派な外観をしたお屋敷。
それこそ貴族やお金持ちの達の暮らす、高級住宅地に建っていても
全く不思議ではないそれを、間抜けな表情で見上げ。
まさしく開いた口が塞がらない状態で、とバノッサは同時に、“はぁ・・・”と感嘆の息を漏らした。
マーン三兄弟の無駄に煌びやかな邸宅や、サイジェントを治めている領主の城も
とても立派で、勿論何度となく見てきているが
普段スラムで生活している彼等にとって、やはりこういったものはあまり縁がない。

・・・というか。肌に合わない、というのが正しいのかもしれない。






あいつら、本当に優秀な召喚師だったんだね・・・(遠い目)


失礼な。






彼女達の実力は、1年前の戦いで目の当たりにしている。
それでも、あの性格が相俟って(特にミモザ)
優秀だとか、有能・・・だとかいう言葉とは、あの2人はちょっと結び付き難い。






いや。寧ろアイツラには、“陰気”と“破天荒”がぴったりだろ。


お前達が言うな。






些か忘れがちになっているその事実を、目の前に立ちそびえるお屋敷が思い出させてくれた。
・・・派閥に有能だと判断されていなければ、このように立派な屋敷は絶対に与えられないだろう。
その、2人の輝かしい功績の中に、自分達が関わった1年前の事件が
大きくその割合を占めていることは、このときの頭から、綺麗さっぱり抜け落ちていた。




「・・・・・・でもさ、シオン。の間違いじゃなければ
この屋敷の中からは、ギブソンの魔力しか感じないけど?」




が窺うようにバノッサを見上げると、彼もそれに同意するように頷いた。




「・・・そういえば、随分静かですね。
いつもはお仲間の方達がいて、もっと賑やかなのですが・・・」




シオンの一言に、がピクリ、と眉を顰める。




「・・・仲間?なに?アイツら、他の派閥の連中とでも一緒に住んでるわけ?」


「いえ、そういう訳ではないのですが・・・。」


「・・・ここでゴタゴタ言っても始まらねぇだろ。
ともかく、今中に他の奴等はいねぇんだ。入って話し聞きゃいいだろうがよ。」




蒼の派閥について話していたのが、つい数十分前であるだけに
の機嫌は少しではあるが、確実に下降した。
それに気が付いたバノッサは、軽く溜息を吐いて
の頭に血が昇る前に、珍しく積極的な意見を口にすることでそれを遮った。




「・・・まぁ、確かにそうなんだけど。んじゃ、ちょいっとお邪魔するとしますかね。」




バノッサの言葉に、一瞬だけ言葉に詰まってから。
まだ少し不満そうに腰に手をあてて、けれどは玄関の扉に手を伸ばした。












〓 第17話 開幕けの銃声 〓












「・・・空が、真っ青・・・」




今日の空模様は晴天。雲1つない、青い空というやつだ。
その、なぜか心惹かれる真っ青な空を熱心に見上げて、は心地よい風に吹かれる。
瞳を閉じると緑と土の匂いがし、風が頬を撫でて、そのまま髪を梳いていった。
けれどもの心は、そんな空とは対照的に、あまりすっきりとしていなかった。




「空が青いのは、当然のことだろう・・・」




の隣でそれにフッと微笑を浮かべるのは、ワインレッドの髪をした、背の高い男。
―――――――――― ・・・黒い甲冑を身に纏った、黒の旅団の総司令官、ルヴァイドだ。

達がいるのは、ゼラムから程近いフロト湿原。
青々とした草がたくさん生い茂り、そこかしこから、小さな生物の息づかいが聴こえてくる場所だ。
天気はこの上なく良く、空気も良い。・・・これが任務でなければ、最高の気分だったのに。


・・・そう。達は聖女を追って、このフロト湿原まで来ていたのだ。




「そうなんですけど・・・でもルヴァイド様。
なんだかあたし、ここまで真っ青な空って、あんまり見たことがない気がするんです。」






おかしなの。リィンバウムの空はいつも青くて、澄んでいるのに・・・






・・・どうして、そんなことを思うのだろう。
あまり見たことがないだなんて、まるで真っ青な空が珍しいだとでも言うようじゃないか。
空はいつも頭上にあって、晴れの日は今日のような碧さをみせているのに・・・。


けれど、そこまで考えて。


は先程自身が思った一言に、一抹の違和感を覚え、訝しげに眉根を寄せた。









―――――――― ・・・ん?リィンバウム(・・・・・・)の・・・?



・・・他にどこの空があるというんだろう、あたしは。









・・・事の始まりは、今朝。がまだ朝食の片づけをしていた頃のこと。
ゼラムに行っていた諜報部隊が、大慌てで駐屯地に舞い戻って来て
穏やかだった場の雰囲気は、一瞬にして騒然となった。そして何事かと緊張の走る皆に
今まで一向に動く気配を見せなかった聖女の一行が、ついに行動を開始したことを告げたのだ。

それを聞いて、勿論がじっとしていられるわけがなく。
ルヴァイドに、任務に同行させて欲しいと願い出た。
前回の失態があるだけに、連れて行っては貰えないかとも思ったのだが
が心中様々な葛藤を抱えていることを、良く理解してくれているルヴァイドは
今回の任務に同行することについて、快く許可してくれた。

だがイオス達と一緒に、聖女一行の様子を監視しに行くことには猛反対をされ
もなかなかに粘ったが、結局最後まで許して貰えなかった。
前回のことがあるだけに、それにはイオスやゼルフィルドも大賛成だったようで
(まさかゼルフィルドにまで止められるとは、も思っていなかったが。)
は満場一致で、ルヴァイドと共に後方待機の身となったのだ。






―――――― ・・・がそう呟くと
ルヴァイドは瞳を細め、自身も眩しそうに空を仰いだ。




「・・・そうか。確かに、今日は素晴らしい晴天だな。」


「ですよね!?絶好のピクニック日和ですよ!」




ピクニック、と口に出してから、はう〜ん・・・と小首を傾げる。
ふと周りを見ると、皆偵察の結果次第ではいつでも動けるように、準備をしてはいるが
やることと言えば武器の手入れや確認をするぐらいで、今取り立ててすべきこと、と言うのは特にない。
兎にも角にも、偵察隊の帰還を待たなくては、何も始まらないのだ。

・・・そのせいか、皆少々暇を持て余している節があり、雑談する声もチラホラ聞こえてくる。
だから今ならいいかと。は思い切って、ずっと胸にしまい込んでいた疑問を口にした。




「それにしても・・・ルヴァイド様?なんで聖女の一行は
追われている身だっていうのに、ピクニックなんかに出かけたんですか?
街中にいればこっちが無闇に手を出せないのも、解ってる筈なのに・・・」




むむむ、と唸り声をあげるに、ルヴァイドがふっと苦笑する。
それはとても、村1つを壊滅させた軍隊の総司令官とは思えない、優しい表情だ。




「向こうにも、なかなか頭の切れる人間がついている、ということだ。」


「頭がキレる、ですか?」


「・・・そうだ。今我々は、所謂膠着(こうちゃく)状態というやつにある。」




眉をきりりと持ち上げ、総司令官としての顔を覗かせたルヴァイドに
つられるようにして、も神妙な面持ちで頷いた。




「・・・はい。」


「何もしなければ、状況は悪化しない。
だがそれは同時に進行もせず、何も解決しないことも意味している。
寧ろ聖女達は、日々を怯えながら暮らさねばならないだろう。」


「・・・ぁ。」


「確かにゼラムの街からでなければ、比較的安全ではある。
――――――― ・・・が、以前街中でも我々に襲撃されたという事実もある。
ならば、それもまた確実なことではない。些か手を出しにくい感はあるが
万策尽きたとき、我らが再び街中で奇襲を仕掛ける可能性は高いだろう。」




1度、街中だと知りながら、旅団は襲撃を仕掛けたのだ。
周りを敵に囲まれているという点で不利ではあり、無闇に手を出すわけにはいかないが
2度目を躊躇う理由は、それほど多くない。多少の経験がある者なら、それに簡単に気付く筈だ。




「何も起こらないことが、万全の状態とは言えん。
つまり、事態の解決を真に望むのならば、留まることばかりでなく、動くことも必要だということだ。
それを知るほどの経験と実力を兼ね備えた人物が、向こうにもついている。」




最後にルヴァイドは、眉間に皺を寄せているの頭にポン、と手を置き、優しく微笑んだ。
ルヴァイドの話を聞けば聞くほど、は自分が何も解っていないのだという事を思い知らされた。




「・・・勉強になりました。」




素直に呟くに、ルヴァイドはうむ、と頷く。




「・・・ところで、イオスはそれに気付いてるんですか?」


「・・・どうだろうな。イオスは文武ともに優れた人材だが
俺にいわせれば、まだ若く経験が浅い。未だ、感情的になりやすいところがあるからな。」






そう言われてみれば、そうかも・・・






イオスと共に過ごした時間は、ルヴァイドのように長くないが
それでも、いくつか思い当たる節がある。
それがまた、彼の良いところでもあるとは思うのだが
――――――――― ・・・

どこか納得してしまっているに気付いたのか
横でルヴァイドが、珍しくクスクスと小さな笑い声を漏らした。




「過ぎた感情は、時に冷静な判断を失わせる。
それは指揮官にとって、あってはならない過失だ。」




厳しい眼差しでそう呟いてから、けれどもルヴァイドはふっと表情を崩す。




「だが俺は、イオスにそうなって欲しくないと願うときがある。
全ての感情を押し殺し、戦に勝つことだけを考えるには、アイツはまだ若すぎる。
今からそのようになろうと、焦る必要もないのではないか・・・」




それは特に、イオスがと笑い合い、歳相応の姿を見せたとき強く感じる。
彼もまた、軍人である前に1人の青年なのだと・・・。

けれどもルヴァイドは、そんな己の考えを吹き飛ばすように
自嘲気味な笑みを、口元に浮かべた。




「・・・そう思ってしまう辺り、俺もまだまだ甘いということなのだろうな。」




どことなく、悲しそうなルヴァイドに気が付いて
はきょとんと瞳を丸くした後、にっこりと。それは太陽のように暖かく微笑んだ。




――――――― ・・・それは違いますよ、ルヴァイド様。
だからこそ、みんなルヴァイド様についていこうって思うんです。」




そう告げるからは、迷いを微塵も感じることが出来ない。
心の底から、本当にそう思っているのだとわかる・・・確信に満ちた、口調と表情。




「みんな、ルヴァイド様の翳すものに惹かれて、同じ“戦う”なら、この人の下でがいい。
この人になら命を預けてみてもいいって。そう思ったから、思えたから。
・・・・・・それだけの価値を見出せたから、みんなルヴァイド様についてくるんですよ。
きっと、イオスもそう。部下に慕われ、厚い信頼関係を築くことも
良将の条件の1つだと、あたしは思いますけど。」




にこにこと笑うを、ルヴァイドは驚いたようにしばらくの間凝視して。
それからゆっくりと瞳を細め、穏やかな表情になると、再びの頭を撫でた。




「お前に励まされるとは、思ってもみなかった・・・」


「・・・ルヴァイド様、それって褒めてるんですか?貶してるんですか?」




頭を撫でられながら、けれども不満そうにが呟くと、ルヴァイドは面白そうに笑う。




「褒めているつもりだが・・・?」




押し殺したルヴァイドの笑みに、は“もう・・・”と頬を膨らませた。
けれどもその仕草が、またルヴァイドの笑いを誘う。

はしばらく不貞腐れながらも、頭を撫でられたまま、ルヴァイドを見上げた。
ルヴァイドはイオスよりもずっと背が高いから、同じ年頃の女の子と比べても背の低い
ほぼ真上を垂直に見上げる形になるので、ちょっと首が痛い。
けれど、今苦笑している彼からは、先ほど感じた悲しさは、もう感じられなかったので
それにはこっそりと、内心胸を撫で下ろした。




「・・・でも、あたしもそう感じた1人だから、そう思うんですよ?
だってルヴァイド様は、無闇に命を奪うことを好まないじゃないですか。
あたしは、戦うことってあまり好きじゃないですけど
ルヴァイド様じゃなかったら、任務についていこうとは、思わなかったと思います。
ルヴァイド様なら、信じても良いんじゃないかって。
―――――――― ・・・そう、思えた。だから武器を取ったんです。」




人を殺めることを戸惑わない、なんとも思わない人だったならば。
・・・この人がこんなに優しい人じゃなければ、あたしは武器を取らなかった。

例えそれが、自分が生き延びるために必要なものだったとしても
絶対にそれを、選びはしなかった。

優しい人だから・・・。イオスも、ゼルフィルドも、旅団のみんなも。
本当は心の優しい人なんだって、知ってしまったから。

・・・あたしのせいで迷惑を掛けたくないと思った。
今度は助けになりたいと願った。



何も考えずに命令を聞くだけなら、それは心を持った意味がないでしょう?



だからあたしはあのとき、上からの命令に従ってゼラムへ行ったわけじゃない。
あたしは自分自身の意思で、任務についていくことを選んだ。

そのことでこの優しい人達を、ほんの少しでもいい。
本当に少しで良いから、護ることが出来たなら。助けになれるなら・・・そう思って。



――――――― ・・・ただ、それだけのこと。




「それにルヴァイド様は、こんなあたしを、まだ傍に置いてくださるから・・・。」




・・・けれど同時に、ゼラムでの任務でわかった筈だ。
聖女の仲間全員が、あたしを見て武器を降ろしたわけじゃない。
あたしは自身が捕虜として、大した価値がないことを実証したことになる。
かと言って、聖女達と本気で戦うことも出来ないから、戦力としても役立たず。
もう“”という存在は、軍隊としての黒の旅団にはいらない筈で・・・。






・・・でもそれでも、この人達はあたしをここに置いてくれた。
あたしという存在を、必要としてくれた。






そんな人達を大切だと想うのは、決しておかしいことじゃないだろう。




――――――――― ・・・・・・」




いつの間にかしんみりとした雰囲気になってしまっていることに気が付いて
はハッと、必要以上に勢い良く、顔をあげた。




「つ、つまりっ!!あたしは今のルヴァイド様が大好きだって、そういうことです!!」




意気込んで告げるを、ルヴァイドが微笑みを湛えて見つめる。
それにも胸を張って、自慢そうに緊張感のない笑みを返した。




「・・・。そういえば、お前に渡すものがあったのを忘れていた。」


「・・・渡すもの、ですか?」




そう言いながら、ルヴァイドが袋から取り出したのは
銀色のチェーンが付いた、サプレスのサモナイト石のペンダント。
チェーンの付け外しをする金具の横に、ちょこっとついた小さなプレートには
なにやら文字らしきものが刻まれていた。




「・・・正しくは返す、だがな。」




見覚えのない筈の、どこもおかしいところはない、普通のサモナイト石。
でもは、何故かそれに見覚えがあった。
・・・いや。正確に言えば、見覚えがあるというより
その石から発される魔力、気配に覚えがあるというのが正しいだろうか。
慌てて差し出したの両手に、それはスルスルと音もたてずに降ろされた。
は手に収まったそれをじっと見つめ、訳の解らない確信を深めた。




「・・・ルヴァイド様。あたし、この子のこと知ってる・・・」




手で直に触れると、石の中から更に自分を呼ぶ声が大きくなる。
それは久々の再会を、喜んでいるかのようだった。
他の誰に聴こえなくとも、にはその声が確かに聴こえたし
何を言っているのかも、なんとなくだがわかる。

一見すると、ただ頭がおかしくなっただけだと馬鹿にされそうなの一言にも
ルヴァイドは優しく微笑むだけだった。




「・・・それはそうだろうな。そのサモナイト石は、元々お前が持っていたものだ。」


――――――――― ・・・あたしが?」


「あぁ。お前が俺やイオスと出逢ったあの晩。
お前はそれを使って、とても大きな銀色の竜を喚び出したのだ。」


「銀色の・・・」


「そうだ。お前を捕まえたときに、危険だからと外したのだが
イオスが紐を引き千切ってしまってな。」




手にしたサモナイト石を、くるくるとまわして見る。どれも同じサプレスのサモナイト石の筈だが
それは他のサプレスのサモナイト石よりも、一層輝いているように見えた。
敢えていうならば、自信に満ち溢れている、とでも言うのだろうか。
その石は、自分の存在を誇らしく思っているかのように、の瞳には映った。




「街に出た諜報部隊に頼み、店で加工を施して貰ったのだ。
これならば、お前が動き回っても易々と落とす心配も少ない。
付け外しも、以前よりずっと楽になるだろう。」


「・・・ちょっと待ってください、ルヴァイド様!
っていうことは、コレ、オーダーメイドですかッ!?一体いくらかかったんですッ!?」


「・・・お前が気にすることはない。給金の代わりのようなものだ。」


「そういう問題じゃありませんよっ!
だってあたしは、そもそもルヴァイド様のご好意でここに厄介に・・・!!」


――――――― ・・・イオスが言うには、それは迷子札だそうだ。」


―――――――――― ・・・へ?」


「このプレートに、お前の名が刻んである。お前になにかあっても、すぐに名前が解るように。
そのペンダントを落としても、またお前の手元に戻るように・・・とな。」


「・・・ま、迷子札・・・・・・(複雑な心境)」






イオスの馬鹿っ!!迷子札なんて言わなくても良いじゃないのっ!






内心そう罵ってみるものの、きっと普通に渡したら
あたしが気にして受け取らないと、彼は思ったのだろう。
・・・だから、迷子札だなんて理由をつけた。
多分、あたしが少しでも受け取り易くなるように、そう言うことを言ったんだと思う。






ある意味、その判断は当たってるわけなんだけど・・・
なんだか、腑に落ちないのよね。






「・・・それだけでは、ないようだがな。」




唸り声をあげながら、複雑そうな表情で
がサモナイト石と睨めっこをしていると、ルヴァイドが小さな声で呟いた。




「・・・え?」




瞳を丸くして自分を見上げてくるに、ルヴァイドは“いや・・・”と首を横に振る。
そして彼女の手からペンダントをもう1度受け取り、後ろを向かせると、首につけてやった。

紫色の石が太陽の光を受けて、の胸元でキラキラと光る。
はそれを、何度か嬉しそうに眺めた後。邪魔にならないよう、服の中へとしまいこんだ。





それはが、確かに自分達と共に()た証。





いつかはきっと、とは離れることになるだろう。
そんな予感が、ルヴァイドにもイオスにもある。
いずれ彼女は、聖女の元へ帰るのではないかと・・・いや、恐らく帰るのだ。




「ここにいる者全員からの、お前への感謝の印だ。
俺達は、いつでもお前のことを想っている。・・・それを、忘れるな。」




何時、何処で離れ離れになるか知れない。
その“刻”は、明日くるのか1週間後に来るのか、それとも・・・・・・

それはここにいる全員が、身に沁みて良く知っていることだ。
隣にいる友が、いつその存在を気泡のように掻き消すかわからない。
それが戦場に立つ者の、そして軍隊に属する者の覚悟というものだ。

けれどそれ以上に不安定なモノの上に、と自分達の出会いは成り立っている。
・・・何しろと自分達は、本来お互いに相容れない存在なのだから。
それが混在している今、それは奇跡とも言えるのかもしれない。






“・・・出来るのなら。彼女が僕達の元へ帰ってきてくれないか、なんて。
共に在りたいと、そんなことを願ってしまうんです。
それが身の程を顧みない、酷く浅ましい願いであることは、自覚しています。”






ここ数日間で、今まで見せたことのない表情を見せるようになった
イオスの顔が、脳裏を過ぎった。






“でも、それでも僕は・・・・・・それを願わずには、いられないんです。”






きっとイオスは、これからどんどん強くなるだろう。
護るべきものを、大切な何かを見つけた者の成長は、目覚しい。
ルヴァイドの配下に入った境遇が境遇だけに
イオスにはその辺りが少し欠けていたのだが、もうそれも心配はなくなる。









――――――――― ・・・ただ、それが酷く険しい道であることは
誰の目にも、明らかなことだろうけれど。









―――――――――――― ・・・はいっ!!!
ルヴァイド様、大好きっ!!」




これ以上ないほどに満面の笑みを浮かべて、まるで幼い子供のように
ピョン!と自分に飛び付いてくる彼女を、慣れた動作で抱きとめながら。

ルヴァイドはあと何回、こんな風に飛びついてくる
この腕で抱き締めてやれるのだろうかと思う。

ここまで懐かれると、まるで一児の父親か
何か、希少動物の飼い主にでもなったような気分さえしてきてしまう。




「・・・、俺はいつもお前達のことを想っている。・・・・・・・・・忘れるな。」




そう呟いて、もう汚れてしまった自らの手で。
自分とは違う。澄んだ瞳をしたの綺麗な髪を、慈しむように優しく撫でた。












その光景を、ちょっと離れたところで見守りながら
手持ち無沙汰に剣の手入れをしていた、旅団員の1人が呟いた。




「あ。またちゃん、総司令官に抱きついてるよ。」




ルヴァイドに飛びつくは、まるで大きなコアラの親子だ。(嫌なコアラだな)
もし今ここにコアラを知っている者がいたら、誰もがその意見に賛同するだろう。




「本当だ。特務隊長がいたら、見物だったのにな。」




顔を真っ赤にして憤慨するだろう彼の姿を思い浮かべ、クスクスと苦笑する。
がルヴァイドに飛びつき、それに怒るイオスという構図は
黒の旅団の中でもうすっかり定着し、ある意味日常的な光景になっていた。
・・・所謂、“名物”というやつである。




「・・・いいなぁ、総司令官。俺もちゃんに“大好きっ!”ってして貰いたいよ・・・(溜息)」


「馬鹿言うなよ。今はいないから良かったけど、特務隊長に聞かれでもしたら
間違いなく地獄の特訓メニュー開始だぞ?総司令官だから、あれだけで許されるんだ。」


「・・・う゛。それはそうだけど・・・(汗)」


「けどさ。ちゃんが来てから
なんとなく部隊全体の雰囲気が明るくなったよな。・・・こう、和むというか。」


「そうそう。なんだか、今まで忘れてたものを思い出した感じだよなー。」


「ここ最近、ずっと神経張り詰めっぱなしだったからな。」


ちゃんがいるだけで、こんなに違うんだもんな。
俺、ちゃんに感謝しなきゃいけないかなって思うよ。
特務隊長も前より穏やかになったし、総司令官もなんとなく嬉しそうだしさ。
あのゼルフィルドさえ、ちゃんが来てから
おはようとかって挨拶するようになったんだぜ?それになんと言ってもご飯がおいしい!!」


「お前は昔からそればっかだよな。食べ物に目がない。」


「・・・そうかな?」


「あははは!しかも自覚がないからまたおかしいんだよ。」




任務の最中であるにも関わらず、そんな他愛もない会話が繰り返される。
・・・そんな、穏やかな空気の流れるこの場所に
鼓膜を突破るような銃声が響き渡ってきたのは、その10分ほど後の出来事だった。














業を煮やしたミモザの提案により、早朝からフロト湿原へ
気分転換と称したピクニックに来ていたトリス達は
当初の予定通りというか、ギブソンとミモザの目論見通りというか。
ともかく、黒尽くめの集団を、舞台の上に引っ張り出すことに成功した。

現れたのは先日ゼラムで戦った、金色の髪をした槍使いイオスと
ロレイラルの機械兵士、ゼルフィルド。
そして、目の前に立ちはだかる数十人の兵士達。
さっと視線を這わせ、そこにいるべき少女の姿が無いことに、最初に気がついたのはトリスだった。




「イオス!はどこっ!?」




他の仲間よりも1歩前に進み出て、トリスが叫ぶ。
イオスの眉がピクリと動いたのを、トリスは見逃さなかった。

戦意にギラギラと燃えていた紅い瞳が、トリスの問いに一瞬暗くなり
けれども結局最後には、またこちらを睨み付けた。




―――――――― ・・・貴様らに教える筋合いはない。」




冷たく言い放ったイオスの言葉を合図に、戦いの火蓋が、再びここに切って落とされた。













「ハサハ、頼む!!」


「・・・・・・っ!(コクリ)」




マグナの言葉にコクリと頷いて、ハサハがいつも手にしている水晶玉を翳すと
そこから赤い光が溢れ出て、鬼界の住人、オニマルが姿を現した。

敵はオニマルの雷撃を逃れようと、四方に散り
固まっていた彼等を、バラバラに引き離すことに成功した。
集団で襲い掛かられたらひとたまりもないが、1人ずつならば、
実力で劣るマグナ達が前線に出ても、どうにか戦線を押さえられるだろう。




「よし、成功だ!俺達があいつらを押さえるから
ハサハは後ろから召喚術で援護してくれ!レオルド、行こう!」


「・・・(コクリ)」


「了解シマシタ、主殿。」




そう指示を出すと、マグナは自ら先陣を切って前へと進み出た。
その後を、ガショガショと音をたててレオルドが続く。




「・・・・・・どうやら、マグナ達も上手くやってるみたいだな。」




出会ってからほんの数日の間に、すっかり剣を振るう姿がさまになってきたマグナを見て
フォルテはヒュウ、と口笛を吹いた。

今フォルテ達は、アメルを背後に護るようにして布陣している。
何人かずつで固まって敵の陣形を崩し
少しずつ、けれども着実に。相手の勢力を削いでゆく作戦だ。

作戦は、フォルテの目から見ても順調に進んでいる。
けれども1つ気にかかることと言えば、敵の中にの姿が見えないことだ。
あれだけの戦力である彼女を、何故相手は使ってこないのか・・・






あのときの怪我が、そんなに酷かったのか?それとも
―――― ・・・






心配させるだけなので、トリスやマグナ達には言わなかったが
フォルテには1つ、不安材料があった。

それはの処遇だ。

リューグがに応戦したことで、敵の中でのの立場が、危ういものになる可能性があった。
けれど、あのイオスという槍使いも、機械兵士のゼルフィルドも。
ゼラムの街で剣を交えた時は、リューグからを護るように行動をしているように見えた。



つまりそれは、彼女を正規の仲間として。
・・・あるいはそれ以上として見ている、そういうことではないのだろうか?



だからてっきり、が危害を加えられることはないものだと
フォルテは高を括っていたのだが・・・


そのの姿は、今、無い。






・・・それは今考えるべきことじゃねぇ、か。






今相手にしているのは、、そんな考え事を許してくれるような連中ではない。
目下のところ、考えるべきはどうやってこの場を勝利で治めるかだ。
フォルテは内心の思いを振り払うように、軽く頭を振ると
この場には少し不釣合いな、相変わらず軽めの口調で呟いた。




「しっかし、やっぱ無理矢理にでもあいつら引っ張ってくりゃ良かったぜ。」




フォルテが言う“あいつら”というのは、数日前に酒場で偶然出くわした
喩えるなら嵐のような2人の賞金稼ぎのことであるが、それを知るのは相棒のケイナのみだ。
盗賊退治やはぐれ退治ばかりをしていると言っていたから
今のように、大勢で攻めてくる敵への応対なんてのは、得意とするところだろう。
連れて来れば、きっと大いに活躍してくれたハズだ。


・・・そもそも、ただでさえ相手は人数で攻めてくるというのに
自分達の仲間は直接攻撃を得意とする者の数に比べて、後方支援の人数が少ない。
そこへ銃なんて物騒な代物を持っている彼女がいてくれれば、どれだけ楽になったものだろうかとも思う。


そんなことに思考を巡らせ始めたフォルテのすぐ脇を、絶妙のタイミングで矢が掠め通る。
それは勿論、自分の後方で援護してくれている、相棒の放ったものだ。




「フォルテ!ぼやいててもしょうがないでしょ、集中なさい!」


「そうは言うけどよ、圧倒的にこっちの頭数が少ないんだ。
・・・ちっとは手加減して欲しいもんだよなッッ!!」




言いながら、フォルテは剣をカチャリと持ち替えると
敵に息つく間も与えず、すぐさま横に薙いだ。
縦に振るわれると思っていた剣を、突如横に振られたことに、相手は反応しきれず
どうにか自分の剣で負傷は免れたものの、声をあげて大きく後ろに飛んだ。

フォルテのこの器用さは、他人からみれば素晴らしい技術であったが
彼にとって、今の攻撃は不服以外の何者でもなかった。
敵1人を戦線離脱させようとして放った一撃であったのに、後ろに吹き飛んだけに。
・・・最小限のダメージに、押さえられてしまったのだから。




――――――― ・・・チッ!」




忌々しそうに舌打ちをして、けれどフォルテはすぐさま頭を切り替え、次の攻撃へと移った。






「・・・誓約の名のもとに、ミニス・マーンがここに願う・・・。
幻獣界より来たりて、我に力を貸したまえ!お願いっ、アクアトルネード!!!」


「だああぁッ!!」


「退け、リューグ!前に出すぎだ!!」




ミニスの声に応えて、ローレライが水撃で敵を吹き飛ばした。
そこへすかさずリューグが踏み込み、背後にまで気の回っていない弟の後ろを
ロッカが守り固める形で、じわりじわりと前進していく。
ゆっくりではあったが、こちらでもまた、確実に敵の勢力を削ぎつつあった。






仲間達が、それぞれ順調に進んでいるのを視界の隅で確認して
トリスはアメルの前方
――――――― ・・・他の仲間よりも、少し退がった場所に位置し
いつでも回復の召喚術を唱えられるよう、待機していた。




――――――――― ・・・バルレル、レシィ、退がって!」




トリスの声に反応し、2人の護衛獣は、振り向きもせずに後ろにジャンプした。
2人の動きもだんだんと、足並みが揃うようになってきている。




――――――――― ・・・ギヤ・メタル!!」




そこへネスティの声が響き渡り、先程までバルレルとレシィがいた場所に
大きな刃を身に纏った召喚獣が出現する。
体をぐるりと一周する刃を高速に回転させて、ベズソウが敵陣に突っ込んだ。




「ぐあああッ!!」




回転する刃に弾き飛ばされ、敵の1人が後方に待機していた医療班によって運ばれてゆく。
1人が姿を消したためにぽっかりと空いたその場所の、もっと、ずっと奥に。
トリスは以前にもギブソン・ミモザ邸で対峙した、金髪の槍使いの姿を見つけた。






――――――――――― ・・・見つけたっ!!






彼の姿を見とめた途端、トリスは自分が数少ない回復要員であることも
まだ周りに相当数の敵がいることも忘れて、槍使い・・・イオスを目指して、まっしぐらに駆け出した!!




「トリスさんッ!?」




勿論、その唐突な行動に驚いたのは敵ばかりでなく、彼女の傍にいた仲間達もそうだった。
アメルの悲痛な叫び声に、チラリと後ろを振り返ったマグナは
いつの間にか自分と同じ辺りまで前に出てきているトリスに、驚いた声をあげる。




―――――――――― ・・・トリスッッ!?」




けれどもトリスは、そんなマグナに脇目もふらず。
持ち前の身軽さとスピードで、更に奥へ奥へと突き進んで行く。




「トリス!何を考えているんだッ、君はッ!!!」


「何やってやがんだッッ、ニンゲン!!!」


「ご主人様あぁッ!!!」




ネスティの怒鳴り散らす声が聞こえ、バルレルとレシィが慌てた様子で
召喚主の後を追い、風のようにマグナの横をすり抜けていった。

走り去るトリスの背中を追って、奥へと視線を向けたマグナは
けれどそこで、トリスが何に向かって走っているのかに気が付いた。






“そのイオスって人ね、凄くのことを気にかけているみたいだったの。”






ミニスがを見たと話して帰っていった日に
トリスがそう言っていたのを、マグナは確かに覚えている。
今この部隊を指揮しているのは、あのイオスだ。
そして、あちこちに指示を飛ばしている彼がいるのは、敵陣の最深部。



――――――― ・・・つまり。敵陣の真っ只中に、トリスは単身乗り込むつもりなのだ。



だが、今更気が付いても、トリスを止めることは出来ず
マグナはダンッ!!と足を踏み鳴らし、地面を強く蹴り付ける。




「・・・くそッ!!レオルド、ハサハ!お願いだ!!!
どうしてもここを突破して、俺はトリスのところへ行きたいっ!!頼むッ!!」




マグナは声を張り上げて、自分の護衛獣達に向けてそう叫ぶ。
するとハサハがコクリ、と頷いて、再度水晶玉を頭上に掲げた。




「・・・お願い・・・っ!」




カッ!と水晶玉が光を放ち、それと同時に辺りに雷撃が降り注いだ。
ハサハが召喚したのは、先ほども召喚したオニマル。
けれどもさっきと違ったのは、オニマルが放ったのが、ただの雷撃ではなく
マヒ効果の付属する、痺雷撃であったことだ。
痺雷撃をまともに喰らった数人は、体が痺れて身動きが取れないでいる。
これでマグナの周囲にいた戦える敵の数は、一気にその数を減らした。




「主殿、ココハ私ニ任セクダサイ。
コノ数ナラバ主殿ガ戦線ヲ離脱シテモ、敵ノ勢力ヲ抑エルコトガ可能デス。」


「頼むよ!ありがとう、2人とも!!」




2人への感謝の言葉もそこそこに、マグナは自身も大剣を振り翳し、トリスの元へと急ぐ。
順調に敵を避けて、ねじ伏せて。先へと進んでいたマグナだったが
その動きに気付き、だんだんと彼の前方へ壁を作るように、兵士が集まり始めた。
そしてついに目の前に敵の兵士が立ち塞がり、マグナの進路が遮られる。






――――――― ・・・くそっ!あともう少しなのに・・・!!






あともう少しで、トリスに追いつけるところまで来ているというのに・・・。
彼をかわしたその先に、イオスを目指して今も走り続ける、トリスの小さな背中が見えた。
ギリ、と奥歯を噛んで、マグナは目の前の敵と刃を交える覚悟を決めた。




「ベズソウッ!!」




そのとき、いつの間にかすぐ後ろまで来ていたらしい、兄弟子の声が響き渡り
ベズソウの鋭い刃が、マグナの前に立ち塞がった男に襲い掛かった。




「・・・マグナッ!!先にトリスのところへ行けっ!!!」


――――――――― ・・・ありがとう、ネス!!!」




マグナは抜身の剣を降ろし、チラっとだけ兄弟子を顧みて
そのまま、立ち止まることなく駆けだす。

マグナがトリスに視線を戻すと、彼女はイオスと自分を隔てる、最後の壁に向かうところだった。
それにドキリとして、マグナが走る速度を更に上げると
どうにか、同じくトリスを追っていたバルレルとレシィにまで、追いつくことに成功した。




――――――――― ・・・トリス・・・ッ!!!」




双子の妹の名を叫び、マグナは息を切らして走る。
ゼーハーと荒く呼吸をしているレシィと
忌々しそうに、小さな歩幅で懸命に走るバルレルを追い越して
――――――― ・・・









お願いだから、1人で無茶はしないでくれ・・・!!









いつも自分だけは一緒だと、幼い頃誓った妹に向け、そう心の中で叫んだ。


















―――――――――― ・・・トリスは戦いが始まる前から、ずっとずっと。
イオスに近づくチャンスを窺っていた。
今まで護衛獣の後ろで大人しく、味方の回復役にまわっていたのも
このときのために、体力を温存していたからだ。






のことを聞けるのは、イオスしかいない・・・






トリスは、どうしてかそう確信していた。
今現在、指揮を執っている彼が話さないと公言したのならば
いくら一般兵に尋ねたところで、彼等は頑として口を割ろうとはしないだろう。
そもそも、がどうしてここにいないのか、知っているかどうかも危うい。

教える気はないとは言われたが、ゼラムに襲撃を仕掛けてきたあのとき。
のことを自分に尋ねてきたイオスなら、きっと答えてくれる筈だ。

・・・妙な自信が、あった。
イオスは多分、自分と同じ感情を抱いているから。






イオスは、のことが凄く大事なのよ。
だってゼラムで会ったときは、あんな
―――――――― ・・・






自分と同じように、彼はを心配していたのだから。
そういう意味では敵対関係とはいえ、彼はトリスの同志だと言えるのかもしれない。
・・・きっとそれは、彼も感じている筈。


だからトリスは思う。


前回刃を交えた時に、酷くを気にかけていた彼ならば。
敵とはいえ、自分と同じくらいにを想っている彼ならば・・・・






きっと、のことを教えてくれるッ!!






眼差しを更に強くして、トリスは手にした短剣を振り翳した。
















「うわあああッ!!」




前線はもう少し先のはずなのに、思ったよりも近くから聞こえてきた悲鳴に
指示を出していたイオスは、思いっきりその端整な顔を顰める。




「どうした!」


「特務隊長!女の召喚師が、単独でこちらに向かっています!」


「なに・・・?」




正面に視線を移すと、何人か兵士を挟んだその向こうに
紫色の髪が揺れているのが見えた。






・・・トリスか。






大方、自分からのことを聞きだそうとでもいうのだろう。
敵でありながら、イオスは彼女の行動をなんとなく予測していた。

のことを聞きにくるのではないか、と。

の行方を話す気がないと言ったところで
彼女がそれで納得していないのは、態度からしても明らかだったのだから。




「・・・女1人に何を手間取っている?」


「申し訳ありません!やたらすばしっこく動き回る上に
彼女に続くようにして、数人が後から雪崩れ込んでくるもので・・・」




言われて見れば、なるほど。彼女の後ろから、兵を蹴散らせながら進んでくる3つの影が見えた。
ゼラムで邪魔をしてくれた彼女の護衛獣と、トリスにそっくりな服を着た男が1人。
ゼルフィルドの報告によれば、確かマグナとか言ったか。

ルヴァイドと同じ武器を手にする彼は、ルヴァイドに比べれば格段に実力は劣ったが
その太刀筋には、磨けば光るだろうものを感じとることが出来た。
恐らく。武器を手にしてから、彼はまだ間もない。

寧ろ厄介なのは、攻撃を回避しながら突き進んでくるトリスよりも
その掻き乱された後を後ろから追って来る、そちらの3人のほうだろう。
武器も性格もてんでバラバラのようだが
それが返って絶妙なチームワークを生み出し、功を奏していた。




――――――――― ・・・わかった。僕が出よう。」


「特務隊長自らですかっ!?」


「恐らく、あの女召喚師は僕に向かって来ているのだろうからな。
それが被害を最小限にくいとめる最善の方法だ。」




ほんの短期間の間に、彼等は驚くほどの成長を遂げている。
・・・そう、軍隊である自分達が面倒臭いと、多少手を焼くぐらいには。
と言っても、まだそれほど脅威だとは言えない。言えないが
――――――― ・・・






時間を与えれば、どうなるか。






ふと頭を過ぎった愚かな考えを、イオスは頭を振るって吹き飛ばした。






ならば、そうなる前に排除するだけだ。






戦いたくない、と泣いた、の姿を思い出す。
だがイオスは、それに気付かぬふりをした。
出来ることならば、彼女の望みは叶えてやりたい。けれどもそうはいかないのが現実で・・・

それを認めてしまったら、僕はここから動けなくなる。
それは自らの死を。ひいてはあの人の立場を悪くすることに繋がる。






彼女さえ無事なら、僕は構わない。






愛用の槍を握り締めて、イオスは自分に言い聞かせるように、心の中で繰り返した。






―――――――― ・・・たとえ彼女に憎まれようとも。






驚きに見開かれたトリスの瞳が、すぐ目の前にあった。


















「退いてッ!!あたしはイオスに聞きたいことがあるのよッ!!」




トリスが叫んでも、目の前の兵士はまるで人形のように
これといった感情を見せることはなく、相変わらず無機質な剣戟(けんげき)を繰り返す。


トリスは彼等の攻撃をかわし、ときには反撃をしながら
どうにかして前に進もうとしているが、なかなか前に進むことが出来ずにいた。
それでも先ほどまでは、少しずつ前に進んでいたのだが
イオスのほうへ向かうトリスに気付いたのか、今では兵士と戦うその横から
離れた位置にいるゼルフィルドの銃撃までもが、トリスを狙い撃ちしている。


攻撃する力は弱くとも、トリスは自分の回避力。こと避けることに関しては自信があった。
派閥からしょっちゅう抜け出していた逃げ足は、伊達じゃない。
とはいえ、目の前の刃を避けながら、ゼルフィルドの攻撃も気にしなければならないのだ。
それは並大抵なことではない。


息づかいが荒くなってくる。もう、疲労もピークに達していた。
酸素の不足から、だんだんと足の感覚が失われてゆく。
トリスは元々マグナのように、前線でバリバリ活躍できるタイプではないのだから、当然と言えば当然だ。


呼吸のままならない苦しさと、けれども引くことの出来ない、強い想い。
トリスは少しだけ朦朧としてきた頭で、半ば喚くようにして叫んだ。




はどこなのッ!?・・・お願いっ、答えてッッ!!!」




すると、トリスの腰のあたりから、にょきっと槍が生えてきて
前から突進してきた兵士の剣を薙いだ。




「・・・ったく。なにやってんだよ、ニンゲン!!」


「・・・バルレルッ!!」




背後から聞こえてきた護衛獣の声に、トリスは勢い良く振り返る。
彼の後ろに、同じく走ってくるレシィと、双子の兄の姿が見えた。

そこでトリスは、彼等が後続してくれたおかげで
思ったほど、自分への追撃がなかったのだということを初めて知った。
レシィとマグナはトリスに背を向ける形で、後ろからやってくる敵を引き受け
ゼルフィルドの銃撃を、多少なりとも惹きつけてくれている。

嬉しそうに名前を呼ぶと、バルレルは満更でもなさそうに
ニヤリ、と口の端を持ち上げた。




「ケケケッ!・・・それにしても、ちょっとは面白くなりそうじゃねェか。」




頼りになる味方の登場だと、トリスは思ったが
バルレルが面白そうだと形容するときというのは決まって
思いっきり暴れられそうなときだとか、悪魔にとっておいしい感情が食べられそうだとか
そんなとき・・・つまり、トリスにとっては両手を挙げて喜べないときが多い。
だからトリスは、眉を潜めて問いかけた。




「・・・なにがよ?」




するとバルレルはさも面白そうに、口元に浮かべた笑みを深めた。




「コイツラ、さっきまで何言っても感情の起伏がなかったクセして
お前があのニンゲンの名前出した途端、一瞬だけ殺気を消しやがった。」




トリスがの名前を出したとき。
それまで何を言っても反応を示さなかった兵士達が、一斉に反応を示したのだ。


それは一瞬だけ、戦意を喪失するという形で。


の名前を聞いた途端、奴らからサッと戦意が消え失せて
けれどもすぐに意識を集中させることで、それを元に戻し、違和感のないよう見せかけた。
バルレルに言わせれば、それを一瞬で済ます辺りが、訓練を受けたニンゲン・・・軍人らしい、と思う。






どっちにしろ、悪魔であるオレには通用しねぇがな。






・・・と、心の中で付け足しておくことも忘れない。




「どういうことよっ!?」




横に並び、道を切り開く手助けをしてやりながら、要領を得ない召喚主に説明してやる。
・・・わざわざ周囲に届く声の大きさにしたのは、勿論意図的に行ったことだ。




「つまり、だ。あの金髪のオトコに聞かなくても
あのニンゲンがどこにいるか、わかるんじゃねェかってことだよ!」




言いながら、こちらに突き出されていた剣を、その槍で一斉に弾き返した。
トリスはそれに瞳を丸くすると、キッとその強い眼差しで、目の前に立つ男達を見据える。




「あなた達、がどこにいるか知ってるのッ!?
お願い、に会わせてッ!!」




ザワザワと辺りを走る、視覚には捉えられない感情の波。
それを感じ取って、バルレルは楽しそうに笑った。




「ヒャハハハッ!!心地いい感情出すじゃねェか、テメェら!!」


「バルレル!」




目の前にいる男達は、トリスの言葉に動揺し、たじろいでいる。
トリスに咎められはしたが、彼等の当惑が、バルレルには手に取るようにわかった。

彼等は思いあぐねた様子で、さきほどのような鋭さで襲い掛かっては来ない。
それは、バルレルの言葉が高い確率で正しいことを意味していた。
もう一息だと、トリスが再度口を開きかけたとき・・・




――――――――― ・・・お前達。もういい、退け。ここは僕が相手をする。」




凛とした声が、奥のほうから響いてきた。
サラリと揺れる金色の髪と、そこから覗く深紅の瞳。
一見戦場とは無縁とも思える、その端整な容姿・・・。




―――――――――― ・・・イオス。」




その堂々とした威圧感に、トリスは知らず息を呑んだ。




「お前は確か、トリスと言ったな。お前のその無謀ともいえる勇気を賞して
僕が直々に、貴様等の相手をしてやろう。」














・・・音が変わった・・・




背後から聞こえる、多分トリスのものだろう剣戟の音が
先ほどまでとは質を変えたことに、マグナは耳聡く気がついた。






トリス・・・!!






心配のあまり、敵の存在など忘れて後ろを振り返ると
そこにはイオスと対峙するトリスの姿があった。



ギリギリと長く押し合っているのは、お互いに話したいことがあるから。
そうでなければ、トリスとイオスの実力差がそれを許さない。
バルレルもそれをわかってか、辺りにいる一般兵の相手を適当にしているものの
意識はトリスにあり、そして2人の間に割って入りはしなかった。




「・・・イオス、はどこ・・・?」




いくら話すことがあったとしても、トリスとイオスは敵同士。
傍目には武器を交えていないと、色々とマズイ。

例え、ある程度の演技がそこに混じっているとしても
自分と違和感なく“戦う演技”をしてみせるトリスに
彼女もまた、戦いの最中成長しているのだと、イオスは思い知る。
その証拠に、以前よりも刃の切り返しが速くなり、引き際を読むのが上手くなっていた。




「教える筋合いはない、と言った筈だが?」


「それであっさり引くとでも思ったの?」


「・・・お前に限っては、そう思っていない。と聖女に関しては、特にな。」


「聞きたいのは1つだけよ。・・・は無事なの?元気でいるの・・・!?」


「・・・・・・。」


「イオス・・・!!」




聖女一行の内部事情はよくわからないが
どうやらに関しては、仲間内で意見が割れているらしい。

それがトリスと、を傷つけた赤髪の男の差なのだろう。
が大切だと言った彼女は、間違いなくを同じように想っている。

・・・諦めたように、イオスは溜息を付いた。




「・・・安心しろ、無事ではある。危険だからと、ここまで連れてきていないだけだ。」


「じゃあ無事なのね!?・・・良かった、・・・」




彼女が未だ、自分と敵対している集団に属しているという事実はなんら変わりないのに
トリスは呟いて、嬉しそうな笑みを浮かべる。






はあんなに泣いて、大切だと言っていたのに。
その大切な人がいる場所に彼女の居場所がなかったら、が可哀想過ぎる。






・・・そう、思っていた。

でも、これならきっと大丈夫だろう。
もしこの先、が聖女の元へ帰ることがあったとしても、彼女の居場所がなくなることなんてない。
他の誰がなんと言おうとも、今目の前にいる彼女。トリスがどうにかしてくれるだろう。
それだけの意思を、トリスからは感じ取ることが出来るから。






その点については、僕はコイツを評価してやってもいい。






不安材料の1つが消え去ったのを感じて、イオスはそう思った。




「トリスッ!!」




イオスが軽く表情を緩めた、そのとき。
そんな声と共に、イオス目掛けて一振りの大剣が振り降ろされた。
イオスは眼差しを強くして、トリスの短剣を槍先で止めたまま。槍を両手で掴み、水平にすることで
トリスの短剣と振り下ろされた大剣の、見事両方を受け止めて見せた。




「マグナッ!?」


――――――――― ・・・ッッ!!!!」




さすがに2人がかりで掛かって、止められるとは思いもしなかったのか
マグナが驚愕の表情で、イオスを見やった。そして獣が唸るように低い声で、イオスに問う。




「・・・は何処だ?」


「・・・・・・同じ質問に2度答える気はないんだがな。」




イオスがトリスに視線を送ったのを見て、マグナは眉を顰め、その場から飛び退いた。
彼に倣って1度後ろに下がったトリスは、隣に並んで短剣を構える。




「マグナ。大丈夫、は無事よ。危ないから、連れてこなかっただけだって。」




マグナは一瞬訝しげな視線をイオスに向け、それからチラリとトリスを見た。




――――――――― ・・・信用、出来るのか?」




マグナの口から出た言葉は、ある意味当然の反応だとイオスは思う。
敵の言葉なんて、信用するに値しないだろう。
けれどもマグナの問いにトリスは、コクリと静かに頷いた。




「・・・言ったでしょ?イオスはあたし達と同じ気持ちでを見てるって。
そうじゃなかったら、あそこまで真剣にの心配なんてしないわ。」




その一言に、少なくともイオスは動揺する。
どうしてそこまで、自信を持って言い切れるのか・・・。
トリスの確信に満ちた瞳を見て、切っ先はこちらに向けたまま、マグナが正面からイオスを見据えた。




「・・・・・・トリスがそう言うんなら、きっとそうなんだな。」


――――――――― ・・・うん!」




正直に言うと、ちょっとだけ面食らった。

なんていう無茶苦茶な信頼関係だ、と思ったから。

自分はこんな信頼関係、知らない。

いくつもの戦場に、命を奪い合う場に、立ったというのに。

ルヴァイドに捧げたものは、忠誠心。

それも信頼関係の1つではあるけれど・・・目の前の2人とは、少し違う気がした。



それは無条件の、全幅の信頼。



マグナが声をあげて、イオスに襲い掛かる。
こちらを殺す気でないその一撃を、イオスは難なく受け止めた。




「・・・は、どうしてる?」


「ゼラムから撤退してしばらくの間は精神的に不安定だったが、今ではすっかり元通りになったよ。」




呑気に敵とこんなことを話しているのも、可笑しいことだと思う。
だが、彼等のを心配する気持ちがわかるからこそ、イオスはこうしているのだ。
そこから考えれば、トリスの言葉もあながち的外れだとは言えない。
そう思って、イオスは内心軽く苦笑する。




―――――――― ・・・そうか。笑えてるなら、いいんだ。」




明らかにほっとしている、マグナのその表情を見て、イオスは気が付いてしまった。
彼も自分と同じ気持ちをに抱いている。
トリスが抱いているものとはまた別物の、もっと醜くて、もっと狂おしい感情。


思ったことがそのまま現れる、真っ直ぐで澄みきった瞳に
なんとなくイオスは、が彼等を大切だという意味がわかったような気がした。



信じることから全てを始めようとする、その瞳。
自分とは違う、眩い光。



彼等はと同じ、光の当たる場所にいるのだろう。
そこは、無数に流した血で手を汚した自分とは、相容れない別世界。
綺麗な手をしたに、とてもよく似合う世界・・・。






・・・なるほど、僕とが同じ空間にいることのほうが異常なんだ。






今更ながらにそんな事実に気付き、自嘲気味に笑う。

けれども、イオスにはサラサラ譲る気はない。
たとえ住む世界が違ったとしても、もうを諦めることは出来ないのだ。
1度知ってしまった暖かさは、2度と手放せない。




「・・・お前たちの元にいるほうが、彼女にとっては幸せなことなのかもしれないな。」


「・・・え?」


「だが、これだけは言っておく。だからといって、僕はお前たちに負ける気はない。
聖女のことも、のことも
―――――― ・・・」


―――――――――― イオス・・・?」




訝るマグナは、イオスがなんのことを言っているのか理解していないようだった。


彼はまだ、自覚すらしていない。


マグナは首を傾げて答えを求めていたが、それには何も答えずに
イオスは黒いロングコートの裾を翻して後方に跳び、2人から大きく距離をとった。









気付かないのなら、そのままでもいい。
―――――――― ・・・・そのときは、僕が彼女を攫っていくから。









「・・・聞きたいことは、それだけか?」


「!?」




周囲の温度が、数度下がったような感覚に見舞われる。
それは、さっきまでと違う。突き放す感のあるイオスの冷たい声のせいだ。

イオスの身に纏う空気が変わった。

声だけで、ここまで空気を一変させることができるイオス。
もしかしたら、彼と自分達の力の差は、思っていたよりも程遠いのかも知れない。
トリスとマグナはなんとも言い表せない感覚で、けれど確かにそれを感じ取っていた。




――――――― ・・・ならば、こちらもそろそろ本気でいかせて貰うぞッ!!」




イオスの紅い瞳が、野生の獣のようにギラギラとした光を宿した。



















戯言


ちゅ、ちゅーとはんぱぁ!(汗)色々とすみません、はい。
遅ばせながら、どうにか第17話。ここにお届けすることが出来ました。
遅くなって、本当に申し訳ありません・・・(汗)

今回は別名、トリスちゃんとイオス君、大暴走の回です(笑)
トリスはまだ意図的ですが、気付いたら後半、イオスが暴走していました。なんなんでしょうかね、彼は。
やっとこさ17話で、フロト湿原までやってくることが出来ました。(遅いって)

そういえば、久しぶりにキャラミルの性格診断みてて思い出したんですが
任那はフィーリングで物事をほや〜っと考えるらしいです。

ええ、合ってます。(キッパリ)

なので今回、ちょーっと可笑しい文章かもしれません。
話の流れだけ決めて、後はトランスしてフィーリングのままに書いたので(苦)
今更ながらになんちゅー書き方するんだと思いました。
つじつま合ってなかったり、矛盾があったらご愛嬌。テヘ☆
(テヘ☆じゃねぇよ。)

ちなに、ルヴァイドの言ってるお前達ってのはとイオス、2人のことをさしてます。
決して打ち間違いではないのです!!(ここ重要。)
そして今更なんですが、敵の正体について思い悩むネスティを省いているのは
何話目かで、イオスが自分達は旅団だと、高らかに宣言しちゃってるからなんですね(爆)
うちのイオス、お馬鹿ちゃんみたいですよ。

さて、主人公のあまり登場しない17話でしたが、18話は多分登場します(笑)
ついに2人の主人公が合流!!・・・する、ハズなんだけどなぁ・・・?





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