ギブソン・ミモザ邸を出たリューグは、行く当ても無くを探し、ゼラムの街を歩いていた。 あんなことがあったすぐ後だから、心配は無いだろうと思いつつも いつなんどきでも身を護れるように、武器の携帯は忘れない。 バノッサが屋敷を出て行ったのは、間違いなくの後を追うためだろう。 だから目立つ彼のほうを目印にを探せば。 案外簡単に見つかるのではないかと思っていたのだが、早々上手くもいかないらしい。 リューグが外に出たときには、バノッサの姿は影も形も見当たらなかった。 ・・・残りはハルシェ湖畔・・・それから、王城の辺りか。 結局手当たりしだい消去法で探し始め、残るはそこのみとなった。 ・・・まぁ、既にギブソン・ミモザ邸に戻っているという可能性も、ないとは言い切れないのだが。 そんなことを思いながら、リューグはハルシェ湖畔へと向かって歩いていた。 ・・・本当は、リューグにもわかっている。 が人を騙せるような人間じゃないということも、そんなに器用ではないことも。 それは、が村に来たときにわかっていた。 こちらが毒気を抜かれるぐらい、真っ直ぐにぶつかることしか知らない人間だったから。 ほんのちょっと話しただけだったが、それを知るには十分な時間だった。 けれども、彼女に負けたという認めたくない現実と 敵として姿を現したことで、アメルを悲しませた事実。 ・・・そして。彼女と一緒にいた連中に、村をめちゃくちゃにされた怒りと そんなやつらと何も知らずに行動を共にしている彼女に、酷く腹が立った。 そんなちょっとばかりの意地と憎しみで、本人を目の前にするとカッ!と血がのぼって止まらなくなる。 ・・・だが、がこちら側に戻ってきたら、それはそれで心配の種が残ることも事実だ。 確かに、は黒の旅団のスパイではなかったかもしれない。だが、情が移るということも十分ありうる。 そんなことを思わせるだけの関係が、と旅団の間にはあった。 そしてああいう人間ほど、他人に情けを掛けやすい。 こうして1人になってみると、リューグは驚くほど冷静に自分を見つめ直すことが出来た。 デグレアに対する自分の怒りが正当なものであることと それでもへの態度には八つ当たりが混じっていたこと。 そしてに対しての態度を八つ当たりというならば それ以上のへの態度はなんと言えるのだろうか?・・・完全なとばっちりだ。 湿原でのは態度がどうこうは別として、結果的には自分達にプラスに動いた。 いくら怪しさ、胡散臭さが大爆発で拭えないとしても、一応リューグは彼女に助けて貰った身なのだ。 それに誰だって、身内が責められたら怒るだろう。・・・自分もそうであるように。 完全に我を忘れて、顔を思いっきり殴って、しかもそれが女だった・・・ 「・・・ちくしょう・・」 通行人に怪しまれないよう小声で呟きながら、リューグはどうしたら良いのかと頭を捻った。 ・・・このままでは彼女を見つけたにしても、なんと言えばいいのか解らない。 ギィン! 「・・・?」 そんなことを考えながら、リューグが湖の淵を歩いていると 波止場のもっと奥のほうから、剣と剣の交わる音が、微かに風に乗って聞こえてきた。 一瞬デグレアの奴等かと考えて、けれどそんなことあるわけがないと頭を振る。 なにしろ、ついさっき一戦交えたばかりなのだし こんなところで闇雲に騒ぎを起こしても、彼等にメリットは無いはずだ。 リューグは1度掴んだ斧の柄を放し、なんとなく興味本位で音のするほうへと足を運んだ。 〓 第20話 怒りの向かう先 後編 〓 「・・・ちっ!!」 使い慣れた短剣よりも重い借り物の剣は、の動きを予定より少々鈍らせる。 少しばかり剣に振り回されている感のあったその一撃は、バノッサによって見事に防がれ、 彼が剣ごと自分を弾き返そうとするのを敏感に察知して、は素早く後方へ跳んだ。 ・・・剣ごと踏み込んできたを吹き飛ばすなんて、力自慢の彼でなければ到底真似できない芸当だ。 けれどそれすらも予測していたかのように、バノッサは決して深追いをせず が次にどんな手段を使ってきても即座に対応できるよう、剣を構え体勢を整える。 いっそのこと、深追いしてきてくれれば良かったのに・・・ 内心は小さく舌打ちをした。は女性の中でも力があるほうではないから、 彼女の剣術は、専ら相手の力を応用するものが主だ。 相手の力の流れを上手く利用して、相手を翻弄する。 決してバノッサやレイドのような、ギリギリと剣を交える戦い方はしない。 つまり、本来が得意とする相手は、以前のバノッサのような猪突猛進タイプで、 何も考えずに突っ込んできてくれる相手ほど、彼女にとって戦い易いものはない。 ところがバノッサは身を持ってそれを知っているから、敢えて深追いはしてこないのだ。 純粋な力勝負で、がバノッサに勝てるわけなどないのだから 駆け引きなんてものを覚えてしまった彼は、にとって非常に戦い難い、厄介な存在と化していた。 現在のバノッサのように、馬鹿みたいに力があって そのくせそれ一辺倒で攻めてこないような奴が、にとっては1番戦い辛い。 ・・・の剣の腕なんて、所詮その程度のものでしかないのだから。 そのうえバノッサは、戦闘時におけるの癖や行動パターンを熟知している。 次の行動の予測を付けられるどころか、下手をすればその隙を突かれてしまう。 ・・・だがそれはなにも、バノッサに限ったことではなかった。 彼がの行動パターンを熟知しているということは、 それほど2人が刃を交える機会が多かったということであり、 つまりそれだけ、も彼の行動パターンを熟知しているということである。 「オラオラ、どうした!段々踏み込みが甘くなってきてるぜ?」 「うるっさい!お前こそ、1本じゃいつもの調子がでないみたいじゃないか。 攻撃のあとに少しばかり隙が出来るけどッッ!?」 接近戦でがバノッサに勝てる見込みは、ゼロに等しい。 元より剣の扱いに関しては彼の方が上手だったし、1年前彼と敵対していた頃だって、 は仲間との連携と、頭に血の昇り易いバノッサの性格を上手く利用して勝利を治めてきたのだ。 少し前に出れば、手下を差し置いて一人飛び出してきてしまうバノッサを 仲間と協力して、単独のうちに戦闘不能にしてしまう・・・悪く言えば集団リンチみたいなものだった。 純粋な力比べなら、フラットで彼と肩を並べられるのは、エドスぐらいしかいなかったかもしれない。 今迄だって決して、剣の技量でバノッサに勝ってきたわけではないのだ。 だがその作戦が無効になった今、どうすればがバノッサに勝てるだろう? 力でも押し負ける、リーチでも負ける。技術は言うまでもなく、遠く及ばない・・・ ・・・となれば、がバノッサに勝てるのは、身軽さを武器にしたスピードのみだ。 しかしそれですら、にとってはイチかバチかの危険な賭けだ。 例えばエドスのように、とてつもない攻撃力を有する代わりに 図体が大きくて得物も重い、したがって動きが鈍くさくなるのだったら話は別だが(酷) 生憎バノッサは、より速くはないという程度しかない。 だがそれでもは、何度目かの似たようなやり取りの後 唯一勝てるだろうスピードで、バノッサが体勢を整える前に勝負を挑んだ。 ・・・恐らくは、普段剣を二本使っている弊害なのだろう。 剣を振り切った後に出来る僅かな隙を狙って、彼の懐に飛び込んだ! 「でやあァッ! 「ハッ!俺様を誰だと思ってやがる!?」 ギィン! その辺りにたむろしているチンピラなら、まともに喰らうだろうの一撃も バノッサには簡単に見切られてしまい、失敗に終わる。 悪態を吐くものの、長くその場に留まることで追撃を仕掛けられないよう は考えるよりも先に、再びバノッサから距離を取った。 その拍子に、ザッ!と地面に手を付くと、指が3本分のなめらかな曲線を描く。 「えー?これも駄目かぁ・・・さすがに、剣術に関してはバノッサのほうが上・・・か。」 地面に描かれた自分の指の痕を眺めながら、は喉の奥でクッと笑う。 あくまで、表面上は余裕を残して。けれど内心、はかなり焦っていた。 たったあれだけの動作で、息がこんなに上がるほど疲弊している。 指先だけとはいえ、は地面に手をついているのに対し バノッサは悠々と―――― 寧ろ余裕の表情さえ浮かべて、を見下ろしていた。 まだバノッサと敵対状況にあった頃、こういう光景はよくあったなとは思う。 「お前にしちゃあ、まぁ悪くなかったぜ?俺じゃなかったら、上手くいってただろうな。 ・・・・・・テメェの次の手なんて、簡単に予想付くんだよ。」 「ははッ、それもそうか・・・知りすぎてるってのもつまらないね。なら・・・・・・」 の口元がニヤリと歪み、バノッサはそれに一抹の嫌な予感を覚えた。 こういうときのコイツはロクなことをしなかった、と苦い過去を思い出しながら。 「そろそろこっちも本気で行くぞ!!」 言うなりは、バノッサから借りた剣を地面にグサリと突き立てると 愛用の短剣を腰から引き抜きながら、バノッサとの距離を一気に詰めた! 「チッ、この馬鹿!!汚ねェぞテメェ!!!」 「いいじゃないかっ、接近戦ってだけでには十分不利だよっ!!」 言うが早いか、はスピードを殺さないまま。 出来る限り体重をかけ、懇親の力を込めた一撃を繰り出す。 ・・・勿論この程度、バノッサに止められることは予測済みだ。 はいくら愛用の短剣に持ち替えても 剣術でバノッサに勝てるとは、これっぽっちも思っていなかった。 ――――― ・・・狙うべきはただ1つ。剣を使って、バノッサを負かすこと。 ギィン! またもや甲高い、剣の交錯する音が響き は交差している剣を軽く引くと、バノッサの剣先をそのまま横に受け流した。 借り物の剣では、重くてそんな小細工までは出来ないが 使い慣れた短剣でなら、これまでの経験と技術でそれもお手の物である。 剣を横に流された途端、バノッサはの意図を読み取ったらしい。 些か焦り混じりの表情を浮かべていたが・・・もう遅い。 はその隙に素早くバノッサの横にまわりこむと、彼の身に付けているマントの裾を掴んだ。 「これでどうだッ!?」 音楽のヘ記号をシッポの方から書くように、弧を描きながらマントを広げる。 真っ赤なマントはバノッサの頭上を通り、彼の頭をゆっくりと覆いながら、ふんわりと降りてゆく・・・ はマントの裾を掴んだまま、アルファベットのUの字を書くようにして ぐるりと自分が元いた位置へと駆けて戻り、その途中でマントを手放した。 「チィッ!!」 すっかりバノッサに背中を向けたが、ゆっくり後ろを振り返ると バノッサは自分のマントで目隠しをされた状態で、呆然とその場に立ち尽くしていた。 あのマントを目の前でバサリとやられると、視界が遮られて困るのだが、今回は反対にそれを利用してやった。 「・・・よっしゃあッ!これでの勝ち!あー、スッキリした!!!」 両手を振り上げて喜ぶに、バノッサは頭からすっぽり被せられたマントを 暖簾をくぐるように掻き分けて、合間から不満そうな顔を覗かせた。 「・・・・・・今のは完全に、テメェのズルだったろうが。」 「何を言うかねバノッサくん!! 卑怯なんてお茶の子さいさいだった君が、そんなことを言うようになるなんて!」 「―――――――― ・・・オイ。」 芝居がかった口調で叫ぶを、バノッサは軽く一睨みした。 はつまらなそうに口を閉ざすと、すぐさま溜息を吐き、やれやれとでも言いたげに肩を竦める。 「冗談冗談。殺す気で戦ってたら、バノッサが勝ってただろ。 自分でもわかってるんだから、それくらいで拗ねるなよな?もう・・・」 バノッサは言葉の代わりに、フン!と荒い鼻息で肯定返事をして 意外にも細くて繊細な髪を、手で乱暴に撫で付ける。 続いて少々砂埃を被ったマントを叩いていると、少しだけ真剣みの増したの声がバノッサの耳に届いた。 「・・・で。実際どう?の腕、前よりはあがったかな?」 彼女は足の先で小石を蹴り転がすのに忙しいらしく、バノッサのほうを見てはいない。 態度こそ改まっていないように見えるが、視線を合わせずに問うその仕草は、が真剣だという証だった。 バノッサは顎に手をかけ、空を見あげながらしばらく黙り込んでいた。 「・・・少しは、な。元々お前は、召喚師にしちゃ接近戦も得意なほうだろ。 あの陰気ヤロウと比べてみろ、一目瞭然じゃねぇか。」 バノッサがそう言うと、が不満そうな表情をして振り返った。 「そりゃそうだけど・・・ギブソンなんかと比べないでくれよ(酷) アイツは完全に後方支援、召喚術専門じゃないか。」 「・・・んなこと言ったら、お前のほうがよっぽど専門だろうがよ・・・(汗)」 バノッサは至極最もなことを言ったつもりだったが それでもやはりは納得がいかないらしい、足元の小石をコツンと蹴飛ばした。 高く蹴り上げられた小石が、ポチャンと音をたてて湖に沈む。 その背中を見つめていたバノッサは、ふぅと小さく溜息を吐いた。 「・・・万が一術の発動を邪魔されても、その場を凌げる程度の実力さえありゃあ、それで十分だろ。」 の強みはなんといっても、彼女が放つ召喚術の威力の高さと、扱える属性の豊富さだ。 敵との距離が離れている時はお得意の二丁銃もあるし、その2つを軸に戦えばいい。 そうなると、彼女が短剣を扱うのは接近戦に持ち込まれたときだけだ。 しかも、召喚術を使う暇さえないような場合に限る。 例えば、敵がの召喚術を阻止しようと集中攻撃してきたときなんかだ。 だが、が術を発動させる暇もないくらいの猛攻を受けるなんてことは早々ありえない。 いつもは彼女の傍にバノッサがいるし、そもそもはやろうと思えば 精神を集中させるだけで召喚術を使うことが出来るのだから。 それに比例して、武器での接近戦を想定する必要性は当然低くなる。 なのに時折、はこうして接近戦に対して妙な執着を見せる。 出来ればバノッサは、あまり持続力のない彼女を前線には出したくなかった。 後方からの攻撃なら、抜きに出て秀でている彼女も 接近戦ともなれば、場合によってはバノッサの足手まといになり兼ねない。 そもそもそれでは、なんのために自分が傍にいるのかわからないではないか。 接近戦が得意でない彼女をサポートするために、自分がいるのだから。 そうでなくともはその特殊な立場上、力を振るうのにも様々な制約が付き纏うというのに・・・ 関係のない所まで考えがいって、バノッサはブンブンと頭を振った。 ごちゃごちゃといくつも理由をあげたが、きっと事はもっと簡単だ。 ・・・本当はただ単に、彼女に怪我をさせたくないだけなのかもしれない。 以前からには、自分が矢面に立とうとする傾向があった。 を押し退けてリューグに喰って掛かったこともそうだし、 得意とすべきは召喚術であるはずなのに、バノッサと幾度も剣を交えたことがあるのがなによりの証拠だ。 だが召喚術に関してはスペシャリストである彼女も、やはり接近戦となればそうはいかず それに比例するように、怪我を負う確率が高いのも事実で。 が銃を武器に選んだ理由を知っているバノッサは どうして彼女が接近戦に執着をみせるのか、それだけがわからなかった。 「・・・お前の剣術は致命傷を負わせるまではいかなくとも、そう簡単に殺られないぐらいの力は備えてるぜ? 何しろこの俺様が直々に、稽古つけてやったんだからな。」 バノッサが教えるようになるまで、の剣術は完全な自己流だった。 当時フラットには、他人に戦い方を教えられる人間なんて数えるほどしかいなかったし 特に彼女はそれ以前に、体力が続かないという根本的な問題があった。 今でこそ、体力が続かないことを除けば、大抵の者と渡り合える実力を有する彼女だが 最初は素振りすらまともに出来ていない状態だった。 そこからいえば、なんかは本当に天賦の才があるといえる。 経験こそより浅いものの、技術の高さと今後の成長を加味すれば いずれはハヤトやバノッサとですら、肩を並べる存在になるかもしれない。 「・・・そうなんだけどさぁ、剣の扱いも上手くなっておくに越した事はないと思うんだよね。 確かに剣術はバノッサに相手して貰って習ったけど・・・でも最近は、全然練習もしてないし。 まぁ、が普段銃ばっかりしか使わないのも、原因の1つなんだけど。」 「そりゃあ出来たほうがいいには違いねぇだろうが・・・お前なぁ? なんのために、俺様が一緒に行動してると思ってんだよ。」 呆れた様子で呟いたバノッサに、は少しだけきょとんとして・・・ 「なんのため・・・って、の魔力供給ボンベ??」 「―――――― ・・・オイコラテメェ、しばくぞ?」 間髪入れずにバノッサがそう返すと、はくすくすと面白そうに笑って 冗談だとばかり、手をヒラヒラと振って見せた。 「・・・わかってるよ。はあくまで召喚術が攻撃の主体だから バノッサがの盾になることになってる。・・・つまり、接近戦はバノッサに一任。」 「――― ・・・そういうことだろうが。 そもそもお前は、接近戦に持ち込むには体力がなさすぎなんだよ。 素振りだって、せいぜい連続30回が限度じゃねぇか。」 「―――――――――――― ・・・短剣なら、頑張れば45回ぐらいはいける。」 は唸るようにそんなことを言ったが、それこそ50歩100歩の世界だ。 実戦においてそんなもの、差はないに等しい。 「その程度だろうが。」 はっきりそう言ってやると、本人にも自覚はあったらしい、小さな呻き声が聞こえた。 けれどそれでも、どこか納得していなさそうな彼女に、バノッサは深く息を吐きだして言う。 「・・・お前がそれなりの技術を持ってることは、認めてやる。 けどな、お前は力も体力もない。戦闘が長引けば、確実に先に体力が尽きる。 それじゃその辺にいる雑魚ならまだしも、技量を持った奴には押し負けるぜ?」 「・・・・・・例えばバノッサとか、エドスみたいな?」 「だな。」 言われたは、ほんの数秒考える仕草を見せて、眉根を寄せると複雑な表情を見せた。 その表情が明らかに、“不満です”と告げている。 「なんか、凄く屈辱的なんですけど・・・・・・」 それってつまり、体力馬鹿に負けるってことじゃないの?(失礼な) そう考えると、どうにもこうにも悔しくてしようがない。 近頃は大分マシになったが、まだとバノッサが敵対していた頃。 リーダーだというのに並み居る子分を掻き分け、真っ先に先陣を切って 1人集団から飛び出していたバノッサは、お世辞にも賢い戦い方をするとは言えなかった。 いや、あれはいっそのこと清々しいほどに馬鹿だったね。 そこまで言いますか。 そんなの内心の思いにも気付かず、バノッサは続ける。 「技術云々じゃねぇ。確かにお前は、そこそこの技量を持っていると俺は言った。 だがな、それはあくまで召喚師にしてはの話なんだよ。 ・・・いいか?絶対長期戦には持ち込まれるんじゃねぇぞ。それだけは注意しろ。 それから、相手の攻撃は確実に受け流せ。得物の破壊力がデカけりゃデカイほどな。」 警告とも取れるアドバイスを寄越す彼に は軽く息を吐きだすと、気だるそうに腕を組んでバノッサを見上げた。 「・・・結局前には出るなって言ってるだろ、それ。」 がうんざりとした口調で呟くと、バノッサは満足そうに、ニヤリと口角を吊り上げる。 わかってはいたことだが、バノッサの表情を見たは改めて“やっぱり・・・”と思った。 「――――――― ・・・わかってるじゃねぇか。」 「あー、つまんないの!」 そう子供のようにぼやきながら、けれどはバノッサの忠告を真摯に受け止めていた。 なまじ本気のバノッサと戦った経歴があるぶん 例え今の自分でも戦わずして、彼に負けることは最初からわかっている。 力技で攻めようとすれば、逆に捻じ伏せられてしまうだろうし いくらテクニックを磨いても、接近戦は技量が同じなら最終的に体力勝負になることが多い。 だって、その点については随分努力してきたつもりだったが わかったのは、体力勝負は根本的に向いていないということ。 そもそも接近戦でなくとも、最後まで持久力が続かないことが多いのだから バノッサとの鍛錬で、いつも先に根を上げるのはだった。 不貞腐れたように叫び、両足を投げ出して座り込んだを尻目に バノッサは未だ地面に突き刺さったままの、が使用していたもう一本の剣の傍まで歩いて行った。 そうして彼女が突き立てた剣を、地面から一気に引き抜く。 「・・・っ!」 剣を引き抜くのに、思っていたよりもずっと力を要さずに済み バノッサは空回りして後ろによろめきそうになるのを、必死に堪えた。 これでも彼女は力一杯突き刺したつもりなのだろうが バノッサがやれば、刀身はもっと地中深くまで沈んでいただろう。 ・・・男と女の差、か。腕自体は悪かねぇんだが・・・こればっかりは仕方ねぇのかもな。 そう心中でぼやいて、バノッサは剣をカチリと鞘に収めた。 そうして、手元からふと視線を上げたとき。 バノッサはほんの数メートル先に、見覚えのある赤毛の少年が立っているのに気が付いた。 目が合った瞬間、彼がギクリと体を震わせたのが遠目にもわかった。 隠そうとしてもいないこの気配に気付かなかったなんて、思いのほか話に没頭していたらしい。 多分、今頃後ろでへばっているだろうに、バノッサはゆっくりとした動作で振り返った。 を追って、まずバノッサが。そして次にリューグが屋敷から出て行くと 途端リビングには、奇妙な静寂が訪れた。 口論をしていた相手がいなくなったことで、ロッカも普段の冷静さを取り戻したのか バツが悪そうに苦笑いをしながら、“少し風に当たってきます”と誰にともなく告げて にちらりとだけ視線をやり、早々に部屋を出て行ってしまった。 「・・・、大丈夫?」 警戒すべき人間がいなくなり、部屋から出て行く必要がなくなったと判断すると トリスとマグナは足取りの覚束ないを両脇から支え、ソファーに座らせてくれた。 「・・・っく、大丈夫・・・です。」 1度泣いてしまったため、しゃっくりがなかなか納まってくれない。 気遣わしげに自分を覗き込んでくるトリスに、は途切れ途切れにそう返した。 皆の雰囲気を悪くしてしまったのは自分のせいだ。 そう思うと、また涙が溢れそうになり、しゃっくりが酷くなる。 トリスとマグナが、心配そうにこちらを見ているのが視界の端に滲んで見えた。 どうすれば、この涙は止まってくれるだろうか?このままでは、心配をかけるばかりなのに・・・。 そう思いながら、まずは乾きかけた涙の後を消そうと が懸命に頬を手で擦っていたとき、聞き覚えのある声がを呼んだ。 「・・・・・・、さん。」 きちんと、自分の名前が発音されていたかはわからない。 それほどに、その声は掠れていたけれど。 全ての物音が消えて、この世界に彼女の声だけが響いているような錯覚を起こす。 心臓が、止まってしまうんじゃないかと思うほど大きく跳ねて その頃には、自分がさっきまで泣いていたことなんて、すっかり頭から抜け落ちていた。 あれだけ続いていたしゃっくりも、いつの間にか止まっている。 ・・・とても懐かしくて、優しくて、でも悲しくて。 もうずっと長い間、聞いていなかったんじゃないかと思ってしまう彼女の声。 けれど実際、が感じるほど長い時間が経っているわけではないはずで。 ハッとして顔をあげると、声の主との間の障害を取り払うように トリスとマグナがサッと左右に分かれて、道を開けてくれた。 「ア・・・メル・・・」 視線をあげた先にいたのは、ケイナに支えられて、頼りなく立っているアメルだった。 小さな声で、けれども確かに憶えている・・・彼女の名前を紡ぐ。 アメルは感極まったのか、自分を支えてくれているケイナの腕を振り切ると ソファーに座っている目掛けて駆け出し、そのまま勢い良く抱きついた。 「さん・・・っ!!!!」 アメルの長くて綺麗な髪が、ふわりと揺れて。 アメルの髪から、リプレに似たお日さまのいい匂いがして、鼻先を掠めてゆく。 強く、強く抱き締められて。けれど自分を抱き締める震える腕と、肩を濡らし続ける彼女の涙に レルム村にいたとき感じた胸の苦しさとは、また違った苦しさを覚えた。 アメルはに抱きついたまま、盛大に泣きだしてしまい。 子供のように泣きじゃくるアメルを見たことがなかった仲間達は、酷く驚いた様子でアメルと、 そんなアメルにしがみつかれているを見ている。 がどうしたらいいのかわからなくて、呆然としている皆の顔を順番に見回していると のことで激昂していたはずのフェスが、一生懸命に身振り手振りでパントマイムをやっていて (その光景を、隣に佇むエストが静かに眺めていた。) それを見てはやっと、自分がなにをすべきか。今、アメルになにをしてあげられるかに気が付いた。 もう止まったはずだった涙が、瞬きをしたついでにぽろりと1粒頬を伝う。 は恐る恐る、泣きじゃくるアメルの背中に手をまわして彼女を抱きしめ返した。 ・・・アメルは少し、痩せただろうか? 前からふくよかなほうではなかったけれど、随分やつれたように見える。 それが自分のせいでなければよいと、身勝手な事を願った。 先程まで泣いていたは、すぐまたしゃくりあげてしまいそうになり、そうならないよう必死に唇を噛む。 アメルの嗚咽が収まるまで、時折自分もぽろりと涙を零しながら は子供のように泣いている、アメルの小さな背中を、ぽんぽんと叩き続けた。 ・・・どれくらい、はそうしていただろうか? アメルの震えが徐々に止まり始めた頃。 はとうとう覚悟を決めて、なかなか言い出せなかったことを、ポツリポツリと口にし始めた。 「・・・アメル、は・・・怒って、ないのですか?」 ごめんさいとか、無事でよかったとか。怖い思いはしなかった?怪我はなかった? ・・・一番最初に言いたい言葉は、もっと別にあった筈なのに の口から真っ先に飛び出てきたのは、そんな言葉だった。 の肩に顔を押し付けて泣いていたアメルが、ぴくりと体を震わせる。 はアメルがどんな顔をしているかと思うと怖くなり、まともに彼女を見ることが出来なかった。 「リューグみたいに・・・を、責めないのですか・・・??」 もう大丈夫だと思ったのに、そう思おうとしていたのに・・・ 自分の声は思っていたよりもずっと震えていて、情けないと同時に嫌になる。 アメルに会えて、声が聞けて。・・・無事であることを確かめて、嬉しい筈なのに。 ・・・なのに自分のことばかり考えてしまう自分が、酷く醜い存在に思えた。 「・・・どうしてあたしが、さんを責めなくちゃならないんですか・・・?」 思いのほかしっかりとしたアメルの声が聞こえて、はきゅっと瞳を瞑った。 アメルの体がゆっくりと離れてゆく・・・恐る恐る瞼を開けると、アメルは少しも視線を逸らさずにを見つめていた。 こちらをじっと見据えるアメルの眼差しは、まだ乾いていない涙に濡れていたけれど しっかりとした意思を携えていて、真っ直ぐを射抜いてくる。 ・・・居た堪れなくなって、はアメルから瞳を逸らした。 「だって・・・は、アメルのこともトリスやマグナのこともっ! ・・・あの村で起こったことも、全部忘れて旅団にいたですッ!! そのうえみんなに剣まで向けて・・・・・・リューグが怒るのも、当然のことなのです・・・」 は膝の上で握り拳を作り、みっともなく震えそうになっている手を誤魔化した。 そうでもしないと腕の震えが全身に伝染して、声がもっと震えてしまいそうだったから。 「リューグの言う通り、村をあんなにしたのはあの人達です! あの人達がしたことは、決して許されないことだってわかってる・・・っ! わかっているのに・・・ッ!それでもはっ、イオスやルヴァイド様を憎めない・・・っ! だって、あんなに優しくしてくれた・・・ッ、優しかった!!」 とてもとても、優しかった。 人殺しだなんて思えないほど、彼等の手は暖かくて・・・ 「怖い怖いって、そればかり言っているを助けてくれた・・・! 帰る場所も、自分のこともわからないと、一緒に居てくれた!!!」 彼等の優しさは嘘じゃない。 ・・・例え誰の瞳にもそうは見えなくとも、それだけは嘘にしたくなかった。 彼等の優しさを知っているのは、今自分だけなのだから。 だからこそ、なかったことにしてはならない。それだけは、絶対に。 唯一それを知っているは、声を枯らしてでも叫び続けなければならないのだ。 ――――――― ・・・彼等だって、感情を持った人間なのだと。 「・・・みんながしたことは悪いことだって、それはわかってる!! でもは、どうしてもあの人達を完全に憎むことは出来ないから・・・ッ!!」 ・・・あぁ、ついに言ってしまった。 心の奥に、こっそりこっそり潜めておくべきかもしれなかった本心。 一世一代の重大な秘密を暴露したような気分だった。 取り消せない、取り返しのつかないことを口にしたその筈なのに、その一方で。 はこれで肩の荷が降りたような、体からどっと力が抜けたような。奇妙な充足感を感じていた。 それでも、自分を信じていてくれたトリスや、生まれ育った故郷を焼かれたアメル。 彼女達の信頼を裏切り、こんな自分を心配してくれた皆にも、酷いことを言っている自覚はあったから。 はきゅと唇を噛んで、恐らく掌には爪の痕がくっきり残っているだろう。 力を入れすぎて血の循環が悪くなり、蒼白く変色しかかっている自分の手を見つめた。 罵られることも否定されることも、平気だと言えば嘘になる。 けれどリューグのお陰で、それを受け入れる心の準備をすることは出来た。 じっと見つめていた膝の上に、スッと黒い影が過ぎって 覚悟は出来ていると思っていたのに、それでもの体は震えた。 今度こそ、あの暖かい手は自分から離れて、この関係も壊れてしまうかもしれない・・・ 「・・・顔をあげてください、さん。」 暖かいアメルの手が、の肩に触れる。 その優しさについ甘えてしまいそうになってしまって、はふるふると首を横に振った。 さっきのことにしたって、そうなのだ。 トリス達が自分を受け入れてくれたことに浮かれて、事態を軽く見すぎていたのだ。 「・・・でも、は・・・」 「・・・ごめんなさい・・・怖かった、ですよね?」 「え?」 予想もしていなかった謝罪の言葉に、思わずが顔をあげると そこには思っていた以上に優しいアメルの、少し申し訳なさそうな笑顔があった。 「また、自分のことがわからなくなってしまって 一緒にいてくれた人達の敵だという人が、自分のことを知っていて。 どれが本当か、わからなくなっちゃいましたよね・・・?ごめんなさい・・・」 「そっ、そんなことないのですっ!元はといえば、がネスティの言うことを聞かないで 家から出てしまったのがいけなかったんですから・・・」 「確かに、さんはあたし達のことを忘れてしまって、あの人達と一緒に行動していました。 でもさんは、こうしてあたし・・・ううん、あたし達のこと、思い出してくれた。 あたし達のところに帰ってきてくれました。」 「けど・・・ッ!!」 尚も言い募ろうとしたを遮って、アメルが口を開いた。 「・・・さんは、あたしをあの人達のところへ連れて行きますか・・・?」 アメルの言葉に、は瞳を丸くした。 まさか、そんなこと言われるとはこれぽっちも思っていなかったのだ。 けれどは考えるよりも先に、ブンブンと頭を振って全身でそれを否定していた。 「そっ、それは駄目なのですッ!!!絶対に駄目なのです!!」 なんのためにデグレアがアメルを欲しているのか、その理由はにもわからない。 けれどデグレアの中枢である元老院は、 あんな酷いことを、ルヴァイド達に任務だからと無理強いさせるような人達なのだ。 聖女を欲する理由も、決してよいことではないだろう。それに・・・ 「・・・そんなこと、させられないです・・・アメルにも、旅団のみんなにも。」 なによりも、元より気の進まない任務を、旅団のみんなにも遂行させたくはなかった。 イオスだって顧問召喚師の話をするとき、あれほど嫌そうな顔をしていたのだ。 この任務は、彼等自身の意思なんかでは決してない筈で・・・・・・ 絶対に、そんなことさせられない。 これ以上、望まない形で罪を重ねて欲しくはない。 それは彼等が手を掛けた人達だけじゃない、彼等自身をも苦しめることになるのだ。 ・・・それを止められるのは、止めるきっかけとなれるのは・・・ きっと、しかいないから。 だからは、アメルを旅団に渡す気はこれぽっちもないし かと言って、黒の旅団と徹底抗戦するつもりもない。 アメルを守りたいと思うし、旅団のみんなも助けたいと思う。 酷く欲張りだけれど、どちらもにとって幸せになって欲しい、大切な人達なのだ。 「・・・だったら、それでいいじゃないですか。」 「・・・へ?」 「さんは、あたし達のことを嫌いになったわけじゃないんですよね?」 「勿論なのですッッ!!!アメルも、トリスも、マグナも・・・ みんなみんな、は大好きなのですよッッ!!!」 「あたしは、さんが無事に帰ってきてくれて、それだけで嬉しいんです。 ・・・・・・それじゃあ、駄目ですか?」 「・・・アメル。」 がか細い声で名前を呼ぶと、あまりよく眠れていないのだろうか? どことなく腫れぼったい瞳をしたアメルは、弱々しく微笑んだ。 「それに謝らなくちゃいけないのは、あたしのほう。」 膝の上で組まれたアメルの手に、きゅっと力が籠められる。 力を入れすぎたせいで元から白い手が殊更白く見えて、見ていて少し痛々しかった。 「・・・ごめんなさい、さん。」 唐突に言われた2回目の“ごめんなさい”に、またもは瞳を丸くした。 自分が謝罪する覚えはあっても、自分がアメルに謝られるような覚えは全くないのだ。 アメルはこれ以上、になにを謝ろうというのだろう? はあまりに驚きすぎて、苦しくなるまで呼吸を止めていたことにも気付かなかった。 「あたしなんかと間違われなければ、さんが捕まってしまうことはなかった。 あたしが全ての原因なのに、こうして一人のうのうと生き延びて、逃げてきて・・・! あのときさんがいなかったら、あたしはとっくに捕まっていたかもしれないのに!! なのにあたしは、あなたが捕まっていると知っていて、逃げることしか出来なかった・・・!!!」 堰を切ったように話し出したアメルの声は 今まで溜めていた苦しさを全部、一遍に吐き出したような悲痛な叫びだった。 アメルは、村が襲われた原因が自分にあることに、ずっと責任を感じていた。 自分のせいで、無関係な人の命がたくさん失われた。 それなのに、当の自分は今もこうして生き永らえている・・・という犠牲まで払って。 自分のせいで、失われた命の重さを知っているから。 アメルは押し潰されそうになりながらも、必死なってそれに耐え。生きて、苦しんできた。 ここにいる人達は優しい人ばかりで、すぐ心配させてしまうから、 アメルは極力、皆の前では取り乱すことのないように気をつけて、可能な限り気丈に振舞ってきたつもりだった。 けれどが無事に戻ってきて・・・痩せ我慢も空元気も、もう限界だった。 溢れてくる謝罪と嗚咽が止まらない。 レルムの村で亡くなった人達の分も、にこうして謝ることで、 少しでもいいから。その重圧から逃れたいのだと、許されたいのだと、アメルは思った。 「あたしと間違えられたりなんかしなければっ! ・・・さんが、こんな思いをすることはなかったッ!!あたしとっ、間違えられたせいで・・・ッッ!!」 にはアメルの心の方が自分より余程、“痛い痛い”と悲鳴をあげて泣いているように思えた。 「本当に、ごめんなさい・・・っ!!!」 ガバッと勢い良く頭を下げたアメルに、は慌てふためきながら それでもどうにか言葉らしきものを発することに成功した。 「ア、アメルが悪いことなんてなにもないですッ! がちょっと油断したから・・・だから、皆にたくさん迷惑を掛けてしまっただけなのです! アメルを助けるつもりだったのに!悲しい思いも、苦しい思いも、心配も・・・たくさん、させてしまって・・・ だからが悪いのですッ!!ごめんなさいなのですよ、アメル!!」 そう言って、は自分も頭を下げようとした。 ――――― ・・・のだが。 「、頭を下げちゃ駄目ッッ!!」 「・・・はぇ?」 の行動を真っ先に感知したケイナの静止の声が飛んだが、既に手遅れだった。 とアメルは決して小さくはないが、ソファーの上で話をしていた。 それがお互いに抱きつけるほどに近い位置に座っていたのに、そのことをすっかり忘れて はアメルにつられるようにして、自分も頭を下げてしまったのだ。 狭い空間で2人が一斉に頭を下げればどうなるか・・・考えなくても、もうおわかりだろう。 ゴチン!!! 「痛いのですーーーッ!?」 「・・・い、痛い・・・」 ・・・そう。は勢いあまってアメルの後頭部に額をぶつけたのだ! は額を押さえたまま仰け反って叫び アメルはそのままソファーに蹲って、に強打された後頭部を抑えた。 「ッ!?」「アメルッ!?」 目の前で激突の瞬間を見たトリスとマグナが、 まるで示し合わせたように、それぞれの名前を同時に叫ぶ。 「お、お二人とも痛そうです・・・!!」 「・・・(こくこく。)」 「痛いに決まってるわよ、あれだけ凄い音がしたんだもの・・・ (って、石頭なのかしら・・・?)」 レシィとハサハ、それに1度同じようにと衝突した経験のあるミニスは そのときの痛みを思い出すように顔を顰め、不憫そうに2人を見ていた。 「何をしているんだ、!君は本物の馬鹿なのかッ!?」 「・・・ちょ、ちょっと2人とも!随分大きな音だったけど、大丈夫なの!?」 ネスティが間髪入れずにに向けてそう怒鳴り、の髪がビュウッと靡いた。 部屋に響いたとても良い音に、ケイナは余程驚いたのか 心配そうな表情をして、慌ててソファーの近くまでやってくると の額とアメルの後頭部に、たんこぶが出来ていないかどうか優しく見てくれた。 「・・・だ、大丈夫なのですよケイナ・・・は慣れっこですから・・・」 「ケケケッ、バーカ。」 「バルレルッ!!!」 ボカッ! 「イテッ!なにしやがるっ、ニンゲン!!」 バルレルは達を指差して、小馬鹿にした笑い声をあげたが 召喚主であるトリスが、問答無用でネスティ直伝のげんこつを繰り出したので バルレルはこれ以上たんこぶが増えないよう、渋々口を閉じた。 叩かれた所を手で擦りながら、文句を言いたそうにトリスを見あげる。 「・・・あるじ殿、治療ハ必要デスカ?」 レオルドはギュルルルン!とドリルを回し、なにかをする気満々にを見たが 真っ青になったレシィに止められ、ハサハにFエイドを手渡されていた。 背後で繰り広げられていたそんな騒動に気付きもしないマグナは、のほほんと告げた。 「えーっと、どうだろう・・・どう思う?ケイナ。」 「大丈夫、ちょっとぶつけただけみたい。時間が経てば赤みも痛みもすぐ引くと思うわ。」 「う゛〜、ごめんなさいなのです、アメル。大丈夫ですか・・・?」 「あ、あたしは大丈夫です・・・さんこそ、平気でしたか? あたし、こう見えても結構石頭なんですから。」 後頭部を擦りながら、照れたように笑うアメル。 ちょっとだけ、未だに続く鈍痛で頬が引き攣ってしまったが、 両手で痛む額を押さえ、もなんとかアメルに笑い返すことが出来た。 頭をぶつけてしまう前までしていた会話の内容が内容だけに、が気まずそうに笑っていると、 誰かの豪快な笑い声と共に、背中で大きな風船が割れたような衝撃が走った。 「あっはっはっは!!さすがだぜ、!」 バシイィン!! 「ふぎょっ!?」 不意を付かれたが、勢い余って思わず前につんのめると 先程の衝突で既に懲りたのか、事態を察知したアメルが素早く上体を引いて、の頭突きを回避した。 そのおかげで、1度ぶつけた所をもう1度ぶつけて、更に痛くなることは免れたものの はアメルの見事な太股に、思い切り顔を埋める羽目になってしまった。 アメルの好みなのか、彼女は前の丈だけを短くした、ちょっと変わったデザインのスカートを履いているので これがいくら同性同士で、いくら不可抗力であったとしても。流石にちょっとどころでなく恥ずかしい。 しばらく前に聞いた“男のロマン”とやらが、少しだけわかったような気がするのですよ・・・ それでいいのか、お前。 は軽く頬を染めながら、ソファーに両手をついて自力で起き上がり 大丈夫ですか?と問うて来るアメルに手をヒラヒラ振って見せると 自分をアメルの膝に埋めた犯人―――― ・・・フォルテをジロリと睨みつけた。 あの飄々とした声、あの馬鹿力・・・絶対に彼しかいない! 「・・・フォ〜ル〜テ〜っ、なにするですかぁっ!?」 そこにはの予想通り、頬に絆創膏をした大柄の男、フォルテがいた。 フォルテはより歳上で、もう20歳は越えているらしいのだが どこの街にも必ず1人はいる、悪戯好きのガキ大将のような雰囲気を持っている。 いつも白い歯を出して、ニヤリと楽しそうに笑ってみせる人だった。 とはまたちょっと違うが、形容するなら彼の笑い方は、やはり“ニヤリ”が的確だろう。 ・・・ちょうど今も。彼はそんな顔をして、ニヤニヤとを見下ろしていた。 「ガラスに突進したり、空から落っこちたり、体張ってるだけのことはあるわな! 狙ってもなかなか出来るもんじゃねぇぞ、ここまで雰囲気ぶち壊すのは。 この俺にだって無理だぜ!やっぱりお前、お笑いの才能があるんじゃないのか?」 「ガラス・・・?」 ミニスが“なんのこと?”と詳しく聞きたそうに首を傾げたので はこれ以上、過去のドジ体験を面白可笑しく暴露されては堪らないと ソファーの上で膝立ちになり、言い訳じみた抗議をした。 「あ、あれはちょっとした手違いで・・・そう、ジェネレーションギャップというヤツなのです!(違) それに落っこちたのはのせいじゃなくて、バルレルが・・・・・・ッ!!」 がそこまで口にすると、フォルテの大きな手がの頭を鷲掴みにした。 ぎょっとする間もなく、そのまま髪の毛をくしゃくしゃと混ぜっ返されて はフォルテの手の動きに合わせ、右へ左へ首を振る。 最後に円を描くように、ぐるんと1回転させられて、はすっかり瞳をまわしてしまった。 そのままフラフラとしていると、不意にフォルテの声色が優しくなった。 「・・・それでこそ、俺達の知ってるだってモンだ。 本当に、この間とは別人みたいだぜ?」 「・・・・・・あ・・・」 「・・・きちんと思い出したんだな、俺達のこと。 随分遅かったじゃねぇか、待ちくたびれたぜ・・・・・けど、よく帰ってきたな。」 「・・・た、ただいまなのです!!!」 「おぅ、おかえり。」 「おかえりなさい、。」 にぃっと得意げに笑うフォルテと、本当に嬉しそうに微笑んでくれるケイナ。 2人に見つめられて、は妙に気恥ずかしい気分になった。 あまりに自然に会話が出来ていたものだから、一瞬何もかも忘れてしまっていた。 記憶をなくして黒の旅団と行動を共にしていたことも、リューグを怒らせてしまったことも・・・。 空白の時間など、まるで最初からなかったかのような錯覚を起こした。 けれど、一緒にいなかった時間がなくなったわけじゃない・・・忘れたわけでもでもない。 きっちり残っている・・・が旅団にいたという証、記憶。・・・前とは違う想い。 不意に、とフォルテ達のやり取りを傍観していたアメルが、くすりと笑う気配がした。 「・・・ふふっ、おかしいですね、あたしたち。お互いに謝ってばかりです。」 「・・・そう、なのですね。おかしいのです。」 アメルが上手く笑おうとして失敗して、泣き笑いに似た表情で言ったので、も笑ってそう言った。 ・・・恐らくも、笑うのに失敗してアメルと似たような顔をしていることだろう。 「だからさん、これでおしまいにしませんか? お互いに“ごめんなさい”をして、全部元通りです。だって・・・」 アメルは胸のところできゅっと手を握ると、を真っ直ぐに見据え、微笑んだ。 「―――――― ・・・だって、あたし達はお友達なんですから!」 ―――――― ・・・友達。 喧嘩をしたら、相手に“ごめんなさい”と謝って仲直りする。 それは小さな子供でも知っていることだけれど、不思議なことに人間というものは 大人になればなるほど、“ごめんなさい”で仲直りが出来ないことが多くなる。 けれどアメルは“ごめんなさい”をしてまた仲良しに戻ろうと、そうに言ってくれている。 ・・・は、自分にアメルの友達でいる資格が本当にあるのかと思い、 一瞬アメルが折角差し伸べてくれた手を、とることを躊躇した。 「・・・お友達は、ごめんなさいをしたら、許してあげて また仲良しに戻るものじゃないですか・・・ね、さん。・・・そうですよね?」 けれど掴むことを戸惑い、宙に彷徨わせていたの手を アメルのほうからぎゅっと捕まえて、そしてしっかりと握ってくれた。 それはは友達なのだと、ここにいてもいいのだと、そう言って貰えたようで―――― ・・・ 「・・・っ、は、はいです!!!」 安心して肩の力が抜けたら、またボロボロと涙が出てきた。 止まらない涙に驚きながら、それがポタポタと頬を伝い掌に落ちていく様を、どこか他人ごとのように眺める。 ふと顔をあげるとアメルも、どうしてまた自分まで泣き出してしまったのか はっきりとはわかっていないような様子で、けれどやっぱり泣いていて。 互いの顔を見合わせてぎこちなく笑う2人の肩を、飛びついてきたトリスが、がばっと引き寄せた。 ぐしゃりと顔を歪めて、“アメルとが元通りになれてよかった!”と、彼女まで泣き始めたので 傍にいたマグナはぎょっとして、そんな3人に何と言って慰めたらよいのかと 1人慌しくうろたえて、ソファーの前を行ったり来たりしていた。 重なり合ったアメルの手は、本当に本当に。まるで陽だまりのような暖かさだった。 「・・・は大丈夫かしら。」 肩を寄せ合ってわぁわぁと泣いている達を眺めながら、ミニスがポツリと呟いた。 確かに、ミニスの記憶にあるという人物を顧みれば 決して悪い人ではない筈だし、寧ろ楽しそうな人だと思う。 なんといっても“あの”の知り合いなのだから、楽しくない人のわけがない。 (この一言で、ミニスの中でがどんな人物だと定義されているか窺える。) これからは、彼女とも仲良くする機会があるのだと思うと ミニスは楽しみだと思えたし、なによりもトリスやマグナが喜んでいるのが嬉しかった。 けれどミニスは、ほとんどと入れ替わりで参入したので トリスやアメルほど、が戻ってきたことに対して、特別な感慨はない。 ちょっとした疎外感を感じながら、でもそれも仕方のないことだと割り切り (その辺り、貴族という家柄のせいで彼女は大人だった。) 自分より年上の人達が子供のように泣いている姿を、奇妙な気分で眺めていた。 そんなミニスに気付いているのか、ミニスの呟きを聞いたミモザはにっこり微笑む。 「・・・大丈夫よ、ミニスちゃん。あの子なら心配ないわ、ただちょっと頭に血が昇ってしまっただけだから。 怪我だってバノッサが付いているんだもの、平気に決まってるわ。」 ミニスはのことは良く知っているけれど、バノッサのことはあまり知らなかった。 どうして大丈夫なのだろう?と思っていたのが表情に出ていたらしく ミモザはニヤニヤと何か企んでいる笑みを浮かべると、ミニスにそっと耳打ちした。 「まぁ、今後あの子達を見ていれば、賢いミニスちゃんにはわかることだとは思うけど。 ・・・・・・ここだけの話、バノッサはに惚れ込んでるの。」 「へぇ・・・」 それを聞いたミニスは、一瞬ぎょっとして瞳を見開いたがでもすぐに・・・ “あのに恋愛沙汰・・・?でもが相手だと苦労しそうよね。 一体ハヤトは何してるのかしら?そもそもってトウヤ以外に興味あったの?” ・・・などと、ともかく様々な思いが胸中に渦巻いて、自分でも良くわからない曖昧な返事を返してしまった。 「・・・ね?任せておけば大丈夫でしょ?」 「うん、そうね。」 その問いには、今度はミニスもこっくり頷くことが出来た。 ミニスとミモザの会話を隣で聞いていたギブソンは、勝手にバラしてしまったミモザを咎めるような それでいでギブソンも、どこか面白がっているような、そんな苦笑を漏らしていた。 「・・・さぁ、しばらくそっとしておいてあげよう。それまで、私達はお茶にでもしていようか? 彼女達も泣きやむ頃には、きっと喉がカラカラに渇いているだろうから。 エスト、フェス。悪いけれど、手伝ってくれるかい?」 「はい、ギブソンさま。」 「・・・御意。」 「そうそう、美味しいケーキがあるんだ。よかったら食べるかい?ミニス。」 「ええ、頂くわ。」 「やだ、ギブソンったらまたケーキのストックしてたの?いつか絶対糖尿病になるわよ。」 「疲れたときには甘いものが必要なんだよ、ミモザ。」 5人は仲良く連れ立って、キッチンへと姿を消した。 「・・・おい、馬鹿。」 「んー?なんだよ、バノッサ。」 バノッサが要点を得ない呼びかけをするが 生憎はこちらに背を向けていて、さっぱりリューグの登場に気付く気配が無い。 恐らく、周囲の魔力にすら気を配っていないのだろう。 「・・・お前に客が来てるぜ。」 「は?客ってお礼参りかなんか・・・??」(←オイ) バノッサの声に、座り込んだまま仰け反って背後を振り返ったは ぼけっと突っ立っているリューグの姿を視界に入れると、“あ。”と間の抜けた声を漏らした。 「・・・・・・。」 「・・・・・・・・・。」 そのまましばらく、2人は時間が止まったように口も開かず見つめ合っていたが いつまでもこうしているわけにもいかないと、リューグが意を決して一歩前に進んだ。 座ったまま自分を見上げるに、一歩、また一歩と近づく。 そうして、ほぼ真上から彼女を見下ろせる位置までやってくると 言いかけては止め、言いかけては止めを繰り返し、それからやっと、居心地悪そうに呟いた。 「・・・・・・さっきは、悪かった。」 良い言葉が見つからなくて――― ・・・そもそも、良い言葉なんてあるのだろうか? リューグは苦虫を噛み潰したように、喉の奥から必死に声を捻り出したが 謝られた当の本人は、これといった反応を見せなかった。 背後についた両手で体を支え、今にも倒れこんでしまいそうな体勢のままリューグを見上げている。 が反応を示さなかったのは、リューグに対する怒りが収まっていなかったからではなかった。 今日は朝からことあるごとに、1年前のことを蒸し返していたせいか はまだ、リューグと上手く話せる自信がない――― ・・・いや、話したくないのだ。 彼に対する怒りはもうほとんどないが、火種は未だに黒煙をあげて燻っている。 1年前のことを掘り返しすぎて、神経が過敏になっているのだ。 いつまた、ふとした弾みで火がついてもおかしくない状況。 そんな状態で、彼とこれ以上話をするのは得策ではなかった。また話が抉れても嫌だし、なにより疲れる。 どうやってこれをやり過ごそうかと、は思考を巡らせた。 ―――― ・・・こういうときは出来るだけ早く、会話を切り上げるに限る。 またもや短い沈黙が訪れる。・・・今度はが先に口を開いた。 出来るだけ、冷静に。は思考が冴えていくのを感じた。 それでいて、友好的とも喧嘩腰とも捉えられぬよう。出来るだけ声から感情を取り除く努力をする。 ・・・そうしては、依然として表情を変えぬまま、淡々とリューグに告げた。 「謝る相手を間違えてるよ。お前が謝るべきなのはにであって、にじゃあない。」 の声からは、彼女が怒っているのか それとも本当になんとも思っていないのか、読み取ることは出来ない。 ・・・少なくとも、今日会ったばかりのリューグには。 静かに自分を見つめるの瞳は、紫色のガラス玉のようで居心地が悪い。 の瞳に、当惑しきった顔の自分が映っているのが見えた。 怒鳴り散らしていたときは、あれほど近くにの瞳があってもなにも感じなかったのに 今になって直視出来ないのは何故だろう――――― ? の顔を見れない代わりに、リューグは地面に転がっている なんの変哲もない小石を、必死に睨みつけた。 平べったいその石に、少し前に見たばかりの。が言う“謝るべき相手”の泣き顔が浮かび リューグはただでさえ強く握り締めていた拳に、更に力を籠める。 「―――――――― ・・・アイツのことも、どうにかしようと思ってる。 もう少し冷静になって・・・それから、話してみるつもりだ。」 「そう、それは良かった。」 取り付く島もないとは、こういうことを言うのだろうか? あまりに淡白なの返答に、リューグは今すぐ この場から離れてしまいたい衝動に駆られたが、ギリギリの所でそれを堪えた。 このまま屋敷に戻っても、わだかまりを残したままだということは 長い付き合いのアメルにはすぐバレてしまうだろうし、アメルはそんなリューグを許さないだろう。 なにより知らなかったとはいえ、女の顔を加減もせずに思いきり殴ってしまったのだ。 悲しいことに、リューグは持ち前の不器用な性格と目付きの鋭さで 他人から誤解されることには慣れていたが、それでも決して気分がよいものではなかった。 それに、今ここで逃げ出してしまったら。 リューグはに謝罪する機会を完全に逃し、謝らず仕舞いになってしまうだろう。 そうして自分はこの先もずっと、やを見る度に 顔を殴ったことや怒鳴り散らしたことを思い出し、心の隅に罪悪感を抱えながら生きていくのだ。 それにと和解できなければ、と和解するなんて夢のまた夢。 まずは目の前の相手をどうにかすることが先決だと、リューグは自分に言い聞かせた。 「けど、その前に・・・こっちが、先だ。思いっきり殴っちまったからな・・・悪い。」 どことなく不貞腐れた顔をしながら、それでも謝罪するリューグの姿は まるで母親に叱られて、渋々謝る子供のようだとは思った。 会ってまだ数時間だが、はリューグの性格をなんとなく把握し始めていた。 身近にいい見本がいる・・・ガゼルやバノッサがそれに近い。 決して性根が悪い奴ではないのだが、妙に意地っ張りで物凄く不器用。 感情的になりやすくて、そのくせなかなか素直になれないという、なんとも損な性格。 そしていつも強気な割に、普段から頭が上がらない人物がいて うまく手綱を握られている・・・そんなところまで、彼は例に挙げた2人とそっくりだ。 (は、『バノッサはカノンに頭が上がらない』と思っているが 周囲に言わせれば、『バノッサはに頭が上がらない』が正解だろう。) 恐らくリューグは、謝るという行為にそれほど慣れていない。 初対面の人間にそう感じさせるほど、リューグの態度はぎこちなかった。 今までに蓄積した、ガゼルやバノッサの行動分析結果から はてっきり、居辛くなったリューグが早々に立ち去ってくれるだろうとばかり思っていたので 彼がその場に踏み止まったことには、正直驚きを隠せなかった。 これは一体どうしたものかと考えながら、はゆっくり瞼を閉じる。 いっそのこと、自分が瞳を閉じている間に立ち去ってはくれればいいのにとも思ったが リューグは忍耐強く、が口を開くのを待っていた。瞳を閉じていても、それが気配でわかる。 どうやらこの男はが想像していたよりもずっと、忍耐強く、きっちり筋を通す性格らしい。 ・・・は浅い溜息を吐いた後。どうやら回避出来そうにないと悟って、億劫そうに口を開いた。 「・・・物理的な傷ってのは、放って置けばいつか治る。」 唐突の切り出しに、リューグは不思議そうにを見た。彼の視線が、に無言で先を促す。 「まぁ、傷痕が残ることもあるけど・・・は痛くなけりゃ、それでいいし。」 は足を揺らして反動を付けると、よっ!と掛け声をかけて、跳ねるように立ち上がった。 それからくるりとリューグに向き直り、2・3歩進んで距離を詰める。 それまで最低限の返事しか返さなかったが 突如饒舌になって喋り出したので、リューグは少々面食らっているようだった。 「幸い、大したことはなかったからね。その証拠に、召喚術でもうすっかり消えてる。」 ほら、と頬に掛かった髪を手で除けて、はリューグに左頬が見えるよう、軽く顔を傾けた。 あれだけ思いきり殴った筈なのに、彼女の言葉が示す通り 頬には青痣どころか、かすり傷一つ残ってはいなかった。 リューグはそれに、ほっと安心する反面。 どうせなら一発ガツン!と殴って終わらせてくれれば楽だったのに、とも思った。 怒鳴らず静かに、持って回った説教をされるより お返しに一発殴られて終わりにした方がすっきりする。子供の頃からそう思うことが多かった。 「・・・けれど精神的なキズってのは、癒えたかどうかわからない。瞳には見えないからね。 例え治ったとしても物理的な傷と同じで、痕が残ることもあるだろうし・・・それが稀に疼くこともある。 ・・・ずっと癒えない、なんてことだってあるのかもしれない。」 言いながら、は色々なことを思い出していた。 日本で生活していたときのこと、リィンバウムに来たばかりのときのこと、それから・・・・。 ・・・そう。精神的な傷は、普通の怪我なんかよりずっと性質の悪い“痕”を残す。 今だって、は痛くて痛くてしょうがない―――― ・・・1年前についた傷痕が。 ・・・無意識の内、の口元には自嘲めいた笑みが浮かんでいた。 「・・・・・・。」 リューグはの声色に、先程までとは違って“感情”が籠められていることに気が付いた。 瞳もガラス玉のようではなく、はっきりとした意思を見て取ることが出来たし、今度は彼女の顔も見ていられた。 感情の読めない無表情は消えて、口元は卑屈そうに歪められている。 その表情自体は、湿原で黒騎士達に向けていたものに似ていたが 薄っすら浮かんだ嘲笑は、自分自身に向けられているようにも思えた。 彼女は誰に話している? ふとそんな違和感を感じ、リューグがを凝視していると 彼女はリューグが自分を見ているのに気が付いて、笑みから自嘲の色を消した。 ・・・・・・そのすり替え方が妙に手馴れているような気がして、却って印象を深くする。 「だからは、致命傷でなければ 物理的な傷よりも、精神的な傷のほうを心配するべきだと思うけれどね?」 けれど次の瞬間には、屋敷でリューグに突っかかってきたときのような ニヤリとした彼女の瞳がすぐ目の前にあって リューグは今更ながら、彼女が自分と然程変わらない背丈であることに気が付いた。 大き目の上着と、黒のハイネック。 その合間からチラリと覗く彼女の首筋は、長めの髪に隠されてはいたが リューグと比べるとずっと細いように思われた。 両手をまわして力を籠めたら、簡単に指の痕が残せそうだ――――― ・・・ 改めて間近で観察したこの人物は、見れば見るほど リューグに自分と違う生き物だと思わせる要素を、ことごとく備えていた。 硬く筋張っていない白い手、喉仏のない平坦な首筋、男にしては小さめの足・・・ そういえば怒りに任せて壁に押し付けたときも、思いのほか軽々と押し付けることが出来た。 認識すると同時に、“コレ”に対して思いっきり掴み掛かってしまったのだと思うと 再び自己嫌悪の波がリューグを襲った。・・・どうしてあのとき気が付かなかったのか。 ・・・これではまるで、大人が子供に力を振るうのと同じようなものだ。 強い力を持った者は、自分より弱い者に見境なく力を振るったりしない。 何故なら、それが最低の行為だと知っているから――――― ・・・ 瞬間、村が襲われたあの日の光景が脳裏を掠め リューグはその映像を振り払うように頭を振るった・・・あぁ、確かに最低な行為だ。 リューグは自分への苛立たしさと情けなさで、ぎゅっと唇を噛み締めた。 確かにさっきの自分は、の言うようにアイツラと大差のない存在だったかもしれない。 考えれば考えるほど、に図星を指されていたような気がして、リューグは自分に嫌気が差した。 「・・・っ」 意外なほど綺麗に切りそろえられたリューグの爪が、柔らかい掌に沈んでいくのを見ては溜息を吐いた。 1人でごちゃごちゃ考えて、勝手に落ち込まれるのも性質が悪い。どうしたものかと、は肩を竦めた。 「・・・別に、そこまで気にされるようなことじゃない。 もうバノッサに治して貰ったから、痕も消えてるし・・・賞金稼ぎなんかやってるんだ。 この程度の負傷は、大したことじゃないさ。」 よくあることだ、とは鬱陶しそうに告げたが このセリフにはかえって、リューグの方が驚かされることになった。 今ではすっかり消えているとはいえ、あれだけ強く殴ったのだ。 そんなに小さな痣だったとは思えないし、痛みがなかったとも到底思えない。 それなのに、は平然と“この程度”と言ってのけたのだ。 世間一般的な女性にとって、それは“この程度”と言える怪我だっただろうか? 少なくともリューグだったら、アメルが頬に大きな青痣を作ってきたら とんでもなく驚いて、そんなものを作った経緯を問いただすだろう。 ・・・それなのに、彼女に言わせればそれは“この程度”。 やっぱりコイツはどこか“普通”じゃない、“規格外”だ。 だがその言葉が示すのは、それだけ彼女の日常が波乱続きだということに違いない。 「さ、これでこの話は終わりだ。こういう真面目ぶった話ってのは、生憎得意じゃなくてね。」 リューグがそんなことを確信している間に、の声が遠のいた。 リューグがハッとして顔をあげると はいつの間にかこちらに背中を向け、ハルシェ湖に瞳を向けている。 背を向けて、暗にこの話はこれで終わりだと告げているに けれどリューグは、もう1つ確かめておかなければならないことがあったのを思い出した。 「・・・・・・もう1つ、聞きたいことがある。」 「・・・あ?まだ何かあるのか?」 が面倒臭そうに――― ・・・今度は面倒臭いという感情を隠しもせず、首だけで後ろを振り返った。 リューグはゆっくり、そして大きく息を吸い込む。 「――――――― ・・・お前、本当に女なのか?」 「「・・・はぁ!?」」 これにはバノッサと、2人の声が見事に重なり、ハルシェ湖中に反響した。 あまりに大きな声だったので、リューグは耳の奥がキーンとなって、頭がくらくらしてしまったぐらいだ。 ――――― ・・・今、こいつは何を言った? の頭の中は真っ白だった。自分が女でなかったら、どうして毎月1度、あの鈍痛に耐えていると言うのか? この時の頭からは、1年前のことを蒸し返されて苛々していたとか リューグとの会話を早く切り上げたかったとか、そんなことはすっかり抜け落ちていた。 「・・・・・・ねぇバノッサ君、これは一体どういう状況なのか教えてくれるかい?」 「んなもん俺に聞くな。」 間にリューグを挟み、そんな会話を交わしてから、2人は一斉にリューグを見た。 奇異の視線が容赦なくリューグに突き刺さる。 リューグは居た堪れなくなって目線を逸らしながら、消え入るように呟いた。 「・・・・・・男だと、思ってたんだ。」 「野郎だと思ったから、殴ったってのかよ・・・ッ!?」 バノッサが呆れた声色で呟き、は貝のようにパカッ!と口を開けた。 リューグは一瞬、ぐっと言葉に詰まってから・・・けれど本当のことなのだから仕方がない。 ほとんど項垂れるようにして、こっくり頷いて見せた。 「・・・・・・そうだ。」 それ以外に言いようがなくて、それきりリューグは黙りこくった。 今度こそ、リューグはに怒涛の如く怒鳴りつけられるものだとばかり思っていたのだが 1分経っても、3分経っても。一向にからは、なんの反応も返ってこない。 痺れを切らしたリューグは恐る恐る顔をあげて、の表情を覗き見た。 ・・・はまるで、口の閉じ方を忘れてしまったかのように ぱっくり大口を開けたまま、瞬きも忘れて呆然とリューグを見つめていた。 「・・・・・・・・・・・・怒らねぇのかよ?」 「あ。いや、だって・・・」 リューグが聞きづらそうに問いかけると は夢から覚めたような顔をして、もごもごと口の中で返事をした。 そうしてやっと、自分が首だけ後ろを向いた奇妙な体勢のまま固まっていることに気が付くと 巻いたゼンマイが元に戻るように、ゆっくりとした動作でリューグに向き直る。 「確かには、男と間違われても可笑しくないような言動してると思うけど・・・・・・う〜ん・・・?」 眉間に皺を寄せて唸りながら、の視線はリューグの頭上を通り越して 助けを求めるように、奥にいるバノッサへと向かった。 の問いかけるような視線に、バノッサは軽く瞳を見開いてから なにかを思い出すように腕を組んで、改めての格好を頭の先から爪先まで眺めた。 「・・・まぁ、俺もコイツに初めて会ったときは一瞬男かと思ったがな。 男にしちゃ声が高いし・・・ヒョロヒョロしてやがったからな。」 バノッサの言葉に、はしみじみ頷いてから “大抵すぐに気づく、よな・・・?”などと、随分頼りないことを呟いていた。 「実際に男だと思われてたことはほとんどないし・・・・・・っていうか、ぶっちゃけ初めてだと思うけど。」 「そ、そうか・・・(汗)」 「しかし、そっか・・・・なるほどねぇ・・・?」 ガシガシと髪を掻きまわしながら、どこか納得した口調でが言う。 リューグはを男と間違えたのは自分が初めてだと知って、余計気恥ずかしくなった。 ただでさえ顔は赤かっただろうが、今では耳まで熱くなっているのがわかる。 忙しなく視線を彷徨わせていると、うんうん唸っていたと ばっちり瞳が合ってしまい、リューグは慌ててから瞳を逸らした。 そんなリューグを見て、は苦笑にも似た溜息を漏らす。 肩から力が抜けていくのがわかった。拍子抜けというヤツかもしれない。 「でも、まぁ・・・・・ヘタに女扱いされるよりはずっとマシかな。」 はそう告げると、もっとじっくりリューグの顔を見ようと、彼との距離を詰めた。 牽制やら怒鳴り合いばかりしていて、顔1つまともに見ていないことに気が付いたのだ。 の動きに少し遅れて空気が動く。リューグの髪が微かに揺れ 反射的に顔をあげた彼は、の顔が思っていたより近くにあることに驚いた。 少し首を伸ばせば、簡単にキス出来てしまう距離。 認識すると同時に、リューグの頬が茹でタコのようにかあっと赤くなり 近すぎる距離に慌てたリューグは、ズザザッ!と砂煙を上げて後退りした。 リューグの過剰反応に、は再びぽかんと口を開ける羽目になった。 この調子でいくと、今夜辺り顎が痛くなるだろう。 ついさっきまで、吐息が掛かるほど近くで顔を突き合せ これでもかというほど怒鳴り合っていたのに、女とわかった途端この反応はなんだろう・・・ けれど次の瞬間には、はにんまりと人が悪そうな笑みを浮かべて、 いとも簡単にリューグが空けた距離を詰めてしまった。 とリューグはほとんど身長に差がないので あまり詰め寄られると、本当に真正面に顔があって心臓に良くない。 余計に切羽詰ったリューグの表情を見て、は面白そうにクスクスと笑っていた。 「それとも、本当に女かどうか今夜あたり確かめてみる?」 「「な゛ッ!?」」 の発言に、リューグとバノッサが揃ってピシリと固まった。 リューグも健全な青少年である。これだけ意味深な言葉を言われれば、嫌でも深読みしてしまう。 挙句、に好意を抱いているバノッサに至っては リューグが確かめるのを阻止したい気持ちと、寧ろ自分が確かめたい(コラ)気持ちと・・・ とまぁ、これ以上は言うまでもないだろう。 今まで全くと言っていいほど、アメル以外の女性に耐性のなかったリューグは 哀れなことに、すっかり固まってしまっていた。 男のわりに、パーツパーツは整ってるな、コイツ・・・ よく見ると、リューグの瞳は髪の後ろの部分と同じ、薄くて綺麗な茶色をしていた。 きっとこれが地の色なのだろう。そう思って、は少しだけ羨ましく思った。 ・・・ってことは、前髪は染めてんの?そういえばもう一人、青いのがいたよな? 良く似た兄弟か?それとも双子か??どっちにしろ前髪だけ色違いなんて遺伝子情報ありえんの? いやいやそれよりも、この触覚(?)はどういう仕組みなんだ? なんかピョコピョコ動いてんだけども・・・・・・ そこまで考えて、ふと視線をさげたとき。の思考はピタリと止まった。 ・・・リューグが、予想以上に面白いことになっていたせいだ。 いくら自分がからかったとはいえ、顔は今にも耳から湯気がでそうなくらい真っ赤だし 石像のようにカチコチに固まっている姿は、に喰って掛かってきたときよりもずっと幼く見えた。 もしかして・・・女に免疫無い? そんなリューグを見たは、ついつい“初々しい反応だなぁ・・・” なんて親父くさいことを考えてしまい、もう少しからかってやりたい衝動に駆られる。 近づいただけでこの反応なのだから、もっともっと面白くなるに違いない。 じっとリューグを見つめながら、今度はどうやってからかってやろうかと考えていると リューグはついに耳まで真っ赤になって、何か言いたそうに口をパクパクとさせた。 その姿が、小さい頃縁日で掬い上げた赤い金魚を、なぜか思い起こさせて。 ―――――― ・・・そうじゃなくても、可愛い反応だと思った瞬間から 笑い出したくて仕方なかったものだから、は堪えきれずに吹き出してしまった。 「―――――― ・・・ぶっ!あははははッ!!!! いいリアクションするね、君!今まで女で遊んだことないだろ!?女ってだけでその反応・・・!」 「―――― ・・・ッ!!かっ、からかいやがったな!?」 リューグはやっと、自分が遊ばれていたことに気が付くと それでもやっぱり顔を紅くして、非難がましくそう叫んだ。 はそれ以上喚かれる前に、降参だと両手をあげてさっさとリューグから距離を取る。 ・・・勿論、その間もクスクス笑いは止まらなかったが。 ――――― ・・・あぁ、そっか。彼はまだまだ子供なんだ。 真っ赤になって叫んでいるリューグを見て、は唐突にそう思った。 年齢がどうのではない、圧倒的に経験が少ないのだ。 だからこうやって、思ったことがそのまま表に出てくる。 ときには自分の感情を殺してでも、大切なものを護るという選択肢があることを 理屈だけで理解していて、本当の意味で理解していない。 それが今回は結果的に、やアメルを傷つける形になってしまっただけのこと。 良く言えば素直、悪く言えば直情型。 リューグの頭の中には今、“アメルを守る”それしかない。 こういうとき、人の思考は至ってシンプルだ――― ・・・敵か味方か?邪魔なものは排除しろ。 その判断だけで精一杯で、その後のことまで考える余裕がない。 どうすることがアメルを護ることに繋がって、どうすることが自分の有利に繋がるのか・・・ そんなに先まで見ていられない、考えるだけの余裕がないのだ。 そのことに関しては、別段彼に非があるわけではない。 ついこの間まで、比較的平穏な暮らしをしていた青年に、自分と同じだけの経験を。 ・・・そこから得たものを求めるほうが間違っているのだ。 初めて武器を持ったその日から、今まで武器を持ったことのなかった人間が 突然強くなれるわけではない、それと同じこと。誰もが最初から強くなれるわけではないのだ。 最初から冷静に物事を判断して利益を見極めろなど、到底無理な話だ。 もしかしたら、がリューグに苛立ったのは そんな彼の姿に、護っているつもりになって何も護れていなかった―――― ・・・ あのときの自分を垣間見たからかもしれない。 そうだとわかったらすっきりして、そんな単純な自分にはまた笑った。 まだ自分が笑われているのだと勘違いして、何事かを叫ぶリューグの声が左から右へ抜ける。 は必死に、込み上げてくる笑いを喉の奥へと押し込めた。 「・・・すぐ、乗せられるほうが悪いのさ。悪いことは言わないから もう少し人の言葉を受け流す練習をしたほうがいいよ、君・・・えーっと、確か・・・」 なんとか笑いを治めたは、人差し指で空中にぐるぐると渦巻きを描いた。 もう片方の手をこめかみに当てて唸る仕草は 喉元まで出掛かっている何かを、必死に思い出そうとしているようだった。 しばらくの間、は何重にも円を書き連ねていたが、突如パチンと指を鳴らすと なにを思い出したのか、リューグの鼻先にひとさし指を突きつけた。 「・・・リューグ、だったっけ?」 「あ、あぁ・・・」 一体何事かと思ったリューグは、間抜けな返事を返してしまってから の物覚えの良さに、不覚にもちょっとだけ感心する。・・・少し意外だ。 だがそれ以前に、リューグが不思議で堪らなかったのは 自分のことは棚にあげて、さっきまでの無愛想な奴はどこへ消えたのかということだった。 「けど、正直な話。女と見るとすぐ性欲処理の道具みたいに見てにじり寄って来る奴よりは 男と間違えて殴ってくる奴のほうが、数百倍マシだね。だから、そんなに気にしなくていいよ。」 あっさり“性欲処理”なんて言ってのけるに リューグは少したじろいだが、なんとか平静を保つことに成功した。 「・・・それにしても、良く俺の名前なんて覚えてたな。兄貴達が呼んだくらいだろ。」 「いやいや、あれだけ脅しておいたのに 無謀にもに突っ込んで来る輩なんて、そうそういないよ? それはもう、強烈に印象に残りましたとも!」 妙に芝居がかった声色で楽しそうに告げた後、はふっと表情を緩めた。 それはリューグが初めて見る、の優しい表情で。 こんな顔も出来たのかと、なんとも失礼なことを考えた。 「・・・さっきは悪かったね。近頃慌しかったものだから、ちょっと苛々してたんだ。」 「俺のほうこそ、その・・・・・・・・・悪かったな。」 「誰かに聞いてるかもしれないけど、は。と同じ名も無き世界の・・・あー、つまり・・・ あのかなり無茶苦茶な召喚術を使えちゃう人種ってことだよ。 ・・・それからこっちが、仕事仲間のバノッサ。こっちはリィンバウム生まれのリィンバウム育ち。」 リューグがバノッサに瞳を向けると、彼は面倒臭そうに鼻を鳴らす。 それが挨拶の代わりだとわかったのは、自分も似たようなことをしたことがあるからだ。 「いくらなんでも、コイツを男と勘違いする奴がいるとは思わなかったぜ。」 棘のあるバノッサの言葉にリューグが唸ると、が呆れた様子で首を振った。 「・・・全く、良く言うよ。いつもは“よく女だってわかったな!”・・・とかって煩いくせに。」 「・・・仕方ねぇだろ。男と間違えられても可笑しくない胸してんだからよ。」 バンバンバン!!! 「今度は全力のデス・マッチと行くか?バノッサ・・・!?」 言うより先に、の銃が火を噴いた。 だがそれを既に予測していたのか、バノッサは素早く横に跳んで紙一重で銃弾をかわす。 ・・・慣れた者には見慣れた光景だが、唐突の事態にリューグは完全に置いて行かれていた。 あまりの早業にがいつ銃を抜いたのか、それすらリューグにはわからない。 銃口は薄っすらと白い煙を吐き、は愛しそうに銃身を一撫ですると 左手にも銃を構え、好戦的にバノッサを睨みつける。 「・・・泣いて謝っても知らねぇぞ、この男女ッ!!」 リューグが唖然としている間に、バノッサまでもが剣を抜いた。 独自の二刀流の構えを取って、瞳に今までより明らかな生気を宿してを見据えた。 「望むところだッ、この色白変態露出狂がッ!! 女の体の籠手なんかつけてさ、欲求不満なんじゃないのッ!?」 「(誰のせいだと思ってやがる・・・ッ!!)んだとッ!?このまな板胸がッッ!!」 「ま、まな板・・・ッッ!?!?」 “コイツ、見たことあるのか?”なんて思いながらも リューグの視線は知らず知らずのうちに、の胸元にいってしまう。 バノッサのまな板発言を受けたは、雷にでも打たれたような表情をして、 しばらくの間、魂が抜けたようにその場に立ち尽くしていたが やがてギギギ・・・と油の切れた機械のような音をたてて―――― ・・・ まだまな板と言われたショックから立ち直れていないのだろう、ぎこちない動作で再起動した。 銃を収め、腰の鞄の中に手を突っ込むと 何かを探してガチャガチャと、中身を引っくり返すように掻き回す。 今やの顔は怒りで真っ赤に燃え上がり、瞳はバノッサを射殺さんとギラギラしていた。 「〜〜〜〜ッッ!?来たれッッ、エイビスッッ!!!」 の声に応えるように、鞄の中から緑色の光が溢れ出す。 その緑色の光を見て、リューグはの使った召喚術の光を思い出していた。 これも召喚術なのだろう。それはわかったが、のときとは輝きが段違いだった。 あまりの眩しさに、リューグは反射的に眼を瞑る。 瞼の裏がほんのりと明るくなって、瞼越しにもかなりの光量だということがわかる。 段々と光が治まっていき、リューグが瞳を焼かれないよう慎重に瞳を開けると の背後、湖の水面には、鼻に立派な角を一本生やして、 蛇のように長い体をうねらせた、巨大な水竜が出現していた。 召喚術なんてものに、これぽっちも縁のない生活を送っていたリューグが きちんと覚えている召喚獣なんていうのは、トリスが召喚する回復用のリプシーか そうでなければ精々、ネスティの召喚するベズソウかビビアロイドが関の山で あとは1・2度目撃した銀色の竜が、レヴァティーンと言う名前らしいことぐらいだ。 だが今回が喚んだ召喚獣は、トリスやネスティが使うそれとは迫力が違いすぎる。 もしかしたらとんでもなく強力な召喚術なんじゃないかと、リューグが考えを巡らせていると どうやら我に返ったらしいバノッサの、焦燥しきった声が聞こえてきた。 「ば、馬鹿野郎ッ、テメ・・ッ!こんなところでんなデカイ術ぶちかます奴がいるかッッ!?!?」 バノッサが落ち着けとかなんとか言って、を宥め始めたが 肝心のは、完全に頭に血が昇っていて聞く耳を持たない。 バノッサの声を振り払うようにブンブンと首を横に振ると、狂ったように叫んだ。 「煩い煩い・・・っ、黙れぇッッ!!! 消し飛べッ・・・エイビスッ、シーエクスプぎゅ・・ッ!?」 がエイビスの持つ、最強の術の名を叫ぼうとしたそのとき。 後ろから伸びてきたリューグの手が、まるでビンに蓋をするように、彼女の口をバチン!と塞いだ。 いくらリューグが召喚術に詳しくないとは言っても、馬鹿ではない。 戦闘中に、召喚術が発動する場面を何度か見ているおかげで 1匹の召喚獣でも、いくつかの能力を備えているものがいることや 召喚師が攻撃の意思を伝えなければ、彼等が進んで攻撃をしないことは理解していた。 召喚獣は必ずしも、突然人間に襲い掛かってくる危険な生き物ではないのだ。 「む、むぐぐぐぐーーーーッ!!!」 ・・・リューグの思っていた通り、蛇に似た外見を持つ大きな水竜は 召喚主とその仲間(?)を見下ろし、どうしたものかと首を傾げるばかりで何もしてはこなかった。 発動直前というギリギリのところで、どうにか彼女を黙らせることに成功したが それでもが冷静さを取り戻す気配は一向にない。 の召喚した竜はとても大きく、船と並んでも劣らないほどの巨体だった。 当然姿を隠せるはずもなく、港にいた人間も、その存在にちらほら気付き始めたらしい。 ・・・にわかに港の方が騒がしくなってきた。 いくらリューグでも、今目立つのが得策でないことぐらいわかっている。 イオス達に襲撃されただけでも誤魔化すのに一苦労だったのに これでは言い逃れのしようがないではないか・・・!! 勝手に入って来ました!・・・なんて言い訳では、いくらなんでも納得してくれないだろう。 血の気が引くというのはこういうことかと、リューグは嫌なところで実感した。 唯一事態を収拾できるだろうを見れば、彼女は腰の銃に手を伸ばそうとしているところで・・・ この上発砲までされては堪らないと、銃を掴もうとする彼女の手首を リューグは空いていた方の手で慌てて捕らえた。思っていたよりずっと細い手首は 強く掴んだら血流が止まってしまいそうな気がして、リューグは思わずぎょっとする。 「お、おいッ!!落ち着けよ、お前の竜に驚いて港の方が騒ぎになってるだろうが!!」 「むぅーぐ!?んむぐぅーーーッッ!!!」 じたばた暴れるとは正反対に、バノッサは明らかにほっとした様子で溜息を吐いていた。 「よし、でかしたッ!!絶対に放すんじゃねぇぞ!?いいか、俺様が行くまで押さえてろッ!!」 暴走するを2人がかりでなんとか取り押さえて 軽いパニック状態に陥りかけている港を尻目に、ちょっとした罪悪感を抱きながら。 リューグ達が誰にも目撃されずに逃げ出せたのは、それから数十分後のことだった。 出逢った初日にして、の危険性をリューグが身を持って知った、記念すべき1日である。 |
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戯言。 ―――――― ・・・長ッッ!?!? ・・・と最初から叫びましたがこんにちは、お久しぶりです任那です。 20話後編、どうにか完成まで漕ぎ着くことが出来ました。 今回はとてつもなく難産でした。リューグとがなかなかうまく治まってくれなくて・・・。 気分的には既に解決だったんですが、文章能力が追いつきませんでした(汗) やっと少しだけ、リューグとがお近づきになりました。 ですが今回のことで、はリューグを対等というより、やアメルのような・・・ こう、どちからかと言えば成長を見守っていく対象に分類してしまったので リューグがとても苦労する予定です。歳も1つ下ですし(笑) 年下故のコンプレックスというかジレンマというか・・・ そういうのに苦しむキャラになるといいなぁ(酷ッ) 次回のお話は・・・リューグとのサブエピソード的なものにするか 本筋にするかちょっと迷ってます(汗) ただでさえ、パッフェルさんとかシオンさんとかユエルとか双子の行方とか。 ゼラムにいるうちにこなさなきゃならないイベントがあるんですが(ありすぎだよ!?) あれだけの大騒ぎをしておいて、あっさり仲良くなっちゃうのも味気ない気もしています。 短編でも良いかと思うのですが、ちょっと時間の経過を挟むので難しいし・・・迷い中。 |
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